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1 身代わりの花嫁

 この土地には、貴族である領主様に花嫁として若い娘を差し出す習わしがあった。この習わしは随分と古くからあるもので、土地の者たちは花嫁を差し出す代わりに労働や穀物、酒などで納める税を軽くしてもらえる。  四十年ほど前からは毎年要求されるようになり、一度に数人を求められることもあった。それは土地の者たちにとって理不尽なことだったが、領主様に逆らうことはできず受け入れるしかなかった。  ここ二十年は毎年ひとりずつになり、税もすべて免除されるようになったものの、土地の者たちは娘を生贄に差し出しているような気持ちを抱き続けていた。それは花嫁になった娘たちが領主様の屋敷から二度と出て来ることがないからで、生きているのか死んでいるのかさえわからない状況が、余計に生贄という印象を強めているのだろう。  さらに領主様自身も土地の者たちの前に姿を表すことがなくなり、顔を見せることができないほど醜く衰えたのか、はたまた表に出られない何かがあるのかと噂され、気味悪がられるようにもなっていた。  どちらにしても得体の知れない男に嫁ぎたいという娘がいるわけもなく、今年も土地の者たちは大いに揉めていた。 「シュウを娘の代わりに差し出すのはどうだ?」  それはどの家の娘を差し出すか話し合っていたときに、不意に出た言葉だった。集まっていた若い娘を持つ親たちは名案だと思ったが、同時に領主様を騙すことになりはしないかと恐れもした。  領主様はほかの土地の領主と違い、娘を差し出しさえすれば税の約束を守ってくれる。しかし娘の好みにはうるさく、二十年と少し前に出戻りの娘を花嫁に差し出したときにはひどく怒り、罰だと言って若い娘が一度に十人連れて行かれたことがあった。  身代わりを差し出せば、また同じような目にあうのではとためらわれた。だが、最年長の婆が「随分と昔じゃが、領主様は東の国のものならなんでもお好きじゃと聞いたことがある」と言ったことで、シュウを花嫁の身代わりにすることはすんなりと決まった。  こうして花嫁の身代わりに決まったシュウは、そのことを告げられても、ただコクンと頷くだけで驚きも怯えもしなかった。土地の者たちは早速用意を始め、数日後、シュウは予定どおり領主様の花嫁として屋敷へ行くことになった。  当日のシュウは、領主様から贈られた花嫁衣装を身につけていた。美しくも愛らしい純白のドレスにたっぷりのレースでできたベールもあり、土地の娘には贅沢なほどの衣装だった。  その衣装を着て、ひとり静かに迎えの馬車に乗る。見送ってくれたのは、シュウが六歳のときから面倒を見てくれていた、育ての親である年老いた男一人だった。  シュウは正式にはシュエシと言い、両親はこの土地より東のほうにある国から来た放浪者だった。たまたま立ち寄ったこの土地で病になり、二人とも呆気なく死んでしまった。 残されたシュエシは、両親に部屋を貸していた老人に引き取られた。土地の者たちにとって東の国の名は発音しづらいらしく、皆に「シュウ」と呼ばれながら十五になるまで育ててもらった。  そうしていま、土地の娘の身代わりとして領主様の元へと向かっている。 「男だって、わからないといいけど……」  シュエシは、娘ではなく少年だった。  東の国の者らしく小柄で幼い顔立ちをしており、娘の格好をしていれば少女に見えなくもない。しかし花嫁衣装を脱いでしまえば、さすがに男だと露呈してしまう。男だとわかれば、どんな仕打ちをされるかわからない。  それでも娘の親たちに頼まれたら嫌だとは言えなかった。  土地の者たちには、身内でもなく土地の者でもないシュエシをこれまで育ててくれた恩がある。それを返せるのならば黙って花嫁になるしかない。花嫁が、どこか遠い土地へ売られているのではないかという噂は知っている。何らかの生贄にされているのかもしれないという話も聞いたことがある。 「もし売られたとしても、違っていても、僕にはこれしかできないから」  シュエシは、ただ花嫁として領主様のもとへ行くしかなかった。  売られるにしても生贄にされるにしても、男であることにそれほど問題はないかもしれない。この土地やさらに西の国では東の国の者は珍しく、とくに若い者は性別に関係なく高値で売れると聞いたことがある。