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14 新たな地へ
王都からエンカへは、馬車でのんびりと向かえば十日ほどの道のりになる。ミティアスはキライトとの初旅を楽しむため、王家と直接関係を持たない比較的小さな街で宿を取りながらゆっくり向かうことにした。
そのために街道の安全を徹底させ、道に不備が見つかれば修繕させた。宿はこじんまりとしながらも清潔で居心地のよいところを選び、ついでに景観や食事などが優れていながら発展しきれていない街については上の兄へ提言もした。兄たちからは護衛だけでもつけろと言われたが、ミティアスは最後までキライトの目に留まらない影の護衛にこだわった。
こうした準備には一月 以上がかけられ、ようやくといった形でエンカへと旅立つことになった。
そうまでしてミティアスが旅の準備に時間をかけたのは、キライトに旅というものを楽しんでもらいたかったからだ。
キライトがアンダリアズ王国の王都に来るまでの道のりは、とてもではないが旅と呼べるものではなかったはずだ。キライトが乗ってきた馬車は、本来あるはずの場所に窓はなく車内も簡素なもので、まるで動く牢部屋のようだった。
そんな馬車に乗せられたキライトは、衛兵たちに囲まれたままほとんど休みを与えられることもなく、まるで荷物のように運ばれたのだと聞いている。
だからこそ今回はのんびりと静かに、キライトにとって生まれて初めてであろう旅を楽しんでほしいとミティアスは思っていた。
そのため馬車は商人風の小振りなものにして、王族が乗っているとは思われないようなものを選んだ。従者もダンとシュウクのみで、荷物も愛用の品を厳選して少数にしたため、一見すると商人が品を求めて旅をしているように見える。変装して王族だとわからないようにすれば街を散策することもできるし、キライトがいろんな初めてを経験することもできる。
(それに、こういうお忍びは僕も得意だしね)
小さい頃から遊び歩いていた経験が、まさかこんなところで役に立つとは……そんなことをミティアスが思っていると、窓の外を眺めていたキライトがくるりと振り向いた。
「……こういう旅は、初めてです」
「僕もこんなにのんびりとした旅は初めてですね」
「楽しい、です」
「それはよかった。僕も殿下と一緒に旅ができて、とても楽しいですよ」
そう言ってにこりと微笑めば、キライトがほんのり頬を染めて見つめ返してくれる。それだけでミティアスの心はふわりと浮き足立った。
初めて体を繋げてから二月 と少しが経ったが、二人の仲は順調に縮まっていた。
キライトは最初の頃からは想像できないほど変わり、ミティアスが笑顔を向けると頬を染めてうれしそうな顔を見せるようになった。満面とまではいかないものの、はっきりと笑顔だとわかる表情を浮かべることも多くなった。
普段は手を繋いだり一緒のベッドで寝たりと、伴侶らしいこともしている。時間が許す限り会話をしてきたおかげか、キライトの言葉数も随分と増えた。
それでもあの日以来、キスはしても交わることはしていない。それは王都から遠方に移ることに緊張していたキライトを慮ってのことで、ミティアスは愛しい伴侶の体調と気持ちにひたすら心を砕いた。
(それにエンカに行けば、これからいつでも伴侶らしいことができるわけだし)
心の奥底でムクムクと育っていく邪な思いを日々必死に押し殺してきたが、それも今日、エンカの城に到着すれば必要なくなる。エンカ城は元々使用人の数が少ないと聞いているし、大叔母の手配で人目を気にすることなく過ごすことができるようになっているはずだ。そこでなら、誰の目をはばかることなくキライトと過ごすことができるだろう。
そう思うと、ミティアスはますます心躍るような気持ちになった。
「そういえば、西の国には婚姻した人たちが“新婚旅行”なる旅を楽しむと聞いたことがあります。今回は、殿下と僕との新婚旅行になりましたね」
「しんこん……?」
「はい。僕が旦那様で、殿下が奥方様ですよ」
「……奥方様」
キライトの頬がポッと朱に染まった。それは思わず抱きしめたくなるほど可愛らしい様子で、いろいろ押し殺しているミティアスの欲望をいたく刺激する。
