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第1話
むかしむかしある国に、隣り合う二つの領地がありました。
それぞれの領地を治める領主家は仲が良く、お互いの不足を補いつつ交易し切磋琢磨し、そこに住む人たちは豊かに楽しく過ごしていました。
季節ごとの持ち回りで、花見をしながら領主家どうしの親睦を深めるという恒例のお祭りの日、縁談話が持ち上がりました。
「実は何度か前のお花見で、うちのが見初めてしまったらしくてねぇ……」
「やあ、そうですか」
「もちろん無理強いはしませんよ。でも、考えてはもらえませんか。やはり親としては、いつまで経っても子には甘い」
「わかりますよ。でも、それは私もです。息子の意向を聞いてみませんと」
「顔合わせだけでも」
「ええ」
そういうことで、数日続くお祭りの間に隣り合う領主家の息子同士がお見合いをしました。急な話だったので、誰もいない広い庭を二人でしばらく散策するという形ではあったけれど、趣旨は聞いていたので、それなりに緊張しつつ。特に、申し出た方の息子が跡取りだったせいもあり、話を受けた方は悩んでいました。しかし、ほんの短い間ではあったけれど一緒に話していい人だなぁと感じ、自分にはまだ想い人がいなかったし、今までを振り返ればこの先も現れないような気がしました。未来の領主さまとはいえ、側室だし、何度か前の花見の席からずっと想ってくれていたのだという事実にも絆されました。
「ご自分の育った土地を離れることは大変でしょうが、私が一生大切にします。どうか」
「はい」
真剣なまなざしで言われて、嬉しく思いました。その後正式に婚約を交わし、サキは隣の領主家へ輿入れしました。ただし、正室として。
◆
「ああああ!!!サキさま!あなたって方はまたそんな格好で!!!」
「ごめーん!」
はじめまして、皆さん。私はチルリと申します。サキさまのお輿入れに際し、ご実家からお供して参りました者です。お輿入れ先からは何の不自由もさせませんとのことでしたが、お望みであれば人も荷物も好きなだけ携えてお越しくださいとも言われ、いくつかの家具や衣装と共に、こちらの領地へ参りました。以降、サキさまを一番近くでお支えしております。今日も今日とて、庭先での鍛錬に熱が入りすぎて上半身を露わにしているサキさまを叱り飛ばすという激務に励んでいる次第でございます。
「よろしいですか、サキさま。あなたの御連れ合いさまは先般とうとう先代よりその職を引き継がれ晴れて領主となられました。あなたはそのご正室。領主さまのご正室が、そんな格好で木剣を振り回すなどお控えください!と!何度申し上げれば!聞き入れていただけるので!しょう!かっ!?!!」
「うん、ちゃんとね、俺もそう思って稽古着を着ていたんだよ。でもちょっと暑くて、ちょっと汗かいちゃって、ちょっと脱いじゃって、そしたらちょうどね、ちょうどたまたまそこにチルリが通りかかったってわけでね」
「言い訳しない!」
「はい!」
ごめんね!とサキさまは快活に笑って、私の差し出した手ぬぐいで汗を拭いていらっしゃいます。こちらの領地では、領主さまは正室と住居を分けるようで、サキさまも新しく建てられたこの別棟に我々のようなお手伝いをする者と共におひとりでお住まいです。綺麗に整えられた庭もあり、領主さまのお屋敷とは長い廊下で繋がっています。きちんと警備をされているので部外者がうろつくようなことはありませんが、誰が見ているのかわかりません。それなのにサキさまは、油断するとこういうことをなさるわけです。
「鍛錬は、室内でなさってはいかがでしょうか」
「やっぱりねぇ、外の方が気持ちがいいから」
「……」
「気を付けるよ、チルリ。いつもごめんね」
サキさまは私よりも少し年上で、私のことをとてもかわいがってくださいます。褐色の肌に金の髪、そして藍色の大きな目。日々の鍛錬を欠かさない逞しい身体。私の自慢のサキさま。だからこの笑顔で謝られては、いつまでもは怒りが続かないのです。
「もう!そろそろお支度なさいませんと」
「うん、汗を流してくるよ」
「本日のお召し物はいかがなさいますか?」
「んー、いいお天気だから、空の色がいいね」
