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第11話
「申し訳ありません」
「おー……」
大学の近くの終夜営業のファミレスで朝を待ち、佐川は真っ先に手越に連絡を取った。昼前になって顔を合わせたとたんに、頭を下げた。実験で徹夜をしていたらしい手越は、疲れきった声で呻いた。
「最長記録更新中だったし、俺もようやく神坂さんから解放されるかと思ったんだけどなぁ」
「本当に、すみません……」
「ま、とりあえずどっか座ろうぜ。飯食った?」
「あ……いえ……」
「俺もまだだし、食堂で食わせてやるから」
「はい……」
押し付けられた感はあったとしても、神坂と住むことで金銭面で助かったのは事実だ。それに、あの一点を除けば、神坂は佐川にとっていい先輩だった。それは手越のおかげだし、何より部活の先輩に恥をかかせる結果になってしまったことを、佐川は申し訳なく思っていた。
悩んだ末に、あの家を出た。限界ヨロシクだ。こんなことになるのなら、最初からこの話を請けるべきじゃなかった。彼らは最初からちゃんと説明していたのに、大丈夫だろうと高を括った。その挙句がこの体たらくで、手越に面倒をかけて、きっと神坂を怒らせた。佐川にとって、神坂の怒りはものすごく堪えた。彼に怒られたことがなかったからだ。
佐川は昨晩の神坂を思い出して、重いため息を吐いた。
「お前が悪いんじゃないだし、そんなに落ち込まなくても」
「や……すみません。自分が無責任でした」
「難しい人だし、お前以外の奴らだってちっとも長続きしなかったんだから、むしろお前はがんばった方だよ」
「……」
教授の一人が、朝食を食べない学生は勉強能率が下がるという学説を発表して以来、佐川の通う大学の食堂すべてで格安の朝定食が食べられるようになった。昼の混雑の邪魔にならないように、時間は十一時半までだけれど、手越のように、大学に住んでいるような生活になると、非常にありがたいサービスだ。この大学は理系ゆえに、ゼミ室に泊り込む学生は多い。
佐川だって、ついこの間まで、そんな学生に紛れていた一人だ。
「で?お前どこに住むんだ?またゼミ室?」
「……いえ。本腰入れて、部屋探します。とりあえずしばらく、マンスリーマンション、契約しました」
「お?金あるのか?」
佐川はあいまいに笑って見せた。手持ちの金に余裕があるのは、この二ヶ月近く、神坂に面倒をみてもらっていたからだ。家賃も食費も光熱費も払わず、元々多くない携帯電話の料金と、学食で安く済む食事代以外、大きな支出はなかった。着道楽でもないし、趣味は身体ひとつでまかなえる。
バイト代がほとんど減らずに残っているのが、今の佐川にとっては罪悪感の原因にもなっていて、散財してしまいたかった。
「ちょっと前から、見てたんですよね。学生課にポスター貼ってるの、知りませんか?お試しキャンペーンで、最初の一ヶ月分の家賃が、二割引きなんですよ。デカイですよね、二割」
「へぇ~場所は?」
「……あの駅の、近くです」
「そうか。近くていいよな」
佐川はうつむいた。近くていい、のは大学にか?それとも神坂の家にか。自分で飛び出しておいて、未練たらしいのを見透かされているような気分になる。
佐川が目をつけて、早々に契約したマンションは、実際神坂の家からとても近い場所だった。キャンペーン対象だったのがそこともう一棟だけだったし、そのもう一棟は少し古かった。だからだ、と佐川は自分に言い訳した。言い訳だと、自分でもわかっていた。
「……手越さんには、ご迷惑をおかけします」
「まぁな。一応もう、次はこいつでいいか、ってのはいて。金に困ってるし、断らないだろうし」
「……そうなんですか。もう、次の人」
「神坂さん、何日か前に、あいつそろそろ無理だぞって連絡くれてさ。そっから俺も探し始めてて」
「……」
神坂はとっくに佐川を見限っていたのだ。グズグズしている自分を軽蔑していたかもしれない。情けなくて、佐川はどんどん落ち込んでいく。
もっとちゃんと謝って、お礼を言えばよかった。いや、そうしないといけなかった。一方的に世話になったのだ。なのにあの時自分は、彼を責めるような口ぶりだった。最低すぎて、救いようがない。
「……早く、いい人が見つかるといいですね」
「んーまあ、神坂さん、今仕事忙しいらしくて、しばらく一人でいるって言ってたけど」
「そう、ですか」
「あの人もさぁ、自分の仕事で結構手いっぱいだろうに、同じチームのメンバーのフォローとかしちゃうんだよな。それでまた優秀だし、妙に優しいから、黙々と無理するし」
「そう、なんですか」
「でも一人には、あんまりさせたくないし……」
「え?」
佐川の朝定食はほとんど手付かずだったけれど、手越は例のごとく食べ終えていた。のんびりとお茶を飲みながら、独り言のようにつぶやく。
佐川の頭には、改めて神坂への申し訳ない気持ちと、やっぱり神坂は優秀で優しい男なのだという認識と、次は誰なんだろうという気掛かりに占められていた。
手越の何気ないつぶやきは、なんだか少し、不安になる。
手越は、顔をしかめて手を振った。
「あー今のナシ」
「それはないですよ!」
「お前はもう、あの人に会わないだろ?」
「会わない……ですけど……」
もう会わないのだ。あの、偉そうで不機嫌そうな、女装のよく似合う男には、もう会わない。急激に佐川は、喪失感に押しつぶされそうになった。なんだっていうんだ。この感覚は、なんなんだ。
「会いません、が、気になりますよ」
「言うなって言われてるから秘密だ」
「会わないんですから、いいでしょ」
「ああ、それもそうかも?」
手越がマヌケさんで助かった。言いくるめたつもりもないけれど、手越は呑気な顔に戻って、恐ろしい事を口走った。
「あの人、もう何年も、変なやつにつきまとわれてるんだよね」
「……は?」
「詳しくは聞いてないけど、悪意はなさそうなんだけど、とにかくしつこくて」
「……ストーカー、ですか」
「うーん……そうなのかなぁ……よくわからないんだけど、神坂さんの周りに、人がいると寄って来ないらしいんだ。何年か前に、友達連れて帰った時に、そいつ逃げたらしい」
「警察には」
「相談してないだろうな〜あの人の性格だと」
佐川は落ち着かない気分になり、指先でテーブルを何度も叩く。自分の隠れた使命は、彼の保護だったのだ。特別なことをする必要はなく、ただ彼の家に寝泊まりをして、彼は一人じゃないと、見えない誰かに知らしめるための存在だった。なのに、それを放り出して逃げた。
その事実は、佐川を絶望させた。自分の行動が、彼を危険に晒すのだ。
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