(……いや、まだ我慢だ)
思わず伸びかけた手をギュッと握りしめ、劣情など抱いていないような穏やかな笑みをキライトに向けた。
心身共に通じあったからか、日に日にキライトの表情が鮮やかになっていく。とくにミティアスに向けられる顔はハッと驚かされるものばかりで、それだけ感情が表れやすくなった証だろう。
もちろんそれはうれしいことだが、初々しい表情や仕草を目にするたびに欲望を刺激されるため、ミティアスにとっては苦行のような毎日だった。この旅の間も、何度馬車の中で不埒なことしそうになったか数え切れない。宿では熱くなる下肢を隠すのに大変だったこともあった。
それでも何とか思いとどまることができたのは、この旅がキライトにとって楽しい思い出になってほしいと思っていたからだった。自分と一緒にいろんなものを目にし、様々なことを体験し、もっといろんな表情を見せてほしい。そして、これからも共にそうした日々を送りたい――ミティアスは切にそう願った。
馬車に揺られること十四日と半日が経った今日、ようやくうっそうとした森の前にたどり着いた。この先には大きな湖があり、その奥には古めかしい塀に囲まれた優美な城が見える。それこそがエンカ領主が住まう城であり、これからミティアスとキライトが生活する安寧の場所だった。
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エンカ城の一室に通されたミティアスとキライトの前に現れたのは、美しい銀髪をした老齢の紳士だった。驚くべきは紳士の瞳の色で、左は緑、右は周辺国ではほとんど見かけない薄紅色だった。老紳士は若かりし頃はさぞや美形だっただろうと思わせる顔立ちで、仕草には品がありどことなく女性的にも見える。
(女性的なのは、長年の立場の影響だろうな)
本来なら普段と同じ姿で現れるべきだろう。それが偽りのない姿で現れたというのは、キライトを思ってのことに違いない。そう推測しながら、ミティアスは目の前に現れた老紳士に用意していたとおりの挨拶をした。
「初めてお目にかかります、大叔母上」
「長旅、ご苦労様でした。……そちらが殿下の伴侶の方ですね」
王子の格好をしたキライトに、老紳士の稀有な眼差しが向けられる。
「はい。タータイヤ王国の第一王子、キライト殿下です。……もしや王子であること、最初からご存知でしたか」
「そういったこともあるのではと思ってはいました。それに、あなたからの手紙にも『姫』ではなく『殿下』と書かれていましたからね。……大変な思いをされてきたのでしょうね」
思うところがあるのか、老紳士の目尻がわずかに下がる。
「……あの、大叔母上様、ですか……?」
キライトの驚きはもっともだ。目の前の人物はどこからどう見ても“大叔母”には見えない。その疑問に答えたのは大叔母本人だった。
「驚かせたようですね。わたしは先のエンカ領主の伴侶ではありますが、先王陛下の妹ではありません。正妃であった妹殿下は、随分と若い頃に亡くなられたのです。しかし当時は、そのことを公にできなかった。……公表すれば、エンカと王家の間に決定的な溝が生まれたでしょうから」
ただでさえ独立に近い状態だったエンカで、家出同然だったとは言え王妹が早くに亡くなったとなれば諍いの種になっただろう。だからこそ、王太子だった父は手を尽くしたに違いない。そこには父自身の都合もあったのだろうけれど――とは、ミティアスの推測だ。
「わたしはかつて、タータイヤ王家の人質に付き従った一人でした。どうにもならない状況だったところをある御方のお情けを頂戴し、先の領主様に託していただいたことで、今日まで亡き妹殿下の代わりとして生き延びることができました。それから六十年近く、わたしはこの地を守ってきたのです」
話を聞きながら、ミティアスはちらりと隣に視線を向けた。思ったとおり、キライトは美しい瞳を見開いたまま呆然としている。驚きのあまり大叔母の言葉もほとんど聞こえていないに違いない。
「ミティアス殿下、わたしのことをお伝えしていなかったのですか」
「あー、その、いろいろとありまして……」
「それでこのように驚かれているのですね」