「かしこまりました」
近くに控えていた別の者が、さっと頭を下げて出かけてゆきます。本日は時々開かれるお茶会の日で、主催者であるサキさまの衣装の色を、他の出席者、すなわちご側室の皆さまに知らせるのです。私は湯殿へ向かうサキさまをお見送りしてから、お支度部屋で衣装を選んで待ち構えます。やがてさっぱりしたサキさまが入室されて、テキパキとお支度を調えます。つやつやの長い髪を梳いてきちんと編み、空色のお召し物とそれに合わせた履き物で完了です。サキさまはお昼の会食やお茶会の時は装飾品はおつけになりません。お支度が終わるとお茶のお時間までお相手をします。サキさまはいつもニコニコと私の話を聞いて笑ってくださいます。
「では、そろそろ」
「うん」
時間になり、私がそう言うと、サキさまは頷いて立ち上がり、ご側室の皆さまを出迎えるために玄関へ向かわれました。
サキさまというご正室以外に、領主さまには三人のご側室がいらっしゃいます。御三方ともこの領地のご出身で、その内のお二人についてはサキさまよりも先に領主さまに、その当時はお後継ぎさまでしたが、迎えられていました。
「ごきげんよう」
「ご正室さまにはお変わりのないようで」
「はい、おかげさまで」
立場の差はあれ、ともにこの領主家を支える者同士、手を携えねばなりませんということで続く慣習のお茶会です。サキさまの生まれ故郷、私もですが、あちらでは側室を迎えるということがあまりなく、お迎えしても一人が普通ですので、サキさまも最初は非常に戸惑っておられました。そもそもサキさまは自分はその側室なのだと思っておられたので、正室として迎えられて、自分に務まるとは思えないと消沈しておられました。ですが今は持ち前の真面目さで先代さまに教えを乞い、慎重に懸命にお仕事をなさっておられます。普段おおらかでのんびりしているサキさまですが、そういうところは非常にお心配りの細やかな方です。
本日のお茶会では、新しく増えるというご側室さまのことが最初の話題でした。私としてはたくさんの側室を抱える婚姻制度に疑問がありますが、この土地の文化慣習であるのであれば仕方がありません。サキさまはいつも通り他の方のお話を頷きつつ聞いていらっしゃいます。こういう席では、たいていサキさまは聞き役に回っておられるのです。
「四人は多くない?」
「わかる」
「こら」
「いやでも、四人目だよ。多いよ」
「わかる」
「こら」
ここはおおらかなお土地柄なのでご側室の皆さまも大変おおらかでいらっしゃいます。故郷はどちらかというとのんびりしたお土地柄で、のんびりからおおらかへお輿入れなさったサキさまはそもそものんびりでおおらかなので、ご側室方に馴染むのも早かったものです。
「サキさまはどう思われます?」
「トウマさまがお決めになったことですから」
「わかる」
「うん」
「でも多くないですか?」
「賑やかでいいと思いますよ。俺は皆さまと過ごすのが楽しいですし」
「わかる」
「うん」
側室が増えるとはいえ、領主さまが色ボケして次々妾を増やしているということではありません。ご側室の皆さまにはきちんと役割があり、どなたも実務者として領主家のお役に立つ人材です。ですので、側室というのは側近に近いのでしょう。様々な逸材を領地から出したくない、だからいっそ側室として囲ってしまうという側面が強いのかもしれません。しかし側室という肩書である以上、当然側近では起こらないことも起こるわけです。感情も、様々あるでしょう。サキさまとは違う形とはいえ、きっとそれぞれ領主さまをお慕いしているのだろうと思います。もちろん私のような立場の者が、詳しく聞けるわけではないので想像ですが。
「すごく若い子なんだって」
「ウケる」
「こら」
ご側室の皆さまも、それぞれに住居を与えられてそこに住んでいらっしゃいます。時々お使いで訪れることもありますが、そこはさすがにお立場が違うので、サキさまのこの家よりはこじんまりとしていて、領主さまのお屋敷と繋がる廊下もありません。サキさまは特別なのです。どれだけ側室が増えようと、領主さまに最も愛されているのはサキさまなのです。
ご側室の皆さまは、まだ見ぬ新しいお仲間の情報もほとんどないので、結局その後はいつものような雑談となり、散会となりました。
