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第3話

 コトにはいろんな人がいる。この国の文化の中心でもあるので、役者などの芸能関係者もその辺りをうろついていて、見目麗しい人の写真や絵も出回っている。著名人も多い。あまりに多すぎて、コトに長く住む人間はあまり関心を持たない。  そんな中、よくコトの人の口の端に上るのは、珠の進という男娼だ。  コトには大きな歓楽街がいくつかあり、娼館も何軒もある。珠の進はその中でも老舗で高級な「孔雀屋」の男娼で、コト随一、すなわちこの国でもっとも値打ちのある男だと言われている。  彼の姿をチラリと見るだけでも安くない金がかかる。同じ部屋で一緒に飲食しようものなら、ミハナの数年分の稼ぎが必要であるし、男娼としての仕事を望めば、命を質に入れてもまだ足りないと言われている。言われているというのは、珠の進の本当の花代など誰も知らないからだ。  ミハナはまだ本人を見たことがないが、出回っている写真や絵で知っている。スラリとした痩身の、美しい黒髪を持つ、色の白い男だ。珠のように輝く美貌に、世事に博識である頭脳、芸事に精通し、視線だけで人を落ち着かなくさせる色香を兼ね備えて、いつの間にか孔雀屋に現れ、あっという間に稼ぎ頭として名を轟かせた。その凄まじい人気に彼の値段は高騰し、とっくの昔に年季は明けたというのに、いまだに孔雀屋に留まっているという変わり者だ。  今は小さな仕事、つまり、ほんの少し顔を見せたり、わずかな時間だけ隣に座るといったことはしなくなり、彼に支払うべき金額は詳細不明でいつも一定だ。もちろん一般の人が用意できる金ではない。そもそも、普通は彼を買えない。金を積んでも、珠の進が頷かないことには絶対に会えないのだ。孔雀屋も、年季が明けてもまだ衰えることのない人気を誇り、奇特にも店にいてくれる珠の進の意向を最も大切にするので、主人を言いくるめることもできない。  コトの娼館は、営業用の見世と、娼妓たちを住ませる棟を必ず分けて構えている。珠の進が見世に顔を出すのはあまり多くなく、昔からの顔なじみに請われて出てくるだけだ。新規客など今さら相手にはしないから、このほど富を得た成り上がりはいくら金を持っていても珠の進の接待を受けることはできない。  珠の進は必ず一晩の花代を請求するけれど、一晩中一緒にいるとは限らないという。それこそ、チラリと物憂い表情で顔を出し、一口酒を飲んで「ごゆっくり」と去ってしまうこともあるという。ちなみに、そんな扱いに腹を立てた客には、支払った花代の倍額が、お詫びと称して戻ってくるそうだ。その代りもう二度と珠の進の顔を見ることはできない。なんだかわがまま放題のようだけれど、そもそも彼の年季は明けていて、客を取る必要はない。ただ世話になった店主に義理立てをし、昔なじみの顔を立てるためにそのようなことを続けているだけだから、そんな珠の進で構わないという太客しか珠の進を呼ばないのだ。ただしこれらはすべて噂の範疇の話である。  もう一人、珠の進と同じく、ほとんど人目につかない生活をしているのによく噂話に出てくる男がいる。名前を多岐といい、民間の用心棒を生業としている。  自分の命を狙われたり、自分の立場を利用されたりする恐れのある者が、その身の安全のために雇い入れる。四号、と呼ばれる用心棒たちは、コトにはたくさんいるけれど、多岐はその中でも絶大な知名度を誇る。  仕事は確実で、今までかつて雇い主を危険に晒したことがないという。ミハナがコトに来た頃すでに有名ではあったけれど、年々その人気は高まり、彼を雇いたい人は順番待ちをしているという。多岐はあまり長期の契約をしないらしく、クルクルと目まぐるしく任務も任地も変わるし、その仕事ゆえに人の溢れる場所をふらついたりはあまりしない。  