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第2話

「あの、トウマさま」 「はい」 「もし、あの、お時間が許すようでしたら、お茶でもいかがでしょうか」 「……よろこんで」 「ありがとうございます」  しばらくのちの、いつもの夕食の後、辞そうとするトウマさまに思い切って声をかけてみた。じっと俺の方を見るトウマさまの顔がかっこよすぎて手が震える。応じてくれたのが嬉しくて、また手が震えた。チルリがさっと頭を下げて俺たちを別の部屋へ案内してくれる。普段使っていないこじんまりとした部屋で、トウマさまは長椅子の背に手を置いて、こちらへどうぞと俺を先に座らせてくれた。そしてご自分は、俺の隣に少しだけ距離を取って腰を下ろす。それでもこんなに近くでお話をするのは祝言の時以来かもしれない。心臓が暴れる。チルリがお茶を出してくれて、その甘い湯気を吸い込んで落ち着こうと努力した。やがて卓上が調うと、チルリは部屋を出て行った。 「サキさん」 「あ、はい。あ、お、お忙しいのにお引き止めして申し訳な」 「いいえ、お誘いはとても嬉しいです。ありがとう」 「……よかった、です。お誘いして」  たった一言が出ないまま、いつも背中を見送っていた。これは俺が悪い。手を伸ばさなければ、何も掴めない。地位に、正室という立場に甘えていてはいけないのだ。トウマさまのお振る舞いを言い訳に一人で勝手に傷つくのもいけない。勇気を出して、一歩前へ。 「……アオから、あなたに色々話したと、報告を受けています」 「あ、はい、あの、俺が色々聞いたのです。アオさまに非はなく」 「そうですか」 「……それで、あの、こちらの風習を、きちんと勉強しなかったことを後悔しております。どうぞお許しください」 「あなたが謝ることではありませんよ。この件は、すべて私が悪いのです」 「でも」 「こんな風習を、知らないことは何もおかしくはありません。私は、あなたに故郷から離れて輿入れして欲しい、大事にするから是非と求婚しておきながら、説明を怠りました。あなたがご存じないかもしれないと思っていましたが、でも、勇気がなくて」 「勇気、ですか」 「あなたが何もかも承知の上で、それでもあえて私を拒むという意思表示であるならば、もしもそうならどうしようと」 「そんなこと、俺は」 「確かめることはできませんでした。許してください。もしあなたが私と同じ気持ちでいてくれたとしたら、辛い思いをさせましたね」  凛々しい眉を下げて、トウマさまがじっと俺の目を見つめてくれる。傍で聞く声が、優しい。寂しい思いをしたことなんか、どうでも良くなる。同じ気持ち。俺と?トウマさまも、寂しいと思って過ごしていたのだろうか。 「アオは、あなたにどう説明しましたか?」 「あ、あの、耳飾りを、この最初の耳飾りをつけているうちは、領主さまは正室に渡らないと」  そう。あの日アオさまが教えてくれた。最初に贈られた耳飾りをつけている限り、領主さまはご正室に渡ることはできませんよと。渡ってきて欲しいのであれば、それを外してお出迎えしてくださいねと。それ以来、俺はずっとどうしようか悩んで、とうとう今日は外そうと思っていたんだけど、トウマさまにお話ししてからにしようって、結局いつも通り小さな金の輝きは俺の耳を飾ってくれている。俺の言葉に、トウマさまはゆっくり何度か頷き、俺の耳元を眺めて、そこへ指を伸ばした。触られる。そう思ってだけで心臓が跳ねたけれど、トウマさまは俺にも耳飾りにも触れずに手を引っ込めてしまった。 「その意味は」 「意味、ですか。申し訳ありません、そこまでは」 「これはね、サキさん、我が家の悪習なのです」 「悪習で、ございますか」 「ええ……お聞かせするのも恥ずかしいのですが」 「あの、お気遣いなく、トウマさまが話したくないことを聞くつもりはないです」 「でもあなたは、私の正室です」 「……はい」  ドキンと胸が高鳴る。そう、俺、正室なんだ。トウマさまに望まれてここへ来た、伴侶。聞きたいこととか言いたいこととか、今は多分遠慮する時じゃない。教えてください、と俺が言ったら、トウマさまは微笑んでくれた。かっこいい。 「うちは代々、当主が、すなわちこの土地の領主ということになりますが、とにかく厄介でしてね」 「厄介」 「一度誰かを見初めれば、その執着たるや常軌を逸します。絶対に誰にも渡したくない。そばにいて欲しい。自分以外に興味を持たないで欲しい。それは時として、その相手本人にさえ理不尽な要求となります」 「つまり」 「軟禁が一般的でしょうか」 「一般的で、しょう、か、軟禁が……」 「我が家では、という意味です」 「そう、ですか」  うまく理解できないけれど、我が家というのはこの領主家のことで、ここに輿入れした俺にとっても一般的な話として受け入れないといけないんだろうな。うん。