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第4話

 孔雀屋はコトの中心部の外れの、歓楽街の一画にある。大きな木造の、機能はしていないけれど威圧感を与える門を超えると、陽の高い時間でもそこはかとない気だるさを感じるような場所だ。  門のすぐ傍の見世は昼でも開いていて、飲食代に金を足せば、自分の選んだ男や女と一緒に店で食事ができる。更に足せば、別の接待も受けられる。夜からの本営業に差し障りが出てはいけないので、昼間の客は時間制だ。だから割安でもある。  そういった気軽で手軽な店が数軒続き、門からまっすぐに伸びる広く大きな道を進むにつれて店の格が上がっていく。  大通りに面していないわき道沿いの見世は、特殊嗜好の見世と相場が決まっていて、昼の営業をしないせいか、どの道もひっそりと静まり返っている。  そして向かう孔雀屋は、大通りの行き止まりに堂々と見世を構えていた。行き止まりでは間口の分だけ左右に道が延びていて、孔雀屋は右に、その隣には同じく老舗の「雛罌粟屋」が並んでいる。こちらは女ばかりの娼館だ。孔雀屋と物理的にも格も、肩を並べている。  ここまでくれば、道行く人は珠の進の知り合いばかりで、当然多岐も勝手知ったる場所だ。会釈をしつつすたすたと歩く二人とは対照的に、ミハナは物珍しくてキョロキョロして二人との距離も離れがちになる。夜であれば、逸れたりどこかの見世に強引に呼び込まれたり、あるいは暗がりに連れ込まれてもおかしくないほどのお上りぶりだ。 「さっさと歩きなさい」 「あ、はい!」  見かねた多岐がしかめ面で声をかけると、ミハナはさっきの恐怖を忘れたかのように照れくさそうに笑って小走りになる。それを見て、多岐はため息をついたけれど、そのすべてを珠の進は気がついていない。 「あ、あの!」 「なに?」  ミハナが珠の進の傍まで行って、少し大きめの声をかけて、ようやく珠の進がミハナを見る。美しい男は、どれほど近くから見ても美しくて、ミハナは思わず見惚れてしまう。珠の進にもう一度、なに?と聞かれて、ようやく我に返る。多岐は、珠の進に近づくミハナを睨んでいた。 「どこへ、行くのですか?」 「僕の部屋」 「……!!あのっ」 「なに?」 「………………そんなお金はないです……」  そうなのか。遠まわしに、先ほどの非礼の謝罪、すなわち金銭的な誠意を要求されていたのか。ミハナは自分がのん気にも、初めての歓楽街を観光気分で歩いていたことを後悔した。優しい人と、おいしい話には用心しろと、スガにもきつく言い含められていたというのに。 「お金?」 「た、珠の進さんは、すごくあの」 「綺麗?」 「あ、はい。そうです。いや、そうじゃなくて!」 「あれ?綺麗じゃない?」 「綺麗ですよ!どうなってんの!?本当に人間!?って疑うくらい綺麗です!」 「あはは。少し大げさだね」 「いやもう、足りないくらいですよ!?こんなに綺麗で」 「君から金を取ろうなどと、誰も考えてない」  珠の進の美しさについて、ミハナが両手を握り締めて力説しようとしたとき、大きく外れつつあった話を多岐が戻した。ミハナはまたしてもハッと我に返らされる。そうだ。お金の話だ。 「何を言ってるの、多岐?」 「彼は珠のの部屋に行くことで、花代が発生すると思ってるようだ」 「え?そうなの?」 「そうです……だって」 「部屋って言ったって、そっちじゃないよ。僕の、住んでる部屋だよ」  余計に得体が知れないのですが……。  孔雀屋正面の、大見世のわりには小作りな入口を素通りし、建物の脇に沿って曲がると、細い路地の奥にもう一つ建物がある。そちらが孔雀屋の男娼たちの生活拠点である住居棟だ。関係者しか入れないし、住居棟での営業活動、有態に言えば客を咥えこむのはコト法違反だ。だから、働く人間とその関係者くらいしか出入りがなく、ほとんどの娼館では年季の明けない者の恋愛沙汰を禁じているので、当然情夫を引っ張り込む者もいない。珠の進の立場が特殊すぎるだけだ。  さっさと歩を進めて、開けっ放しになっている玄関をくぐり、珠の進は草履を脱ぎながら「今帰ったよ」とそこら辺りにいる人全員に声を掛けている。