しかし多岐はその仕事ぶりもさることながら、容姿でも耳目を集めていた。金の髪に金の目なのだ。この国の人は、滅亡のときにわずかに生き延びた人たちの子孫がほとんどなので、皆同じく黒い髪に黒い瞳を持つ。時々それらが茶色がかっている人もいるし、故意に色を変えている人もいるけれどほとんどみんな同じ色。そんな中で、生まれ持って金の髪で金の目という風貌は非常に目立つ。この国に異国からの来訪者がいないわけではない。しかし、異文化を受け入れ、異国の人と交流することと、異形の人を自分たちと等しいと納得することは別なのだ。  多岐は、両親ともにこの国の人だという。まあ、それも噂に過ぎないが、にもかかわらずその風貌はあまりに違いすぎ、目立ちすぎた。そして何より、彼にはもう一つ、噂になる要素があった。多岐は、孔雀屋の珠の進の情夫なのだ。  仕事のない日は孔雀屋の珠の進の部屋に入り浸り、朝から晩まで乳繰り合っているというのがもっぱらの噂だ。多岐がいるときは、珠の進の部屋から、見世以上の淫靡な嬌声が間断なく聞こえてくるという。これももちろん噂に過ぎず、少なくとも部屋の中の音が外に漏れてくるなどあり得ない話である。  二人ともがそれぞれに有名で、二人揃ってあまりお目にかからないものだから、噂は噂を呼び、膨らみ、また、彼らを見かけたことがある人は声高にその容姿や雰囲気の素晴らしさを喧伝するので、まるで古い物語の登場人物のように現実味がない。  彼らはミハナにとって、友人と酒を飲むときのただの肴でしかなかったのだ。 ◆  そんな二人に、ミハナが邂逅したのは、コトに住んで何年も経ってからだった。  すでに認可は確実で、ただ、役所の処理待ちというかもう少し腕を磨きなさいという言外の指導というか、そのようなことでミハナの身分はまだ認可待ちの職人で、同じ境遇の人たちと協力し合って日々精進しつつ暮らしていた。  コトに、飲食関係で認可を待つ職人たちが営む、公認の店がある。そこはミハナたちにとって日々の空腹を満たしてくれる店であり、コトの住人たちにはたまに新しいものを覗きに来る店であり、職人たちの修行の場でもある。  いつも通り、自分の仕事にいち段落をつけて、ミハナは仲のいい大介とその店に出かけた。昼を過ぎ、おやつの時間だ。横に長い建物はいくつかに仕切られていて、甘味を出すところや、持ち帰り専門のところや、じっくりと食事をさせるところなどに分かれている。  ミハナは、最近コトへやってきた、変わったお菓子を作る職人見習いの友人のところへ行き、大介と二人でお茶とそのお菓子を注文する。六割ほどの客の入りで、出す商品は決まっているので、待つほどもなくミハナと大介の席には注文の品が届けられた。  客席から見えるように設えられた厨房で、割烹着を着た友人が、こちらに向かって笑って手を挙げている。ミハナたちもそれに笑顔で頷き、早速口に入れる。へえ、おもしろい。大介とそう言い合っていたら、店の雰囲気が一変した。  ミハナは厨房の友人と目の前に座る大介を見て、二人ともが顔を紅潮させて出入り口を凝視しているのを知り、よっこいしょと身体ごと背後の出入り口を振り返ると、そこには件の、多岐と珠の進が暖簾をくぐって立っていた。店中の人間が口を噤んで、その美しい一対の男たちに見惚れていた。彼らはそんな視線に慣れているのか、気にした様子もなく、さっさと席に着いた。ミハナたちの隣だ。 「…………でけぇ……」  思わずミハナは呻いていた。多岐は写真や絵でも身体の大きいような印象があったけれど、その想像をはるかに超える体格のよさだった。そして珠の進も、比較的長身のミハナよりも多分大きい。足はきっと珠の進の方がずっと長いだろうけれど、珠の進はミハナと同じく和装だったので目の当たりにせずに済んだ。  