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8 これはある種の修羅場的な?
「なぁ、金曜日、久しぶりに飲みにいかねぇ?」
「おー、いいな、行こう行こう」
「いつもの居酒屋にする? それとも駅前まで出るか?」
「人数次第じゃねぇ? 木内 、おまえどうする?」
同じ講義を取っている奴らに声をかけられて少し考えた。金曜は午前中で講義が終わる。その話を幸佑 にしたら昼飯をこっちで食べたいと言い出し、押し切られるように約束させられてしまった。
最近の幸佑 はオレの大学生活 に興味津々らしい。大学の近くに安くてうまい中華屋があって、そこのラーメンが好きだという話をしたら「俺も食べてみたい」と言い出した。どうやら“学生街の中華屋”というのに興味があるようだ。
(小さな個人経営の古い中華屋なんだけどな)
あいつがそういう店で食べる様子は想像できないが、どうしてもと言われて断る理由もない。それで金曜は店の前で待ち合わせをして、そのまま飯を食う約束をした。
最初は大学前で待ち合わせしたいと言われたが、そんな恐ろしいことは勘弁してくれと断った。幸佑 は立っているだけで人目を引くし、側にいたらオレまで目立ってしまう。そして翌日には幸佑 の連絡先を知りたいという女の子たちに囲まれてしまうんだ。
これまでの経験上、そういうことは容易に想像できるから全力で断った。オレは卒業するまで平穏な大学生活を送りたい。
そんなわけで、昼飯を食べたらそのままマンションに向かうことになるだろう。久しぶりに飲みに行きたい気もするが諦めるしかない。
「あー、悪い。ちょっと用事あるから、また今度な」
声をかけてきた連中にそう答えれば、「やっぱりなー」なんて言葉が聞こえて来た。
「やっぱりってなんだよ」
「だっておまえ、夏休み終わってから付き合い悪いじゃん」
「そうだっけか?」
「そうそう。飲みに誘っても毎回断られるしな」
「だからてっきり彼女でもできたのかと思ったんだよな」
「木内にもついに春が来たのかー! ってな」
「いや、彼女とかいねぇし」
彼氏ならできたけど……とはさすがに言えない。
「なーんだ、やっぱり彼女説はなしかー」
「やっぱりってなんだよ」
「だっておまえ、女子の中に入ったら埋もれるからさぁ」
「そうそう。それに女子たちといても同性の友達みたいに見えんじゃん? ちっこいし」
「おいこら、言うに事欠いてなんだと?」
「まぁまぁ怒るなって」
「やかましいわ。つーか、頭撫でてんじゃねぇ」
悪気はないんだろうが、みんな好き勝手言い過ぎだ。
(つーか、たしかに断ることが多いかもな)
言われて初めて気がついたが、たしかに夏休みが終わっても週末は幸佑 の部屋に行くから遊びに行くこともめっきり減ってしまった。「今度飲みに行くか」と考えたところで、まだ頭を撫でている手を叩 く。
「いつまで人の頭撫でてんだよ、高橋」
「あー、悪い悪い。ちょうどいい高さだからさ」
「言外に小せぇって言ってんじゃねぇぞ」
「あはは、可愛い可愛い」
「おまえらも一緒になって笑うな! 高橋は撫でんな! こらっ、髪が乱れる!」
いつものことだが、こいつらはオレをおもちゃか何かだと勘違いしているような気がしてならない。こうして頭を撫でるのはいつものことだし、小さいとか可愛いとか言われるのもそうだ。
「はいはい、可愛い」
「こら高橋、いい加減にしないとマジで怒るぞ」
ジロッと睨めば「ごめんごめん」と言って高橋が乱れたオレの前髪を指で整え始めた。学年は同じだが、一年留年しているからオレはこいつらより一つ年上になる。だからか「仕方ねぇな」と呆れるだけで終わらせるのもいつものことだ。