ハァとため息をつく姿は、老齢ながらどこか色気を漂わせるものだった。将来のキライトを見ているような感覚になりながら、ミティアスは殊勝な態度で「申し訳ありません」と頭を下げる。
「本来なら、わたしからキライト殿下へお話すべきなのでしょうが、これ以上驚かせるのはかわいそうですね。ミティアス殿下、わたしのことは殿下からお話ください」
「わかりました」
「魔性の目のことも、お話いただいてかまいません。……いろいろとお調べになったのでしょう?」
「ご存じでしたか」
「周囲の変化には敏感なのです。殿下から手紙をいただく前から、領地内に可愛らしいトカゲが出入りしていたことは知っていますよ」
トカゲ――それは諜報員を指す隠語だ。なるほど、六十年近く先王の妹に扮していただけのことはあるとミティアスは舌を巻いた。
「今回二人をお迎えしたのは、キライト殿下を思ってのことです。どうか、キライト殿下を守って差し上げてください」
「もちろんです。殿下の幸せがわたしにとっての一番ですから。それに、わたしも父上と同じように殿下をお守りできると思っています」
ミティアスの言葉に、老紳士は稀有な瞳を柔らかく細めた。
「今日はお疲れでしょうから、簡単な食事を部屋に用意させましょう。わたしが選んだ侍女たちを付けますから、ご安心なさい」
「ありがとうございます」
ミティアスがにこやかに礼を述べると、かつての美しさを彷彿とさせる笑みを浮かべて大叔母こと老紳士が退室した。
ミティアスはまだ驚いている様子のキライトの手を取り、用意された部屋へと移動した。
大叔母が言っていたとおり、部屋の準備や食事を用意していた侍女たちはキライトに不躾な視線を向けることはなく、自分たちの仕事が終わると頭を下げて静かに部屋を出て行った。同じように部屋や周辺の確認をしていたダンとシュウクにも、ミティアスがチラッと視線を向ける。二人は「万事心得ています」という表情で頭を下げ、そっと部屋を後にした。
そうして二人きりになったところで、ミティアスが口を開く。
「いろいろ驚かれましたか?」
「はい……」
「本当なら旅立つ前に話しておこうと思っていたんですが、機会を逃してしまいました」
謝れば、キライトが銀髪を揺らしながら頭を振って大丈夫だと返事をする。
「あの方は殿下が想像しているとおりの人ですよ」
「……わたしと、同じですか?」
「はい。殿下より二人前の人質と一緒に来た方で、タータイヤ王家の血を引かれているそうです」
「え……?」
ミティアスの言葉に、キライトの両目がわずかに見開かれた。
「同じような人が王族にいたこと、知りませんでしたか?」
「……あの、……はい」
魔性の目を持つ者が、伝承に記されているとおりいまでも王族に生まれることは秘密にされているのだろう。当然記録や本に残されることもなく、魔性の目を持って生まれたキライトにも知るすべはなかったということだ。
「これは大叔母上に教えていただいた話なのですが、これまでもタータイヤ王家には殿下や大叔母上と同じような瞳を持つ王族が生まれているそうです。色は様々なようですが、皆“魔性の目”と呼ばれていたようですよ」
「……知らなかったです」
「大叔母上も詳しくはご存じないようですが、多くは存在を隠されていたそうですから、王家でもとくに秘密のことだったのでしょうね」
キライトの眉尻がぐっと下がった。おそらく自分がされていたようなことを、過去にいたであろう魔性の目を持つ王族もされたのだと想像したのだろう。
多くの魔性の目の持ち主たちは、キライト同様に軟禁されたのかもしれない。だが、そうでない者たちもいた。その一人が大叔母だったに違いないとミティアスは考えていた。
大叔母はタータイヤ王家の直系に近い血筋の王子で、亡き母から大岩塩山を受け継いでいたそうだ。地位と血筋、金を生む岩塩山を持っていたからか、大叔母こと王子の存在は幼い頃から争いの種になっていた。王族や貴族はおろか、本来なら王子を庇護すべき親兄弟までもが王子を手に入れようと動き、血を流す争いにまで発展したらしい。
それを憂い悩んだ王子は、人質としてアンダリアズ王国に向かう従姉に付き従う侍女の一人に扮して国を出たのだと手紙には書かれていた。