軟禁か、ちょっと、想像がつかないけれど。 「もう少しわかりやすく言いますと」 「はい」 「あなたを見初めた私は、その瞬間からずっと、軟禁してしまいたいほどあなたに執着しているということです」 「あ、は、はい」  嬉しい。見初めたって言われた。短いお見合いをしてここへ来て祝言を挙げて、長らくトウマさまからそういう言葉をいただいてないから、嬉しさでじわっと汗をかくほど体温が上がって、顔が熱い。思わず頬に手を当てる。 「じょ、情熱的で、いらっしゃるんですね」 「サキさんは、本当に素晴らしい方ですね」 「え?あ、おかしなことを、言いましたか」 「いいえ。情熱、そうですね、そう言われると、そうかもしれません。でも、そんなに綺麗なものではないんですよ」 「綺麗、というのは、わかりませんが、誰かを好きな時は、綺麗事で片付かない感情も、たくさんあります。それはわかります」 「サキさんも?」 「もちろんです」 「それは、私への感情だと、思ってよいのでしょうか」 「俺は、トウマさまだけを、いつもお慕いしています」  ずっと言いたかった。トウマさまから求婚されてここへ来たけれど、俺だってトウマさまが好きなんだって。もしかして伝わってないかもしれないとさえ思っていた。そしてどうやらそれは、事実だったらしい。トウマさまは驚いたように目を見開いて、じいっと俺を見つめた。すごく綺麗な黒い目に、吸い込まれそうになりながら、もう一度言う。お慕いしています、あなたを、と。 「……言葉に、なりませんね、嬉しくて」 「そう、ですか」 「サキさんにそんなことを、そんな風に思っていただいて、嬉しいです。まさか、とても、信じられません」 「お慕いしていなければ、ここにはおりません」 「ええ……ああ、抑えが、効かなくなりそうです」  厄介だな。トウマさまはふうと息を吐いてそう呟きつつ、俯いて柔らかそうな髪を大きな手でかきあげた。色気!かっこいい!トウマさまかっこいい!!ドキドキして目が離せない。息を詰めてトウマさまの長い睫毛とかすべすべの肌とかを見つめていたら、パッと顔を上げたトウマさまと目があった。好きだ。しみじみ思う。 「……説明の、途中でしたね。すみません」 「あ、いえ」 「ご覧の通り、あなたの言葉一つで取り乱します。見苦しいことで、申し訳ない」 「全然です。トウマさまは、いつもかっこいいです」 「ありがとう。サキさんもかっこいいですよ。いつも、すごく素敵です」 「あ、ありがとう、ございます」 「我が家の当主は、私も含めて、本当は朝も昼も夜もなく、ずっと伴侶と一緒にいたい。いないと気が済まないタチなんです。一緒にいないと寂しがらせるだろうという思いやり。知らないところで誰かに奪われたらという不安。全てから守りたいという使命感。そういう根拠のない身勝手な諸々でね。でも、領主でなくなれば大事な伴侶を失うことになりかねない。ですから、嫌われたくない一心で、仕事だけはします」 「はい。トウマさまがお仕事に励んでおられるのは承知しております」 「拘束時間が長いでしょう。毎日朝早くから、日が暮れてもしばらくは仕事をします。正室への負担を減らすためにそのように決められているのです」 「そうだったんですか」 「逆効果のような気もしますがね。伴侶と過ごす時間を制限されればされるほど、その短い間にいかに安心を得るかということで無茶をしがちです」 「無茶、と、いうのは」 「乱暴は、しません。そんなことはできませんが、毎夜共寝をして、自分以外との接触を嫌い、自分への愛情を確かめたがる。私には今のところまだ理性がありますが、気を緩めればどこまでも亢進します。そういう日々が、ずっと死ぬまで続くわけです。我ながら正直非常に厄介です。この辺りの人間であれば我が家のそういう噂を聞くこともあるでしょうし、領主家に近いところから正室を選ぶ傾向にあるので、選ばれた側もこちらのそういう性格を察しています。でもあなたは違います」 「はい」 「我が家の異常さを知らないままこちらへいらっしゃった。説明もせず、騙し打ち同然です。今更と思われましょうが、そのことをまずお詫びしたい」 「その必要はないです。俺、自分で望んでここへ来ましたので。今のお話を聞いても、全然、後悔とかないです」 「しかしサキさん」 「俺のこと、す、す、好き、だから、そうなるん、ですよね?あの、嬉しいので。トウマさまに、その、えっと、情熱的に、扱われるのは、嬉しいです」 「…………ふーーーーーーーーーーーーーーー……」 「すっごい深呼吸」 「危ういところでした」 「ん?」 「あなたが耳飾りをしていてくれて幸いでした」 「あ、そうだ。耳飾りのお話でしたね」 「はい。この習慣も、当主への牽制です。婚儀の日に耳飾りを贈ります。異常に執着心の強い者があなたの身体まで手に入れようとしますが、それを受け入れる覚悟が、こころの準備ができれば外してくださいと。