やれやれとため息をつきながら、オレの頭は金曜の夜は何を作るかなということに意識が向いていた。
* *
門の近くに人だかりができていないことを確認し、胸をなで下ろしてから大通りに出る。絶対に大学まで来るなと言っておいたが、幸佑 のことだから勝手に来ているんじゃないかと内心ビクビクしていたが大丈夫そうだ。
スマホを見て、これなら待ち合わせの時間に十分間に合うなと思いながら横断歩道に向かった。交差点の手前の建物を見て「そういやここのうどん屋にもよく来るな」と店を見る。ここのかき玉うどんは生姜が利いていて寒い時期にはたまらなくうまかった。それにちょっと辛めのカツ丼も人気で、きっと食べたことがないだろう幸佑 に食べさせてやりたい気持ちになる。
(次はここにするか)
そんなことを思った直後、「デートの行き先を考えているみたいだな」なんて思って恥ずかしくなった。昼間でも肌寒くなってきたというのに、やたらと顔が熱くて手でパタパタと仰ぎながら交差点を渡る。そのまま地下鉄の駅のほうに向かい、手前で曲がれば待ち合わせをしている小さな中華屋だ。
いつも混んでいるが今日はどうかなと考えていたとき、「あれ? 木内もラーメン食べんの?」という声が後ろから聞こえて来た。振り向くと鞄を持った高橋が立っている。
「今日は用事があるって言ってなかったっけ?」
「あー、まぁそうなんだけど」
「なんだよ、昼飯食うんなら一緒に行こうぜ」
「ごめん高橋、オレ人と待ち合わせして……」
「しっかし、ほんと最近付き合い悪いよなぁ。あ! 今年のイブ、みんなで飲み会やるんだけど、それには来るよな?」
イブと聞いて、幸佑 が「絶対コウちゃんとクリスマスパーティするから」と言っていたのを思い出した。二人だけでパーティって何だよと照れくさかったが、内心オレも同じことを考えていた。
(初めての恋人とのクリスマスとか、オレだって夢くらい見るし)
でも、顔には出さない。でないと大変なことになりそうな予感しかしないからだ。
「あー、悪い。クリスマスはもう予定入ってて」
「マジか。ってかさ、やっぱり彼女じゃないの? 別に隠さなくってもいいんだけど」
「いや、彼女なんて本当にいねぇって」
「でもさ、用事あるのって決まって週末だろ? それにイベントに予定あるっつったら、まず彼女できたって思うじゃん?」
できたのは彼女じゃなくて彼氏だ。しかし、友達と言えどさすがに言うのははばかられる。最近じゃそういう話もオープンになってきたらしいが、男同士の関係がそうそう歓迎されるとは思えなかった。知らない奴同士なら何とも思わないが、知り合いにはいてほしくないと思う人のほうが多いだろう。それなら、わざわざオレのほうから言う必要はない。
「悪ぃな。そのうち飲みには行こうと思ってるから」
「おう。来たらとことん問い詰めてやるからな~」
「ちょっ、やめろって。こんな道端で……って、これじゃヘッドロックじゃねぇか!」
「あはは、ほんと木内って小さいよなぁ。体も細いし、ほら、簡単に捕まえられる」
「おいこらマジでやめろって。頭グリグリしてんじゃねぇよ!」
「うーん、髪の毛すべすべで気持ちいいんだよな~。それにほら、ちょうどいい高さだし?」
「だから小せぇとか言ってんじゃねぇって!」
「あっはは、暴れない暴れない。うーん、今日も木内は可愛いなぁ」
「やかましいわ!」
いくら小道に入ったところとはいえ、すぐ側は地下鉄近くの大通りだ。人通りも多いし、そんな人目につく場所で子どものように頭を撫で回されたいとは思わない。もちろん他の場所でも嫌だと思っているが、道路だと目立つからやめてほしいのに高橋の手は一向に緩まなかった。
(高橋、いつかぜってぇぶっ飛ばす!)