多岐も当たり前のように彼の後に続いて靴を脱ぎ、膝をついて出迎えてくれた人に頷いている。さすがにミハナの段になって、あんた誰?という視線が向けられた。 「その子は僕の」 「お兄さんの。どうぞおあがりください」  緊張も一瞬で、珠の進の涼しいような声音に、怪訝そうだった顔がにこりと笑ってくれた。年の頃はミハナよりずいぶん若いだろう。幼子ではないけれど、大人では到底ない。あどけなさの残る顔は控えめではあるけれど整っていて、ほんのりとミハナにはないものを漂わせている。先の二人に倣って履物を脱いで彼に預け、とっくに行ってしまった二人を追う。通りすがりの男衆に目の前の階段の上を指し示されて、二階の一番奥ですよと教えられる。磨き上げられて黒く光る重厚な階段は、同じ素材のしっかりとした手すりがあり、ピカピカなのにしっとりとした肌触りだ。ミハナは勢いよくその階段を駆け上がった。 「早くおいで」 「はーい!」  珠の進は身体を半分廊下に残して、ミハナを待ってくれていた。階段と同じく磨き上げられた廊下を早足で通り抜け、突き当たりの部屋を目指す。廊下に面して襖がいくつもあって、部屋が並んでいるのだろうと知れる。ミハナが後数歩でたどり着くというところで、彼はするりと部屋に入った。あわあわと襖の前まで来て、そこに座って控える存在に気がつく。珠の進に隠れて見えなかったらしい。 「ようこそおいでくださいまし」 「あ、えっと、どうも、お邪魔いたします」  さっき玄関で履物を預かってくれた子よりも更に若い……というより幼い。十歳ほどかもしれない。黒く艶やかな髪は、切り揃えられた前髪を残して、襟足で一つに結ばれて背中に垂れている。着物は地味で簡素だけれど、動く人形かと思うほど綺麗な子だった。変声期を迎えていない歳で、その声はまだ男でも女でもない音色だった。 「どうぞ、おはいりくださいまし」 「ありがとうございます」  小さな手で促されて、ミハナは珠の進の部屋にお邪魔した。多岐はどっかりと胡坐をかいて、その隣に珠の進が正座をしている。程よい大きさの円卓があり、ミハナは二人の正面、襖側の下座に膝をついた。 「すずらん、お茶を淹れてくれる?これ食べるよ」 「はい」  すずらん、と呼ばれたお人形的な子は、名前に相応しい可憐な笑顔と小柄な身体で一つお辞儀をしてから立ち上がって、控えていた廊下から部屋へ入り、珠の進の傍に寄ると、そこでまたきちんと座りなおした。珠の進が食べると言ったのは、卓に載せられた風呂敷包み。その紋から、みどり屋のものと知れる。珠の進の言う通り、届け物があったらしい。それにしても大きな包みだ。ここに暮らす者みんなの分があるのだろう。 「すずらん、これ、あげる。多岐に認可待ち屋へ連れて行ってもらったの。一つ僕の食べさしだけど、あと二つは手つかずだからね」 「ありがとうございます、珠のお兄さん。お外はいかがでしたか?」 「うん、楽しかったよ。もう秋も暮れだねぇ」 「そうですね」  珠の進に貰ったお菓子を大事そうにそっと懐に仕舞い込んで、それから彼の一抱えほどもある風呂敷包みを腕に、すずらんがよいしょと立ち上がる。その様子に、ミハナが半分腰を上げた。 「よければ、お手伝いしましょうか?」 「いえ、お気づかいには及ばないことでございます。ありがとうございます」  ミハナはすずらんが前を見えているかどうかさえ怪しく思えて、つい手助けしそうになったけれど、風呂敷包みの陰からわずかに見える大きな目がゆるりと細められて、断られた。そうなっては、手出しは出来ない。すずらんは、開けておいた襖から部屋を出ると、一度風呂敷を廊下に据えて、きちんと座って手をついてお辞儀をしてから襖を閉めた。なんとも、子供らしからぬ作法だ。ミハナがその襖を驚きとともに眺めたままでいると、珠の進が美しい声でさて、と言った。 「君、名前はなんていうのだったかな」   「ミハナです」   「そう。ミハナ。ご縁があってこうしているけれど、まず君の話を聞こうか」      珠の進は座布団の上にすっきりと正座をして、ミハナを見つめた。