それまでは、こちらから一切手出しはしないという制約なのです」 「なるほど……」 「まあ、まだ手は出せないけれど、この人は私のものだという印の意味もあるという説もありますが、よくわかりません」 「はい」 「とにかく、私たちの横暴さから正室を守ることが第一義です。耳飾りを外してもらえるまでは、絶対に我慢です。でも、過去においてそれさえ守れなかった当主もおります」 「そうなんですね」 「はい。ですから側室をとります。側室は、正室を当主から守るための護衛です。執着の強い当主であればあるほど、側室が増えます」  そうだったのか。思いもよらなかった。ご側室の皆さんは確かに俺に親切だったし、いつも俺の味方だったけれど、まさかトウマさまと俺の間に立ちはだかる役割の人たちだったとは。 「私の場合は、あなたを見初めたと先代に告げた翌日には、幼馴染が側室となりました。監視役です。放っておけばあなたのご実家まで乗り込んでいきかねないと判断されたのでしょう」 「はあ……あの、ご側室の皆さまはとてもお優しく聡明で、素晴らしい方々でいらっしゃると思いますが」 「サキさん」 「はい」 「私の前で、私以外の人や物を、そんなに褒めてはいけません。拗ねてしまいますから」 「失礼しました」 「先ほど、アオのことも庇いましたね。あれもお勧めしません。アオを鍛錬にお誘いになったというあの話も、羨ましさのあまりはらわたが煮えくり返る思いでした。私は誘われていません」 「えっと、気をつけます」 「……言いすぎました。褒めても庇ってもいいですが、拗ねる私を嫌いにならないでください」 「それは、大丈夫です。嫌いになんてなりません。あの、でも、控えます」 「ありがとう。一人目の側室は、特に優秀ですね。私もそう思います」 「あ、はい。あの方はそう、優秀でいらっしゃいますが、幼馴染を側室にする風習があるのでしょうか?」 「いいえ、そういうわけではなく、側室は、当主を牽制できる者が選ばれます。あの男は付き合いが長いので私が何を考えているのか察したり、聞きだしたりするのがうまい。私があなたに関連して何かしようとしていると、すぐにバレます」 「なるほど」 「実際、あなたとのお見合いに漕ぎ着けるまでに何度も私の計画を潰しました」 「計画、でございますか」 「あなたの様子を、遠くからちょっと眺めに出かけてくるという計画です」 「はぁ」 「その他にも、色々です。今でもあなたへの贈り物は必ずあの男が確認しますし、そのおかげで、口に入れるような物は全部差し戻しになり、あなたの元へ届けられたことは一度もありません」 「そういえば、そうかもしれません」 「私はただ、旬の果物ですとか、そういった物を楽しんでいただきたいという思いで用意するのですが」 「はい」 「何を盛ったかわからないからダメだと」 「盛る」 「まあ、盛る当主もいましたから」 「盛る」 「もしあなたが許して下さるのでしたら、これからは、食べ物や飲み物も私が用意して一緒に楽しむことができます。嬉しいことです」 「あ、はい、俺も嬉しいです」 「やはりあなたの口に入るものを私が選んだり、私があなたに食べさせたり飲ませたりというのは、特別な行為のように思えますし」  トウマさまは穏やかに微笑んで、嬉しそうだけれど、なんかちょっと、俺の思っている食事風景とは違う情景を思い描いていらっしゃるように感じた。……食べさせたり飲ませたり?そんなこと普通、しない気がするけど。多少の相違はどうにかなるだろう。 「ご存知の通り、二人目は医師です。三人目も、四人目のアオも、あなたを守り、私を監視し抑制するのに適任である人物です」 「さようでございますか」 「私は、歴代でも執着が強いようです。先代も非常に心配していました。側室が四人に上るのは珍しいことです。……ですから、サキさん、もし耳飾りを取るおつもりでしたら、もう少し考えてからでいいと思います。今夜の私からの話を、もう一度よく」  わずかに目を細めて、俺を見つめて優しい言葉をかけてくれるトウマさまを見つめ返しながら、俺は躊躇いなく右の耳飾りをパチンと外した。小さなその音に、トウマさまの肩が揺れる。手のひらに転がるかわいらしい耳飾り。これからも時々つけることは許されるのかな。 「サキさん」 「俺、ずっと、トウマさまが振り向いてくださるのを待っていました。どうしたらお渡りがあるのかたくさん考えました。身なりを気にしたらそれに気づいて褒めてくださる。新しい話題には笑ってくださる。でも、いつも帰ってしまわれる」 「……」 「毎夜お渡りのあるご側室の皆さまが羨ましくて、嫉妬して、惨めで辛くて、いっそはっきりともう実家に下がれって言って欲しいって、思っていました」 「絶対に、帰しませんよ。あなたなしに私は生きていけません。夜を側室の家のどこかで過ごすのは、あなたのところへ忍び込まないようにという監視です」 「でもトウマさま、そんなこと一度もおっしゃいませんでした」 「……ですね」 「ようやく今、方法がわかったんです。