「本日も皆さま、お元気そうでいらっしゃいましたね」
「そうだね」
サキさまはその後、色々とお仕事をされました。領主家そのものを取り仕切るのはサキさまですし、歴代領主の残した資料や書物の管理などもあるので、暇になるということはありません。書斎で書き物などをされ、陽が暮れるともう一度、今度はじっくりと湯浴みをなさいます。そして念入りに身支度をなさいます。
「こちらのお召し物はいかがでしょう?」
「うーん……」
「お気に召しませんか」
「……もう少し明るい色はどうかな。変かな?」
「いえ、ではこちらにしましょうか。この色もとてもお似合いになりますよ」
「うん、じゃあそれにしよう」
領主さまはとてもお忙しい方です。朝から晩までお仕事をされ、ご領地内を何日もかけて旅をしながら視察されたりもなさいます。ですが、お屋敷にいらっしゃる日は必ずここへ来て、サキさまと夜の食事を共になさいます。サキさまにとって、それが一番大切な時間なのです。だから私も、この身支度の時が一番気合が入ります。髪を一筋の乱れもないように整えて、その日のご気分に沿う衣装選びをお手伝いします。領主さまの方から間もなくですというお触れが来ると、サキさまはおもむろに鏡の前に置いてある手のひらほどの大きさの箱を引き寄せ、中に入っている小さな耳飾りを取り出してご自分でお付けになります。髪と同じ金色のその耳飾りは、婚儀の際に領主さまから贈られた大切なものだそうで、領主さまと会うときにだけサキさまの耳元を彩ります。他にももちろん、折々に贈り物はありますが、サキさまはこの最初の耳飾りが殊の外お気に入りです。
やがて、玄関で鈴の音がしました。領主さまのご登場の知らせです。サキさまはそれを合図に玄関に控えて、頭を下げて領主さまを出迎えます。
「お待ちしておりました、トウマさま」
「お待たせしました、サキさん」
領主のトウマさまは、とてもご立派な方です。領主として領民に誠実で、長く続く領主家の主としての務めを、若いながらに真面目にこなしておられます。大柄で、あまり感情を表には出さず、言葉数も少ない方です。サキさまも屈強でしなやかな体躯ですが、領主さまは威風堂々という言葉がぴったりの頼もしいような印象です。
そんなお二人のお食事の時間は、サキさまがにこにことその日にあったことをお話になり、領主さまが頷きつつ相槌を打つ。賑やかではありませんが、お二人がとても穏やかで、サキさまも嬉しそうでいらっしゃるので、私は部屋の隅でその様子を拝見できるのがとても楽しいのです。
「明日、新しい側室を迎えます」
「はい」
「日中一人で挨拶に来るでしょう。晩は、私と共にこちらへ参ります」
「はい、承知いたしました」
「このところ朝晩は冷えます。風邪など、ひかないように気をつけてください」
「はい、トウマさまも、どうぞお身体にお気をつけてお過ごしください」
「ありがとう。では、おやすみなさい」
夕食を一緒にされると、領主さまはご自分のお屋敷へ戻られます。領主さまはいつもサキさまに丁寧に接し、優しい言葉をかけてくださいます。乏しい表情ながらも、お口元にはわずかな微笑みを浮かべて、必ず帰り際には次の日のお話をなさいます。明日また来ます。明日は来られないので三日後になります。夕飯は難しいですが、もう少し遅い時間に来ます。そうやって、サキさまにお約束をなさってから帰られるのです。サキさまはそれに何度も頷き、気遣い、時にはお待ちしておりますと答えて、お屋敷に戻られる領主さまの後姿を見えなくなるまで見送られます。
私は、領主さまはとてもいい方だと思っています。優しくて、誠実で、仕事にも励んでいらっしゃる。でも、好きではありません。少なくとも、サキさまの伴侶としては認めてたまるかと、そのように考えています。だって、領主さまはこの後ご側室のところへ行くのです。明日には四人に増えるご側室の寝所へ、夜な夜な通われます。サキさまはご正室としてここへ迎えられて以降、一度も領主さまのお渡りはありません。一度もです。サキさまは私に何もおっしゃいませんが、帰ってしまわれる領主さまを目で追うその横顔に、悲しみが滲んでいます。サキさまにそんな思いをさせる領主さまが、私は憎いとさえ思います。