改めてそうされると、ちょっと、いろいろと説明がつかないほどの美しさに頭がまともに動かなくなる。どこがどう、とか、そういう細かいところはもちろんだけれど、息をしている一人の人間として常軌を逸している。人じゃないのかもしれないとさえ疑う。     「聞いている?」   「……はい……」   「お話しする気、ある?」   「あるんです、けど」      綺麗だなぁ。ミハナはうっとりと珠の進をみつめる。珠の進は、そういう反応に慣れているので、それ以上何も言わず、手元の文箱を開けて中から取り出した手紙を読むなどして、ミハナが正気に戻るのを待った。多岐は、座布団に胡坐をかいてミハナの様子を窺っている。ここは珠の進の部屋で、珠の進が招き入れたのだから何も言えない。しかし、初めて会った人間に対して無防備が過ぎる。後でちゃんと注意をしなければと、多岐は考えていた。     「そろそろどうだい、気は済んだ?」   「……はぁ、はい、本当にお綺麗ですね」   「そうだね。それで?君の腹積もりを聞かせてもらおうか」   「はい。えっと、珠の進さんも、多岐さんも、コトでは有名人です」   「そうだね」   「そのお二人に、食べてもらえて喜んでもらえたら、俺の友人も励みになったと思います」   「そうだね」   「でも、珠の進さんのお口には合わなかった、ですよね」   「そうだね」   「できれば、助言をいただけませんか」   「嫌だよ」   「そこを何とか」   「嫌だよ」   「君は、ミハナくん」   「はい」      見かねて思わず多岐が口を出す。一体このミハナという男は何がしたいのか。     「少し、勝手が過ぎるのではないか。我々は初対面で、君の頼みを聞き入れる義理はない」 「おっしゃる通りです」   「それに、君はあの職人見習いの男の友人らしいが、当事者ではないだろう。差し出がましいとは思わないのか」   「思います」   「では、諦めるべきだ」   「俺はとても幸運です」   「は?」      ミハナは多岐を正面から見据えて、その異形とも言われる外見を、美しいと思った。短く整えられた金の髪も、自分を睨む金の目も、野性的に映るし輝いて見える。珠の進のように、見るものすべてを虜にする魅力ではなく、むしろ少し畏怖さえ覚えるような、黄金の色彩。多岐は肌もミハナや珠の進とは違う白さだ。そして、ミハナは多岐ににっこりと笑いかける。     「とても幸運にも、お二人とお話ができました。ありがとうございます。本来なら、職人見習いの友人本人が聞きたいことです。どこが至りませんでしたかと。でも、彼はびっくりしてとっさに聞くことができませんでしたし、俺のようにお二人の後を追って飛び出すこともできません。仕事がありますから」   「……それで?」   「自分の成した仕事に不備があれば、精進を重ねたい。まだ見習いの身です。教えを乞うことをお許しいただきたく思います」   「……それで」   「代わりに、俺が聞ければと思いました。なので、教えてください」   「嫌だってば」  珠の進は何通目かの手紙を開きながら、興味なさげに言った。ミハナは珠の進の方へ身体を向けて、お願いしますと重ねた。   「もし俺がここで諦めて、改めて本人が訪ねてきたところでもう珠の進さんは会って下さらないでしょう」   「顔も覚えてないからね」   「なので、俺としては今が踏ん張りどころです」   「ミハナくん」   「はい」  多岐は呆れたし、不思議だった。自分にはまったくない発想で、そんな発想でよくもこんな行動を咄嗟に取れるものだ。ミハナは礼儀正しくて、愛嬌もある。彼の勢いに、珠の進が面白がって付き合っているだけの話だ。にもかかわらず、なんだか、彼に分があるように思えてきた。   「君は友人のためにそこまでするのか」   「そうです。……と言いたいところですが、俺も誰かに助けてもらっているし、今後も誰かの助けが必要なので、滅私利他というわけでは、ない、です……」      ミハナが少し肩を竦めて、気まずそうに目線を逸らした。それがなんだか、多岐には新鮮だったし、驚いたし、とても、響いた。