トウマさまが俺のそばに来てくださる方法が。やらない理由がありますか」 「自分の不甲斐なさに、死にたいような思いです。大事なあなたに、そんな思いをさせたなんて、申し訳なく思います。許して欲しい。何でもします」 「じゃあ、外してください」 「……あなたは本当に、魅力的な方ですね。私を揺さぶることをこれほど次々になさるなんて」  まずかっただろうか。恨みがましかっただろうか。でもこの機会に本心を言えないようでは、この先きっともっと苦しくなる。外した右の耳飾りをぎゅっと手のひらに握りしめて、うっとりするほど美しいトウマ様の瞳を見つめる。 「もう少し、こちらへ」  トウマ様が、自分のそばの座面をするりと撫でて、そう言う。ドキドキしながら尻を滑らせて、トウマ様の方へ寄る。なんだかすごく恥ずかしくて顔を伏せた。トウマさまはまず、俺の右耳に指先で触れた。ぞくりと、背筋が震える。 「サキさん、こちらを外すとき引っ張っていたでしょう。いけませんよ。少し赤くなっています」 「あ、はい、でも痛くは」 「私が煽られてしまいます。赤い耳たぶのサキさんに」 「え、は」 「じっとしていて」  トウマさまの指や手の甲が、俺の首筋に触れて、耳に触れて、わざとかなって思うくらいその体温を感じさせられてから、丁寧に左の耳飾りを外してくれた。引っ張っていないのに、耳が両方真っ赤になっているのが分かる。耳どころじゃない。首から上全部が熱い。少し距離を取りながら顔を上げ、ありがとうございますとどうにかお礼を述べた。 「いつも、この耳飾りを見るたびに何とも言えない気分でした」 「はい」 「でも、我ながらよい趣味です。あなたにとても似合う」 「俺もすごく気に入っています」 「よかった」  爪までピカピカのきれいな指が、見事な細工の耳飾りを俺の手のひらに乗せる。二つ揃って転がる輝き。 「これを、あの、これで、もう」 「その耳飾りを側室に渡して、承諾されれば、私はあなたの寝所に渡ることができます」 「あ、なるほど、あくまでも、ご側室のお許しが必要なのですね」 「ええ。側室は、正室をよく観察することを命じられています。耳飾りを外す経緯について、そこに領主の不当な行為がなかったか、無理やり外させたり、説明を省いたり、嘘をついたりですね、普段の正室を知っていれば大体察せられる。そういうことがあれば当然、領主は罰せられます。あなたは永遠に、私から遠ざけられて守られます」 「あの、本当に、なんだか領主さまがおかわいそうな気が……」 「節度を弁えた領主であれば、側室からは小言程度で済み、正室と穏やかに暮らせます。自身の節制にかかっているので、何があっても自己責任です。お気遣いには及びません」 「はあ」 「耳飾りを外せば、という話も、中途半端な説明でしたね。申し訳ない。それを、側室へ、一人目でいいでしょう、あいつのところへ渡して、諾となれば、です。今ならまだ」 「渡してきます!」 「……サキさん、どうぞ、座って。私のそばにいてください」  勢いよく立ち上がり、耳飾りを落とさないように拳を握って扉へ向かおうとした俺を、トウマ様が止める。一人先走っている自分に気づいて、恥ずかしさに身もだえしながら、しょぼしょぼと腰を下ろした。みっともないところを見せてしまった。呆れていらっしゃるだろうか。そう思って俯いていたら、俺の拳をトウマ様が両手で包んでくれた。 「……あなたの許しもなく触れてしまったことを、お詫びします。そもそも、私はあなたに触れることを禁じられている身です」 「いいです。俺もう、耳飾りを外しています。そういう気持ちです。トウマ様の、お好きになさってください。困ったときは、ちゃんと言いますから」 「ありがとう。サキさん、あなたはどこにも行かず、ここに、私のそばにいてください。耳飾りは、私の使いの者に」 「あ、そう、ですね。思いつきませんで」 「あなたがこんな夜更けに、誰かの家に行くなんて耐えられません」 「でも」 「私の側室とはいえ、私以外の人間です」 「……今後は、致しません」 「ありがとう」  ぎゅっともう一度俺の手を握ってくれて、トウマさまは微笑んで手を離す。それが寂しい。そしてトウマさまはご自分がいつも連れていらっしゃるお供の方を呼んだ。現れたその人に、俺が立ち上がって耳飾りを渡そうとしたら、少し困った顔をされた。不思議に思っていたらトウマさまも立ち上がって俺に手のひらを差し出す。 「サキさん、私に」  ああそうか。この人はトウマさまのお使いの方だから俺からお願いするのはだめなのか。無礼をしてしまった。小声で詫びながら慌ててトウマさまに耳飾りを託す。いってらっしゃい、頼んだよ、俺の大事な耳飾り達。 