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素直な温もり
「お願い、聞くって言った。」
「言ったけど、」
俺の目の前には、あの日のきいちくんと同じメンズランジェリーが鎮座していた。
にこにことご機嫌な悠也に持ってこられた小さい紙袋。突然のサプライズプレゼントにどきりとして、ときめきを覚えながら柔らかい不織布に包まれたソレを目の前にしたとき、訳がわからなさすぎて固まってしまった。
きいちくんが履くハメになったという薄いブルーのレースとは違う、白い繊細な模様が丁寧に刺繍された半透明のシフォンの下着は、大切な前部分がおおきくスリットとして開いており、それを間隔を開けて細身のリボンで3箇所留めただけの心許ない仕様だった。後ろはいわゆるTバックで、なんでこんな恐ろしい仕様のものがメンズランジェリーとして確立されているのか、胡乱げに見た悠也も答えを持ってはいないようだった。
と、いうかきいちくんは少なくても全部透けてなかったし、Tバックじゃなかった。ということは、体育祭の余りとかではなく、俺のために選んだということだろう。
「…本気?」
「おおまじ。葵の素肌の色に映えるし、何よりエロくていい。」
「……………。」
大人のようだとか思ってたけど、今は完全にエロオヤジのそれだ。両手の人差し指で下着の端を引っ掛けてまじまじと広げてみてみるけど、この狭い隙間に収まる気すらしない。
オメガなので、通常よりは小ぶりだけども。
はみ出たら絵面がヤバそうだなと、狭い生地をゆるく引っ張ると、しっかりと伸びて、そして熱を持った部分が馴染むように伸縮する生地だった。なるほど形をそのままに収めるタイプのようだ。この無駄に高性能な下着に金を出した姿を思うと頭が痛くて仕方がない。
「ほら、着替えてきて。葵の行きたいとこ行ってからホテルいこう。」
「…この一回だけだからね…」
「オッケー。存分に満喫するしかねーな。」
また若干墓穴を掘った気がしないでもない。25歳にしてこんな破廉恥な下着に足を通すことになるなんて…、子供の頃の純朴な悠也はどこにいったんだ。
本当にしぶしぶ、着替えとそれを持ってシャワーを浴びに行く。今日、行き先はラブホだけどもそれまでのデートも楽しみにしていた。こんな下着を履いてたら、期待してデートも楽しめるかわからない。ひとまず気持ちを切り替える為に熱いシャワーを浴びながら、丁寧に体を洗っていく。悠也が求めてくれるなら、俺ができることはこうして自分の体を磨くことだけだ。本当はボディークリームも風呂あがりに塗りたいけど、恐らく舐めてくるだろうことを考えると塗るのをやめた。
タオルドライで身体を拭いていると、夜のことを考えて兆してしまった。正直な体に気恥かしさを感じながら、悠也からお願いされたメンズランジェリーに足を通す。
恥ずかしくて鏡はみれない。性器を狭い布地に収めると、そこだけ主張するようなデザインに思わずしゃがみこんだ。
「うぅ…無理だ…ほんとに、痛すぎる気がしてならない…」
「葵?もう着替えられた?」
「開けるな!すぐそっち行くから待ってて!」
「あいよ、リビングにいんね。」
控えめに声をかけてきた悠也に口から心臓が出そうになる。下着を纏ったそこはなんとも言えない感覚で、すーすーする。その上からスキニーを履くと、いつもよりも尻のラインがはっきりしているような気がした。
白のバンドカラーのチュニックを着るので尻は隠れるけど、女性はこんな恐ろしい下着を履いて日々を過ごしているのかと考えて尊敬した。
「ん、可愛い。髪もふわふわだな。」
「ああ…っ、」
リビングで待っていた悠也は支度の終わった俺の様子にくすりと笑うと、その大きな手が確認するなのように尻を鷲掴む。まるで感触を楽しむかのように両手で揉んでくるので、ムスッとした顔で見上げて抗議をする。
「この下に履いてんのか。脱がせたくなるな。」
「っ、も…やめろ。」
「夜までお預け?」
「お預け。」
油断も隙もない悠也をなんとかいなし、戸締まりをしっかりしてから助手席に乗せた。
隣に座る悠也は、俺が好きな髪型にセットされ、ネイビーのシャツブルゾンにシンプルなVネックカットソーにお揃いの黒のスキニーとマーチンブーツだ。ほんとうはキャップも被っていたが、俺が代わりに被ってる。なんとなくだけど、悠也の顔が見え辛いのが嫌だった。
車は滑るように海沿いを走る。冬手前の冷たいグレー混じりの雰囲気で、窓越しに聞こえる潮騒と海の匂いに少しだけ気分が高まる。
「せっかくなら魚介?海鮮?なんかそこらへん食おう。」
「いいね、漁師めしとか?このへんだとなんかあるかな。」
まかせとけと言わんばかりにスマホを片手にするすると情報を拾い上げる。数分で近場のおすすめ店を引き当てると、その店の海鮮丼のボリューム感が決め手となって行き先が決まった。
適当な駐車場に止めて降りると、自然に指を絡ませる。
俺はまだ少しだけ恥ずかしくて、手を握り返しながらスマホ片手に地図アプリを開いて歩く悠也の少し後ろを歩く。いい歳して浮かれている自覚はある。まあ、初デートなんてそんなもんだろう。
俺より一回り大きい手に包まれて、緩く揺らしながら歩く。悠也からキャップを拝借してよかった。こんな情けない顔を見られるのは大人の矜持が許さない。
「葵。」
「ん、…」
「楽しいな!」
まだ始まったばかりだというのに、冬の寒さを吹き飛ばすかのように笑うから、釣られて吹き出した。
チュニックの上から羽織っていたガウンコートのポケットに悠也の手を繋いだまま入れる。自然とくっついた俺に、更に嬉しそうにするから可愛くて仕方ない。
「楽しい…ふふ、」
「葵が可愛いわ…なにそのかお」
「うん、年甲斐もなく…にやける、」
素直に口にすることで、照れた悠也の顔が見られるなら幾らでも素直になってやる。ポケットの中の指を隙間なく絡ませて、満たされて、嬉しくて、少し背伸びをした。頬には僅かに届かなかったが、それに気づいて悠也が振り向く。
「葵、もっかい。」
「しない。」
「おねがいおねがい!もっかい!」
「うう、…」
少し屈んだ悠也の頬に軽く口付ける。なにやってんだと恥ずかしくて顔を隠しながら、浮かれ気味の足取りの悠也に引っ張られるように付いて歩く。
まるまんまの素直な感情が行動に反映される悠也のおかげで、同じ気持ちで楽しめる一時の大切さを改めて俺は噛み締めた。
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