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「どっちの新人が最速で契約を取るか勝負といくか。負けたら奢ってもらうからな」 「わかった。去年は惜しくもおまえの負けだったからな」 「いつか絶対その澄まし顔を歪めさせてやる」  鼻で笑って百田の噛みつきを横に流す。しかし、毎年どんな新人が入ってくるかは検討もつかない。スバルホームズの人事部には信頼を置いているが、大卒上がりのひよっこ共は社会人としての体力も思考もゼロに等しい。佐久間が言っていたように小鳥遊は研修期間に厳しい指導をすることで有名だった。どれも新人と社の命運を祈ってのことだったが、小鳥遊の指導に耐えきれず百田の下につく者も少なくなかった。どちらかといえば小鳥遊は嫌われ者の狼上司で、百田は部下から信頼され好かれる警察犬のような上司だった。  キジマ鉄鋼との取引を無事に終え部長として部下の仕事の進捗などを見るようになってからは、だいぶ社員の性格や思考が手にとるようにわかるようになっていった。  その日の勤務終わりに今回の大取引を祝して営業課総出の飲み会が行われることになっていた。主役の小鳥遊は上座に座らされ横溝課長にお猪口を注ぐ役目を仰せつかっていた。人のいい課長だが酔うと無茶振りを言ってくることもあるので、小鳥遊は女性社員を近づけないように気を配る。セクハラとまではいかないものの、何かしらのハラスメントに該当するのは危険である。そんな横溝課長から女性社員を守ってくれる小鳥遊のことを、女性社員は「守護神」と陰で呼んでいるのを小鳥遊は知らない。大衆居酒屋のような店なので、どんちゃん騒ぎをしている席もあれば、数人で酒を嗜んでいる席もあった。このざわめきの空間が意外にも小鳥遊は嫌いではなかった。一人で家にいると沈黙の時間が長くなるため、この程度のうるささに身を包まれていた方が夜更かしもせずに早く休むことができる。  案の定酔っ払った横溝課長を百田とタクシーに送り込んだあと自宅へ帰った。百田も酒癖が悪いものの、今日は普段よりましだったなどと思いながら帰り道の夜空を眺めた。半分の月が白く浮かび上がる。その周りにぽつぽつと点のような星が見えるような、見えないような仄かな明かりに照らされる。人間の目とはとても発達していると思う。星の明かりはゆらゆらと掴みようのないものなのに、脳と眼がシンクロしてまるでそこに固定して光をともなっているように見えるからだ。マンションのオートロックを抜けエレベーターに乗り込む。すうぅ、と上階へ上がっていく機械に小鳥遊は背をもたれた。今日は疲れた。緊張や不安、それらを乗り越えた安堵に急に眠気がやってきた。シンと静まり返る部屋で服を着替える。以前の恋人にせがまれて買ったダブルベッドの上にビジネスバッグを放り投げた。テレビをつけると来週1週間の天気予報が流れていた。横目で見ながらネクタイを緩める。桜前線の予報も同時に流れた。来週には散り終えて完全に葉桜に移行するのだという。さして興味もなかったが、なんとなくベランダの外に出てみる。高層階のこの部屋からは街の風景が一望できた。橋のかかる桜並木は電極でライトアップされている。夜風が頬を撫で部屋の中に舞い込んでいく。それを鬱陶しそうに眉をひそめて小鳥遊はシャワーを浴びにいった。  これから小鳥遊の身に大きな春の嵐がやってくるとも知らずに眠りについた。  

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