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第1話
申し訳ございません。俺に才能はないんです。
そう言って頭を床にこすりつけたいところだが、聖女さまはそれを望まない。
卑しい平民のことも人間あつかいしてくださる尊きお方。
異世界からやってきた聖女さまは、この国のことを何も知らない。
教えられていない。
そのことを自覚されてすらいない。
正直、知らなくてもいいと思う。
国が聖女さまに政治を任せることはしないし、王族との結婚も本人が望まない限りありえない。
聖女さまの意思を最大限に尊重しながらも、自由を与えているわけではない。
あくまでも王の権威を強めるための道具として異世界から呼び出された存在。
生きている道具なので気を遣ってはいるが、貴族の令嬢ほど手入れはされていない。
聖女さまと出会ったとき、護衛も連れずにお一人だった。
道に迷われていた聖女さまに図々しくも声をかけて職員室に案内した。
また別の時。
髪の毛が背の低い木に絡まってしまい苦労されていた。
破廉恥にも聖女さまの髪をほどく許可を得て助けた。
使用人が聖女さまの髪を整えていないことはその時の会話で知った。
聖女という役割を押し付けられた彼女はこの世で一番の善人だ。
平民にもチャンスが必要だと優しい声をかけてくださった。
俺が貴族のおもちゃになっていることを知って憤慨なさった。
聖女さまの一声で俺のために剣の指導を受ける準備が整えられて一カ月。
何の成果も得られなかった。
体がボロボロになっただけだ。
アカデミーの騎士コース所属という最高の経歴にふさわしくない平凡な俺。
貴族の中にも俺よりもブサイクだったり、頭が回らなかったり、体が動かない奴はいる。だが、彼らは家柄がある。貴族の私生児だってお金はある。
俺には何もない。
「今までちゃんと訓練を受けさせてもらえなかったんですもの。急に動いて大変だったでしょう」
俺が倒れたと聞いて聖女さまがわざわざ心配してお見舞いに来てくれた。
聖女さまとお茶をするなど困難な自室なので、寮のスペシャルルームを使わせてもらった。
もちろん平民である俺には使用権限はないが、聖女さまをもてなすためだ。
使っていいに決まっている。
お茶もお菓子も無料なので、毎秒摂取してお腹と心を満たしたいが聖女さまの前だ。
鋼の意志で欲望をおさえこむ。
「元騎士団長に師事するには……私では力不足というものでして……」
「もしかして、いじめられて?」
「いえ……いえいえ。あの方の教えを受けるには、才能がないのは事実でして」
「あなたから断れ、と。そう言ってきたのですね」
元騎士団長を悪者にするわけにはいかないが、聖女さまと顔を合わせることになったら師弟の解消を伝えるように言われていた。
聖女の願いによって王命で元騎士団長に指導を受けたが、すこしも身になっていない。
「才能はあとからついて来るものではないですか?」
「来年にはアカデミーも卒業です。せっかくのお心遣いを生かせずに申し訳ございませんが――」
「また貴族たちに……あの侯爵令息に殴られ続ける日々に戻ってもいいと言うんですか」
侯爵令息というのはトレーク・スプッヂュのことだ。
嫌いなら近づいてこなければいいと思うがトレークは俺を見かけるたびに絡んでくる。
街のチンピラかと思う言動が多い一方で、見た目は完璧な貴族。
王子様だと言われても信じてしまいそうな輝いた容姿をしている。
クズな性格がすべてを台無しにしていたが、幼稚なのであしらうのは簡単だった。
「一カ月、彼と関わりがなくなって気づいたことも多いのです」
「何かしら」
不服そうに聖女さまは髪の毛を指でいじった。
自分の行動は感謝されるものであるはずだと考えているのだろう。
俺に才能さえあれば、聖女さまの言動に感謝しかしなかった。
「トレーク・スプッヂュの取り巻きたちが手や足を折りました。アカデミーの使用人が十数名、退職や休職状態になりました」
「侯爵令息がそれだけ悪人だったということなのでしょう?」
「私にだけ被害が集中していたほうが、周りへの影響がなかったのではと」
