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ショコラのように
待ち合わせ場所にいったら脂下がった男がきいちに声をかけていた。
あいつにはマタニティーマークが見えていないのか、道を尋ねるようにしてきいちに近づく様子に苛ついて、思わず遮るように声をかけた。
「きいち。」
「あっ、俊くん!」
「エッ」
ばっ、と俺の声にきいちが反応すると、先程の面倒くさそうな声色とは真逆の様子で嬉しそうに笑う。
花が綻ぶとはこの事だろう、成長するに連れてあどけない可愛さから美人にシフトしてきたきいちの容貌は、黙っていると近寄りがたい様子なのに口を開くと残念系だ。
適当な口実で逃げた男の背に睨みを利かせていると、妊夫のくせに荷物を抱えて駆け寄ってくるのを慌てて抱きとめた。
「おい、もちっと警戒心もてって。」
「ん?」
こてんと首を傾げ、なんで?といった顔をする。無防備な顔して甘えてくるのは俺だけという自負はあるが、誘蛾灯のように馬鹿みたいな男を吸い寄せるのはやめてもらいたいと、少し長くなった髪を片側になでつけて項を晒す。
髪を降ろしてるとどうしても隠れるので、きいちが髪を結ぶか切るかじゃ無いと、またふらふらと寄ってくるやつが居そうだ。
何もわかっていない様子のきいちに頭の痛い思いをしつつ、溜息を吐いた。
「ん、これは?」
エコバックをふくらませる程の荷物を受け取ると、大きさにしてはそこまで重くはなかった。なんだか甘い匂いのするそれに興味を惹かれて問いただすと、もじもじ恥ずかしそうにしたあと、なんだか照れくさそうに笑う。
「ふひ…」
ガキの頃から照れると少しだけ変な笑いを漏らす。その癖はまだ抜けてないらしい。早く言いたいけど我慢してますといった感じで、肩に頭を押し付けてくる嫁が今日も可愛い。
繋いだ手を揺らしながら、甘えてくるきいちをすきなようにさせて家路を急いだ。なんでって、元気になったら困るだろうが。言わせるな。
「たでまー!」
「はいはいおかえり。きいちは手洗いとうがいしてこい。」
「あいよー!」
「走るなよ?」
「アッハイ」
ご機嫌に帰宅すると、そのままパタパタと洗面所にかけて行こうとするのを静止させて念を押す。元気なことは誠にいいことなのだが、妊娠しているなら転ばないように行動してほしい。
てへてへと笑いながらそそくさと洗面所にきいちが消えていくのを見届けると、リビングのテーブルの上にエコバックをおいた。
「ん?」
白く大きな化粧箱を取り出す。形的にケーキだろうか。そのまま冷蔵庫にしまうと、キッチンで手洗いうがいを済ませてお湯を沸かす。
たんぽぽ茶と普通のコーヒーを入れていると、部屋着に着替たきいちが戻ってきた。
「ふぃー、あ!てんきゅー。」
「ん、そういえば白い箱は冷蔵庫に入れておいた。」
「なにからなにまですみませんねぇー」
隣に腰掛けると、やけにうきうきしながらお茶を飲む。よほど嬉しいことがあったらしい。飲んでいたコーヒーを置くと背もたれに背を預けながら、じっと見つめた。
「で、なんでそんなごきげんなんだ?」
「んふふ、俊くんにねぇ、ケーキ焼いたから喜んでくれるかなぁって。」
「ケーキ?俺に?」
「まあ秘密なんだけどねぇ!」
「なるほど。」
ご機嫌すぎて自ら暴露をしたのに気づいていないらしい。昔から隠し事ができないのは知っているが、ここまで馬鹿正直だと一周回って可愛い。
俺のためというのがなんだか嬉しくて、立ち上がってキッチンに行くと皿とフォークを取り出した。
「なら今食べよう、ケーキ。」
「え、食べる!てかなんで知ってるの?」
「なんでだろうなぁ。」
「俊くんが僕の番だからかぁ。」
ととと、と後ろから抱きついてくるきいちを腰にくっつけたまま、冷蔵庫を再びあけて箱を取り出す。
きいちのことで知らないことなど殆どないので強ち間違いではないが、真実を知ったことであの癖が無くなるのは寂しいので秘密にしておくことにする。
テーブルの上においた箱を開けると、中敷きをスライドさせてケーキを取り出すと、それは見事なガトーショコラだった。
「すげぇ、こんなんつくれるのか。」
「忽那さんに教えてもらったんだぁ。俊くんの誕生日何にしようかなって悩んだから、先にケーキあげてから何欲しいのか聞こうと思って。」
「嬉しい。ありがとうなきいち。」
「んひひ、いーよぉ!」
ぎゅっと腕に抱きついてくるきいちを反対の手で撫でる。そのまま切り分けて更に乗せると、きいちの分も取り分けた。
ワクワクした顔で見つめてくるきいちにフォークを渡すと、ぽかんとした顔で見られる。そのまま口を開けて待っていると、少し吹き出してから理解したきいちが、ケーキを一口分切り分けて口に運んでくれた。
「ほい、どー?」
「んむ、」
チョコレートのほろ苦い甘みの中に洋酒の香りが微かに混ざる、ねっとりとした深い味わいのケーキは好みの味で美味しい。よく行く喫茶店のガトーショコラよりも、手作り感のあるそれのほうが、何億倍もうまい。
「うまい、金払えるくらいにうまい。」
「やったぁ!俊くん誕生日おめっとござまーす!」
「おう、おいで。」
「おわ、」
もくもくと口を動かしながら、ひょいっときいちを抱きあげると膝に乗せる。すると俺の肩に頭を預けてもたれかかりながら甘えるのだ。
横抱きにして膝に載せたきいちは、最初のうちこそ照れていたのだが、最近ではお気に入りの定位置になっているらしい。ぱくりともう一口食べると、むくりと起き上がったきいちが唇に吸い付くようにして口付けてくる。
「ん、ふ…」
「ほら、口開けろ。」
「ぁ、んむ…」
少し溶けかけたケーキを、きいちの舌に擦付けるようにして与える。髪を手でかきあげるようにして頭を支えながら、きいちもはむはむと甘く俺の舌に吸い付いてはこくりと喉を鳴らす。
「んく、ふぁ…」
「…うまいな。」
「んんー‥っ、」
唇を離すと目元を赤らめながら強請るように口を半開きにして赤い舌を覗かせていた。口を親指でぱかりと開かせると、再びケーキを一口分口に含んでから口付けた。
「ぁ、んむ…」
「うまい、…ここも。」
「ン、ぅんー‥っ、」
「はぁ、全部甘いな…」
満足のいくまで腔内を蹂躪しては、舌を甘く噛まれたり、吸い付き返したりと戯れるようなキスを何度も繰り返す。ちゅ、くちゅり、と濡れた音が響く部屋のソファーの上で、切り分けたケーキが無くなる頃には、きいちはショコラのように甘く蕩けて、酷くうまそうに仕上がっていた。
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