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繋いだ手
下校時刻は過ぎてるけど、と楠先生は黒縁眼鏡をくいと押し上げ、なんだか楽しそうに招き入れてくれた。
正直に言うと、僕は目の前の楠先生が苦手だったので、怪我をしても極力保健室は利用しないようにしていたのだ。
「俺はかえる、だからきいちは先生に話せ。」
「何言ってんの、楠先生関係ないじゃん…」
「関係ない大人だから、ちゃんと話聞いてくれるかもしれないだろ」
でもでもだってなんて女々しいこと言うな!と無理やり保健室に押し込まれた僕は、意を決してすすめられるままに丸椅子に腰かけた。
「きいち君だっけ?怪我ってわけでもなさそうだけど。」
「……、いやその」
楠先生はミステリアスな黒髪を一つにまとめ、つかみどころのない雰囲気を持つ先生だ。
生徒の中では趣味は小動物の解剖だとか、怪しげな薬品をフラスコに入れて飲んでいるとか、実は魔女の生まれ変わりだとか、怪しげな噂が後を絶たない。
何故か俊君はなついており、俺は好き。と恥ずかしげもなくいうもんだから、周りの男子からは一目置かれている。
「何か言わないとわからないわ。」
「ろ、」
「ろ?」
ほんとにこの先生に行っても大丈夫なのか、俊君を疑うわけじゃないけど、ほんとに
連れてきた俊君をうらめしげにみやる。
帰るって言った癖にタイミングをのがしたのか、今はおとなしく出口付近の座椅子に腰掛けていた。
はぁ、と一つため息を吐いて振り返ると、至近距離に楠先生が迫っていた。
「!!」
「…私、人の心が読めるの。きいち君は何か後ろめたいことを隠している。違うかしら。」
「ひぇ、ち、ちがわないです…」
つるりとしたメガネに光が反射している為、先生の表情が見えない。後ろから差し込む光も相まって、なんだか妙な怪しさを醸し出す。
これが計算されていたとしたら、絶対にかなわない気がしてくる。ついに観念して、先ほどあった出来事を、口からこぼすように話し始めた。
準備室で、大量の宿題を免除する代わりにと、先生がいきなりズボンを脱いだこと。
わけがわからず逃げようとしたら、口を押さえられたこと、思わず思い切り股間を蹴り上げて、慌てて逃げ出したこと。
話している最中、楠先生は青くなったり赤くなったりと、まるで明滅するサイレンのようにコロコロと表情を変えていた。
「先生のことけっちゃったから、お母さんに迷惑かける。」
「そんなことにはならないから安心して。」
聞き終えた先生は、久しぶりに地球に帰ってきた宇宙飛行士のように深く深呼吸した後、なんでそんなことになったのか、作戦に至るまでの経緯も白状させられた。
鉄仮面だとばかり思っていた先生が、いろんな表情を見せるのを、不思議な気持ちで見ていた僕に、先生は今日はもう帰りなさいと言ってきた。
「え、でも」
「作戦の件はいただけないけど、あとは大人が何とかするから。」
「怖いことになる?」
「きいち君たちは怖いことにならないから安心して。」
珍しくにっこり笑った先生は、颯爽と保健室を出たかと思えば、五分ほどで俊君を連れて戻ってきた。
「かえんぞ!」
「あ、はい。」
これってお母さんが呼び出されたりして、ジンモンとかいうのをされる奴なのだろうか。
いろんな考えがぐるぐるして、俊君に手を引っ張られるようにして下校しながら、頭の中は空っぽだった。覚えているのは、俊君の手がやけに熱く、繋いだ手のせいかわからなかったけど、なんだかすごく安心したことだ。
翌週の月曜日、驚くべきことが起こった。
「え、六村先生いなくなっちゃったの?」
え。衝撃展開なんですけど。
僕の驚いた表情に気を良くしたのか、クラスの情報通は、まるでいけない話だと言わんばかりにこそりと囁くように言う。
「何でも、学校の裏の組織が先生を辞めさせたらしい。」
ちょっと黒の組織でもあるまいし、何を言ってるんだこの女子たちは。
教室の中で、休日のお母さんたちが集まって会話をするような感じでとんでもない内容の会話をしていた。
やはり女子は怖い。知らないことなんてないんじゃないかと思う。
「やめたってこと?」
「きいち、」
多分違う、なんてやけに真剣な顔をして俊君は言う。
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