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憧れは隊長
「だからぁ、別になんてこたないわよぉ。アタシがしてた副業のことを、葵ちゃんが知ってたってだけの話ぃ!」
「あ、葵?」
「ごめん悠也、俺この人みたいになりたくて…DVD買ったんだよね。」
「この人みたいに!?!?!?」
全員が全員、葵さんの衝撃発言に驚いた。この、なんというか単身で敵地に乗り込んでも軽症で戻って来そうなくらいの鋼の肉体をお持ちのカズちゃんに憧れるとは、さすがの益子も思っていなかったようだ。
ほらみろとんでもない発言に益子が白目むいて今にも倒れそうである。というか葵さんがムキムキマッチョとかそんな、顔と体のギャップがすご過ぎてもはやアイコラにしか見えない。脳が処理落ちする。
「あ、あああ、あお、葵さんがなな、なんでそんな、カズちゃんみたいになりたいのかなぁ!?!?」
「え?んーと、ほら…だって、かっこいいだろ?俺も隊長みたいに男らしい筋肉ほしいからさ…ふふ、」
「ひゅっ」
「おっと。」
ふらりと崩れた益子を慌てて俊くんが支える。真っ青ですねえ!?貧血なのかなぁ!?
葵さんは不思議そうにしながら、悠也も応援してくれるかなって、おもってるんだけど…とトドメを刺していた。
「あらやだ、そりゃそうよぉ!だってあんたたち番なんでしょ?アルファはオメガのお強請りに弱いもの!」
カズちゃーん!!!!カズちゃんも目の前のファンにテンションが上がってしまったらしく、頑張ってね♡と腕をきゅっと持ち上げて女の子みたいに応援している。浮いてるがな、ものすごい太い血管が腕に走ってるがな!!
「そ、そうですかね…ふふ、どうしよ…俺が隊長みたいになれるように応援してくれる?悠也…悠也?」
「あはははは、益子ちょーーっと疲れてたみたいで寝ちゃったんだぁ!?ねぇ俊くんなんかいって!!!」
「く、忽那さんはほら、妊娠してんだから産むまでは駄目だろう。安静にしてないと、な!」
「あらぁ、それはそうねぇ。母体の健康が第一よぉ、産後落ち着いたら一緒に頑張りましょうねぇ…」
「はいっ!」
未だかつてないくらい忽那さんが浮かれている。すごく可愛いんだけど、浮かれている内容が益子のメンタルをボコボコにしているのを気づいてあげてぇ!やっと気を取り戻したと思ったら、カズちゃんにウインクされて見たこともないような顔で怯えだす。
因みにタイトルは地獄のブートキャンプらしい。お高そうなハンドバッグからティアドロップ型のサングラスに見事なマッスルボディを晒したカズちゃんの姿がでかでかとうつされたマニアックなトレーニングDVDを取り出したかと思うと、金色のサインペンでサラサラとサインを書いて忽那さんに差し出した。
「ふふ、もってると思うけどこれはお近付きのしるしねぇ。一応シリアルナンバー入なのよぉ、もしよかったら受け取ってくれると嬉しいわぁ。」
「そ、そんな…俺の方こそこんな、頂いていいんですか!?」
「あたし、ファンサービスはしないことで有名なの。でも葵ちゃんはト、ク、ベ、ツ、よぉ?」
ちょんと太い指で葵さんのツンとした高い鼻先をつつく。多分エッチなお姉さんとかがやると様になる仕草なんだろう、葵さんはそれでも嬉しかったようで、わたわたとスマホを取り出すと僕に渡した。
「え、えなになに!?」
「しゃ、写真とって!俺と隊長の二人だけのやつ!」
「んもぅ、そんなにはしゃいだらメッ、よぉ。アタシは逃げないから。」
「あ、す、すいません…わ、ど、どうしよ…緊張する…」
ごめん益子、葵さんに頼まれたなら僕に否やはない。なんだか白目から涙を流しているような気がするけど、今はそっとしておこう。
カズちゃんの腕にそっと手を添えながら、もらったサイン入りのDVDを口元に掲げて照れたように笑いながらカメラを見る。
不思議なことに遠近法なんか関係ないはずなのに顔と体の大きさの差がすごい。なんだこれレンズの向こうのパースも変だなと思いながら何枚か撮影する。
カズちゃんの逞しい二の腕は、葵さんの両手でも回りきらないだろう。
スマホを返すと、シンプルだった時計のみの待受画面からツーショットに変更していた。
「うわぁ、うわぁ…ありがとうきいちくん…うわぁ、すごい…俺、夢見てるみたい…」
「あ、いえ、うん、はい…よよ、よかったね…」
まるで別人のようにはしゃぎながら、カズちゃんを見上げては、キラキラとした尊敬の視線をぶつけている。なんか、うん、葵さんが良ければいいんだけどね、うん、あはは。
「ねーぇ、よかったらオススメのプロテインとか教えるわよ?連絡先でも交換しない?」
「ええ!?い、いいんですか!?」
益子起きろおおおおお!!カズちゃんに捕食される前にはやくうううう!!という僕のぎこちない目線に俊くんが気づいたらしく、嫁のボディラインを守れと俊くんに囁かれた益子は、ハッと意識を取り戻した。
「だめえええええ!!!」
再び意識が戻ってきた益子は、それはもう情けない悲鳴を上げながら慌てて間に入る。すごい、割としっかりした体型の益子もカズちゃんの前では華奢に見える不思議。まるでグリズリーを目の前にした小動物のように逃げ腰になりながら立ち塞がった。
「お、お、お嬢さん!?か、仮にも人妻なのでぇ、っ…遠慮していただけるとぉ、お、俺が助かる、かなぁ?」
「あらぁ?」
「ひぇ、あっすす、スンマセンっ」
ぐいんと顔を近づけられ、慌てて体を仰け反らせる。益子の体幹すごいしっかりしてるぅ、カズちゃんは匂いを確認するかのようにクンクンと鼻を鳴らすと、鞄から香水を取り出して益子にプッシュした。
「ぴゃ、」
ぴゃって言った!!!!あの何時でも余裕綽々の益子の聞いたこともない泣き声である。なにからなにまですごい。俊くんはもはや諦めた顔をしている。
「あんたもせっかくいい男なんだから、自分の似合う香りくらいは覚えときなさいねぇ?甘ったるい香水よりももう少しだけ深みのある香りにしなさい。」
「あ、俺もこっちのが好きかも。」
くん、と葵さんも確かめるように香る。なるほど善意で香水を付けてあげたのか。と納得したけど、後に益子は喉笛を食いちぎられる恐怖を感じたとのたまった。
連絡先うんぬんは見事にスルーされてしまったことに気づいてるのだろうか…。カズちゃんはサラサラと銘柄を書いた名刺にぶちゅりと唇の痕を残した後、サンプルを名刺とともに益子のシャツの胸ポケットに入れ込む。
「あたし、コスメも作ってるの。今のサンプルは差し上げるわ、どうぞご贔屓に。」
「あ、ぅぁぃ…」
「あたしの泊まってるホテルの連絡先も入れておいたから、なにかあれば気軽に連絡してね。」
「うわぁ、ありがとうございます!」
もう眩しいくらいの満面の笑顔で頷く葵さんとは対象的に、もはや灰になりつつある益子であった。
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