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末永の情緒が忙しい一日

末永洋平は表面上では出さないが、いまだかつてないほど緊張していた。 多分高校受験の時よりも緊張した。普段はかかない 手汗で手を湿らせては、慌ててデニムの尻ポケットに突っ込んでさり気なく拭うくらいには。 周りから見たら整った青年が柵にもたれかかりながら待ち人を待っているだけのように見える。しっかりとした整った一筆書きのような眉も、一重ながらややつり目がちの精悍な顔立ち。大正ロマンの軍服など着せたら様になりすぎて一人だけトリップしてきたかのようになりそうだ。 清潔感のある、御曹司のような風貌と、本人が大人のような雰囲気なので周りからは20代前半ほどに見られるが、17歳だし車の免許は持ってない。今日もこの顔で駅前までチャリできた。しかもママチャリ。 「っ、」 ビクゥッ!と周りから見てもわかるくらい大きく身体を跳ねさせた。コートのポケットに入れていた末永のスマホが職務を全うして電話の通知をお知らせしただけなのだが、手をプルプルさせながらおじいちゃんのような手付きでアイコンをスライドさせて通話に出た。 「もしも、」 「前!コンビニ横!」 「…ああ、みつけた。」 電話の相手は吉崎である。 そう、何を隠そう今日は二人でお出かけなのである。末永はデートなのかとドキドキしているが、全く顔には出さないし、本人に好かれている気はあまりしていないので自重はしているが内心はめちゃめちゃお祭り騒ぎである。この日を待ち望みすぎてクリスマスですらないのにアドベントカレンダーを準備してしまったほどだ。 「おはよう。」 「お前仏頂面して突っ立ってるから声かけ辛いわ!」 「む…すまない…」 今日の吉崎は柔らかそうな猫毛を耳にかけて形の良い額を出していた。猫のように大きな目を縁取るように長いまつげがその周りを囲い、全体的に中性的な柔らかい曲線と天使のように作り物めいた愛らしさが際立つ。口を開けば毒の花のように悪態をつくが。そこも含めて可愛いと思う。 「吉崎が見たい映画のチケット、買っておいた。」 「えっ…、あ、ありがと。」 「う、うん。」 鞄から折れないように手帳に挟んでおいたチケット2枚を渡すと、頬を染めながら。お礼を言われた。あまりに可愛すぎて普段言わない返事をしてしまう位には衝撃が強かった。 末永はまさか吉崎が英語の赤点を回避するとは思わなかったので、迂闊に約束を取り付けていたのだ。 吉崎が追試なしなら、言うことを一つ聞いてやる。 まさか自分で自分の首を締めたせいで、こんな僥倖に苛まれることになるとは。末永的にはあの約束をしただけで満足していたのだ。なのに真面目に勉強して、追試を免れた挙げ句に命令してきた内容が映画を奢れだ。末永にとってはご褒美でしかなかったが、突然の棚ぼたに内心はえらいいことになっていた。命令されたときは平然とした顔で頷いたが、多分心臓は止まっていた。 だってそれは完全にデートだろう。 「追試無し。偉かったな。」 「へへ、まあ頑張ったし?いやー!他人の金で見る映画は楽しみだなー。」 「約束だしな。しかし、ホラー好きなのか。」 「気になってるけど、一人で見るの怖いじゃん。」 「そうか…」 俺と見るのはいいのか。 じわ…と耳の先が微かに赤くなったが、吉崎はそれに気づかないままごきげんな様子で隣を歩く。映画館までは少し離れた距離だが、なんかこれもデートっぽい。映画館を待ち合わせにしなかったのは、場所がわからないと言った末永のちいさな嘘で、こういう時間を楽しみたかったからだ。 場所は本当は知っていた。むしろこの街に住んでいるので、わからないわけないのだが、怪訝そうな吉崎に友達がいなかったので映画を見に行ったことがないと嘘をついたら信じてくれた。 純粋さを利用して少し申し訳なく思っているが、吉崎的には友達がいない、という言葉が信じるに値した要因の一つである。 末永が知ったら多分泣く。知らぬが仏というやつだ。 横を歩く吉崎は細身のスキニーデニムにグレンチェックのチェスターコート、生成りのシャツで洗練されている。お洒落だなと思うが、末永はファッションが良くわからないので無難に黒のニットに同色のデニムだ。寒いといけないのでチェスターコートは持ってきたが、モノトーンでまとめた。コートの形がお揃いなのが少しだけ嬉しい。 「末永は、見たい映画あった?」 「…とくには。」 「そっか。なら昼は末永の行きたいとこな。」 「ありがとう。」 「ぶふ…お、おう。」 なんて返したらいいかわからなくてありがとうと言ったのだが、何かがツボに入ったらしい。少し笑われた。よく分からないが、自分が笑わせることができたならよかった。 「今日は晴れてよかったな…雨だと歩きづらいし。」 「そうか、吉崎は小さいからな」 「おいこら嫌味か。」 「ふふ、決してそんなつもりはないが…楽しい。」 ぎょっとした顔で吉崎が末永を見上げた。こいつ笑うことあるのかという目である。そしてなによりも楽しいだの嬉しいだの、そういった感情を表に出すことはしなさそうだったからだ。 吉崎が知らないだけだが、末永は割と素直だ。ありがとうがきちんと言える子なのだ。背は高いし大人みたいだけどもきちんと高校生で、まだ子供だ。それなりにはしゃぐ。表に出ないだけで。 「ま、まあ…末永が楽しいならいいけど…」 「楽しい。すごく。」 「倒置法!?」 人混みは多くないが、自然と二人は寄り添うように歩いていた。周りから見たらカップルなのだけど、本人たちはそんなつもりはないし、末永はこれから距離を縮めるつもりである。 だがなんだかんだいい感じなのにお互いに気がついていないだけなのだ。 映画館についてまずしたことは、必需品の購入だ。 末永が購入したポップコーンを、横から吉崎が摘みながら開場を待つ。横で見つめていると吉崎が口の中にポップコーンを突っ込んでくれるので、もぐもぐ食べながら壁際に二人で立っていた。 末永が見ていないところで、指先についた塩気を吉崎が無意識に舐め、末永の口に突っ込んだ後だということを思い出し、ハッとして顔を赤らめるという貴重なシーンがあったのだが、末永は人生初のあーんをされて無になっていたので見ていなかった。 要所要所で残念な男なのである。

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