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第10話

 僕は仕事の合間合間にため息をつき、周囲から心配された。実際なんとなく体調も良くないし、僕は定時を待たずに退社することにした。上司にお詫びして、外出している担当営業に連絡を取る。片岡さん以外の二人とは、スムーズに会話が済んで「気をつけて帰るように」という心配の言葉までもらって、社会人として体調管理ができていないことを恥ずかしく思った。  もうこんなの、やめよう。  片岡さんに嘘をついて、取り繕って誤魔化して、そんなのもう、苦しい。 「はい、片岡です」 「お疲れ様です、日野です。今いいですか?」 「ああ。どうした?」  僕は緊張しながら、少し体調が悪いので早退しますと伝えた。今は夕方の四時。業務に支障きたすほどの仕事は残していないし、一晩ゆっくり休めばきっと明日は大丈夫。今日だけはビッチ受のことを考えずに過ごそう。 「もう少し待てるか?」 「え?」 「あと十五分くらいで事務所に戻る。家まで送ってやるから」 「え……そんな、ご迷惑は」 「……警戒するなよ。別に家に押し入ったりしない」 「そんなの、考えてもないですよっ」  しまった。ここでビッチ受なら、「えー襲わない送り狼なんてありえないですよねー」とか言うべきだった。こんな時でもビッチ受思考を追求しそうになる自分に疲れるよ……。  僕は受話器を握り直して、努めて平静な声を出す。 「大丈夫です、そんなに」  心配してもらうほどの状況ではないので。  僕がそう言おうとした時、受話器は背後から掴み上げられた。びよーんと伸びた電話線が、僕の頬をペンペンと叩いてムカつく。 「朝倉でーす。俺今、事務所帰ってきたんで、日野さん家に送りますね。で、直帰してもいいですか?」 「このバカ倉!」  能天気に僕の電話で勝手に片岡さんと会話して、しかもあろうことか片岡さんはこいつのふざけた申し出を許可したらしい。朝倉は僕に覆いかぶさるようにして受話器を戻しつつ、僕の顔を覗き込んでくる。 「最近心配してました。顔色、やっぱり良くないですよ?送ります」 「いい。つーか、直帰とかなに生意気言ってんだ。営業車どこに置いとくつもりだよ」 「だって日野さんの一大事だから。俺ん家そのくらいのスペースありますよ。営業車が嫌なら、俺、家から車持ってきますけど?待てます?」 「待たない。乗らない。一人で帰れる」 「俺が片岡さんに叱られちゃいますよ」 「素晴らしい。やっぱり一人で帰る」 「もー……日野さんって、本当に意地っ張りで頑固ですよね」  朝倉が、まるで僕が駄々を捏ねているかのような態度を取るのがいたくムカついたので、立ち上がりざまに腹にグーパンをブチ込んだ。 「ぐえ」 「帰る。お前はちゃんと仕事しろ。おつかれ」 「え?マジで?そんな真っ青な顔して?」 「日野ー朝倉使っていいぞー」  支店長がデスクに座ったままで、楽して帰れと声をかけてくれる。ありがたいけれど、ありがたくない。僕は支店長の目の前まで行って、もう一度、早退することをお詫びして、まとわりついてくる朝倉を蹴散らした。顔色が悪く見えるのは多分今日のカッターシャツがブルーだから。ネクタイもブルーだし。片岡さん、ブルー好きなんだよ。スマホのカバーもブルーなんだ。  夕方とはいえ、まだまだ気温も高いし空気はネットリしている。だけど、冷房の効いた事務所にいるより少し楽な気がした。身体が冷えていたのかもしれない。女子か、僕は?明日から薄いカーディガン羽織っておこうかな。  会社から駅まではわずかに歩いて五分。地下鉄に乗って二十分。そこから自宅まで…… 「日野」 「!」  ぼんやり歩いていたら、車が横付けされて、窓が開いた。車はうちの営業車。