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第2話

 三年はあっという間だった。修行の成果は、「清白」の当代であるミハナの父も認めるところだった。スガが頭を下げた時は半信半疑で、それでもスガもミハナもかわいい息子。親ばかだと言われても構わないと申し入れを許したけれど、ここまでしっかりと成長するとは正直思っていなかった。ミハナは、十分に蝋燭職人として身を立てられるだろう。しかしその道は甘くない。スガと共に「清白」を支えて盛り上げていくというのならともかく、ミハナの作りたい蝋燭は新しく、日用品の域を超えた嗜好品の類だ。すなわち、堂々とその新しい技術と感性で商いを始めるのであればコトの認可という後ろ盾が必要だ。家業とは袂を分かつことになった息子を、父としてはまだまだ手元に置いて可愛がり、甘やかしたいのだが仕方がない。修行を終え、父母に頭を下げるミハナを、スガはコトへ連れて行った。初めて親元を離れるミハナは、不安と期待で、前夜は眠れなかった。 「汽車久しぶりだー!」 「ああ。あまりはしゃぐなよ。コトに着くまでにくたびれるぞ」 「うん!」  東西に細長いこの国のど真ん中を、端から端まで汽車と呼ばれる乗り物が走っている。都市ではそれが分岐して、ある程度こまかい移動が可能だ。汽車の通らない場所は、徒歩が多い。そもそもあまり、この国の人は移動しない。科学の発展とともに恩恵を受けられる技術や物理的な動力は大幅に増え、生活の根幹を支えてはいるものの、この国の人はそれをあまり積極的に利用しない。過去の慢心を戒めとして、自分に必要のない利便性を追求する気がないのだ。役所や医療関係などは最新鋭の技術が最大限に利用されて運用されているけれど、住宅においては、個人の好みで大きく変わる。陽が落ちて暗くなれば蝋燭を灯すという生活の人もいれば、"暗くなる"という感覚を忘れるくらい室内の光量を常に一定にしている人もいる。装いも、洋装から和装まで様々だけれど、コトは比較的和装が多い。ミハナの家もみんな和装なので、コトでも馴染むだろう。 「コトに着いたらさ」 「うん?」 「お役所に行くんだよね?」 「そうだ」 「大丈夫かな?俺、入れてもらえるかな?」 「大丈夫だ。お前をコトに入れるまでは、俺が面倒をみると決めている」 「うん!ありがとう、スガ兄ちゃん!」  ミハナは頼もしい長兄を見て、ニッコリと笑った。  コトに入るのは容易ではない。関所を通過するだけでも手ぶらでは無理だし、滞在する、居住するとなれば相応の審査が待っている。  現在、コトで仕事を持たない人間の流入は基本的に受け入れられていない。観光目的の短期滞在は可能だけれど、コトに住むのって憧れるぅ!とか、そういう気軽な感じで引越しなど、もちろんできない。コトへ入るには、絶対に一旗揚げてみせるという気概で乗り込み、それが許されるまで諦めないという覚悟と熱意が必要だ。  関所を超えて、ここでもきちんと身元確認をされるが、まずはコトの入り口に聳え立つ役所が第一の関門となる。理屈と根拠で役所を説得し、ひとまずコトでの期限付きでの滞在を認めてもらう。その間に一定の成果を挙げ、それをまた認めてもらって滞在を延長し、何度もそれを繰り返して自分の仕事に対してコトの認可が下りれば、晴れて自分は新しい技術を持っていると公言できるし、希望すればコトでの永住も可能になる。これ以上は振るうに及ばず、と言い渡されれば、すなわち退去となる。その役所への面談申し込みにも審査がある。ミハナはそれに通っていて、この度コトへと向かっている。  この過程はどんな職業でも同じだ。何か新しいことを商売にするには、必ず通る道。だからこそ、コトの役所はいつも混雑していて、百戦錬磨の役人を説得するのは容易ではない。  コトにはそんな明日を夢見る人間も、勝ち取った認可で商売をする人間もいる。そして、コトを護る役目と、コトに華を添える職業もある。コトはこの国の中枢であり、宝石なのだ。触れられる人間は選ばれて限られ、とても堅牢で美しい。 ◆  シュポシュポという軽快な音をどのくらい聞いただろうか。生まれ育った街を遠く離れて、ミハナがうとうとしている間に、汽車はコトに程近い宿場町の駅に到着した。コトへ面談に来る人の大半がここに宿を取る。通商手形しか持たず、コトでの宿泊が認められていない行商人もここを拠点にする。ミハナの故郷とは違う賑わいを見せる街だった。 「今日はもう遅い。明日、コトの役所へ行くから、今日はここで泊まろう」 「はーい」 「おいで」  蝋燭屋「清白」の名は当然コトでも、いや、上等を知るコトだからこそ、知れ渡っている。国の事実上の頂点に君臨する大将はもとより、金と嗜みのある人間は「清白」の蝋燭の値打ちを理解している。「清白」がコトの認可を受けたのは"歴史以前"だと言われているけれど、今でも毎年コトまで、大将と大君への献上品として蝋燭を納めに来ているし、コトの小売店にも卸している。優雅な血筋の家を照らすのは「清白」の蝋燭だと相場が決まっているのだ。最高級品を惜しげもなく使う家は少ないだろうけれど、「清白」の紋の入った蝋燭しか燭台に立てないという家は多いと聞く。  