それなら男であっても領主様の機嫌を損ねることはないだろうし、皆の役に立てるとシュエシは考えた。  そう覚悟し、丘の上に建つ領主様の屋敷の門をくぐった。 ・ ・ ・  シュエシが領主様の屋敷に到着して五日が経った。その間、領主様には一度も会っていない。  屋敷に着いたと同時に部屋に押し込まれ、執事だと言う男だけが顔を合わせる相手だった。執事は領主様の命令で、花嫁の世話係になったのだと言っていた。 「奥様、お茶の用意ができました」 「ありがとうございます」 「使用人に敬語は不要ですよ」  執事にそう言われるのは何度目だろうか。何度言われても使用人がいるという生活を送ったことのないシュエシには無理な話で、年上の人に馴れ馴れしい口調で話しかけることはできない。 「わたしは執事ですから、敬語を使う必要はありません」 「あの、でも、……すみません」  そう謝れば、美しい執事――ヴァイルが小さく笑った。  初めてヴァイルに会ったのは屋敷に着いた直後だった。そのときも、あまりの美しさにシュエシは子どものように惚けてしまった。それは五日経っても変わることなく、少し微笑まれるだけでもぼんやりと見惚れてしまう。  ヴァイルは育ててくれた老人とも土地の者たちとも違う美しい銀色の髪をしていて、それをいつもひとつに結んでいた。瞳は淡い黄金色(こがねいろ)で、それもこの土地では見たことのない色合いだ。背はとても高く、肌は陶器のように真っ白で、優雅な仕草なのは貴族だという領主様の執事だからだろうか。  ヴァイルのすべてがシュエシにとって初めて目にするもので、何度見ても見惚れてしまう。そうするとヴァイルが小さく笑い、その笑みにさらに惚けてしまうという堂々巡りだった。 「奥様、湯浴みの用意ができていますが」 「はい……」 「湯浴みのお手伝いが必要ですか?」 「はい……あ、いえ! ひとりで、大丈夫です……っ」  湯浴みのときに、こうして手伝いを申し出られるのも毎日のことだった。惚けているシュエシをからかってのことだろうが、今夜もそう言われて慌てて断り、その様子にまたもやクスクスと笑われてしまう。  恥ずかしく思いながらヴァイルが部屋を出ていくのを確認し、それから誰もいない浴室に入って鍵を閉めてから服を脱いだ。  シュエシに与えられる服は、当然ながらすべて少女が好むようなものばかりだった。その中から比較的動きやすそうで、体の形がわからないゆったりしたものを選んで着ている。中には美しく豪華なドレスもあったが、どうやって着るのかシュエシにはさっぱりわからなかった。  幸いなことに、領主様に会うこともないため豪華なドレスの出番はない。しかし、まったくドレスを着ないのをおかしく思ったのか、ヴァイルに「ドレスはお嫌いですか?」と聞かれたときには焦った。  シュエシの声は少し低いけれど、ギリギリ少女のように聞こえなくもない。髪の毛も肩につくほど伸ばしたままで、少年っぽくは見えなかった。だから大丈夫だと思っているのだが、ドレスを着てしまえばさすがに男だとわかってしまう。  この部屋に用意されているドレスのほとんどは胸元が大きく開いていて、いくら成育の悪い娘だと言っても平べったい胸を見れば誤魔化しようがない。  ヴァイルには「ドレスは似合わないので」と苦し紛れの言い訳をした。そのときもクスクスと笑われてしまい、その笑顔があまりに綺麗で、シュエシはやはり惚けてしまった。 「いつまでごまかせるかな……」  ヴァイルには服さえなんとかなれば男だと悟られることはないだろうが、領主様に会ってしまえばそうはいかない。シュエシは領主様の花嫁だから体を見られてしまうだろうし、そうすれば娘でないことは一目瞭然だ。  それで領主様の怒りを買ってしまえば、シュエシ自身も育ててくれた土地の人たちもどうなるかわからない。そのことを考えるだけで、いまさらながら緊張で腹の奥が冷たくなる。自分は東の国の者だから高値で売ってほしいと訴えるつもりではあるが、領主様がそれで納得してくれるだろうか。  何が起きても、十年近く育ててくれたあの年老いた人に、土地の人たちに恩を返したい。だから、なんとしても花嫁としての役目を果たさなければいけない――シュエシはそう思いながら、温かな湯に浸した布で体をゆっくりと拭った。

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