「至急だ」 「はい」  お供の方との間にトウマさまがいて、お二人のやり取りをトウマさまの背中の向こうに聞きつつ、こちらが見えていないだろうと思いながらも出て行かれるお供の方の気配に頭を下げて見送る。扉の締まる音とともに、結構傍に立っていたトウマさまがくるりとこちらを向いて、俺をじっと見る。かっこいい顔だな。 「サキさん」 「はい」 「……もうそろそろ呆れられるかもしれませんが、私以外の誰かに、その手から何かをお渡しになりませんように」 「え」 「今はあくまでお願いですが」 「あ、いえ、承知いたしました。なるべくそのように」 「……我ながら、みっともないお願いであると、そうは思うのですが」 「ふふ。トウマさまはおかわいらしいことをおっしゃいますね」 「……そうでしょうか」 「トウマさまは、俺がトウマさま以外の方と直接やり取りをするのが落ち着かないのですね」 「……はい」 「気を付けます。でもお気づきかもしれませんけど俺そそっかしいところがあるので、遠慮なくご指摘を」 「サキさんのそそっかしいところを、まだ私は見てません」 「え?そうですか?さっきも」 「どなたか、そういうところを見たのでしょうか」 「えーっと……どう、かな、気をつけてはいるので」 「私だけに見せて欲しいです」 「はい。承知しました。でもそそっかしいところを何度見ても、俺のことを嫌いにならないでくださいね」 「なりません。私は一生、あなたを嫌いになったりしません」 「トウマさま」 「ずっとです。ずっと、私はあなたを愛しています。一生懸命大事にします。どうか、それを受け止めて欲しい」 「あの……嬉しいです」 「本当ですか」 「はい。俺も、ずっと、トウマさまのことを大事にします」  愛しているなんて、ちょっとまだ、俺は言えない。恥ずかしいというか照れてしまうというか言葉が強すぎて。間違いなく愛しているけど、少し気後れしてしまう。だからまっすぐに俺の目を見て言い切るトウマさまは、やはり情熱的だと思う。俺も愛してますと伝えたくて、意を決してトウマさまの手を握った。 「……もしその手順を踏まなければどうなりますか」 「え?」 「ご側室の皆さんのお許しなく、その、……」  もうすぐ、ちゃんとトウマさまの愛情を与えてもらえる。言葉だけじゃなく、全身で俺を愛してくれる。でもそれを思うほど、待ちきれなくてどうしようもない。トウマさまは俺の手を握り返してくれて、座りましょうと促してくれる。長椅子に、お互いの膝が触れ合うほどの距離に腰を降ろし、ずっとトウマさまを見つめていた。 「……いかなる理由があれ、もう二度と、側室の同席なしにあなたとお会いすることは許されないと思います」 「そんなに!?」 「そんなにです。そのくらい、私はあなたに危害を及ぼす者とみなされていますし、それは概ね正しい」 「……」  つなぐ手に、力を込める。どこまでなら、いいだろう。俺に触れることを禁じられているっておっしゃるけど、俺からならいいのかな。手をつないだり、こう、抱きしめたりはいいんじゃないだろうか。く、くく、口吸い、とかはどうかな!?そんな不埒なことを考えていたら、じっとトウマさまの口元を見つめてしまう。白い肌に映える薄赤の唇。情熱的な言葉を紡ぐこの唇に触れられたらどれほどの心地がするだろう。 「……サキさん」 「はい」 「そんなに見つめられては、私も我慢ができなくなります」 「……ご側室からのお許しは、どのくらいかかるのでしょうか」 「私も初めてのことですので、わかりません」 「そうですか……」 「……早く、来るといいのに」  美しい唇でそう呟いて、トウマさまがそっと私の頬に触れる。ああ、グラグラする。我慢のしどころ耐えどころ。もちろん理解している。一時の感情でこれからを棒に振ることはできない。でも、それでも、長く抱えてきた感情が誤解だったと明らかになって、彼を手に入れられる瞬間まであと少し。箍が外れそう。心なしか、トウマさまの顔が近づいている気もする。ちょっとだけ、その唇に触れたい。触れて欲しい。 「サキさん―──」 「まだ許してねぇだろうがこのバカ領主がっっっ!!!!!」  大きな音で扉が開き、怒号と共に姿を現したのは、トウマさまの幼馴染から最初のご側室になったユキさまだった。あまりのびっくりに尻が浮いた。危なかった。マジで今接吻する寸前だった。俺はほとんど目を閉じていたし、トウマさまの吐息を感じたくらい近づいていた。 「ユキ、うるさい。騒がしい」 「あ、あの、ユキさま、これは」 「サキさん、私以外の人とこんな夜分に会話をしないでください」 「いやそれはさすがに」 「こんばんは、ご正室さま、ご機嫌うるわしゅう。トウマ、ちょっと来い」 「いやだ」 「いいから来い。ご正室さまに、聞かれたくない話だ」 「私はサキさんに隠し事などしない」 「ほーお?」 「…………サキさん、私はあなたに隠し事などしません。でも、ユキは私のして欲しくない話をするつもりかもしれません。