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学の憧れ
予備校帰り、最近は末永と買い食いをしながら帰るのが常となっていた。
お互いが受験を控え、益子は就職、俊くんも親の会社を次ぐことが決定し、番のきいちにも第一子が誕生したばかりで、夏休みを利用してゆっくりと療養するそうだ。
この間病院に行ってきたが、とんでもなく可愛かった。
ちらりと隣を見る。自分もいつかはそうなるのだろうか。凪ちゃんを抱くきいちをみて、学が少しだけ羨ましくなったのを、隣の男はおそらく知らない。
末永も華道の家元として道筋は決まっている中、学はまだやりたいことすら決まっていない自分に、少しだけ焦りを感じていた。
益子以外、大学は一応出るらしい。学は、大学を出たあとの自分のやりたいことが見つかるかもわからない。
普通はみんな大体そんなもんなのだけど、学の周りはとにかく抜きん出ている奴らが多いせいか、なんだか自分だけ仲間外れにされたような、そんな言いようのない気持ちにさいなまれることもあった。
「学はすごいな。いろんな店を知っている。」
恋人の末永はというと、学の心の内側なんて気づくわけもなく、今日もマイペースにあげパンを齧っていた。
大きな屋敷の一人息子ということもあってか、ジャンクフードを食べ始めたのは学と付き合い始めてからだという。オクトーバーフェスではヴルストを二人でかじったのが懐かしい。あれはジャンクフードといってもいいかはわからないが、その時の食べ歩きが楽しかったらしい。
付き合ってから出かけるたびに、あれはなんだ。これはなんの店だと聞かれるがままに連れていき、今では趣味が食べ歩きと言い始める始末だ。
「あげパンなんて給食でも出てくるだろ。よく食えるな、晩飯前なのに。」
「俺のところは出てこなかったな。こんな面白い発想のパンを思いついた人は、どんな人なんだろうか。」
もきゅ、と精悍な顔立ちで食べているきなこ味のそれは、駅前のキッチンカーで購入したものだった。
「あっちぃ…俺も腹減ってきたわ…」
「食うか?」
「飯食う前に甘味はいやだ!」
「そうか。こんなにうまいのに。」
一昨日はチョコミントアイスを食べて妙な顔をしていた。コーヒーはブラックで飲むくせに、甘党じゃありませんといった顔で食うんだもんなあ。と、己の恋人のギャップに少しだけ萌えた。悔しいから言ってやらないが。
「うん。明日はココア味にしよう。」
「嘘だろまさかハマったのか?太っても知らねえからな。」
「それは多分、大丈夫だと思うぞ。」
指についたきなこをぺろりと舐め取る。きょとんとした学の顔を見て、ニヤリと笑った。そっと学の手首を手に取り鼻先を擦り寄せる。スン、と高い鼻先で手首をなぞられ、少しだけ体が甘くしびれた。
「そろそろヒートだろう。できれば一緒に過ごしたい。駄目か?」
「だ、めじゃ…ねえけど。」
学は、3回目のヒートを末永と迎えようとしていた。項はまだ噛まれておらず、きいちや葵が番になったと聞いては、羨ましさを感じていた。
3ヶ月おきにやってくるヒートを迎えるたびに、今か今かと待っている。綺麗なままの項は熱く疼くのに、その牙を突き立てる気配のない末永に対して、由緒正しき家柄だから簡単に番うことはできないのだろうとも思って諦めてもいた。だから今回も期待はしない。
この極上の男が自分の相手をしてくれる、自分にハマってくれている間は好きにさせてもらおう。そう思うことで学のちいさなプライドを保っているのだった。
末永の、出来れば一緒に過ごしたい。という言葉に、気軽にOKを出してしまったことを、今更後悔してももう遅い。
学の家は、一般的な家庭だ。勿論学に恋人ができたことだって知ってるし、ヒートを経験していることも知っている。
だからその周期が近くなって、たまたま夏休みと重なって、恋人の家に泊まりに行くとなったら何となく察することだって出来る。
息子が恋人を見つけて、しかもヒートを過ごせるほどの、心を許している相手。
別に過保護に育てられていた訳でもけしてないが、親は舞い上がる。こんなに早いうちから運命に出会えるなんて、と。
「だからって、これは無いだろ。」
お呼ばれしたし、夏休みだし、お泊りだし。
あとは親としてきちんとしておきたいという意図も微かに見え隠れする紙袋の中。