「サキさま」
「……うん。今日の食事もとてもおいしかった。特に、あのお肉、すごくおいしかったよ。伝えてくれる?」
「かしこまりました」
「お茶が飲みたいな」
「ご用意いたしますね。お部屋へ」
「少し、庭にいようかな」
「はい、では、先に上着をお持ち致します」
「ありがとう、チルリ」
お二人の祝言は盛大でした。二つの領地に住む領民が、みんなおめでたいことだと手を叩いたのです。それなのに、なぜサキさまはこれほど寂しい思いをしないといけないのでしょうか。何のために、輿入れさせたのか?食事の相手ならそれこそご側室でいいのではないのか。領主さまの乏しい表情と平坦なお話のなさりようからは、何も察することができません。大切に扱われ、この家に仕舞われているサキさまは、このまま一体どうなってしまうのでしょうか。
ひんやりとした漆黒の闇の中に焚かれるいくつかの松明。その灯りに照らされて、サキさまがお庭に置かれた椅子に座っていらっしゃいます。サキさまは、望まれてこちらへ迎えられたのに、婚儀以降、ずっと、領主さまのお渡りを待つしかないのです。最初の季節が、終わろうとしています。
◆
翌日の午前中、領主さまのおっしゃったとおり、新しいご側室の方がサキさまのお屋敷へ表敬訪問に見えられました。お若いとのうわさ通り、本当にお若い方で、サキさまはニコニコと迎えられてお茶をすすめていらっしゃいます。
「ご正室さまにおかれましては、ご機嫌麗しいこととおよろこび申し上げます」
「ありがとうございます。わざわざご挨拶に来てくださって、感謝します」
「あ、いえ、その、右も左もわからぬ若輩者で、ご迷惑をおかけするかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」
「あはは。とてもご立派なことで、きっと大丈夫ですよ」
「いえ、そんな」
「アオさまは、どういったお仕事をなさるのでしょうか?」
「あ、はい、えっと」
サキさまはとてもお優しくて気さくな方で、先ほどから新しい側室のアオさまの緊張を和らげようといつも以上に朗らかに接しておられます。話に頷き、先を促し、お菓子をどうぞと微笑みかける。私のひいき目を差し置いても、アオさまはすっかりサキさまを好きになったようです。それはそうです。サキさまは大変な人格者で、平たく言えばとっても魅力的な人なのですから無理もないことです。
「あ、あの」
「はい、なんでしょう」
「……私に、側室が務まるでしょうか」
「トウマさまがお選びになったのです。きっと大丈夫だと思いますよ」
「そうでしょうか。実は領主さまとほとんどお会いしたこともなく、その、少し、不安で」
「うーん。あいにくお仕事のことは俺にもわかりませんのでお手伝いや助言は難しいのですが」
「あ、いえ、申し訳ありません」
「謝ることではないですよ。新しい環境に置かれて、お悩みがあるのは当然です」
サキさまは小さなお菓子をぱくりとお口に入れると、殊更に優しい声でアオさまににっこりと微笑まれました。先ほどからすっかりサキさまに心酔している様子のアオさまは両手をぎゅっと胸の前で握りしめて頬を赤くされています。
「トウマさまは、とっても素晴らしい方です。お仕えするのに、何一つためらう理由はありません。あの方のお役に立てることは、とても大きな喜びです。あなたもきっと、すぐにそれがわかりますよ。あとはひたすら、自分の務めにまい進するのみです」
「はい」
「もし何か困ったことがあれば相談してください。お役に立てるかもしれません。ああそうだ。鬱々とするときは身体を動かすといいですよ。よければ俺と一緒に鍛錬でもしましょう」
「た、たんれん、ですか」
「ええ。アオさまは身体を鍛えたりはなさらないのですか?」
「か、考えたこともありません」
「そうですか。すっきりしますよ。もちろん、ご側室としてのお務めの邪魔にならない程度にというお誘いですが」
「は、はぁ……えぇっと……」
「あはは。アオさまはおかわいらしいことですね。もう他のご側室の方々とは会われましたか?」
「いえ、後程ご挨拶に参ります。ご正室のサキさまに、まずはと思いまして」
「そうですか。ありがとうございます。俺にはわからないことも多々ありますので、いろいろ教えてもらうといいでしょうね」