(でも、地位、血筋、岩塩だけが争いの原因だったとは思えないんだよな)
父よりも老齢ながら、いまだにほのかな色気を漂わせているくらいだ。若かりし頃はさぞかし美しい王子だったに違いない。それこそキライトのような純粋無垢さを持ちシュウクのような麗しさをたたえ、そこに稀有な瞳が合わされば傾国の美女さながらだっただろう。
(そういう存在を“魔性の目”としてきた可能性は捨てきれない)
権力者の意のままにならないからか、大叔母のように争いの種になったからか、キライトのように憎悪の対象とされたからか、いずれにしても王家や国王にとって都合の悪い王族は皆、魔性の目という存在に貶められた可能性がある。
伝承の始まりがどうだったのか、いまとなってはわからない。本当に王家が滅亡しかけるような出来事が起きたのかもしれない。それが時を経るにつれて変化し、王家に都合の悪い存在を魔性の目として葬るようになったのではないかとミティアスは考えていた。
「大叔母上も、タータイヤにいた頃は殿下のように苦労されたそうです」
「そう、なんですね……」
その苦労の中には、キライトと同じように大勢から劣情を向けられたことも含まれていたに違いない。だからこそ大叔母はキライトの身を案じ、ミティアスの申し出を受け入れたのだろう。
(もしくは、自分が受けた“お情け”を僕に返そうと思ったのか)
最初に大叔母に手を差し伸べた“ある御方”が誰なのか、手紙で過去のことを知った後も尋ねなかった。どういった“お情け”だったのかということにも触れなかった。
ただ、大叔母がエンカに到着したであろう時期と、王太子だった父がエンカに隣接する領地に滞在していた時期が重なっていたことはわかっている。滞在中、父は何度もエンカ領主と面会していた。領主の正妃が亡くなったことであれこれ手を回していたとしても、そう何度も領主に会う必要はなかったはずだ。
(密会相手が領主だけだったとは限らないってことだよな)
それに、父が長年身につけている金の指輪も気になっていた。指輪には小さな緑玉と紅玉がはめられていて、周囲にあしらわれているのは鳥の羽の模様だ。珍しい作りと模様だからミティアスの目にもよく留まった。
鳥の羽の模様といえば、タータイヤの王族が日用品に好んで使う模様だ。キライトの数少ない所持品のいくつかにも鳥の羽の模様があしらわれていたし、自分が贈った櫛にもあしらった。
(過去を探ったりなんて野暮なことはしないけど、父上も相当な色男だったって話だしね)
ダンの母親は、ミティアスを見るたびに「お父上にそっくりですこと」と笑った。そこには、単に容姿が似ているという以外の意味合いも含まれていたに違いない。そういう父の過去がいまの自分たちを救ってくれたのだとしたら、これも運命の巡り合わせということだろうか。
「ミティアス様……?」
急に静かになったことに不安を感じたのか、眉尻を下げたままのキライトがミティアスの顔をのぞき込んでいる。そんな表情すら愛おしく、そう思った途端にミティアスの心臓が忙しなく動き始めた。
「ええと、今日から殿下も自由に歩き回ることができますよ。城の外は危ないので難しいですが、城の中ならどこへ行っても大丈夫ですから、僕と一緒に散歩をしましょう。あぁそうだ、猫と、クロと一緒に日向ぼっこもできますよ?」
ミティアスの言葉に、キライトの顔が美しくほころんだ。その顔があまりに可憐で、ミティアスの欲望を一気に刺激する。これまで必死に押し殺してきたぶん、劣情の蓋が開くのはあっという間だった。
「あー、ええと、冷めないうちに食事にしましょう」
「はい」
こくりと頷く仕草までもがなんとも言えない色香に感じる。ほぼ途切れかけている理性を総動員させて食事を終わらせたミティアスは、大急ぎでキライトに入浴を勧めた。
「さぁ、旅の汗を流してきてください」
本来ならシュウクを呼ぶべきところだが、そんな余裕はいまのミティアスには残っていない。
(ここまで我慢してきたんだから、もういいよね)
胸の内でそんな言い訳をしながら、ミティアスはキライトの額に優しくも熱いキスをして浴室へと見送った。
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