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第5話

「……今、なんと?」 午前の訓練を終えて昼飯を隊員と一緒に摂り 午後からの段取りを考えていたら 将軍から呼び出しが掛かった 首都警護部隊は五つの隊に分かれている グリフォードはそのうちの一つの隊を任されていて 将軍を上司に頂く立場だ 呼ばれた五人の隊長を目の前に将軍は言った 「近く、国王陛下が退位なさるそうだ」 通常は執務に支障が出ない限り できるだけ長く王の椅子に座り続けるものだ 我々の耳に入らないだけでお加減が悪いのかもしれない 理由を明かされることはないだろうが 将軍が口にしたということは決定事項なのだろう 首都警護部隊が重い職責を担うことは想像に難くない だからこそ おそらくはどこよりも早くその情報が渡されたのだろう 「……いつ頃ですか?」 「おそらく半年後の即位記念の式典で宣言されるだろう」 「次期王は」 「もちろん、ミラ皇太子様だ」 沈黙と逡巡 グリフォードが真っ先に思ったのは 代替わりに伴う後宮の刷新だ 新しい国王の誕生に居合わせたことはない なにせ現国王の御世は数十年続いているのだ 今の軍部に戴冠式典の警戒に当たったことのある人間も恐らくいないだろう ただ話には聞いている 王宮内の主だった役職者や王の意向を反映した決まりごとは 玉座の主が変われば改められるのが通例で 後宮もそれに含まれる 当然といえば当然か 前国王の嗜好を踏まえた側室たちを 喜んで引き継ぐはずがない 側室たちも自分を召抱えてくれて寵愛を与えてくれた王に対して愛を誓う 王冠に口付けしたわけではない だったら マディーラも当然後宮を出るのではないか 百人とも千人とも言われる後宮で生活する者たちが 主人を失ってどこへ流れるのかは想像がつかない 望む職を与えられるのかもしれないけれど 全員に生計を立てられる術があるわけでもないだろう その中でマディーラは間違いなく行き先がある グリフォードのところだ 彼があの幼い婚約の誓いを覚えてくれていれば 後宮を出たその足でグリフォードに会いに来るのではないか 薄布や従者たちに阻まれることなく手を取り合って さあ、結婚しようと微笑みながら 「第一隊隊長、グリフォード。具合が悪いのであれば帰ってよい」 「……えっ?」 「……具合が悪いのだな。帰ってかまわん」 「いえ!大丈夫です!」 「身体は大丈夫でも頭がな。ちっとも私の話が聞こえていないようだな」 ミズキ将軍は思い切りしかめ面をしひらひらと手を振った グリフォードは冷や汗をかきながら背筋を伸ばし 至らなさを謝罪して許しと話の続きを請う 「全隊、いずれ正式な通知があるまでは緘口必守。漏れたら永遠に口がきけなくなるぞ」 「は!」 「久々の大仕事だ。抜からぬよう、いっそう励め」 「は!」 散開となりようやくグリフォードは息をついた 軍議用の建物を出て自分の隊の駐屯所へ戻る 彼の所属する第一隊は首都の中心にある王宮の警護担当だ 従って彼の仕事場は王宮の敷地内にある ちなみに他の四つの隊は首都を東西南北に分けてそれぞれを担当している むかし他国との戦争が激しかった頃の名残で 首都は高い壁に囲まれていて 出入りできる関所が東西南北にあるのだ それを中心に陣営を展開している グリフォードは首都警護部隊に着任してからの数年で 二度だけ偶然マディーラを見かけたことがある 宮殿の外回廊を歩いていて遠くから眺めただけだったけれど どれだけ距離があってもあの美しい男を見間違うはずがない 同僚らしき男とゆったりと中庭を歩いていたのをみつけて 手すりに身体を乗り出して手を振った それでも名前を呼ぶこともできなかったけれど 一度は彼も気づいてくれて抱えていた花を散らしながら手を振り返してくれた ああ、かわいいマディーラ…… 「隊長、具合が悪いんなら帰れば?」 「!!」 「ボケーッとしてニヤーッとして気持ち悪い。士気が下がる」 「……すまん」 「で?将軍はなんて?」 「ああ」 時々愛を融通しあうスペラは第一隊の副隊長だ 直近の部下にだけは情報共有を許されているので さっきの話を聞かせた 「ふぅん。お加減が悪いのか?」 「知らん。理由なんて、聞かされないだろう」 「まあな。で?」 「で?」 「で。銀に輝く花が、お前の手に摘み取られる日も近いというわけか」 「……わからん」 来てくれると思う でも確信はない いっそ王宮に忍び込んで彼を探そうかと思ったりもする 不審者として部下に捕らえられる自分を想像しただけでそれは思いとどまることができたけれど 意思の疎通をはからねばとは考えている 「手紙って、後宮まで届くのか?」 「さあ?」 「……出してみようか」 「好きにしろよ、隊長。でもなんて書くんだ?」 「……嫁に来い、とか」 「いいねぇ。がんばれー」 スペラは見事な呆れ顔で応援してくれた 我ながら文才はない だけど手紙に思い入れはある 彼と別れるときに自分の気持ちを綴って渡したのだ 今思えば彼が字を読めたかどうかも定かではない でも彼は嬉しそうに受け取ってくれた 「隊長、恋煩いもいいけどな」 「恋じゃない」 「愛の垂れ流しも悪くないけどな」 「なんだ」 「ヘラヘラすんな。仕事してくれ」 「了解」 結局手紙は書かなかった 陛下の退位を後宮に知らせていいかどうかの判断は出来なかったし 半年後の正式な発表までは いや、その後の正式な王宮内の刷新までは 間違いなくマディーラは国王陛下の側室だ おいそれと愛を囁けるものではない グリフォードは粛々と日常の業務をこなし 王宮と首都の安寧に目を光らせ 自身の訓練に勤しんだ 半年後の即位記念式典の日 王宮を取り囲む国民の前で 国王陛下は退位を宣言し翌日には新国王が即位した 新しい時代の幕開け グリフォードは俺の愛の受取人は現れるのだろうかとほんの少し心配した

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