ドライバーはもちろん、片岡さん。 「乗れ」 「あ……でも」 「早くしろ」  後続車に迷惑をかけるポジションではないとはいえ、確かにここで押し問答はみっともない。僕は慌てて助手席に乗り込んだ。慌てすぎて、ちょっと頭をぶつけた。僕がシートベルトを装着したのを確認し、片岡さんは車を発進させる。  低く流れるラジオの音声と、少し強い冷房。緊張する。だって片岡さんと、仕事時間中にドライブデートだよ!? 「どうした?風邪か?」 「えーっと……わかりません。ちょっとだるいなって感じで、本当に、今日ゆっくり寝れば治りそうです。ひどいことになるとますます迷惑だから、早めに」 「そうか」 「はい」 「暑いか?エアコンもう少し下げる?」 「あ……いえ」  むしろちょっと寒い。けど、外回りしてる人にとってはこれぐらいがちょうどいいんだろう。僕はなんだか遠慮してしまって、冷房を緩めて欲しいと言えなかった。窓を開けるわけにもいかない。そういえば、片岡さんは僕をどこまで送ってくれるつもりなんだろう。 「あの」 「悪い。寒かったのか」  信号待ちで停まった時、片岡さんの手が僕の頬に触れた。どうしてそれでわかったのかは謎だけれど、彼は僕が寒がっていると見抜くとすぐに窓を開けて車内の冷気を逃がし、エアコンの設定温度を上げてから再び窓を閉めた。気遣いに、胸が高鳴る。 「浅倉殴ったって?」 「あいつ、うるさいんだもん……しかもチクリか」 「しょうがないだろ?一番近い先輩が、こんなにかわいいんじゃ構いたくもなる」 「一番近いのは片岡さんでしょ?別に僕は、仕事上は大して指導してませんし」 「仕事上は、ね……道、こっちで合ってるな?」  普段の態度とか申請書の作り方とか、僕の専門である内勤業務については結構細かく注意したりしているけれど、営業活動に関しては口を出さない。そういうのは他の二人がフォローしている。だから多分、僕が甘いと思っているのだろう。舐められているんだ!ほんとにもう、浅倉のやつ、ちょっと図体でかいからって生意気だぞ!  運転する片岡さんを見たのは初めてだ。すごくかっこいい。右手で窓に頬杖をつきながら、左手で軽やかにハンドルを操っている。時々僕を見る目が、優しい。そしてまた、道を確認される。 「えっと、本当に大丈夫なので、僕」 「支店長からも、上手く拾って送り届けろって電話があった。遠慮しなくていい。普段の行いだぞ、お前の」  なんだ、仕事か。支店長が言ったからか。  僕は鉛を飲んだみたいに息が詰まった。最近片岡さんがどことなく余所余所しくて、だけど今日はすっごく優しくて、勘違いしそうになってしまった。ビッチ受オーラ作ってない僕に、そっちの意味で片岡さんが興味をそそられるわけないよね。今は本当に、会社の先輩として、僕を気遣ってくれているだけ。  いつでも片岡さんを喜ばせたいけれど、でもごめんなさい。本当に具合がよくなくて、今は上手く取り繕えない。だけど、嫌いにならないで。ちゃんと明日からはまた、ビッチ受でがんばります。  晴れた空に、積乱雲がむくむくと成長し続けている。夕立が来るだろうか。僕は無性に申し訳なくなって、現在地もまともに確認せずに、降りますと言った。 「え?お前んちこのへんじゃないだろ?」 「このへんです」 「……遠慮じゃないならなんだ?自分ち以外に行くところでもあるのか」  僕の中で、嫌な感情が膨らんでいく。涙が出てしまうかもしれない。そんなの格好悪いし、片岡さんだって困るだろう。僕は精一杯笑顔を作った。片岡さんは怖い顔をしている。 「家に何もないから、コンビニ寄ってから帰ります。うちのマンションの前の道、狭いし一方通行だから、入っちゃうとすごく遠回りしないと会社に戻れないし」 「だから、お前の家はここから徒歩圏内じゃないだろう」 「えー片岡さん、僕んち知らないでしょー?」 