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素直な唇
目が冷めたら目の前にいたのは末永だった。
「末永…なんで、」
そして、なぜだか俺は末永から目覚めの口付けをされていた。
「ッ、んむ…」
「ふ、」
なんだか全く訳がわからない。記憶にあるのは保健室、そして震えるような気持ちよさときいち、見知らぬ花のような香りがして、夢の中でその香りを追いかけて目を冷ましたら末永だった。
押し付けるような下手くそな口付けが、なんだか必死に想いを告げるように思えて、本当に気まぐれで末永の背中に腕を回した。
「っ、」
びくりと腕の中の末永が体を揺らした。なんだか俺も寝起きのせいか、それともこの酩酊感のような気持ちの良い感覚のせいかはわからないが、ふわふわとした思考の中で、あのときとはまた違う口付けの感覚に酔っていた。
背伸びしないと届かない、この男が今は腕の中にいる。その状況がなんだか嬉しくて、すこしだけ優越感が体を支配して、イタズラしてやろうかななんて意地の悪い部分が俺の中から顔を出して、ほとんどその欲のまま末永の唇の中に舌を差し入れた。
「っ、よ、しぁ…」
少しくぐもった末永の声で。熱い粘膜が触れ合った瞬間、恐る恐る舌で押し返すように触れてきた。拙い、俺にとっては二度目の口付け。擦り合わせるような舌の感触を追いかけるように、ゆるりと絡めた。
枕の横に比重がかかり、少しだけベッドが軋んだ。末永の大きな手が首筋からなで上げるように頬を包むのが好きだ。このふくよかな花の香も、生真面目でお綺麗な面が俺のせいで崩れるのも、全部好きだ。カチリ、と前歯が当たって唇が離れた。
「っ、…すまん、こんな。寝込みを襲うような真似をして…」
「意気地なし。俺の事好きなら食えばいい。」
「く、えば…とか、言うな。」
最近知ったが、末永は照れると額まで赤く染まる。例にも漏れずわかりやすい眼の前の男のかしこまった両手は、けして触れまいと固い決意のもとに拳を握りしめたまま居住まいを正した両膝に置かれていた。
「お前は、すきか?」
「ちょっと、まってくれ。」
「それともきらい?」
白いリノリウムの部屋に、不器用な男が二人。部屋の塗装が真っ白でなせいで、末永の顔を染める赤色がよく映える。その色が答えではないのか。黙りこくる様子に、先に耐えられなかったのは俺の方だった。
「なし、やっぱなしで。」
「は…、」
「別に、困らせたいわけじゃねーもん。」
顔が見られなくて背を向けた。よくよく考えてみたら、好きだと言われたこともなかった。きいちとしたかった事全部、末永としただけだった。しかも追試がなかったご褒美という前提で。
一日手を繋いで、映画を見て、美味しいものを食べてキスをした。キラキラとしたあの日の出来事を振り返るたび、そこに重ねるはずだったきいちの姿はなく、ただ純粋で真っ直ぐな末永洋平との心地の良い時間の流れが思い出されたのだ。
ほらね、やっぱり俺はこうなんだ。
「吉崎、俺は」
「うるせぇ、寝る。」
俺は結局、好きになったときにはもう遅いんだ。俺は二番目、それでいいと思っていたのに。
また、差し出さずに終わるのだ。この気持ちを言わずに逃げるのだ。
「ほ、」
「……、」
「本人に、言わないほうが楽だな。俺は、不器用だし。」
ひく、と息をつまらせた末永の、緊張で震える声が耳に残る。独り言のような呟きだ。受け取るのも、寝たふりをした俺だけ。今まで聞いたことのないような声色で、脈絡もなく突然語り始めた。
「俺には、好きなやつがいる…」
心臓の根本から、急激に冷やされていくような間隔だ。静かだった鼓動が、その一言で動揺を全身に行き渡らせた。この狭い部屋に二人きりなのに、別の人間を好きだという、末永のその顔が俺には怖くて見れなかった。