「はい」
「こうなったのも何かの縁です。ともに、トウマさまをお支えしましょう」
「サキさまは、本当に領主さまのことがお好きなんですね」
アオさまのその言葉に、サキさまはびっくりしたように目を瞠りました。そして、柔らかく微笑んで、頷かれました。
「……はい。こころの底から、お慕いしています」
嘘偽りのないその言葉は、どうして領主さまに届かないのでしょうか。
◆
やがて日が暮れて、いつも通りサキさまは入念にお支度をされて、アオさまをともなって現れた領主さまを出迎えました。サキさまもアオさまも昼に会った時よりも盛装をして、お互いに頭を下げ合って、お夕食が始まりました。
「すでに挨拶を済ませたとアオから聞いています」
「はい。ご丁寧なご挨拶を頂きました」
「そうですか。アオはずっとあなたのことを褒めちぎっています。私の話など聞いていません」
「領主さま!!ご内密にとお願いしました!!」
「あはは。ありがとうございます。仲良くしていただけそうで、俺も嬉しいです」
「鍛錬に、アオを誘ったとか」
「もし気晴らしに身体を動かされるならご一緒にと申しました。差し出がましいことでございました」
「いいえ、羨ましいことです。アオはしあわせ者ですね。あなたは大変な手練れだと聞いてます。あなたに稽古をつけて頂けたら、アオも少しは逞しくなるでしょう」
「領主さま!アオはご正室さまに、自分の見苦しいところをお見せするのは恥ずかしくて」
「サキさんのご厚意を無下にしてはなりません」
「でもぉ」
「身体が健康であることは何よりも大切です。よい機会でしょう」
アオさまはぺそりぺそりと弱音を吐いて、それをご覧になったサキさまが笑顔で励まされて、いつもより食事の席は賑やかでした。他のご側室の方々もそうですが、サキさまはどなたとでも仲良く過ごすことのできる人格者でいらっしゃるとつくづく尊敬の念を深くします。そして、そんなサキさまの気も知らず、長くほったらかしにしている領主さまへの憎悪が強くなるのです。
やがて夕食は終わり、領主さまはいつもどおり玄関先で、また明日参りますとサキさまに約束をし、何か言いたげなアオさまと共に帰って行かれました。本日はアオさまの所へ渡られるのかもしれません。サキさまはお二人を見送り、私の方を振り返ると、寂しげに微笑まれました。
「楽しかったね。アオさま、いい方でよかった」
「はい」
確かにアオさまはとても素直でいい方のようでした。本当にサキさまのことが気に入ったのか、領主さまよりもずっとサキさまの方を見ていらっしゃいましたし、サキさまのことを聞きたいような素振りで、あれこれと質問され、領主さまに窘められるほどでした。サキさまはご実家でもご弟妹の面倒をよく見ておられたので、よく似た年頃のアオさまが可愛いのでしょう。そんなアオさまが、翌日も訪ねて来られました。さっそく鍛錬に参加するのかと、すでに日課の鍛錬を始めておられたサキさまは私に稽古着を出して差し上げてと笑顔でお言いつけになられました。
「いえ、サキさま、アオは鍛錬に来たのではございません」
「そうなの?残念だなぁ」
「あ、そんな、残念だなんてっ」
「ではどうなさいました?お茶の時間には早いようですが」
「……お人払いを、願います」
「え?」
「お願いしますっ!」
アオさまは真剣な顔で、サキさまにそう迫りました。サキさまは不思議そうに、それでも少しお待ちくださいと言い置いてお着換えに行かれ、その間に私はアオさまを庭の奥にある小さな離れにご案内しました。やがて身支度を整えたサキさまが戻られ、アオさまにどうなさったのですかと改めて尋ねられました。
「あ、あの」
「ああ、この者は俺の腹心だから、気にせず話をしてください」
「……はい」
「トウマさまのことでしょうか?」
私は内心身構えました。もしアオさまのお話の内容が、領主さまとの夜のことであったらどうしようかと。お渡りのないサキさまにとって、それは残酷なことです。息を詰めるように緊張してアオさまのご発言を待ちました。アオさまは小さく首を振りました。
「サキさまのことでございます」
「え?俺の?」
「はい。失礼なことをお聞きいたしますが、お許しいただけますでしょうか」