「黙って寝てろ」  それっきり、片岡さんは僕のほうを見なくなり、僕も何も言えなくなってしまった。やっぱり不発だ。ビッチ受たるもの、いついかなるときも……なんて、ニセモノの僕には上手くできない。  やがて流れる景色が見慣れたものになり、僕の自宅から徒歩三分のコンビニの駐車場に着いた。なんで?僕、道案内なんかしてないのに。 「…………」 「…………」 「なあ、日野」 「あのね、片岡さん」  サイドブレーキを引いてドスンとシートに身体を預けた片岡さんが、何を言い出すのかと怖くなった。怒られる?叱られる?……捨てられる、だろうな。 「明後日、一緒にご飯食べませんか」 「……」 「僕行きたいお店があって。でもちょっと高いし一人じゃ寂しいし」 「…………どこ」 「内緒です。いいですか?つきあってくれます?」 「お前が体調よくなってたらな」 「平気ですよ。送ってもらって、ありがとうございました」 「買いもんしてこい。待っててやるから」 「いい、です」  ここのコンビニの話したっけ?広い駐車場の地べたに、たくさんイラスト描いてあるんだよね。店長の趣味なんだって。昔のレコードのジャケットだって言ってた。誰かに話したような気もするけれど、片岡さんだったかは定かじゃない。そうだとしても、そんな他愛ないことを覚えてくれているなんて思えない。最寄の駅は言ったかな。なんか、本当に泣きそうになってきたぞ。いかんいかん。ビッチ受たるもの、笑顔は絶対に死守だ。うん、せめてそれだけは。 「片岡さん、直帰ですか?だったら、この道を右に走ったらすぐ国道で」 「知ってる」 「……あーもうこんな時間だ。早くしないと混みますね。本当に助かりました。ありがとうございました!」  片岡さんはそれ以上何も言わなかった。僕は震える手でシートベルトを外し、車を降りる。片岡さんは軽く手を挙げただけで、車を発進させてスムーズに道に出ると、あっという間に走り去ってしまった。  僕はといえば、そこに立ち尽くしたおかげで熱風に晒されてあっという間に汗だくになって、フラフラとコンビニに入ったらすごく寒くて汗が冷えて、とりあえず晩ご飯とドリンクを買って外に出て、家に着く頃にはまた汗だくで、頭が痛くてそのままソファに倒れこんでしまった。  お風呂入りたい。おなかすいた。…………眠い。  僕はそのまま眠ってしまい、日付が変わるころに寝苦しくて目が覚めた。カップ焼きそばと生ぬるくなった麦茶を飲んで、シャワーを浴びてベッドに潜り込む。気分としては最悪だったけれど、睡眠はたいていの体調不良を改善させる。翌朝はうんざりするほどすっきりと目が覚めて、僕は自己嫌悪で落ち込んだ。  もちろん僕はそのままいつも通り出勤して、支店長をはじめ周りの人に頭を下げて、片岡さんはいなくて少しほっとした。得意先へ直行したらしい。聞いてない……けど、僕は早退した身だから知らなくても仕方がない。万全に近い体調で、僕はその日の業務を終えて、帰りに明日のデートの店を探して予約した。デート、で、いいよね。最初で最後だし?口から出まかせだったけど、よさそうな店が見つかってよかった。  そして翌日の晩、片岡さんと向かったその店は本当にいい店で、料理もお酒もおいしかったし雰囲気も落ち着いていて、音楽も気が利いていて、会話が盛り上がらなくても不自然じゃない程度に静かな店だった。 「あのね、片岡さん」 「なんだ?」 「今日は、優しくしてくれませんか」  いつものホテルのいつもの部屋。そう、片岡さんと使うのはいつも同じ部屋だった。少しぎこちない雰囲気で入室して、僕は彼にそうお願いした。彼は、少し驚いた顔をして、それから、僕を抱きしめてくれた。 「わかった。