そんな「清白」の若旦那であるスガは、古馴染みの宿を前もって押さえてあった。コトは美しく華やかだ。それに引き寄せられる悪党も多い。善人でも容易く魅せられ転ぶ。スガは何度もミハナに言って聞かせていた。 「ミハナ。荷物はきちんと身体の前で持ちなさい」 「はい」 「きょろきょろするな」 「はい」  この三年で、ミハナは成長した。見よう見まねと勘だけで遊んでいたのを、スガをはじめとした「清白」の職人が、徹底的に技術を叩き込んだのだ。ミハナは一度も弱音も愚痴も吐かなかった。蝋燭作りの技術だけではなく、商売の仕方、仕入先の選び方まで教えたので、寝る間はほとんどなかっただろう。  下働きで力仕事もしたからか、小柄だった身体もどんどん大きくなり、細身ではあるけれど背は平均よりは高くなった。いつになったら成長期が終わるのかと、ミハナの着物の丈を直しながら母親は楽しそうに笑っていた。 「おいしいね」 「ああ。お前も飲むか?」 「うん!」  コトに来るたびに使う宿なので、宿屋の親父も顔見知りで心得たもので、いつもの部屋でいつのも料理を出してくれた。ちょうどいい広さの部屋は、居心地がいい。  ミハナはスガとの初めての二人っきりでの旅が楽しくて仕方がなかった。こんな風に酒を勧められると、自分も少し、憧れの兄に近づいた気にさえなる。布団を並べて眠るのは、一体どのくらいぶりだろうか。 「ミハナ」 「はい」 「明日はコトだ。しっかり寝なさい」 「はーい」  興奮冷めやらず、朝からの移動で疲れているはずなのにちっとも眠くならない。ああ、明日とうとうコトの審査を受けるのだ。スガ兄ちゃんがいてくれるから、何も心配はしていないけれど、わくわくソワソワと落ち着かない。灯りが消えた真っ暗な部屋で見えもしない天井を眺めていたけれど明日の朝は早起きだ。ミハナはそっと目を閉じて瞼に炎を思い浮かべる。  幼い時からずっと、自分の人生にはいつも「清白」が灯っていると感じていた。目を閉じても浮かぶ、比類なき、美しい炎を宿す真っ白でまっすぐな蝋燭。生まれながらにその光に護られ、導かれている自分は、絶対に道を踏み外さないのだろうと信じている。どんな時も、それを思い浮かべれば落ち着きを取り戻せる。消えることのないその炎は、今日もミハナを穏やかに眠りへ連れて行ってくれた。 ◆  コトの役所は、万人に等しく開かれていた。建前上は、である。  思いつきや、コトに入り込むためだけに認可を求める輩も多いので、面談の許可を得ていても一度でまともな役人と話す段階まで進める事はまずない。何度も訪ねては長い列を作り、窓口に座る下っ端に適当にケッチンを貰い、書類などの手直しをしてまた出向くことを繰り返し、運よく上官の手が空いていれば面接してもらえる。上官になれば人を見る目も話を聞く耳も肥えているので、別の意味で、本当の意味で、不束者は却下される。そしてまた、振り出しに突き落とされる。  手続きに手間取るほど、宿泊費その他諸々の費用は嵩むし焦りも出る。しかし何故か、本当にきちんとした腕や計画のある者は、するりとそれを通り抜けていく。コトは、本物には優しいらしい。  コトの外で暮らす人間にとって、コトは憧れでもあり、畏怖の対象でもあった。莫大な金と際限なく華やかな文化とそれらを謳歌する選ばれた人々。彼らはみんなコトで暮らす"技"を持っている。混沌とした中心都市。そんな印象ばかりが先行している。  ミハナは、無事でいられるだろうか。  コトに入ることが許され、そこで精進して認可を受けたら、ミハナはコトか、それ以外の場所で商いを始める。ミハナのやりたい商売は、老舗「清白」とは合わない。だから、そう、ミハナはもうこのコト入りの申請の手続きが済めば、スガや親兄弟の手から独り立ちをするのだ。スガが手助けできるのは、コトへ足を踏み入れるその薄く頼りなげな背中を見送るところまで。スガは、ミハナの才能を本物だと信じていた。未熟なところはあるにせよ、ミハナの技術と感性と人柄は、コトで認められるに何の不足もない。だからきっと、本日今からの審査で、ミハナはコトへ入るのだろう。 「ミハナ」 「はい」 「気張れよ」 「任しといて。俺は、清白の灯を信じている」 「ああ」  スガは宿と同じように、役所に対して書簡でもって訪問を知らせておいた。ごった返す待合室さえ通らずに、スガとミハナは所長の待つ部屋へ通され、いきなり最終の面談を行いその場で決断を貰う。この非常識な特別待遇には、「清白」の看板を賭けた。ミハナの父が当代として、老舗「清白」の名に恥じない職人だと言い切ったのだ。だから、すべてをすっ飛ばして審査を受けさせてくれと。コトの眼鏡にかなわなければ、「清白」の名折れであり、その信頼は一瞬で消える。そんなことは知らされていないミハナは、目の前に座る初対面のおじさんに、自作の蝋燭と、今後の展望を一生懸命語った。スガはその隣で一言も発さず、決を待った。 「コトへようこそ」  ふっさりとした髭に隠れた所長の唇が、そう告げる。ミハナの蝋燭を、コトで試す許可が出たのだ。すべては、始まった。さあ、始めよう。

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