何と素直な、不思議な子だなと、それが率直な印象だ。これ以上どう言うべきか、と多岐が少し考えあぐねていたら、襖の向こうからかわいらしい声が聞こえた。珠の進が応えれば、襖が開き、すずらんが入ってくる。     「失礼します。お待たせいたしました」   「ああ、ありがとうね。すずらん、お前たちの分は遠慮せずちゃんと頂くんだよ」   「はい、珠のお兄さん。いつもありがとうございます」   「お茶は何にしたの」   「先日、見世の方で仕入れたはじめた、あたらしいのをご用意いたしました」   「そう。楽しみだな」   「お口に合えばよいのですが」      すずらんがまだまだ小さなその手で、ひとつずつ茶器を扱い、ゆっくりと丁寧にお茶を淹れてくれた。いい香りが立ち上り、それだけでふくふくとしたこころもちを味わえ、思わず頬が緩む。先ほどの風呂敷包みの中身だろう、綺麗な焼き菓子がお茶うけに添えられて、すずらんはまた、きちんと手をついてお辞儀をしてから部屋を辞した。すとん、と襖の閉まる音さえ完璧な所作だった。     「あんなに小さいのに、立派ですねぇ……」   「僕のところの禿だもの」   「はい。毎日頑張っているんでしょうね」   「じゃなきゃダメだからね」   「はい」   「どうぞ、召し上がれ」      勧められて、ミハナはまずお茶をいただく。ああ、おいしい。お茶碗も、ちょうどいい。そしてみんな大好きみどり屋さんのお菓子を口に入れる。     「あー……おいしい……」   「ミハナは、わかるかな」   「え?」   「甘いものはね、食べるとしあわせな気持ちになるんだ」   「はい」   「その気持ちの大きさが、菓子職人の技量の物差しなんだ、僕にとっては」      そう言って、動くことが不思議に思えるほど美しい口を開いて、珠の進がお菓子を放り込む。ちなみに、甘いものをあまり食べない多岐も、みどり屋のものは別なので、大きな手でちまちまとおいしそうに食べている。     「気持ちの大きさ」   「そう。でもそんな話、聞いたってしょうがないでしょう、わかりづらい。だから嫌だったんだ」   「……すみません」   「君の友人のお菓子は、そうだね、不思議な食感で面白かったけれど、甘さもちょうどよかったし、見た目も悪くなかったけれど」   「はい」   「しあわせが足りないんだ、僕にはね」   「……とても、参考になります」   「そう?」   「はい」 「期待して、楽しみに出かけるんだ、いつも。冷やかしのつもりはない」 「はい」 「僕は食いしん坊だから、一度に二つも三つも食べたいの」 「はい」      最高級の菓子店の菓子を食べてみれば、よくわかる。正体はわからないけれど、しあわせな気持ち。食べている時ももちろん、買いに出かける時も、店先で吟味している間も、しあわせな気分になる。でもそれは、珠の進がお菓子に求めるものであって、ミハナの友人が目指すものではないかもしれない。     「職人にとって、優先すべきことや提供したいものは、同じお菓子でも違います」   「だろうね」   「ですから、珠の進さんをしあわせにできなくても、ほかの誰かをしあわせにすることはできるかもしれません。この世の全ての人に喜んでもらいたいというのは、我々の夢ですが、現実では些か度が過ぎるというものでしょう」   「そうだね。すずらんは、気に入るかもしれない」   「はい。友人にうまく伝えられるかわかりませんが、せっかくの教えをありがたく持ち帰りたいと思います」      ミハナはお茶を飲み干し、座布団を外して、手をついて頭を下げて礼を言った。ありがとうございます、おかげさまで、と。すずらんとは年季の違う、堂に入った完璧な所作だった。  長居は無用だ。願いは叶ったのだ。これ以上厚意に甘えての無礼は許されないだろう。ミハナは顔を上げて、珠の進と多岐を交互に見て、もう一度軽く会釈をした。 「大変お邪魔しました」   「あれ、帰るの?」   「これ以上、俺の身勝手にお付き合いいただくのは申し訳なく思います」   「そう?えー残念だな、僕、君のことがもう少し知りたいのに」   「そうですか?」   