優しくする」 「うん……嬉しい」  今日で終わりにしようって決めた僕は、片岡さんに抱かれて、涙が出てしまった。片岡さんは、僕が辛くて泣いてるなんて思わないらしくて、「そんなに気持ちいいか?」と笑いながら聞いてくる。僕は何度も頷いて、「気持ちいいから、もっとして」と抱きついた。  出来もしないビッチ受の真似事なんか忘れて、今日だけはいいよね?素直に片岡さんと抱き合いたい。身体の中も外も、片岡さんの熱で溶かされたい。お仕置きも新技もなしで、そうまるで、恋人みたいになりたかった。  優しくて激しいセックスの後、片岡さんがシャワーを浴びに行った。余韻で朦朧としている僕は、それでも意識があるからだけど、連れて行ってくれないんだなって、少し落ち込んだ。片岡さんが戻ってきて、一人で大丈夫かって聞いてくれて、僕は何も考えずに頷いた。一人で大丈夫ですよ。僕はビッチ受だもん。知ってますか?ビッチ受のポイントの一つは、攻の機微を察知するってことなんですよ。じゃないと、気持ちよくなれないでしょう、お互いに。  離れていく人に甘えることは難しい。しかも、明日からもまた一緒に働くのだから。僕はちゃんと一人でシャワーを浴びて、何もかもを洗い流した。部屋に戻ると、まだ片岡さんは腰にバスタオルを巻いただけの格好でベッドに腰掛けていた。僕に気付いて、少しだけ笑ってくれる。 「風邪ひきますよ」 「おお……お前、体調は?」 「あはは。悪かったら、あんなことできませんよ」 「そう、だよな」  遠慮がちな会話はたったそれだけ。僕たちは脱ぎ散らかした服を拾い、身につけていく。沈黙が痛い。こういう時に使える台詞、なんかなかったかな?えーと。 「片岡さん」 「ん?」 「今日、すごいよかったです」 「…………なあ」 「……はい」 「……今度、俺んち来ないか?日野んちでもいいけど」 「……」  片岡さんが時計を腕に巻きながら時間を確認して、返事に窮した僕を見つめる。……やめてくださいよ。そういうの、だめでしょ。 「そうですねー今度、また」 「ああ。いつにする?」 「……また、今度」 「今決めようぜ。明日は?」 「……明日は、だめかな」 「そうか。じゃあ、明後日は?ああ、今から来いよ。泊まればいい」 「だめだってば」 「こっち向けよ、日野」 「だめだってば」  期待するじゃないですか。家に呼ぶとか、ねえ?特別みたいじゃん。ただ単に、部屋でする方が気が楽だとかそういうことかもしれないけど、あんまり振り回さないで下さいよ。 「…………なんで泣くんだよ……」  片岡さんが好きだから。  好きって言えないから。  ずっと嘘ついてるから。  これでもう終わるから。  ダメでした、青たん痛子さん。ビッチ受の必需品、淫乱スマイルさえもう繕えません。どんな状況でも、気持ちよければいいやって思えればよかったのに。そうしたら、まだ少しは片岡さんと一緒に過ごせたかもしれないのに。 「なんで泣く?お前最近、いつも泣きそうな顔してただろう。俺が嫌だったのか?しつこかった?」 「……!!」  僕はフルフルと首を横に振った。嫌なわけない。嫌な人とは寝ないよ、僕。だって僕、浮気性でもビッチ受でもないんだもん。好きな人としか、できないんだもん。好きな人なら、本当は気持ちよくなくたっていいんだもん。  作り話の代償は大きい。いつか嘘が本当になればいいって思ってたけど、僕の努力は足りなかったみたいだ。 「言えよ。言いたいことがあるんだろう?言わなきゃわかんないだろうが」 「えっと、すみません、僕……」  何て言ってらいいかわからなかった。もうこれで最後なら、わざわざ嘘をついていたと言わなくてもいいんじゃないだろうか。その方が、片岡さんは気が楽だろう。何人もいるビッチ友達の中に、まがい物が入ってたんじゃ、きっと気分がよくない。  