ミハナの呟きと同時に、正面からはおしぼりが飛んでくる。黙れということだろう。残念ながらそれはすでに遅く、隣の二人からの視線がミハナに突き刺さる。有名な用心棒である多岐は洋装だった。姿勢よく座る彼には、よく似あっていた。さっぱりとした短い金の髪がうなじの白さをさらに輝かせていて、その首に絶妙に沿う襟元はきちんと閉じられている。その美しい男がミハナに向かって口を開く。ミハナは、多岐の瞳が想像よりももっと金色であることに、見惚れていた。 「でかいかな?」 「わーーー!!!すみません!!」 「いや。なかなか、直接言われることは珍しいが」 「多岐、いくつ食べる?」 「俺は要らない。珠のは好きに食え」 「うん、じゃあ、多岐のが一つと、僕のが二つね。多岐の、僕が食べてあげる」 「ああ」  ミハナに声を掛けたのは多岐だけだった。珠の進はすぐにミハナから目を逸らし、おそらく興味を失ったのだろう、さっさとお品書きを手にして注文を考えている。しかしなんと絵になる二人なんだろうか?フラフラと引き寄せられるように注文を聞きに来た店員はもちろん、客全員が二人に一瞬にしてこころを奪われてしまった。  珠の進は、きちんと一つと二つ、と分けてお菓子を注文し、お茶も頼んで、一仕事やり終えたような顔でお品書きを店員に返している。多岐は先に置かれた水を一口含んで、珠の進に二つでいいのかと聞いている。 「さっきうちに、みどり屋さんのお使いが来ていた。僕にもきっとお菓子が届いている」 「ああ。そうだな」  みどり屋というのは、コトでも有名な老舗の洋菓子店だ。どれもこれもおいしくて、小さな子も若い子も、いい年をした大人も年寄りだって、懐があたたかければ買い求めてしまう。ふっかりとした心地のよい甘さが特徴の逸品だ。みどり屋の先代と当代が、親子して孔雀屋の贔屓筋だというのは有名だ。珠の進の客であるかどうかは知らなかったけれど、世話をしているのだろうと聞き取れる。 「甘いものがお好きなんですか?」  ミハナは思わず、珠の進に聞いていた。正面からは、懐紙の丸めたものが飛んできた。しかし、聞いてしまったものは仕方がない。艶やかな黒髪を背中でゆるりと束ねた、真っ白な肌の美しい男が、不思議そうにミハナを見る。自分が誰かに声を掛けられるなんて思いもしない、という表情だ。多岐は黙っていたし今度はミハナの方へ顔を向けることもしなかったけれど、腹の中で警戒の度合いを強くした。 「そりゃそうだよ」 「はぁ」 「君は嫌いなのかい?」 「いえ。でも、一つで足ります」 「そう。安上がりでいいね」 「はい」  いくらミハナが甘いものが好きであっても、今食べたお菓子を三皿は要らない。コトへ来てまだ日の浅いこの店の職人の作るお菓子は、確かに食べたことのない食感だった。それを生み出す技術の認可を申請しているらしい。食に関わる技術というのはわかりにくい。ミハナは、この食感がどれほど素晴らしいのはあまりよくわからなかった。そのせいだろうか、とてもおいしかったけれど食べ終えた時の満足感は薄かった。  やがて、何故か店員に紛れて、厨房にいたはずのミハナの友人の職人までが、盆を持って注文の品を運んできた。珠の進の前に二つ、多岐の前に一つ皿が置かれ、いい香りのするお茶をそれぞれに。珠の進は花が咲くような笑顔で、それらを眺めた。多岐はそんな珠の進を見ている。 「作り手は君か?」 「はい!自信作です。お二人に召し上がっていただけるなんて、光栄です」 「食べるのは、あいにく珠のだけだが」  多岐は自分の前に置かれた茶を楽しんでいる。珠の進は嬉々とした様子でお菓子を、口に入れた。化粧っ気はないはずなのに、唇は血色のいい色をしている。そして、もくもくとほんの少し大きめの口を動かして、何度か頷いて匙を置き、懐から懐紙を取り出して二つと食べかけのお菓子を包むと、お茶を一口飲んだ。 