通りすがりにチラチラ見られていることに気づき、ジロッと睨みながら見上げた。
「高橋、いい加減――」
「コウちゃん?」
聞き慣れた声に、視線を大通りのほうに向けた。そこにはネットで買ったばかりのロングコートにブーツ、それに金色に近い髪をゆるく結んだ幸佑 が立っている。
(なんだ、そのキラッキラした格好は)
それじゃあ完全にモデルじゃないか。オレは小さくて古い中華屋に行くと言ったはずだ。それなのに、どうして小洒落たカフェのランチに行きますっていうような格好をしているんだ。そんな格好だと目立つだろうが。
(そのうえ、めちゃくちゃかっこいいじゃねぇか)
毒づきながらも見惚れてしまった。いや、見惚れているのはオレだけじゃない。歩道には数人が立ち止まって幸佑 を見ているし、オレの頭を好き勝手に撫で回していた高橋の手も止まっている。おそらく、この場にいる全員が幸佑 に見惚れているんだろう。
「コウちゃん、そいつ誰?」
「ん? あぁ、大学の友達。こいつも例の中華屋に行くっつーから……つーか、手ぇ離せよ」
動きは止まったものの、いつまでもヘッドロックしている高橋の腕を叩き落とした。そうしてグチャグチャになった髪を手櫛でさっと整える。
(ったく、いつまでも中学生みたいなことしやがって)
おかげで変なところを幸佑 に見られたじゃないか。
いつもこんなふうだが、高橋のことを嫌いになったりはしない。ちょっと冗談が過ぎるが気のいい奴で、一人暮らしの部屋に泊まらせてもくれる一年のときからの友人だ。
「大学の友達?」
「あぁ、一年のときからの……って、幸佑 、なに睨んでんだよ」
「コウちゃんを睨んだんじゃないよ?」
「わかってるよ。つーか、初対面の人を睨んでんじゃねぇよ」
幸佑 が初対面の人を睨みつけるなんて初めて見た。幸佑 は小さい頃から外面がよくて、とくに初対面の大人には抜群に受けがよかった。それが幸佑 なりの処世術だったのかもしれないが、おかげでハブられていた高校でも本格的ないじめには発展しなかった。
逆に言えば誰にも心を開かないということで、そのせいで友達がものすごく少なかったとも言える。それでも余程のことがない限り笑顔を見せていたし、こうしていきなり睨みつけるなんてことはしなかったはずだ。
「だって、大事なコウちゃんに抱きつくとか放っておけないでしょ」
「……は?」
抱きつくって、高橋に抱きつかれていると思ったのか? まさかの答えに驚いてしまった。たしかに肩に腕を回されてはいたが、どこからどう見てもただの悪ふざけだ。そりゃあ大学生が道ばたでやることじゃないとは思うが、抱きつかれているようには見えないはずだ。
何を言っているんだと首を傾げていると、「ふぅん」という声が頭上から聞こえて来た。
「なるほど。たしかに彼女ではないな」
「高橋?」
「木内が付き合い悪くなったのって、そいつのせいだろ?」
「は?」
「木内が男もいけるってわかってたら、もっと早くにアプローチしてたのになぁ」
「はぁ?」
「そうすりゃ、そんなチャラい奴に持ってかれたりしなかった」
「高橋、なに言ってんだよ」
「だってそいつ、彼氏だろ?」
「はぁ!?」
とんでもない言葉に、思わず大声を出してしまった。慌てて高橋を見たが冗談を言っているようには見えない。
「見るからに遊んでますって感じだな。何ならセフレもたくさんいそうだよな。ま、そんだけの容姿だったら周りが放っておかないか」
「セフレはいないよ。恋人のコウちゃんがいるから必要ないし」
いやいや、ちょっと待て。何を勝手に暴露しているんだ。慌てて「幸佑 」と止めようとしたが、今度は高橋が口を開いた。
「へぇ。でも前はいたってクチだな。そういう匂いがプンプンする」
「あんたには関係ないよね。っていうか、コウちゃんに触んないで」
ズンズンと近づいてきた幸佑 が、まだオレの肩に載っていた高橋の手を叩き落とした。「おっと」と言いながら手を引いた高橋が「なんでこんなヤツに引っかかるかな」と言いながらオレを見ている。