もう飽きちゃったんですよねー。それが僕の用意した台詞だ。それを笑って言えばいい。だけど、声が出なくて。 「……」  片岡さんが、自分の携帯電話を操作する。えーこんな時に携帯弄るとか、片岡さんらしくないな。興ざめして、口直しに他の人誘ってたりして?やだーやりちーん! 「日野」 「……はい」 「俺には言いたいことがある」 「……はい」 「お前にもあるよな?携帯出せ」  僕は言われるがままに携帯電話をポケットから引っ張り出す。彼は軽く頷いて、メールを送れと言った。 「せーので、送ろうぜ。そしたら、フェアだろう?」  片岡さんはそう提案した。困ったような顔をしている。はらはらと涙を落とす僕の腕を取って、ベッドから離れたソファに座らせてくれた。     「……本当は、聞きたくないんだけどな、お前から「さよなら」はさ」      え?今なんて言ったの?  片岡さんは眉根を寄せて僕を見つめて、おでこにキスをくれた。嬉しくて思わず目を閉じる。すると、手の中の携帯が震えた。     「自分で言い出しといて、ルール破ったな、俺」      僕は震える指でロック画面を解除して、片岡さんからのメッセージを開く。信じられなくて、固まった。  そんな僕を、片岡さんは片足を曲げて座面にあげて、背もたれに頬杖をついた姿勢で眺めている。 『日野が好きだよ。独り占めしたい』  これは片岡さんの本心なんだろうか?僕はぱちぱちと瞬きを繰り返しながら、片岡さんを見上げる。彼はまだ、寂しそうな困ったような顔のまま僕を眺めていた。     「…………読めません」   「え?」   「涙で、うまく読めません」   「……」   「言ってよ、言葉で聞きたい」   「……好きだよ」   「ビッチが好きなんだよね」   「日野が好きだ。浮気すんなよ……今の男とも別れて、俺だけにしてくれ。頼む」   「ビッチ、が」   「ビッチでもいい。なんでもいいけど、もしお前が、あの時俺が言ったことにこだわってるんなら撤回する」      撤回!?冗談じゃないよ!何もかもアレが始まりだったのに!  動揺する僕を他所に、片岡さんは申し訳なさそうに眉を下げた。     「……日野が、ずっと気になってた。だけどお前、純真無垢っていうか、手垢がついてなさそうっていうか……、簡単に手ぇ出しちゃ駄目な感じでさ」   「……ずっと?」 「ああ。お前が去年俺の担当になってくれて、仕事一緒にしてて、お前の気づかいとか几帳面さとか?まあ、今となっては全部だけど」 「……嬉しい」   「……あの日はすごく酔ってて、お前と二人で飲んでるみたいなもんだったし。お前よく食うし、かわいいのな。俺もつられて飲みすぎて。そしたらお前、無防備に、彼女いるんですかとかどんなのがタイプですかとか聞いてくるし」   「僕も、あの日、飲みすぎてました。片岡さんが近くて嬉しくて」   「ふ……かわいいこと言うなよ。あの時もそうだった。かわいくてさ。ああ、こいつがゲイでビッチで下半身だらしない淫乱だったら、俺のことも味見してくれるかもなーって思ったんだ。酔ってた」   「そんな感じなの!?」   「そうだよ。そしたらお前が、僕は浮気性のビッチですとか言うから。人は見かけによらないなって。じゃあ、って勇気出して誘ったら本当について来るんだもんな」   「だって、だって……」   「話を合わせて連れ出して、抱いてみたら、本当に紛れもない淫乱ビッチでどうしようかと思ったよ。だけど、浮気性だって言うから、ああどこかに本命がいて、そいつに仕込まれてんだなーって。そうなんだろ?」   「違います!」      話がおかしな方向に流れつつある気がする。ちょっと待って?片岡さんも酔っぱらって、テキトー言ってたってこと?