「失礼だと承知の上でわざわざお話に来たのであれば、それ相応の理由があるのでしょう?どうぞ、構いませんよ」
「ありがとうございます。えっと……サキさまは、ご出身がこちらではないというのは本当でしょうか?」
「ええ、隣の領地から参りました」
「そうですか。……そちらのお付きの方も同様ですか?」
「はい。俺の輿入れの際に、実家から連れてきたので」
「左様で、ございますか……」
「はい」
私の心臓がバクバクしています。もしや、領主さまは昨晩、アオさまに閨でサキさまのご実家のことを何か零されたのでしょうか。サキさまを傷つけるような陰口であれば、私は許せません。アオさまはグッと両手を握りしめて、サキさまを見つめました。
「……耳飾りを、昨晩、おつけでした」
「……へ?」
「領主さまの手前、あまりお傍へは寄れませんでしたのではっきりとは見えませんでしたが、夕食の席で、サキさまは耳飾りをつけておられたかと」
「はぁ……そうですね、つけていました」
「私が昨日ご挨拶に参りました時は、おつけになっていませんでした」
「はい。あなたを軽んじる意図はなくて、俺はあまり装飾品をつけません。他のご側室方とお会いするときも同様です。正式の場では、見苦しくない程度に着飾ってもらいますが」
「しかし昨晩のお夕食の席では、おつけになっていた」
「……ええ」
「今はつけていらっしゃらない」
「はい」
「なぜですか?」
サキさまは困ったように黙り込まれました。庇って差し上げたいと思うほど、沈黙は長かった。やがて小さく息を吐き、サキさまは口を開かれました。
「……あれは、あの耳飾りは、トウマさまから戴いたものです。トウマさまとお会いするときは必ずつけます。少しでもよく見られたいと、思わないこともありませんし、戴いたその場で、トウマさまがつけてくださって、……よく似合うと、言ってくださいました。それが嬉しかったのです。俺は、だから」
アオさまは、本当に失礼だと思います。人の身なりにとやかく言及し、サキさまの繊細な気持ちに踏み込んでくる。お渡りもなく、ただひたすら待つことを強いられる日々に、サキさまが領主さまとの思い出の品を愛しんで何がいけないのでしょうか。お控えくださいと、もう少しで言ってしまいそうでした。しかしアオさまは、パッとご自分の顔を両手で覆うと、声にならないような唸り声をあげて私とサキさまの度肝を抜きましたので、そんな言葉は引っ込んでしまいました。
「あ、あの、アオさま?」
「んんサキさま!!」
「は、はい」
「サキさま!昨日今日ひょっこり現れた側室風情が失礼を承知で申し上げますが、サキさま!サキさま超かわいいんですけど!?」
「なになになに!?」
「もー!超かわいいですよ、サキさま!そ、も、えー!??はああ!!??やばい、あー、これはヤバい」
「あの、アオさま……?」
「はーっ!!そうですかそうですか、このアオ、よーくわかりました!なるほどね、サキさまマジで推せるわー」
「おせる」
「なんていじらしい方なんでしょう!はーそうですか、似合うってね、言われて。領主さまにお会いするときだけ。んんん〜!はいはいはいはい……」
「あの、アオさま?大じょ」
「てかね、お付きの!あなたも!」
「は、はい、チルリでございま」
「チルリさん!あなたもね、さっきから黙っていらっしゃいますけど私へのバシバシの警戒心!いいですよ!いい!そういうの最高です!サキさまへの忠誠のあまり私を排除しようとするその心意気!!」
「は、あの」
「わかります、サキさまは素晴らしい!チルリさんのお気持ちもわかる、尊い!とても!」
なんだかよくわからないまま、アオさまが暴走しつつあります。アオさまがサキさま尊い!とか、サキさましか勝たんな!とか、ぶつぶつ仰っていてお話が全く理解できません。サキさまも目をパチパチしておられます。が、怯んでばかりもいられません。言うべきことはきちんと申し上げなければなりません。
「あの、失礼ですが、アオさま」
「なんでしょう!」
「私は同担拒否です」
「え!マジか〜!!!」
マジでございます。
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