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14 シュエシの業

 以前と変わりない日常を送っているシュエシだったが、最近少し困っていることがある。それはヴァイルの姿を見るだけですぐに体が熱くなることだ。 (普通の夫婦なら、それでもいいんだろうけど……)  しかしヴァイルは化け物で自分は血を捧げるための花嫁だ。わかっているのに体が疼いて仕方がない。 (ヴァイルさまが触れるのだって、血を美味しくするためなのに)  わかっている。それなのに冷たい手や唇に触れられるだけで全身が熱くなった。油断すると「もっと」と口走りそうになる。 (こんないやらしいことを考えているなんて知られないようにしないと)  ヴァイルは体が敏感なのはいいことだと言う。だが、それと情欲を抱くのは別のことだ。ただ感じるだけならまだしも、また交わりたいと思うのは強欲すぎる。 (こんないやらしい気持ちは美しいヴァイルさまの花嫁にふさわしくない)  シュエシは勘違いしないようにと何度も自分に言い聞かせた。それでもふと気持ちがあふれそうになるときがある。それは髪の手入れのときで、今夜も香油と櫛でシュエシの髪を梳いているヴァイルを盗み見ては体を火照らせていた。 「おまえの母親は、もしや人を殺めたことがあるのではないか?」 「え……?」  熱くなっていた体がスッと冷たくなる。背後に立つヴァイルを鏡越しに見るが、髪を梳く様子はいつもと変わらない。どういう意図でそんなことを尋ねたのか表情を見てもわからなかった。 (どうしよう)  シュエシはどう答えるべきか悩んだ。母親は自分を身ごもっているときに人を殺めた。それをヴァイルに話してもいいものだろうか。ヴァイルは人ではない。しかし、人である自分の母親が人殺しだと知ればどう思うだろう。  黒目が不安そうに揺れる。鏡越しにシュエシの様子を見たヴァイルが「おまえの髪を見ていて思い出したことがある」と口にした。 「思い出したこと、ですか?」 「あぁ、東の国の古い話だ」  ヴァイルが半月型の櫛をテーブルに置いた。そうして黒髪を一房手に取り「その中に黒髪を赤く染める鬼神の話があったのを思い出してな」と続ける。 「東の国には夜叉という鬼神がいると聞いたことがある。この夜叉は悪人を殺し食らうという話だが、夜叉の美しい黒髪は罪人の返り血で鮮やかな紅色に染まるらしい。まるでおまえの髪のようだと思わないか? だが、おまえ自身からは血の臭いがしない。それなら母親のほうかと思ったまでだ」  シュエシはヴァイルが夜叉の話を知っていることに驚いた。 (もしかして同じ化け物だから……?)  ということは、夜叉も本当に存在しているのだろうか。美しくも恐ろしい顔をした母親の姿が脳裏をよぎった。同時に「殺めたのよ」とつぶやく母親の声が蘇る。  鏡越しに美しい顔を見た。黄金色の瞳は黒髪をじっと見てはいるものの、シュエシの母親が人殺しかどうかに興味はないようで宝石を眺めるような眼差しをしている。 (ヴァイルさまには話してもきっと大丈夫だ)  それに好きな人に隠し事はしたくない。そう思ったシュエシはためらいながらも口を開いた。 「あの……僕の母は、僕を身ごもっているときに、その……人を殺めたことがあると、聞いたことがあります」  貴人に求められ腹の子を流されそうになったこと、それに激昂して相手を殺めたことを話した。そのせいで国を出てこの地に流れ着いたものの、病になり両親ともに亡くなったのだと続ける。  静かに聞いていたヴァイルの顔が嘲笑うかのような表情に変わった。黒髪に見え隠れする紅色の艶を見ていた瞳が冷たく光る。 「やはり人は化け物だな。腹の子を流してまでも女を手に入れようなど獣にも劣る行いだ。なるほど、そのときおまえの母は夜叉になったのだろう」 「え?」 「おまえを守るため、おまえの母は人の業を超えるほど深い憎しみを抱いたのだ。そして強すぎる憎悪の業が腹にいたおまえにも移った。その証拠がこの美しい黒髪だとすれば納得がいく」  嘲笑がゆっくりと微笑みに変わる。 「紅色をまぶしたような赤い輝きは返り血を浴びたようで美しい。まさに血石(ブラッドストーン)のようだな」  そう告げるヴァイルのほうこそ美しい。あまりにも美しい表情に見惚れながら、シュエシはおそるおそる口を開いた。 「……あの、気持ち悪くはないですか?」 「なぜだ?」 「それは……その、人殺しの母を持つ証のような髪、というのは……」  シュエシの消え入りそうな声にヴァイルが鼻を鳴らす。 「今更何を言う。それにわたしは一年に一人、食事のために娘を殺めているのだぞ? そんなわたしが業を受け継いだ人の子を気持ち悪いと思うものか」  娘を殺めているという言葉にドキッとした。 (そうだ、ヴァイルさまはこれまで何人も……)  だから屋敷には人気(ひとけ)がないのだろう。そして、いずれ自分も娘たちのようになるのかもしれない。そう思うと胸がギュッと切なくなった。 「なんだ? やはり人を喰らう化け物は恐ろしいか?」 「そ、そんなことはないです。……いえ、少しだけ、恐ろしいとは思いました。