学の手には、親から持たされた菓子折りが握られていた。
荷物になるからいらないと言ったのに、お宅にお邪魔するのに手ぶらだなんて母は許しませんよ!とおっとりした口調で言うものだから、しぶしぶ。本当にしぶしぶ持ってきた。
「なんで抱かれに行くのに貢物渡すんだよ…」
学は天然だけどしっかり者の母を思い出して頭の痛い思いをする。
身長だって、容姿だって母に似た。唯一よかったのは、母の天然まで似ていなかったということだろうか。
駅前の、それも人通りの多い中。煩わしそうに足早に歩き抜けた先に、末永はいた。
ずるいくらいのバランスだ。八頭身の精悍な顔立ちの末永は、一重ながらも整った容貌は大衆にまぎれても抜きん出ている。学は悔しいことに末永とは頭一個分ほど低い。背伸びしても届かない上に、手を繋ごうにも末永の手首の事を考えると、それもままならない。前にオクトーバーフェスで手を繋いだとき、末永の手首が少し痛そうだったのだ。それ以来ずっと定位置は末永の腕に収まっている。
「ねえ、ちょっと。」
「あ?」
末永の姿に駆け寄ろうとしたとき、見知らぬ若い男に声をかけられた。
「吉崎くん…だよね?ほら、俺同じ予備校の増田。」
「増田?」
「うわひどいな、まさか知らない感じ?同じクラスなのに!」
増田という男は、どうやら同じ学生のようだった。身長は170後半だろうか、やけに決めた服装で髪もワックスで立たせている。全く印象に残っていなかったし、なんなら着ているカットソーに空いたいくつもの穴が気になって仕方ない。PUNKファッションなのだが、学は単純に転んでついた穴なのかとおもっていた。
増田は学のきょとんとした顔が可愛いくて仕方がない。女も悔しがるほどの可愛さだ。男でオメガというのもいい、中性的な美少年は退廃的なファッションを好む増田にとって、恋人として付き合いたいどストライクのど真ん中だった。
「あのさ、いま暇かな?良かったら俺と一緒に飯でも食いに、」
「すまないが、」
「いか、え。」
ポカーンとしていた学の背後から、甘く低い声がした。明らかに学の声ではないその人物は、やに下がった顔で馴れ馴れしく学の手首を掴もうとしていた増田の手を声だけで静止させる。
「学は俺と待ち合わせていてね。悪いが引いてくれないか。」
「す、末永くん!?」
「ようへ、」
増田の声が裏返る。それもそのはずで、目の前で学の細腰を後ろから引き寄せるという羨ましいことをする目の前の美男は、予備校になんで入ったのか謎だと教師の間で専ら噂の御仁だったからだ。
「な、なんでここに…」
「増田くん、俺は無駄な話は好まない。先程言っただろう。学は、俺と、待ち合わせていたと。」
笑顔の圧が凄い。増田はここに来てやっと思い至った。そうか、もしかしなくてもそういうことなのかと。
「学、なんで黙っている?」
「う、」
ぐい、と腰を抱き寄せ末永に背をピタリとくっつけた学は、顔を赤らめて戸惑ったように末永を見上げた。なんでそんなに怖い顔をしているの、と眉を下げつつも支配するような声色に、学の体の内側は歓喜に満ちていた。自分の中に突然湧き上がった、末永の所有物という喜びが、そのあどけない表情に色を付けた。
「洋平…、」
答えはその一言だけで十分だった。少しだけ震えた、甘えるような声色で漏らされた下の名前に目の前のアルファが満足そうに微笑む。
増田は目の前で一気に雰囲気を変えた学をみてゴクリと生唾を飲み込むが、すぐにその体温は冷やされた。
「じゃあ、また予備校で。増田くん。」
「ひ、」
増田は目の前のアルファが発した牽制の意味を持つ威圧的なフェロモンに、持っていた矜持を叩き折られた。だって無理だろ。誰が勝てるんだあの男に。
そう思うくらい、圧倒的過ぎてお話にならない。
たまたまを装ってはいたが、学がこの日は帰らないと言うことを親に電話していたのを盗み聞きしていた増田は、あわよくば手籠めにできないかと邪な思いで今日を迎えていたのだ。
それなのに、そんなこともお見通しだと言わんばかりの鷹のような鋭い瞳だった。
めっちゃこわい。アカンやつや。
増田は末永の腕に縋るように身を寄せる学の後ろ姿を見つめながら、ちょっとだけちびりそうになった自分に泣きたくなった。
来週の予備校、クソ行きたくねえ。そう思いながら。
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