「失礼な人だな」
「失礼も何も、こういうイケメンは同じことをくり返すだけだろ」
「コウちゃんに変なこと吹き込まないでよね」
「変なことじゃないよな? どうせたくさんのセフレとか作ってたんだろ。そんなヤツ、やめとけ」
高橋の言葉に「いや、知ってるし」と答えると、どうしてか目を見開かれた。
「何だよ木内、知ってて付き合ってんのかよ」
「知ってるっていうか、幼馴染みだからな。オレが知ってるだけで二十人は超えてたな」
「げっ、そんなにいたのかよ」
「ちょっとコウちゃん、それは昔の話でしょ」
「あー、そっか。高校卒業してからは知らないな」
「高校卒業って……そこまで知っててよく付き合う気になったな」
「まぁ、そうなった理由もなんとなくわかってるし、昔から弟みたいに思ってたし」
「弟みたいに思ってたんなら、そのまま弟でいればよかったのに」
高橋の言葉に幸佑 が「うるさいな」とまた睨みつけた。
「コウちゃんとは出会ったときから結ばれてるの。だから付き合うのは必然なの」
「結ばれている割にはたくさんのセフレって、浮気だろそれ」
「浮気じゃないよ。コウちゃん、何度も言ってるけど俺はコウちゃん一筋だからね?」
途端に幸佑 が必死な眼差しでオレを見てきた。その姿に胸が妙にくすぐったくなる。
「まぁ、お互いの気持ちに気づいたのは最近だし、それ以前のは浮気ってことにはならねぇんじゃねぇの」
「木内、優しすぎだろ。どっちにしてもそんな下半身の緩い男なんか、すぐに元に戻るって」
幸佑 の下半身の緩さは高橋に言われなくてもよくわかっている。でもそれは昔の話で、いまの幸佑 はオレ一筋だ。そのせいで週末が大変なことになる。
「こんな奴やめて、俺にしとけば? 俺、浮気しないしセフレを持ったこともないし。木内のこと、誰よりも大事にするよ?」
「大事に……って、なんだそれ」
「なんだそれって……木内、いくら何でもそりゃないよ」
「は?」
どうしたんだろう。高橋が見たことがないくらい悲しそうな顔をしている。
「コウちゃんは告白され慣れてないんだよ。それだけピュアってことなの」
「ピュアって何言って……って、いま告白って言ったか? え? なに、告白だったのか?」
「それ以外の何だと思ったんだよ。まぁ、そういうところも好きだと思ってるけどさ」
「はぁ」なんてため息をつきながら、とんでもないことをさらりと言われた。
「いやいや、高橋がオレに告白って、意味がわからん」
二年以上のつき合いになるが、高橋からそんな空気を感じたことは一度もない。それに何度も部屋に泊まっているが、迫られたり変なことをされそうになったこともなかった。
「そりゃあ必死に隠してきたからな。でも木内が男もいけるってわかったいま、遠慮なんかしてられない。な、俺にしとけって。それに俺だってそこそこ顔はいいと思ってるし、木内が面食いだったとしても満足してもらえると思うんだけど」
「いや、オレ別に面食いとかじゃねぇし」
「コウちゃんは小さいときから俺を見てるから、俺以下の容姿にはときめかないんだよ。だから諦めて」
「ちょっと待て、いつ誰がそんなこと言った」
「遠山さんにそう言ってたじゃん」
「違ぇわ! イケメンはおまえで見慣れてるって言っただけだよ!」
「同じことでしょ? ずっと俺を見てるからコウちゃんは目が肥えてるし、俺以外のイケメンを見てもクラッとしないって言ったじゃん」
「それとときめくってのは違うだろうが! つーか、なに恥ずかしいこと言ってんだよ!」
「えぇー、恥ずかしくないよ? いかにコウちゃんと俺が仲良しかって話をしてるだけだよ?」
「あぁもう何も言うな! そういうことを公共の場で言うんじゃねぇ!」
あまりの恥ずかしさに、両手で顔を覆いながらその場にしゃがみ込んだ。
「っていうかさ、彼氏の前で堂々と横取り宣言とかやめてくれないかな。超ムカつくんだけど」