俺の意見を否定するよう「間違ってるわ」と聖女さまは声をあげた。
部屋の外まで聞こえたら誰かが入ってくるかもしれない。
「あなただけが我慢していれば済んだなんていう、悲しい話はやめて」
「ですが、アカデミーの使用人が不足するのは誰にとっても迷惑なことです」
「誰もが憧れる高待遇な給料の良い職でしょう? 人はすぐに集まるのではなくて」
幸いなことに現在、王族はアカデミーに在籍していない。
そのため採用基準は多少ゆるくなる。
「とはいえ、補充された人々もトレーク・スプッヂュの餌食となり辞めることになるかもしれません。辞めることになった人の再就職先も心配です」
「何も考えずに無職になってしまうのなら、こらえ性のない性格は勤め人として問題かしら」
トレーク・スプッヂュのことを知らない聖女さまはアカデミーの使用人が仕事を投げ出すこともよくないと考えた。確かにそうかもしれない。
アカデミーの使用人は、俺のようなプライドのない平民ではなく、没落した貴族や働かないと生活が維持できない元貴族など身元がしっかりとした人たちだ。
きちんと能力がある人たちが不当な目にあってはいけないというなら、彼らが仕事を辞める状況を作るべきじゃない。
トレーク・スプッヂュを罰する具体的な方法はない。
侯爵令息という立場から逸脱したことを彼はしていない。
自分なら当然受けるべき待遇だと彼が定義しているものは非常識だが実現可能レベル。
問題は生半可な能力を持っているとトレーク・スプッヂュの要望に応えられず潰される。俺は最初から才能がないと思われているので、多くを望まれない。
剣術の訓練といっても、愛国心を養ったり、心構えがメインだ。
あとは貴族の令息たちのストレス発散のための試合という名のリンチ。
トレークは血の気が多い。
人体破壊が得意らしいので気に入らない相手の関節を的確に破壊してアカデミーから追い払う。使用人たちが名誉な職場を辞めるのは、命の危険を感じるからだろう。
トレークの機嫌を損ねただけで死ぬかもしれない。その圧に耐えられなくなる。
俺はいたぶられてはいても、手足が使い物にならなくなるほど怪我をさせられたことがない。これは俺に才能がないからだ。
怪我人たちは半端にトレークの暴力から逃げようとしたり、受け流そうとしたり、反抗したはずだ。取り巻きたちは子爵令息などだろうから、俺よりも体格もよく打たれ強い。
俺は一撃で気絶してトレークの部屋に引きずられていく。引きずられたことによって小さな怪我をいくつもしてしまうが、骨が折れるよりマシだ。
骨が折れたとしても誰も俺を治療しないし、薬もくれない。
貴族ならアカデミーの医療設備を無料で使えるかもしれないが、俺は医者に門前払いされるだろう。貴族と違い骨が折れたからといって授業が免除されるわけでもない。
「トレーク・スプッヂュのことですが」
「あなたを痛めつけていた侯爵令息ね」
「一カ月離れていて思ったのですが、悪人というわけでもないのではと……」
トレーク・スプッヂュは極悪人ではなく小悪党だ。
無視できる範囲の嫌がらせしかしてこない。
トレークを我慢するだけで俺はアカデミーの騎士コース所属という肩書きを手に入れることが出来た。
聖女さまは納得がいかないような顔をしている。
被害者が加害者を庇うことはおかしい。
だが、今より以前の生活のほうがマシだった。
「丸腰の人間相手に木刀を振り回すのは反則に思えますが、武器を持っていないところを襲われる可能性もあります。そういう訓練だと思えば」
「逆はあったのかしら? あなたが丸腰の令息に対して剣を振り上げたことは? ないのなら、令息の行動に正当性などないわ」
その通りだ。
トレークはちょっと鬱憤を晴らすのに手近に居た俺を呼びつけて木刀を当てない遊びをしていた。俺の動きを把握して、ギリギリ体に触れない遊び。動く的が欲しかったのだ。
そこに正当性などない。
俺を人間として見ていないから出来ることだ。
分かっているが、気にならない。
貴族から人間として見られていないのは今に始まったことじゃない。
トレークだけが俺を見下していたわけじゃない。
「……私の部屋に訪ねてきてくださいましたよね」
