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決戦は準備室
きいちがマジを使うとき。それはやばいときだ。
俊君はアホなところがある親友が、ボソリとつぶやいた「マジで…」という単語の重さに戦いた。
国語の時間を、悪あがきのように宿題だった書き取りに費やし、少しでも刑を軽くしてもらえるように準備をしながら、非情に進む針の音にあきらめろよと言われたような気になる。
こんなはずじゃなかったのにな…。右手に擦ったような黒い汚れが目立つ。鉛筆の汚れだとわかっているはずなのに、なんだかそれが不完全燃焼で煤けた痕のように思えてならない。
そんな僕とは裏腹に、何やらご機嫌に黒板でリズムを刻むように授業を進める六村先生に、お腹痛くなればいいのにと呪いを飛ばしているうちに、授業終了のチャイムが鳴ってしまった。
いや、切り替えろきいち、これは決戦の合図だ。
僕はギュッと目をつむり、気合を入れなおす。
「今日はここまでだ。次回は次の段落から。宿題忘れはどうなるか、あとできいちに聞くといい。」
冗談交じりに言ったつもりだろう、鼻につく笑みを浮かべてのたまうと、空気を読んだ律令係が号令を取った。
隣で俊君が何かを言おうと口を開くのが目端に映った。手についた机がやけに冷たく感じる。起立、礼、ありがとうございました。
こんなに授業が終わることが名残惜しいとは思わなかった。ここからだ、くる、くる。
「じゃあきいち、行こうか。」
「ひゃい…」
薄汚れた手で国語のノートをぎゅっと握りしめ、言われるがままに立ち上がり、ついていく。
不思議なことに、もう授業が終わったというのに、クラスのみんなが席についたまま僕を見おくる。後ろをちらと振り向くと、俊君が腰を浮かせた状態で何か言いたげに見つめてきた。
これは作戦だ。なにを弱気になる必要がある。冷たい廊下を進んだ先に、決戦の場である準備室がある。
大きな体で、ゆらゆら揺れる様に歩く先生がぴたりと止まって、引き戸を開けた。室内はがらんとしており、煙たい臭いがしたがどうってことはない。
「中に入って、先に座って待ってなさい。」
「はい…」
雑多に置かれた書類やら辞典、もともと灰色だったであろうパソコンは黄色く薄汚れている。
緑色の重そうな遮光カーテンが窓を覆い、まだ十五時前だというのに薄暗くて嫌な雰囲気だ。
なんとなく、室内の空気がよどんでいるように感じ、極力息をつめていようと静かに息をする。気分は肉食動物を前に息を殺すガゼルだ。
冷たいパイプ椅子に尻を預け、恐らく5分くらいだろうか、準備が終わったのか、先生が戻ってきた。
「すまんすまん、どれにしようか迷ってたんだ。」
「え?」
「ペナルティだよ。読書感想文5枚か漢字の書き取り1冊、それか教科書の23-26ページの丸写し、どれがいい?」
ぎしりと音を立ててパイプ椅子に座った先生は、目の前に大量の宿題をみせ、尚且つ期限は明日までだという。
「ぜ、絶対むりだよ…せめて3、4日欲しいです…」
「何言ってるんだきいち、軽かったらペナルティの意味がないだろう。」
先生はめんどくさそうにため息をつき、目の前に出されたペナルティをボールペンではじくように叩きながら、ずいと顔を近づけてきた。
「それに、お前はあまり出来がよくないから、これをやれば少しは成績が上がるかもしれんぞ。」
あくまでもお前の為を思ってだぞ、と言わんばかりにやれやれと肩をすくませてくる。
僕は顔をしかめた。先生の口から襲い来る腐った匂いも相まって。
「で、でも帰ってから寝ないでやっても無理だと思う…」
うずたかく積まれたペナルティまで責め立ててくるかのように存在感を主張してくる。とにかくこの空間は居心地がよくない。何かきっかけを見つけて逃げ出さないと…。
「じゃあこうしよう。」
「え?」
視界に影が差す。椅子から立ち上がった先生は、行き場をなくした僕の手をゆるりと掬い上げ、小動物を愛でるかのような手つきで撫でまわし始めた。
「さすがに先生も鬼じゃない、でも大人は出来の悪い生徒を依怙贔屓をするには建前が必要なんだ。」
「え、えこひいき?たてまえ?」
ゆるゆると撫で擦るような節ばってゴツゴツした大人の手は、ゆっくりと僕のシャツの裾から侵入しくる。
「あぁ、なにも難しく考える必要はない、きいちもまずは立ちなさい。」
何が起こるのか、依怙贔屓も建前も、正直一体何のことやらさっぱりわからない。
ただわかるのは、本能的に感じ取った、いまは言うことを聞かない方がいい気がするということだ。
「い、今ここで少し書き取りやろうかなぁ」
「どうした急に、ほら、こっちに来なさい。」
俊君!!早く来て!!
僕は守ろうとしていたはずの俊君に助けを求めた。
テレパシーがつかえたら、いや、テレポートのほうがいい。とにかくここにはいたくなかった。
所詮大人の力に子供がかなうわけもなく、みしりと掴まれた手首がきしむ痛さを感じながら、先生の目の前に無理やり立たされる。
ふんふんとなにかに納得した先生の取った次の行動は、僕のことを驚愕させた。
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