でも、それよりも僕は……」  言いながら俯く。自分が着ている少女が好みそうな寝衣が目に映り「こうした格好を嫌だと思わないくらい僕はヴァイルさまが好きなんだ」と改めて思った。できればこれまでの花嫁とは違うと言ってほしい。血をすすって捨てるのではなく、自分の血をずっと口にしたいと思ってほしい。 (僕だけを求めてほしい)  シュエシの手足がポッポッと熱くなる。 (僕以外の花嫁を、もう求めないでほしい。僕以外の花嫁はもう必要ない。新しい花嫁が来ても、僕がこの手で……)  膝の上でギュッと拳を握る自分の手を見た。その手が果実の真っ赤な汁に濡れた幼い頃の自分の手と重なる。胸の奥がカッと熱くなった。燃えるような感情がグルグルと渦巻き体のあちこちに広がっていく。目眩を引き起こすような勢いで頭に広がった熱が思考を少しずつ溶かしていく。 「僕は、ヴァイルさまにずっと血を捧げたいと思っています」  大好きで美しい化け物に血を捧げるのは自分だけでいい。頭がとろりととろけ、シュエシの表情もトロンとしたものに変わる。 「この先ずっと、僕が死ぬまで僕の血だけを求めてください」 「おもしろいことを言う」 「お願いだから僕だけを求めて……僕以外の人を、花嫁を求めないで……そうしないと僕は……」  シュエシの黒髪に紅色の艶が煌めいた。 「なるほど、この色はおまえの中の業に反応していたのか。おまえの母はよほど強くおまえの父を思っていたのだろうな。それゆえに己の手を血に染めることをためらわなかった。それほどの思いでなくては腹の子まで業を宿すとは思えん」  一房髪を手にしたヴァイルが小さく笑う。 「人の思いは強い。純粋な思いほど濃く深くいびつなものになる。人はそれを恐れるが、我らはそうした心すら好む。おまえの思いはすべて極上の味わいへと繋がるだろう。それに……」  紅色に輝く黒髪にヴァイルが口づけた。 「それだけ強く想われるというのも存外悪くない」  ヴァイルの指が頬に触れた。途端にシュエシの目がパチッと開き、まるでいま目が覚めたような顔をする。 「ヴァ、ヴァイルさま」 「おまえは本当に興味深いな」 「あの……?」 「どれほどのものを内に秘めているのか、ますます興味がわいた」  ヴァイルの言葉に首を傾げながらも、シュエシは何か口走ったに違いないと思った。最近こうして記憶が途切れることがたびたびある。それは決まってヴァイルのそばにいるときで、何をしていたかわからないぶん不安が大きくなった。 「百五十年ほど生きているが、おまえのような者は初めてだ。やはりおまえを花嫁にして正解だった」  突然の言葉にパッと顔を赤らめたシュエシは、すぐに「百五十年?」と口にした。 「ヴァイルさまは、その、もしかして百五十歳、ということですか?」  窺うように尋ねるシュエシに「正確には覚えていないがな」とヴァイルが答える。 (百五十歳……)  鏡の中のヴァイルは二十代にしか見えない。口調が堅いからもう少し年上かと思ってはいたものの、それでもせいぜい三十代だろうと予想していた。ところが実際は百五十年生きているのだという。ヴァイルはやはり化け物なのだと痛感するとともに、それでも好きだという気持ちが消えることはなかった。 「わたしの姿を見て思いを寄せる者はいた。しかし血をすする化け物だと知った途端に態度を変えた。それが人というものだ。だが……」  冷たい手が首筋を撫でた。それにビクッと震えながらもシュエシは鏡の中で光る黄金色の瞳を見つめる。 「どうやらおまえは違うらしい」 「ヴァイルさま、」 「内に秘めたその業を人は忌み嫌うだろうが、わたしには芳醇な香りに感じられる。その危うい気配がわたしを惹きつける。よい花嫁を手に入れたと自画自賛しているところだ」  首筋を撫でていた指がするりと顎を撫で、そのまま鎖骨へと下りていった。それにビクッと肩を震わせると、「敏感なのもよい」と言いながら指がさらに下へと移動する。その指がすでにぷくりと膨らんでいた胸の尖りに触れた。寝衣の上からだというのにツンと刺激されただけでさらに主張するように膨らむ。 「ヴァイ、ル、さまっ」 「こうして触れればたちまち体を熱くする。敏感で淫乱なところも申し分ない」  尖りをクイッと摘まれ胸全体がビリビリと痺れた。背中がヒクッと震え股間に淫らな熱が集まる。それよりも熱くなっているのは一度しか暴かれていない初心(うぶ)な後孔で、ヒクヒクと動いているのをはっきりと感じた。 (僕はなんていやらしくなってしまったんだろう)  シュエシは顔を真っ赤にしながら俯いた。そんなシュエシの耳に美しい顔が近づく。 「いやらしい体は最高の味わいへと変化する。体も血も魂もわたしの花嫁にふさわしいと自信を持つがいい」 「ヴァイル、さま」  シュエシの肌が歓喜に粟立った。初めて誰かの特別になれたのだと知り体中がざわめく。 (僕はヴァイルさまの花嫁だ)  はにかむような笑みを浮かべるシュエシの黒目は、まるで髪のようにキラキラと艶やかに光っていた。

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