それで、僕のことを最初から淫乱ビッチ受だと思ったって?最初の夜は僕、演技してないから!普通の経験少な目の地味受だったから!!    僕はさっきまで必死で取り繕うことを考えていたのに、急激に誤解を解きたくなった。だって色々おかしいよね!? 「俺は日野がどうしようもない淫乱で、浮気性のビッチ受でも構わない。だけど、もう俺だけにしてくれ。お前を喜ばせられるように頑張るから」 「僕、ビッチ受じゃないもん!」 「……は?」 「僕は!ビッチ受じゃないー!!」 「どの口がそんなこと言うんだよ」 「ビッチ受じゃないもん!見りゃわかるでしょ!?エッチなことにも慣れてなくて、浮気なんてしたことないし、好きな人にしかその気になれないし、そもそもモテないし!!」 「わけわからんことを言うな。最初のセックスで、いきなり口で俺のパンツ脱がせてごっくんフェラしたのは誰だよ!?」 「だって僕、フェラしか特技がないんだもん!第一フェラなんかキスと一緒でしょ!」 「フェラが得意な時点で、ビッチ受の資格保持者だ!フェラとキスは違う!挨拶代わりにしゃぶる気かお前は!」 「なんで!?そんなの練習したら誰でもできるじゃん!ケツ穴も小さくて、早漏で、気持ち良くなると途中で飛んじゃうところは直せないから、せめて片岡さんを喜ばせたかっただけなのに!」 「くそ!だから嫌なんだよ。お前にそういうことを言って、おかしな方向に仕込んだ男はどこのどいつだ!」 「おかしいの!?僕、おかしいの!?」 「おかしいだろうが!ケツ穴が小さくてよく締まって最高!早漏じゃなくて感じまくりのイキまくりで最高!挙句にぶっ飛んじゃうくせに、上下のお口でもっともっとってねだっちゃうお前は最高だ!!」  ほ、褒められた……?  僕は片岡さんの赤い顔を思わず見つめる。どうしよう。嬉しい。嬉しいけど、挽回したい。なんだろう。今なら、ありのままの自分を、片岡さんに見せられそうな気がする。   「大体、片岡さんってやりちんですよね!?」   「微妙に不名誉な誤解だな。違うぞ」   「絶対そうだよ。ホテルの裏口から入るのとか、普通知らないでしょ!いっつもこの部屋で、い、いろんな、いろんなビッチ受食ってんでしょ!!??」   「あー……」   「やっぱり!?」   「違うって。このホテルは、俺の兄貴が働いてるんだよ。男同士でスムーズに入れるホテルなんかあんまりないから、こそっと入れてもらってるだけだ。遊びなれてないから、他にいいホテルなんか知らないし、新しいところを見つけるガッツも機会もないの」   「…………お兄さん?」   「あ、ゲイじゃないぞ」   「そこはどうでもよくない!?」   「いや、お前だったら三人でとか言い出しかねないから」   「だからっ!!僕はっ!!ノービッチだってばっっ!!!」   「説得力ないぞ、日野君」   「片岡さんのノーやりちんの方が説得力ないですよ!抱き方とか、誘い方とか?超上手いしかっこいいし!?なんか最近は面白グッズまで使ってくるし!」   「宴会グッズみたいに言うな。だからー……お前が淫乱だからだろ?色々試して飽きられないようにして、俺とするのが一番だって思ってもらえたら有利だろうが」   「有利って何!?選挙!?」   「似たようなもんだろう。ビッチ受を浮気属性から離脱させて独り占めしようと思ったら、身体で繋ぐしかないだろうがよ」 「だからって……!」  タマタマリングとか、ネクタイで腕縛ったりとか、行き過ぎじゃない!?僕は普通のセックスで十分すぎるほど満足してるのに、片岡さんはもしかして、変わった性的趣向の持ち主なのかしらって心配さえしたんだからね!そんな性癖でも、僕は受け止めようって思ったんだからね! 「……俺、大学まで本当に地味でインドア派で。