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プライドは鈍色

「葵は俺のだ。ジジイはお呼びでねえんだよ。」 ビシビシと伝わって来るのは怒りだ。いつものへらへらとした情けない表情でおどけてみせる益子の姿はいなかった。 レンズを向けられた寺田という男は、自分の行動が意図的なものだったということを自覚してるのか、目に見えて狼狽えていた。 当たり前だ。こんな場面、暴行以外の何物でもない。 僕の腕の中で息を荒らげる忽那さんを、益子がちらりと見た。慌てて僕が手の中のエピペンを益子に見せると、一瞬目を見開いた後に安心したように小さく頷いた。 「お前がそこから退いて、葵に二度と近づかねえんなら画像は破棄する。」 「くそ、俺達の金で養われてるガキが!」 「税金のことか?あんたマウントの取り方下手すぎ。」 益子が馬鹿にしたように煽る。遅れてきた警察官がバタバタと中に入ると、寺田は違う、違うんだ!!と慌てて誤魔化すように振る舞っていた。 僕は、忽那さんがエピペンの効果が出てきたのか少しずつ落ち着いてきた様子にホッとした。警察の人は救急車を呼んでくれているようで、タオルを持ってきてもらうようにお願いした。 「違うだろ!!俺は助けに来た!!」 「証拠は俺がいつだって提出してやる。ジジイは退場。」 「くそ、だいたいこいつが悪いんだろう!?自分のヒートも管理できない出来ぞこないが!!俺は被害者だ!!」 「ひ、っ」 往生際悪く、忽那さんを指差して無様に叫ぶ。先程とは打って変わり、恫喝するような声色で怒鳴り散らす様子に僕が言い返そうとしたときだった。 「テメェ!!」 「だめ!!」 怒りに身を任せて益子が寺田の胸ぐらを掴む。振り上げられ、勢いを増した拳は警察官が止める間もなく、その動きは素早かった。でも、殴るのはまずい!僕が慌てて止めに入ろうとしたとき、忽那さんの声が益子が拳をぎりぎりで止めた。 「だめ、だめだ。悠也くん…」 ぐす、と涙を堪えながらふらふらと立ち上がる忽那さんを慌てて支える。僕の腕に捕まりながら、益子をまっすぐ見つめる瞳は大人の人の強い眼差しだった。 「君は、殴ったらだめだ。」 「なんで止める!」 「良いから!!もう、何もしなくていい、助けてくれただけで…いいから。」 忽那さんが声を張り上げる。こんな細い体で、益子を守るために止めた。ここで益子が警察官の眼の前で事件を起こしてしまえば、退学という結果になるだろう。警察沙汰だ、学校だって目を瞑ることはできない。 忽那さんは、大人として、自分のことより益子を優先させた。ヒートの中、怯えたように握りしめてた写真が意味することを、僕は手にとるように理解した。この二人は想い合っている。 益子は、怒りのぶつける場所が無いといった様子だった。余裕のない顔は知らない。僕が知ってる益子はもっと飄々としていたからだ。 結局寺田は警察官によって取り押さえられ連れ出された。忽那さんは、益子が抱きかかえて救急車まで運んでいった。まるで誰にも渡さないといった表情は、酷く切羽詰っていた。 高杉くんは入れ違いになるように僕のところに来ると、これから何が起きたかは忽那さんが落ち着いてから警察官が事情聴取をすると言っていた。 「僕らも病院行こう。あとは大人が何とかしてくれる。」 「ああ、そうだな。」 僕らはまだ高校生だ。大人になったつもりでも、まだ大人に守られてる。今回の事で、益子が一番悔しかったはずだ。忽那さんの真意が伝わってるといい。 リノリウムの床を歩く足音は2つ。あれから3日の時が経ち、僕は益子と忽那さんがいる病院に来ていた。 「忽那さん、具合どう?」 「あの後鎮静剤打ってそのまま落ち着いた。なんか悪かったな。」 「いやいや、誰も悪くないでしょ。」 益子は、そうだな。と一言言うと、少しだけ痛そうな顔で笑った。 「今回の件で、大分きた。嫌だねガキは。大人に守られてばっかでよ。」 「僕は間違ってなかったとおもうけど。」 スライド式のドアには忽那葵とネームプレートが貼り付けられていた。病院独特の雰囲気が僕らを憂鬱にさせる。あの後益子に連れられて救急車に乗せられた忽那さんは酷く疲れた顔でぐったりしていた。 あの儚そうな人は大丈夫だったのだろうか。 益子は戸惑いなくドアを開けると、ベッドでは忽那さんが本を片手に驚いた顔で見返してきていた。 「悠也と、きいちくん。」 「体大丈夫ですか?なんか、きになって益子について来ちゃいました。」 先にドアを開けたくせに、何を話すでもなく中に入ったかと思うと、定位置であるのか忽那さんの隣に腰を下ろした。 忽那さんは苦笑いして益子をみると、照れたように言葉を続けた。 「ほんと、今回はみんなに心配かけてごめんね。」 「全然!というか、突然だったんですか?ヒート。」 「うん、まあ…時期的にはそろそろかなとは思ってたんだけどね、ただ予兆とかなかったからびっくりしちゃって。」 忽那さんはなんとも言えない顔で頷くと、あのときの僕と似たようなことを語った。 通常、オメガのヒートは四日ほど微熱が続いた後にくるらしい。僕の場合は初めてだったから比べようもないが、忽那さんは微熱などなく、本当に突然来たらしい。翌日に定休日として店を閉める準備をしている最中だったという。なんともタイミングが悪かった。 「悠也も、今回はごめんね。怪我は平気?」 そういえば益子も揉み合いになった時にこめかみをぶつけたらしく、切れていた部分には絆創膏を貼っていた。忽那さんが心配するようにそこに触れようとしたとき、パシリと音を立てて益子が忽那さんの手を掴んだ。 「俺なんかより、自分の心配してろよ。」 酷く硬質な声だった。何が琴線だったのかわからないが、益子は忽那さんに対してあきらかに苛ついていた。 そして僕は、その理由についてもなんとなくわかってしまう。おそらく益子も頭では理解しているけれど、それを認めると自分が子供だと突きつけられるようで嫌なのだ。

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