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「ねぇ、お兄ちゃん」 「んー?」 「この汚れ、管理人さんに言ったほうがいいんじゃない?壁の貼り替えとか頼めるかもしれないし」 「汚れ?」    それは、就職を期に田舎を離れ、都内の安いアパートに引っ越した日のことだった。  俺は高校生の妹にどうしても来たいとせがまれ、代わりに引っ越しの手伝いをすることを条件に連れて来ていた。その妹の愛加《まなか》が、ベッドに乗り上がり、壁をじっと食い入るように見ながらそう言った。  俺はタンスに服を仕舞うのを一旦中断し、愛加の方へ近づく。すると、愛加が言っている「汚れ」がどれのことか分かった。  親指の爪ほどの大きさの黒いシミだ。ぱっと見ると、ハエトリグモが潰れているように見えるが、足の本数は5本。潰れた時に足をなくしたのだろうか。  愛加に横にずれてもらい、近づいてよく見ようとすると、一瞬、そのシミが蠢いた。 「ひっ」  思わず悲鳴を上げると、横にいた愛加が不思議そうに首を傾げる。 「お兄ちゃん?どうしたの?」 「い、今、何か動いてなかったか?」  シミを指差しながら聞くと、愛加は眉を顰めて、それに手を伸ばそうとする。 「お、おい!何やって……!」  慌てて止めようとするが、愛加は構わずにどんどん手を伸ばしていき、ついに人差し指の先でシミに触れた。その瞬間。  甲高い着信音が鳴り始め、俺はびくりと肩を揺らす。 「あ。ごめん、たぶん私の」  愛加は平素と変わらない様子であっさりそう言うと、ポケットからスマートフォンを取り出して電話の相手と話し始める。相手は母のようだ。  溜息をつきながら、そろそろと壁を見た俺は目を見開く。  あのシミは跡形もなく消えていた。    

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