ですので」 「はい、あの、ユキさまと、ゆっくりお話しください。あ、なんなら俺が席を外しましょうか」 「いいです、サキさま。あなたはどうぞ、そのままで」 「ユキ、サキさんに話しかけるな、お前は」 「わかったからさっさとしろ」  ユキさまはいつもと印象がまるで違う。普段お茶会だとか晩餐会だとかでご一緒するときは、他のご側室の方々とも俺とも穏やかに気さくにお話しする人だった。誰かの意見を真っ向から否定したりしないし、指図もしない。みんなに話を振り、微笑みながら、そうですねぇ、と頷かれる。なのに今は、トウマさまを呼び捨てにして、言葉も少し乱暴で、まあこれは幼馴染でいらっしゃるから不自然ではないけれど俺は聞いたことがなかったから驚いただけだ、とにかくトウマ様よりよほど意志の強さを感じる。顔がまったく笑っていらっしゃらない。でも先ほど聞いた通り当主の暴走を止めるのが側室の役割であるとすれば、おかしいことではないかもしれない。暴走しかけたのは俺だけど。  呆れたように大きなため息を吐くユキさまが戸口で腕組みをしている。うんざりだというように大きなため息を吐くトウマさまは、俺にすぐ戻りますからと言い、億劫そうに立ち上がって、ユキさまに促されるままに部屋を出た。そして扉が閉まる。ユキさまが内側から閉めたのだ。つまりトウマさまを締め出した。 「え?」 「ユキ!お前!ふざけるな!」 「ちょっとそこで待ってろ」  ものすごい大きな音で、扉が外から連打される。そんなに叩いては、拳が傷むのではないだろうか。俺はどうしていいかわからずおろおろと立ち上がった。ユキさまは今にも蹴破られそうな扉を背に、やれやれと肩を竦める。 「はー……本当に、こんな男でいいのですか、サキさま」 「え?」 「この男は今、自分が締め出されたことに怒って暴れているのではありません。あなたと離れたこと、あなたの近くに自分以外の誰かがいることが受け入れられなくて頭に血が上っているのです」 「は、はい」 「俺があなたとどうこうなるはずがないと、あいつも理解している。頭ではわかっていても、こんな日常でいくらでも起こるような状況でさえ咄嗟には耐えられない。今まではどうにか我慢してきたけれど、あなたが耳飾りを外してくれてもう暴走し放題。誰も止められません。もうすぐこの扉も破壊するでしょう」 「あの、えっと」  ユキさまの言葉通り、聞こえる音は抗議の音から完全に扉を破るための音に変わっている。ぴたりと背をつけているユキさまの身体が衝撃で揺れるほどだ。 「いいのですか、サキさま。これはあの男の苛烈な感情のほんの一部、それもマシな方の一部です。この先寄り添って生きていく長い年月、あの男がこの感情を抑えることは絶対にありません。易々と度を越し、際限なく増長し、あなたに執着し続けます。耐えられますか?終わりはありません。今なら我々が責任をもってこの男をどうにかします」  扉の外で、トウマさまの声がする。俺の名を呼んでいる。ユキさまに何か言っている。じっと俺を見つめるユキさまは、本当に今まで知っているユキさまとは別人のような顔をしている。俺はぎゅっと両方の拳を握った。 「俺は、トウマさまをお慕いしております。あの方に、正面切って向き合います。逃げません」  あの人が好きだ。四人がかりで抑えなきゃいけないと判断されるほど俺への執着を見せるあの人が好き。だから、誰かに、本人に、いいのかと念を押されるまでもない。その人は、俺のものだ。  ユキさまはパッと目を見開き、へにゃりと笑った。 「ずっと思っていました。あいつのお相手があなたでよかったと。あいつ見る目あるなぁ。サキさま、これは側室ではなく、幼馴染からのお願いです。どうかおしあわせになってください」 「間違いなく、承りました」 「ありがとう。我々は変わらず、あなたの味方です」  ユキさまは扉から身体をずらし、鍵を外した。その瞬間、扉がおかしな角度で開き、ぐらつきながら壁に激しくぶつかる。突進するように俺に駆け寄るトウマ様の顔は真っ赤だ。額に汗がにじんでいる。ああ、かっこいい。 「ご、ご無事ですかサキさん!?」 「ええ、もちろん、俺は何も。トウマさまは大丈夫ですか?あの、手が」 「あなたの姿が見えないと気が気では―――ユキ!お前!」  トウマさまが俺を背に庇い、すごい剣幕で戸口の傍らに立つユキさまに怒鳴る。ユキさまは、いつも通り恭しく頭を下げた。 「この度の耳飾りの制約の解消につき、ご正室さまのご同意を確かに賜りました。従いまして、領主さまにおかれましては、ご正室さまへの様々なご禁制がすべて解かれますことを側室を代表してお伝え申し上げます」 「……」 「おや、お喜びにならないのですか」 「……喜んでいる」 「でしょうね。本日はたまたま四人が私の屋敷で集まっておりましたので話が早かったのですが、いくらでも待たせることはできたのに、明日にしたってよかったのに、わざわざ足を運んだ私に感謝して欲しいものです」 「……」 「私に怖い顔をしても無駄です。