「そうだよ。ミハナ、君は何の職人見習いなの?」   「あ、申し遅れました。蝋燭です」   「蝋燭か、いいね」   「いいでしょう。蝋燭は、いいです。実家も蝋燭屋なんです」   「そうなの?」   「清白といいます」   「ああ、老舗だね。見世でもよく使うよ」   「ご愛顧ありがとう存じます。でも俺が作っているのは、あんな、こう、シュッとしたのではないんですけど」   「もちっとしてるの?」   「いえ、なんだろうな、うーん、ふくっとして、つるっとしている、かな?」   「何それ、見てみたい」   「では今度、この度のお詫びとお礼を兼ねて、差し上げます」   「嬉しいな、ありがとう」 「お礼を申し上げるのは俺の方です。ありがとうございました。えっと、多岐……の、旦那も」  多岐のことを何と呼べばいいのか。珠の進よりもさらに歳が上のようだし、さっきすれ違った男衆さんの口ぶりを真似させてもらった。結構しっくりくるものだ。その人は珠の進のことはお珠ちゃんと呼んでいた。それはさすがに真似できない。  もう一度頭を下げて、ミハナが立ち上がろうとするのを、今度は多岐が止めた。もう少し、ゆっくりしていかないかと。ミハナはびっくりして、間抜けな声を出す。 「はぁ」 「君の時間が許すなら、もう少し」 「俺は、はい、全然大丈夫なんですが」 「ふふ。ありがとう、多岐」  珠の進はかわいらしく笑って、隣に座る多岐を見た。ミハナの心臓がぴょんと口から出そうなほど、それはそれは可愛い笑顔で、なんだか、見てはいけないのではないかと思うほどだ。多岐は珠の進を見て、こちらも優し気に微笑んで、ああ、と頷く。見事な二人。お似合いという言葉さえ陳腐だ。通い合っていると、見ればそれだけでわかるほど。 「僕がミハナに興味があるんだ。もう少し付き合ってくれる?」 「よろこんで!」 「ありがとう」 「でも俺、何も面白い話は出来ませんけど」 「そう?その友人とか、そういう仲間内でするような話をしておくれよ」 「うーん、難しいなぁ……」 「僕には友人がいなくて、友人っていうのがどういうものかよくわからないから。そういうのを少しだけ味わってみたい」  ミハナのこの度の行動は、多岐も驚いたけれど珠の進もびっくりしていた。友人って、友達って、こんなことまでするのか。面白いなぁ。楽しそうだなぁ。羨ましいなぁ。  珠の進の人生は、この孔雀屋から始まったも同然で、今までかつてこの界隈から遠出をしたことすらない。孔雀屋のある花街の周辺はとても栄えているし、そもそもここはコトだ。この国で手に入るものはすべてここで手に入る。芝居小屋や商店もたくさん集まっている。それらを友達と楽しんだことはないが、とにかく、この狭く濃密な場所で、珠の進はどこか虚ろな日々を泳いでいた。自分の持たない何かを持つ者を、羨ましく感じるのは仕方がない。友達がいないことを不幸だと思ったことはないけれど、こんな風に"友達"というものを目の当たりにして、つくづく自分に縁がないのだなとは思った。珠の進の周りには、男妾としての自分を支えてくれたり慕ってくれたり心配してくれる身内と、男妾としての珠の進を相手に楽しみを得る客の二種類しかいない。少なくとも珠の進はそう感じている。身内は、いい。みんな親切で、今となっては孔雀屋の最年長だから下の子たちはかわいいし、男衆さんや見世を切り盛りする人たち、多岐や孔雀屋の親父さんは、こころから珠の進を大事にしてくれる。だから、居心地はとてもいい。客は、珠の進にとってどこまでいっても客でしかない。ここにいる限り友達などできない。だから多分、珠の進はミハナを部屋へ誘ったのだ。数多の人間と対峙してきた者の勘と言ってもいい。ミハナは面白そうだと、そう感じたから。  ミハナは、このコトで知らない人はいないのではないかと思うほど有名で華やかな男が、友達がいないという事実にぽかんと口を開けてしまった。そして、すずらんを思い出す。彼も、このままここでの生活を続ければ友達を作ることは難しいかもしれない。同じ場所にいる仕事仲間は得られるだろうが、ただ気が合うというだけの、接点の少ない誰かと、損得なく楽しい時間を過ごすことは、もしかしたら。 