「ご馳走様でした」 「珠の」 「帰る」 「……そうか」  長身の二人は立ち上がり、再び店中の、いや、店の外からの野次馬の目をも集めながら帰っていった。残されたのはお勘定と、飲みかけのお茶。 「口に合わなかったのかな……」  あっという間の出来事に、呆然としたように項垂れている知り合いが気の毒だ。好き嫌いがあるのなら、最初からたくさん頼まなければいいのだ。金を払えばいいという、そういう横柄で下品なやり方はあの二人には不似合いだと思った。ミハナは不信感のままに、自分の分の代金を押し付けて店から走り出る。  美しい男二人は、のんびりと大通りを歩いていた。その背中にさえ、色気が漂う。 「ちょっと、あの……!」  ミハナが声をかけるよりも前に、多分二人の背中を視認するよりも先に、多岐は珠の進のわずかに後ろを歩き、追いかけてくるミハナを察知して警戒していた。だがそんなことはミハナが知るはずもない。声をかけながら、幾分息を切らして二人に近寄ると、先ほどとは打って変わった恐ろしいほど冷徹な金の目に睨まれた。あまりの迫力に、ミハナはびくりと身体を強張らせて足を止める。多岐はそのままミハナを目で威嚇し、刃向かう気力をなくしたことを確認してから視線を外す。珠の進はその頃になってようやくミハナに気づいたらしい。 「あれ?さっきの?忘れ物でもしたかな?」 「珠の。かまうな」  コト随一の用心棒の名は伊達ではない。多岐の護衛は隙はなく、珠の進の敵であれば彼が気づかない間に制圧することを厭わないのだろう。あらゆることから完璧に護られるのが当たり前になっているらしい珠の進は、危険を感じたことがないのか、逆にまるで無警戒で無邪気だ。  ミハナは、立ち止まり振り返った珠の進を背中に隠すようにそびえる多岐の気迫に、まだ圧倒されて動悸が治まらなかったけれど、ここで引くわけには行かないと自分を奮い立たせた。 「……口に、合いませんでしたか」 「え?」 「さっきのお菓子です。たった一口で」 「君は、アレを作った人じゃないよね」 「作ったのは俺の友人です」 「本人が追いかけてきて僕を問い詰めるなら話はわかるけど、君には関係ないな」  多岐越しに交わす会話はおかしな感じだ。壁のように立ちはだかる多岐と、多岐の肩の向こうから綺麗な顔を覗かせる袖の袂に手を入れた立つ珠の進と、二人を若干見上げるように噛み付いているミハナ。道行く人は三人を、面白そうに眺めている。多岐は無言で珠の進を守り続け、珠の進はあっけないほどそっけなく、ミハナの話を切り捨てた。  美しくたおやかな印象の珠の進に、そんな風に突き放されて、ミハナはぎょっとした。うっとりするほど滑らかな所作と、匂い立つような立ち居振る舞い。影ができるほど長く濃いまつげに縁取られた、黒目がちの濡れた涼し気な目が、ミハナを見つめてさっぱりと言い切った。コトで一番の男娼は、もっとこう、優男で柔らかい物言いをするんじゃないのか? 「それを言いたくて追いかけてきたの?」 「……はい」 「君は食べた?」 「はい」 「ふうん。ま、ついてくれば?」 「え?」 「珠の」 「いいでしょう、多岐。多岐は食べてないんだし」 「そういう問題じゃない」 「問題なんかどこにもない。君、名前は?」 「え?あ?俺?ミハナです」 「おいで、ミハナ」  珠の進においでなさいと言われて、断る人間がいるとは思えない。本人にはそのつもりはなくとも、人を惑わせ魅了する。何もかもを捨てても、ついて行きたいという誘惑が心地よい。ミハナも何も考えられずに頷いた。多岐は踵を返して、珠の進を守りながら孔雀屋へ連れて行く。ミハナはその後をとぼとぼと追った。

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