領主さま、よもや私が参ります前にご正室さまに触れてはおられませんでしょうね?」 「……」 「手を握っておられたように見えたのは、私の見間違いですよね?」 「……」 「領主さま、ほんのわずかのことで、あなたはご正室さまと二度と二人で過ごすことはなくなります。この度の制約解消が未来永劫の免罪符ではないと肝に銘じておかれますように」 「……わかっている。もういい、下がれ」 「お慎みをお忘れなく」 「わかったと言っている。ユキ、お前こそさっきサキさんを名で呼んでいただろう。口を縫うぞ」 「お聞き違いでは?」  にこりと微笑むユキさまは、もうすっかり見慣れた頼りがいのある側室の筆頭の顔だった。トウマさまの肩越しにそれをじっとみつめていると、俺の視線に気づいたのかトウマさまが俺を振り返る。 「サキさん、いけません。そんなに誰かを見ては」 「あの、ではトウマさまからユキさまにお礼を言ってくださいませんか。夜分にこちらまで来てくださって、いろいろお気遣いを」 「ユキがあなたに気遣いを」 「いえ、ユキさまはトウマさまにお気遣いをなさいました。僭越ではありますがトウマさまへのご厚意にお礼を述べたく思いました」 「……」 「お礼を」 「………………ありがとう、ユキ」 「どういたしまして。では、これを」  ユキさまが笑いを堪えながらトウマさまに差し出したのは、小さな硝子の箱だった。収められているのは俺の渡した耳飾りだ。 「ご正室さまにおかれましては、思い入れのあるお品でございましょうからお返しいたします。身につけることはなくとも、飾って眺めることを控えることはありません」 「あり」 「ありがとう、ユキ」 「それからこれは、側室からご正室さまへのご案内です。領主さまがご覧になること罷りなりません」 「……」 「あなたのいらっしゃらないところでご正室さまに渡すこともできますが、あえて正々堂々目前でお渡しします。ご正室さま」 「あ、はい」  ユキさまと言葉を交わすことを極端に嫌がっておられるのか、お礼の一つも言わせてもらえない俺だけど、さすがにここまで言われて呼ばれればトウマさまは身体をずらして俺とユキさまを対面させてくれた。ユキさまの手には書状がある。 「なるべく早めに、お一人の時にお読みください。お読みになった後は破棄を」 「はい」 「内容を領主さまにお伝えすることはお控えください。領主さまもお尋ねになりませんように」 「なぜだ」 「ご正室さまのある限り、我々はご正室さまを守る務めがございます。その任務の前に領主さまのご機嫌など忖度されません」 「……わかった」 「では、確かに」  俺は、ユキさまから差し出された書状を受け取り頭を下げた。ユキさまも頭を下げてくれた。何が書かれているのかわからないけれど、うっかりトウマさまに話してしまわないように気を付けないと。俺はチルリを呼び、その書状を預けた。チルリは先ほどのトウマさまの大暴れにびっくりして壊れた扉からちらちらと覗いていたので、俺たち三人が無事であることに安心したようだ。 「俺の机の引き出しに頼むね」 「かしこまりました」  一緒に、トウマさまが返してくれた耳飾りも任せる。チルリは嬉しそうだった。にこりと笑って、足早に部屋を出ていく。 「それでは、私もそろそろ」 「ああ、早く帰れ」 「領主さま、明日もお仕事はいつも通りですので」 「早く帰れ」 「はいはい」  トウマさまが半壊した扉の所に、耳飾りを運んでくれたトウマさまのお付きの方とユキさまのお付きの方がにこにこと立っている。その向こうに、戻ってきたらしいチルリも見える。ユキさまは丁寧に暇乞いの挨拶をされて帰って行った。俺はチルリに下がっていいよと声を掛け、トウマさまもご自分のお付きの人に何か言って、彼は出て行った。ということで。 「サキさん」 「はい」 「ようやく、あなたと二人になれました」 「そうですね。なんだか、色々あって、まだドキドキしています」 「……その……、すみません、とても取り乱して、あの」 「え?ああ、はい、トウマさまも、あんな風に慌てたりなさるんですね」 「はい……」 「新鮮でした」 「……かっこ悪いところを、よりにもよってあなたに見せてしまい、今非常に落ち込んでいます……」 「かっこ悪くはなかったです。手は、大丈夫ですか?」 「はい。サキさんを見習って、私も多少は鍛錬しておりますので」 「そうなんですね。きっと俺よりお強いことでしょう。俺はあの頑丈な扉をあんな風には出来ないかもしれません」 「あの、今修理の手はずを指示しましたので。すぐに直しますから。不便をかけることを申し訳なく思います」 「そうですか。ありがとうございます。普段使わない部屋ですので、急ぎませんが」 「自分の汚点をなるべく早く消したく思います」 「あはは」  立ち話もなんだし、この部屋の扉は壊れている。