滅多に聞かない幸佑 の低い声が聞こえる。おそらくまた高橋を睨みつけているんだろう。
「横取りじゃなくて、誠心誠意気持ちを伝えてるだけなんだけど……って、何だかな」
「高橋?」
こっちも珍しく気が抜けたような声に、覆っていた手を退ける。メガネの位置を整えながら顔を上げると、高橋が苦笑のような表情を浮かべていることに気がついた。
「うわ、その上目遣い、ちょっとやばくないか?」
「は?」
「コウちゃん!」
「いやいやいや! だって仕方ねぇだろ、オレしゃがんでんだし!」
慌ててそう言ったオレに、高橋がニヤッと笑いながら「っていうかさ」と言葉を続けた。
「最近の木内、たまに色気が滲んでんなぁとは思ってたんだけど、上目遣いは間違いなくヤバいよな。それに上着着てるからって、ざっくり胸元の開いた服ってのも気をつけろよ? キスマークだけじゃなくてかわいいおっぱいも見えちゃうぞー」
「は!?」
「ちょっとコウちゃん! 早く立って!」
「は!? って、急に腕引っ張んなって! ちょっと待てって! ラーメン食うんじゃなかったのかよ!?」
「もう帰るから。ほら早く。タクシー捕まえるから」
「タクシーとか無駄遣いだろうが! って高橋、おまえも笑ってんじゃねぇよ!」
問答無用に引きずられていくオレを見て、高橋は笑いながら手を振っている。そんな高橋が気に入らないのか、ますます幸佑 の手に力が入り腕が少し痛くなってきた。
それ以前に、こんな別れ方をして週明け高橋と顔を合わせることができるんだろうか。そんなことを思っていたら「木内!」と呼びかけられた。
「俺、諦めたわけじゃないからな。俺の胸はいつでも空いてるからなー」
「うるさいよ。コウちゃんは絶対に渡さないし、逃さないから諦めなよ」
「おーこわっ。心の狭い彼氏は嫌われるぞー」
「うるさいな」
「幸佑 、手ぇ離せって! 目立つだろうが!」
「木内、もう十分目立ってんぞー」
笑っている高橋の声に、ハッとして周囲を見た。
中華屋から出てきたらしい男子学生数人がこっちを見ていたが、オレが見たことに気がついたのか慌てて視線を逸らした。大通りには女子大生らしき女の子たちが数人こちらを見ている。他にもチラチラとこっちを見ている人たちがいて、一気に顔が熱くなった。
「な……っ、これ……っ」
「ちょっとコウちゃん、俺以外に可愛い顔見せないでよね」
「かわ……っ、おま、何言ってんだよ! つーか、目立つから手ぇ離せって!」
「もう遅いと思うよ? それよりほら、タクシー止まったから乗って」
「な……っ、これじゃ、来週からのオレの大学生活が……っ」
「俺はよかったけどね。これでコウちゃんが俺のものだって広まるだろうし」
「ちっともよくねぇだろうが!」
オレの後からタクシーに乗り込んだ幸佑 の綺麗な額に、特大のデコピンをかましてやった。「ちょっと本当に痛いんだけど!」と涙目になってもオレの知ったことじゃない。
(オレの、オレの平穏な大学生活 が……!)
週明けのことを考え、オレは本気で頭を抱えた。同じ大学の奴がどのくらいあの場にいたのかはわからないが、噂というのは一人でもその場にいればすぐに広がる。たとえ幸佑 と恋人だということを知られていなかったとしても、知り合いだということは広まるだろう。
見たことも話したこともない女子大生から「あの人は誰?」だの「紹介して」だの「連絡先が知りたい」だの言われるに違いない。言われるというより問い詰められるだろうことが簡単に想像できた。
いまや男より女の子のほうが積極的だということは、大学に入ってよくわかった。あんなバリバリの肉食系女子に攻められて、果たしてオレは生き延びることができるんだろうか……。
そんな少し先の未来を心配していたオレだったが、本当に心配すべきは目の前のことだった。そのことに気づかないまま、見慣れたデザイナーズマンション前にタクシーが到着した。
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