「あ。別に僕、かわいそうじゃないからね?」  珠の進はあっけらかんとした顔で、ミハナにそう言う。ミハナももちろんですと、何度も頷いた。かわいそうとは思わないけれど。  友達になりたいな。  ミハナは友達が多い方で、それは周囲の人と割と気さくに親交を深めるからでもあるが、ミハナが好意を持った人によかったら友達になって欲しいと、自分からそう言うからだ。一期一会。好きだと言うことは、恥じることではない。照れは、やはり多少あるのだけれど。さらに言えば、友達になりませんかという提案さえ、あまり必要ではない。なんとなく気が合う。話していると楽しい。笑顔がこぼれる。こころが安らぐ。そういう、明確に説明できない心地よさがあれば、それってもう友達なんだと、それがミハナの考えだ。  ミハナは珠の進と友達になりたかった。自分とは全く共通点も接点もない人。しかし、ほんの少し一緒にいただけでわかる。この人はとても正直で、聡明で、底抜けに優しい。友達になれたら、嬉しい。いつもなら、こうして出逢って部屋に招かれてお茶とお菓子までご馳走していただいて、もうとっくに友達だと思うだろう。そしてその後の付き合いと月日が、それをまぎれもない事へと変化させる。でも今この時に、それを口にするのはとてもじゃないが、無理だ。うん、白々しすぎるし、そもそも厚かましいにもほどがある。相手は天下の珠の進だぞ。もう友達だよ!なんて、言えるはずがない。  どうしたものかと落ち着かない気分でいると、そんなミハナに助け舟を出すように多岐が口を開いた。 「珠の。お茶をもう一杯戴けるか」 「ん、誰か」  襖を開けずとも、珠の進の声はいつもちゃんと"誰か"に届くようになっている。ほどなく襖の向こうから声が掛かり、お茶をもう一度入れておくれと珠の進が言えば、はい、とすずらんではない誰かが応えた。いろんな人がいるようだ。先程から、確信はないが襖の向こうに複数の人の気配を感じる。そして珠の進の視線がミハナに戻る。その目が、とてもかわいい。 「えーっと……あ、では、先ほど俺が一緒にいた友達の話を」 「うん、そうだね、それを頼むよ」 「彼は、職人見習いではありますが、俺の様に外からコトへ来て認可を待つ者ではなく、コトの生まれで、実家を継ぐために精進しているんです。家業は染め屋で、もしかしたら珠の進さんの着ている着物の反物も染めているかもしれません」 「そうなんだ。染め屋さんかぁ、ご縁があるね」 「はい」  それで、とミハナが話を続ける。彼と知り合ったきっかけ。職人見習いという同じ立場。家を継ぐ者と継がない者のそれぞれ異なる苦労。 「彼はコトにとても詳しいので、よくいろんなことを教えてくれます」 「そうなんだね。例えば?」 「俺の実家の方では、あまり決まった日に決まった食べ物を食べるという習慣はないんですが、コトは割としょっちゅうありますよね。お菓子なんかでも」 「そうだね。そういうので、季節を感じたり、日常の楽しみにしたり、また食べられたことに感謝したりする」 「はい、とても、いい文化だと思います。そういう」 「失礼いたします」  ミハナの舌もようやく回り始めた時、襖の向こうから声がした。珠の進がおや、という顔を見せてから、わざわざ立ち上がって、自分で襖を開けに行った。多岐も少し、不思議そうな顔をしている。 「どうしたんです、お兄さん」 「いや、暇でね。お珠ちゃんの顔を見に来たよ」  珠の進が招き入れたのは、熟年の男性だった。多岐も頭を下げている。それに倣ってミハナも会釈をした。目じりを下げて、その人は上品な動きでミハナの隣に腰を降ろした。彼の手にあったお盆に乗ったお茶の一式は、珠の進が当然のように引き取っている。 「やあ、僕が淹れてあげるよ、お珠ちゃん」 「よしてください、お兄さん。僕がします」 「そうかい。お珠ちゃんのお茶は美味しいからね。嬉しいね、ねぇ、多岐の旦那」 「はい。お兄さんも、お元気そうで何よりです。最近冷えますが、お風邪など召されてませんか」 「うん、ぬくぬく過ごしているよ。うちの子たちが、寄ってたかってあっためてくれるんだ」 「今は、何匹」 「ふふふ。