家で映画見たり本読んだりする方が好きだったんだ」 「はい」 「会社入って、営業職になってさ。いいも悪いもなく、人と接する機会が増えて、頑張ったんだよ。身なりに気をつけたり、気の利いたことが言えるように雑誌とかネットとかチェックしたり、……好きなやつに、お前に、好かれたいし」  僕と同じだ。……なんだか、拍子抜けした。僕が必死でビッチ受になって片岡さんを繋ぎ止めたいって考えたみたいに、片岡さんもそういう風に考えてくれていたなんて。どうしよう。嬉しい。泣けてくる。 「お前は俺をどう思ってるか知らないけど、必死なんだよ。お前は誰かに色々仕込まれてて、俺とのセックスに溺れてくれているような、執着してないような、さ。どうやったらお前から俺を欲しがるかなって」 「ずーーーーー…………っと、欲しがってました」 「ベッドの中に入ればな?だけど普段は俺の誘いは断るわ、俺の質問は笑顔ではぐらかすわ、どんだけお前、焦らすんだよ」 「そんなつもりじゃ」 「浅倉とも寝たんだろ?」 「寝るわけないでしょ!?」 「……そうなの?」 「そうだよ!僕は片岡さんみたいに、ヤリたい放題じゃないですよ!彼氏だって今まで二人しかいなかったし、ハッテンしたこともないし!!」 「すげー悩殺下着穿いてスタンバってたのはどう説明するんだ?」 「あれは!!片岡さんがビッチが好きっていうから!!片岡さんが好きそうなビッチ受っぽい下着をわざわざ買って、普段からビッチ受らしく振舞おうっていうトレーニングですよ!わかります!?脱いだら大リーグボール養成ギプス的発想ですよ!見えない努力!」 「よく似合ってたぞ、あの下着。真っ青な、ぴっちりケツ割れブリーフな」 「……ありがとうございます」 「で?」  で?って何ですか。僕の話を聞いてますか?僕はね、あなたの酔った勢いのテキトー発言を真に受けて、一生懸命ビッチ受になろうと努力して、努力してない段階でなんでか知らないけどビッチ受認定されてて、今、好きだって言われて。 「返事を寄越せよ。メールで送れ」  僕はしばし考えて、すごく長いメールになりそうだったけれど、どうしても言いたいことだけを打ち込んで送信ボタンをタップした。片岡さんは手の中の端末を操って、僕からのメッセージを読んでくれたらしい。途端にブフッと吹き出した。 「なんで!?」 「お前ー……せめてここは、シリアスに返せよ」 「シリアスじゃん!真面目じゃん!?」 「どこがだよ?【もう一回片岡さんのアレを楽しみたいです】のどこが真面目だよ?」 「だってもう、ダメかなって思ったから!」 「はあ?ダメじゃないだろ。……ダメじゃないよな?」  片岡さんがまた、僕の額にキスをする。間近で見つめられて、その視線だけでとろけそう。僕はもう一度メールを送った。片岡さんはそれを確認して、また笑っている。 「日野」 「だって」 「【僕は片岡さん専用のビッチです】。……ビッチじゃん」 「一人の人の前でだけ、ビッチなの。ド淫乱でどうしようもないけど、それは片岡さんの前でだけなの。そうなりたいの!だから!」  僕は急いでもう一通メッセージを送った。片岡さんはそれを見ると、今度こそ声を出して笑った。 「まかせろ」 「はい!」 「でも俺の欲しかったのはこの言葉じゃない」 「ああ、はい。好きですよ」 「……素晴らしいビッチちゃんだな。お前みたいなのをな」 「趣味ビッチ受っていうんでしょ?」 「は?天然ビッチ受だろうが」  そうだったのか。知らなかった。  僕の送ったメッセージは、【だから、そうなれるように片岡さんが調教してください】だ。片岡さんはようやく僕の唇にキスをしてくれた。

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