「部屋? なぜか掃除用具入れを案内されたわね。なにか、作業中だったの?」
「いえ、あちらが私の部屋になります。寮の掃除用具を入れていた部屋なので、掃除用具入れというプレートがついたままですが」
掃除用具を置いていた場所なので悪臭が酷い。
掃除道具を寮の外にある物置に置くようになってからは何も置かれていないが、臭いはこびりつき、じめじめとしている。
足を延ばすことも出来ない、部屋と呼ぶのもおこがましい作り。
窓もないのに壁が薄いのか外と同じような寒さを感じる。
寮で違反した人間を罰するために数時間閉じ込めるための場所だと聞いた。
「なんというっ」
「貴族が使う前提の寮なので、平民である私では寮の利用費を払えません」
元より、俺の手元にはお金が全く入らない。
アカデミーに入学したから金欠になったのではない。
社会奉仕のためアカデミーに入学するという書類にサインさせられた。
平等な社会、平等な学園、そういう名目を守るために貴族社会なアカデミーに一人ぐらい平民が必要になる。
本来なら抜きんでた才能を持った平民が教育により更に上を目指せる場所になるはずだが、現実は違う。
俺に才能はなく、俺をアカデミーに入学させた者たちも平民の躍進など望んでいない。
平民はやはり無能なのだと貴族たちに分からせるために俺はアカデミーに入学させられた。
この一カ月、思い知った。
俺は無能だからこそ、ここにいた。
聖女さまは才能を埋もれさせてはもったいないと俺に肩入れしようとするが間違いだ。
俺には何の力もない。
「無料で利用してもいい部屋となると」
「掃除用具入れになるのですね」
悲しそうな顔の聖女さまに罪悪感が募る。
俺に才能があれば、聖女さまの行動は見る目があるものに変わる。
俺に力があれば、聖女さまは正しい人になる。
そうはならない。
俺には何の価値もないからだ。
「大浴場や食堂を利用することも出来ません。利用するための対価を払えていないのですから」
「では――どうやって」
ここで話はトレーク・スプッヂュは悪人ではないという話題に戻る。
トレークは綺麗好きである。
初対面で臭いと言われて香水を吹きかけられた。
事実、掃除用具入れの匂いに汚染されて俺は臭かったと思う。
井戸で水をくんでヒッソリと体を洗っていたが、貴族たちからすると洗うとは言えない状況だっただろう。
タオルも石鹸も持ち合わせていない。
俺が矢の的になって失禁した際に取り巻きに水責めをさせた後、自室にある浴槽にぶち込んだ。
汚れた制服や運動着はトレークが汚したり破いたと言えなくもないからか、新品を用意される。
匂いが取れていないとして三回ほど浴室に戻されたことがあるし、ブチ切れたトレーク自身に洗われたこともある。
浴室内にある石鹸の使い方も分からないのかと馬鹿にされたが、本当に分かっていなかったし、使っていいとも考えていなかった。貴族のものに手を出すのはご法度だ。
同級生とはいえ、トレーク・スプッヂュは侯爵令息であり俺は平民。
俺が使ったことで新しい石鹸が必要になった、その石鹸代を払えと言われたら出来ない。
自分が使った物の代金を自分で払うことも出来ないのなら使うべきではない。
トレークは綺麗好きな自分の近くに臭い平民がいるのが気に食わないと言っていた。
平民の一カ月分の給料になりそうな入浴剤を平気で俺に使わせた。
訓練のあとに気づいたらトレークの部屋と隣接した専用の浴室ということは、アカデミーに入学して一週間ほどで慣れた。
せっかく綺麗になった後に悪臭のする場所に戻らないよう、床で寝ろと言われることも多い。床で寝るのは屈辱的かもしれないが、侯爵令息が生活する部屋だ。ふかふかの絨毯が敷かれている。投げつけられたやわらかなクッションは枕にしても、抱きしめて寝ても文句を言われなかった。
どこにいるのか分からなくて邪魔だと蹴り飛ばされたこともあるが、暗闇でも薄っすらと光を放つ謎の毛布を貸してもらえるようになった。
肌触りが良いので裸で毛布に包まれたいぐらいだ。
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