また拾ってしまってねぇ、六匹だよ」 「猫も、お兄さんに拾ってもらえれば、よい余生を送ることでしょう」 「おや、子猫だとは思わないのかい?」 「子猫なのですか?」 「僕と同じくらいのおばあちゃんさ」 「はい、お兄さん、どうぞ」 「やあ、ありがとう」  お兄さん、と呼ばれるその男性は、多岐とのんびりと世間話をし、みんなそうなのか、多岐を多岐の旦那と呼び、珠の進をお珠ちゃんと呼んで、珠の進の淹れたお茶に目元をほころばせた。とても仲がいいようだ。そんな彼が、ミハナの方を見る。ミハナは改めてもう一度頭を下げた。珠の進がきちんと、ミハナを紹介してくれる。 「お兄さん、そちら、ミハナという職人見習いさんです」 「そう。初めまして、ミハナくん。僕は貞吉といいます。むかしこちらの見世で働いていた者です」 「ご丁寧にありがとうございます。ミハナと申します。蝋燭の認可待ちをしている職人見習いでございます。どうぞよろしくお願いいたします」 「やあ、もしかして、あの綺麗な器に入った風変わりな蝋燭の?」 「あ、はい、恐らく、それは俺の蝋燭です」 「そう。あれは、いいね。僕は好きだよ」 「嬉しいです!ありがとうございます!!」  思いがけず褒めて貰えて、ミハナは思わずとても大きな声を出してしまった。嬉しい。とても嬉しい。上気する頬に手をやって、ああ、ありがたいと心底思う。珠の進はさらに三人分のお茶を淹れて、貞吉の方を感心した顔で見つめた。 「相変わらず、よいものをご存じなんですね、お兄さん」 「お珠ちゃんは、この子の蝋燭を知らないのかい?」 「ええ、なんでも、ふくっとしていて、つるっとしているとか」 「そうそう。綺麗な器に入っていてね。蝋燭は、まっすぐなのをそのまま立てるものだと思っていたけれど、ああいう置いて使うのもいいね。水に浮く物もあるんだよ」 「僕も今度買いに行こうかな。お店はどのあたり?」 「おや?お珠ちゃんは、ミハナくんと友達ではないのかい?」 「え?」 「お珠ちゃんが友達を連れてきたって、下で大騒ぎだったから、僕は古顔という立場を最大限に利用して他の人たちを押しのけて、お茶を持って行く係を強奪して野次馬根性を包み隠さず物見遊山に来たんだけど」 「お兄さん、相変わらず、身も蓋もないおっしゃり様ですね」 「じゃあ、ミハナくんは、お珠ちゃんのなんなんだい?」 「え?さっき偶然甘味屋に居合わせて、僕と話がしたいって、追いかけてきたんですよ」 「なんだいそれ。そんな変な子を、無防備にここへ入れて部屋に上げるなんて正気の沙汰じゃないよ」 「まあ、そう、なんですが……」  多岐は珠の進の隣でうんうんと頷いている。今となってはミハナへの警戒心は薄くなったとはいえ、珠の進の行動は褒められるものではないと思うから、貞吉の意見には大賛成なのだ。ミハナはまともだったけど、そうではない場合が多い。だからもうこんなことをしてはいけない。そう言おうとして、珠の進がこんなことをしたのはこれが初めてだと今更ながらに気づかされる。普段、知らない人間にはとことん無関心なのだ、この美しい男は。  貞吉の指摘を受けて、珠の進はよくよく自分の行動を振り返った。本当に、危なっかしいことこの上ない。もしも万が一、自分の下の子たちがこんなことをすれば叱るだけでは済まされないし、ここは孔雀屋の住居棟。住むのは魅力的な者が多い。そんなところに不用心にも見ず知らずの、甘味屋から走って追いかけてくるようなおかしな子を招き入れるなんて、本当にどうかしている。こんなこと、したことがなかったのに。  変な子呼ばわりされ、誰にもそれを否定してもらえないミハナは、居心地の悪い思いでもじもじと、座布団の端っこをいじっていた。 「……お兄さん」 「うん?」 「僕、友達がいないんです」 「知ってるよ。僕はお珠ちゃんがここへ来たその日からずっと見ているからねぇ」 「友達って、どうやって作るんですかね」 「そりゃ色々と、あるだろうけど」 「よく知らない人でもいいのでしょうか」 「時と場合によるけどね。お珠ちゃんは、自分の人を見る目を信じていいんじゃないか」 「はあ」  貞吉はお茶碗を両手で持ったまま、ちらりと一瞬ミハナを見た。