耳飾りの謎は解け、俺たちの間に壁はない。じゃあ、もう、いいのでは?じっとトウマさまをみつめると、俺の手を握ってくれた。 「あなたの閨に、連れて行っていただけますか?」  俺はこくりと頷いた。  ◆  俺の寝所は、この屋敷の一番奥まったところにある。静かで手ごろな広さで、実家から持ってきた棚や絵が置いてあってとても居心地がいい。せっかくだからトウマさまにいろいろ紹介したいところだったけれど、部屋に入った瞬間に寝台に押し倒されたのでそれどころではない。忙しない息遣いと衣擦れの音。身体をまさぐられて、緊張している暇もない。 「サキさん」 「は、はい」 「本日はあなたに私のだめなところをすっかり知られてしまって今さら取り繕うこともできません。なので、開き直って尋ねます」 「え?はい」 「……過去、こういうことを誰かとしたことはありますか」 「いえ、ないです。初めてです」  子供のころ手を繋いで誰かに好きだよ!とか言ったことはあるけれど、こういう行為はない。そもそも俺は鍛錬とかに夢中で、曲りなりにも領主家の人間だからあまり人との出会いもなかった。トウマさまが俺を見初めてくれなければ、きっとこういうことやこういう感情から縁遠い日々を送っていたと思う。 「トウマさまだけです」 「……嬉しいです。私もです」 「え、そうなんですか」 「はい、でもあの、不慣れではありますが精一杯頑張りますので、どうぞ」 「不安はありません。トウマさまなら何をされてもいいです」  お互い初めてで嬉しいという感情はあまりないけれど、トウマさまがこういう経験がないのは意外だった。普段落ち着き払っていらっしゃるから時々失念するけれど、この人俺より年下だし、おかしな話ではない。頑張ってくれるって、ふふ、なんか今日のトウマさまはかわいいなぁ。 「すごい……たまらないな……」 「ん、ん……」  宣言通りトウマさまは励んでくださり、丁寧に準備を施された俺のそこは、痛みなくトウマさまを受け入れることができた。少しずつ入ってきて、これ以上広がらないのではというほど広げられて一番太いところが通り過ぎた時、さすがに声が出た。トウマさまはそのまま動かず、俺の頬を撫でてくれる。 「痛みますか?」 「いえ……は……少し、驚いて、あと、安心しました」 「え?」 「あの、もっと苦労するかと、覚悟していて、トウマさまにお任せして、うまくいって、よかったです」  トウマさまは目を細めて、俺のおでこに唇を押し当てる。本当に、トウマさまの唇は柔らかくて心地いい。指を絡めてつないでいた手を、トウマさまがそっと解く。 「あなたと身体を繋げられて、私もホッとしました。感無量です」 「よかったです」 「下世話な話ですが、本当に、あなたの中は気持ちいい……」  吐息と共に呟きながら、トウマさまが親指と人差し指で小さな輪を作って、おもむろに、すっかり勃ち上がっている俺の陰茎の先端に押し付けた。 「あなたのあそこは本当に狭くて、傷つけてしまわないように、ゆっくり、こう」  輪を少しずつ弛めながら、俺の亀頭に滑らせていく。挿入の疑似体験は、腰が浮くほど気持ちいい。 「あ、あ……!」 「そう、気持ちいいですよね、私も声を堪えるのに苦労しました。ゆっくりゆっくり、あなたの中に」 「あ……!」  ぬるんと、カリのところが輪を通り抜ける。ゾクゾクした。震える。トウマさまはそのまま柔らかい掌で俺の亀頭をすっぽりと包む。 「今、同じですね。私も、ここだけあなたの中に」 「あ、あの」 「はぁ……もう少し、中に、いいですか?」  混乱して、俺は頷くしかできなかった。トウマさまが片手を俺の頭のすぐそばに突いて身体を傾け、唇を重ねてくれる。嬉しくて目を閉じた。ゆっくりと自分の内側が押し開かれる感覚と、同じようにするするとトウマさまの手が下がり根元まで手で覆われたと思ったら、自分の中が奥まで満たされていて、混乱は最高潮で、身体が何度も跳ねる。舌がゆるく噛まれて、口を塞がれたまま大きな声が出る。 「最高です、サキさん、気持ちいいです。サキさんは?」 「あ、あの、あ、おれ、あ、あ」 「かわいい……かわいいです、サキさん、食べてしまいたい、サキさん、サキさん」 「と、ま、さま……!」 「何もついていないサキさんの耳たぶ、綺麗ですね」  トウマさまは手と腰を動かして、俺を悦楽の中に引きずり込んでいった。溺れるほど深く、愛してくれた。トウマさまが嬉しそうに笑って、俺の耳たぶに何度も歯を立てて、そのわずかな刺激で身体が熱くなる。俺はトウマさまの名を呼んで、しがみついて、信じられないような多幸感でいっぱいになった。俺を一生懸命大事に抱いてくれるトウマさまが愛しくて、かわいくて、こんな執着なら大歓迎だと思った。本気でそう思ったんだ。

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