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不器用な恋
結局3度目の病院である。外来予約をしてから割とスムーズに到着したので、抱きかかえたまま診察室に入ったのだが、まさか僕が入ってくるとは思わなかったのか新庄先生はぽかんとした顔で見上げてきた。
「あっ、ちがうちがう僕じゃなくて学。」
「あ、あぁー、びっくりした!そうだよねぇ、きいちくん俊くんいるもんね。」
導かれるように備え付けのベッドに学を横たわらせると、簡単な診察をしたあとにひとまず今日明日は入院ということになった。番や恋人がいれば発散させるのが一番なのだが、相手がいない場合は点滴型と疑似的な精液に近い成分が入った座薬型の抑制剤でやり過ごすというのが定番だ。
ちなみに忽那さんの時も同じだったようだ。僕?僕はもはや切れ痔用の座薬だったのではと未だに疑っている。ってそんなことはいいんだよ!
「なんで突然だったとかわかる?」
「もともと熱っぽかったんですけど、末永くんの話した途端にヒートになっちゃって。」
「あー、なるほど。忽那さんときと同じパターンだね。直近で相性がいい相手の体液でも触れたのかも。」
「そういやキスしたとか言ってましたな。」
「青春だねぇ…」
微笑ましいといった笑顔で新庄先生が寝ている学に布団をかけ直した。頬をピンクに染めてくうくう寝息を立てている学は、それはもうお人形さんのようだった。僕も思わずぷにりと頬をつまむと、むにむにと口を動かして寝返りを打った。
「そういえば学のでエピペンつかっちゃったんですよ。」
「まあ、しかたないよね。きいちくんいてくれてよかったよ。後で渡しとくね。」
「はい、…あとその、抜いちゃったんですよ。これ浮気ですかね?」
「ああ、学くんの?いや、応急処置でしょ。」
「ふへ、よかったぁ…」
先生のお墨付きをもらえたのなら安心だ。ひとまず後ろめたさなく俊くんに報告できる。学の両親には保健の先生から連絡したようで、遅れて到着した。
なんだかとても感謝はしてくれたのだが、応急処置で学の、息子さんの一番搾りを手助けした手前、気不味すぎて終始目線がウロウロしてしまった。
ちなみにあとから来た益子と末永くんは、学の荷物を両親に託した後、3人揃って学の顔を見てから帰ろうということになった。そういえば新庄先生に末永くんのことを話したら、内側から病室に鍵がかけられるようになってるよと教えてあげてと言われたのだった。
「末永くん、学の病室は内側に鍵がかけられるようになってるんだってさ。」
「そ、れは…なにがいいたいんだ片平…」
「あー、おれんときもそれ言われたわ。多分一回くらいなら目をつむるぜって意味だと思うけど?」
「何でもありだな専門病院は!」
ぶわわっと顔を一気に赤らめて吠える末永くんを、慌てて二人で口をふさいだ。いくら学の部屋が防音だからってでかい声出していいわけじゃないのだ。というか反応が童貞だな、末永くんもしかしなくてもそうなのか。余計なお世話かもしれないけど、学も未経験だろうしアドバイスだけでもしておくべきか。
「末永よぉ、受ける側はきついんだから濡れててもきちんと慣らしてからだぜ?」
「多分指入れた5センチくらいのところにいいとこあるよ。学がおんなのこになっちゃうところ。」
「っ、な、な、な、なん!?お、おまえらなにを、っ」
両サイドから僕と益子に教えられた内容が、末永くんの動揺のド真ん中をついたらしい、俺様会長と名高い王様が、ガチガチに硬直をしていた。生徒総会の時の演説の様子は見る影なく目に見えてどもり始めた。
「だって好きあってんでしょうが。」
「なっ、」
「抱くなら、きちんと告白してからじゃねぇとな?男なら見せ場だぜ。」
「ぅぐ、っ」
変な声で返事をした末永くんが両手で顔を覆う。
よほど恥ずかしかったのだろう、だけど学の方から末永くんとのことを話したのだ。振る振られるというよりも、末永くんが勇気を出して告白すればうまくいくに決まってる。むしろ学は猪突猛進なところがあるので、少し位待つを覚えたほうがいいと思うし。
「そうと決まれば邪魔者は退散しまーす!」
「よぉ、明日結果おしえてくれな。」
「ちょ、っおまえら!」
ひょいっと立ち上がった末永くんを益子が学の寝ているベッドに向かって体を押した。慌てて体重がかからないように踏ん張って体制を整えたけど、勢いよくベッドに手をついた軋みでタイミングよく学が身じろいだ。起きるのも時間の問題に違いない。
「やれるだろ。がんばれ生徒会長様?」
にっこりと微笑んで益子と二人で扉を締めた。直前に見た末永くんの顔が、今まで見たことの無いくらい情けない顔だったのが印象的で、恋とはマジで人を変えるものなんだなぁとしみじみ思ってしまった。
ガラリと音を立てて閉められた扉の先。二人が上手くいくことを願いつつ、僕と益子は顔を見合わせて笑った。
「弱った…」
いまだかつてこれ程までに頭を抱えたことなどなかった。何も努力も特にせずともスムーズことが運べる選ばれたアルファと呼ばれて育った末永洋平。彼の美徳は、他者の賛辞に驕ることなく一本の強い信念のもと正しく真っ直ぐに成長したことだ。
実家は名のある華道の家元だ、何れは自分も見合いなどをして結婚相手を決められるのだろうと恋愛ごとに関心を持たずに過ごしてきた。そのつけが回ってきたのだと思った。
最初は同じ生徒会で副会長を務める、中性的な美少年という印象だった。それが、実際に一緒に活動してみると、見た目に反して男らしい決断力と生真面目な仕事ぶり、そして竹を割ったような性格が非常に好ましく、家柄やその見た目、そして無自覚の威圧感で人に傅かれる末永にとっては、噛み付いてくる吉崎がなによりも新鮮だった。
己を遠巻きにせずに対等に扱ってくれるその存在に随分助けられた。そして、それがいつしか恋心に代わり、そしてその恋という甘い感情が恋愛経験のない末永を苦しめた。
「俺は、」
恋って忙しい。主に感情の振れ幅がすごい。片平も益子も、恋人を得るまでこんなに大変な感情を制御していたのだろうか。家で親から教わったのはしきたりや技の手ほどきだけで、こんなふわふわとした形のない感情を教えてくれることはなかった。
末永は不器用だから、自分の中で育まれたこの気持ちを差し出す方法がわからなかった。
学の長い睫毛がフルリと震え、ゆっくりとその瞼が開いた。それを正面から、末永はしっかりと見つめていた。
ふと、あのときの口付けを思い出した。その学のふくりとした唇に触れられたとき、体の中の血が沸き立つような高ぶりを感じた。あれをもう一度感じられたら、己の感情が輪郭を持つ気がした。勇気を出せる気がした。
「末永…なんで、」
学の睫毛が交差して、瞳に末永が囚われるその一瞬に、ほとんど衝動で唇を重ねた。
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