「好きなやつは、俺が抱きしめるとすっぽりと隠れてしまうくらい、小柄な癖に。」
「っ、」
「俺よりも男気がある。俺にないものを持っている。」
「末永なら、大丈夫だろ。」
声は震えてはいなかっただろうか。末永の抑揚のない落ち着いた声が、少しずつリノリウムの床に溶けていく。ごくりと唾を飲み飲んでも、胸のざらつきはなかなか取れない。そうか、これは醜い嫉妬だ。震える指で唇をなぞる。さっきまで、ここから感じていたはずの熱がこんなにも遠い。
「大丈夫、なわけないだろ。俺は不器用なんだぞ、」
「俺は、お前に好きだって言われないやつのほうが、羨ましいよ。」
枕にじわりと広まる水分に、自分が泣いたのだとわかった。今日は泣いてばかりだ。好きだったきいちの前と、好きな末永の前。結局口にしないまま自分で感情を壊していく。二番目の俺、好きな人と付き合える奇跡は俺にとっては魔法のようなものだなと自嘲した。
「そうか、なら…羨ましがられるようになれ。」
「は?なに、」
「俺の好きなやつは、」
末永の立ち上がる気配がした。背を向けていた俺の肩に手を添えて無理やり瞳を合わされた。こんな強引な行動なんて、今までなかった。あまりの驚きに、自分の涙なんてすっかり忘れて仰向けにされた瞬間、末永と目があった。
「こんなに泣き虫だというのを、今日知った。」
困ったような、頬を染めながらもすまなそうな顔で言う。白い天井を背景に、やっぱり赤く彩られた顔がよく映えた。無骨な指がそっと目端の涙を拭う、こんなにカサついた指で人の目元擦ったら痛いだろとか、べつにそんな壊れ物みたいに触らなくても大丈夫だとか、言いたいところは沢山あったが、情けない顔をさせているのが俺だという事実が、また壊れた涙腺を刺激した。
「おまえ、ほんと、ぶきようだな…」
「す、すまん…泣かせるつもりは、微塵もなくてな…」
「つか、本人に言わないっていってたろ…」
「あぁ、…これに言っていた。」
末永の大きな手に握りしめられ、歪な形になっていたのはあの時お揃いで買ったキーホルダーだ。ちょっとまて、こいつもしかして俺に直接言うのが緊張するからという理由で、このキーホルダー相手にずっと告白をしていたのか。俺が、背を向けている空きに。
思わずぽかんとした顔で見てしまった。なんだかしてやられたような気分で少しだけムッとしたが、本人の様子からすると無自覚だったらしい。
「やり直し。」
「え?」
「もっかい、言え。」
今度こそきちんと手を伸ばしたい。気恥ずかしくて仕方ない、やっぱり俺に素直になれというのは難しい。だけど、末永は俺がほしい答えを持っている。その答えを俺にくれようとしている。
「もう一度、チャンスをくれるのか。」
「な、答え合わせ…しようぜ。」
末永の頬をそっと撫でた。こいつが俺を欲しがってくれるなら、全部をやりたくなった。俺のことが好きだと一言言ってくれたら、素直になれる。その勇気を俺にくれよ。
「好きだ、まな…っ」
求めていた3文字、堪らなくなって口付けた。名前を飲み込む勢いで重ねたそれは、ひどく熱いのに少しだけしょっぱかった。
「っ、お前なぁ…」
末永が顔を赤らめながら悔しそうな顔で抗議する。
学園の王様のポーカーフェイスも型なしだ。至近距離で見つめた末永の優しい黑色は、少しだけ揺れたあと、嬉しくて少し泣いた俺の情けない顔を捉えて優しく笑った。
「ふ、…変な顔。」
「っん、…お前のせいだバカヤロ。」
前と逆だ。くやしいけど、やっぱり末永はかっこいい。このやろうと思いながら、それでも今は少しだけおとなしくしといてやろうと、その広い背中に両腕を回した。
大好きとかそんな言葉より、素直な気持ちを唇にのせて、どちらともなく口付けをした。
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