座布団の端っこについている房飾りと格闘中のミハナはそれに気づかなかった。貞吉はお茶を一口飲んでから、珠の進ににっこりと笑いかける。 「いつのまにか友達ってのが、よくあるとこなんだけどね。言わなきゃわかんないようなら、言えばいいんだよ。友達にならないかい、ってね」 「……僕、言ったことありません」 「なんだって、最初の時はあるよ。一度やれば度胸がつくってもんさ」 「はい」 「頑張れそうかい?」 「はい!」  珠の進はとてもいいお返事をして、卓の対面に座るミハナを呼んだ。座布団の端っこに圧勝しつつあるミハナは、なんでしょうかと顔を上げる。珠の進はキリリとまなじりを上げて、至極真面目な顔で口を開いた。 「ミハナ、ちょっとお手間だけどね、僕の友達に、友達になっ、僕と友達に、なら、なるっていうのは、どう、その、いかがなもんだろうかね」 「最高だと思います!」  間髪を入れず、ミハナは両手を上げてその提案に賛成した。望むところだ。願ったり叶ったり。渡りに船。なんだかそういう、とても運のいい言葉を並べ立てる。珠の進は、そんなミハナの反応が予想外で、でもどうやらうまくいったらしいとわかると、たおやかな手をぎゅっと握って、美しく破顔した。 「じゃあ、もう、僕はミハナの友達なんだね」 「はい。嬉しいです」 「僕もさ。ねえ、ねえ、多岐。僕に、友達ができたよ」  頬を薄く紅潮させて、珠の進が隣に座る大柄な男の袖を引き、おかしなことになったねぇと笑う。とても、楽しそうに。多岐はそんな珠の進を見て、もっと楽しそうに嬉しそうに笑った。 「おかしくないさ。上出来だ。さすがだな」 「そうかな、ふふ、そうかな」 「ああ」  多岐が珠の進を見る目は、本当に優しい。それを見ていると、なんだか、胸が苦しくなる。出会ってまだ、ほんのわずかな時間。ミハナは、多岐に優しくされる珠の進を羨ましいと思ってしまうほど、多岐に惹かれ始めていた。恋をするのに、時間は要らない。恋をするだけなら、その人に想い人がいても、かまわない。片想いというやつだ。これはなかなか、厄介なのだけれど。 「ミハナ、ミハナは僕を、なんて呼ぶんだい」 「え?そうですね、えっと」 「お珠ちゃん、でも、僕は構わないよ」 「それはさすがに、ドキドキしちゃいますね、うーん、お珠さんというのは、どうでしょう」 「おや、斬新だね。誰もそんな風に呼ばない。ミハナは友達だから、特別にそう呼んでもいいよ」 「ありがとうございます!」 「やあ、いいところに出くわしたもんだ。長生きはするものだね」 「いやですよ、お兄さん、さっきから年寄みたいなことばっかり言って」 「お珠ちゃんに友達か。いいねぇ。コトの華が、ますます輝くね」  貞吉はミハナの方に向き直り、ミハナくん、うちのお珠ちゃんはいい子だからね、君もこれから楽しくなるよと笑った。ミハナは、深く頷いて、きっとそうでしょうねと応える。 「お珠さんと友達になれるなんて、今日は本当に、俺の一生分のツキを使い果たしちゃったような気分です」 「大丈夫さ、ミハナ。足りなきゃ僕のを分けてあげるから」  こうしてミハナは珠の進と友達になり、その大事な友達の情夫にこころをときめかせ、恋煩いを得てしまった。隠すさ、もちろん。だって、かないっこないし、横恋慕なんて本意じゃない。ただ、そう、好きになってしまっただけ。 「ミハナくんは、若いのに頼りになりそうだ。珠のは少しぼんやりしているから、俺からもよろしく頼むよ」  そう言って、ミハナに自分の恋人を託す多岐の顔は、ああ、やっぱり底なしに優しい笑顔だった。大きな恋ごころとほんの少しの罪悪感に胸をいっぱいにしながら、ミハナは多岐に頷いた。 ◆  後日、珠の進は多岐に付き合ってもらってミハナの店を訪れた。ミハナが買わなくていいですよあげるからと言うのを聞かず、いくつか気に入った蝋燭を購入した。それは別に、友達だからという義理で金を支払ったわけではなく、金を払うのが惜しくないほど気に入ったからだ。ミハナは恐縮しながらも、ありがとうございますと嬉しそうに商品を包んで、珠の進に渡した。 「本当は、あるだけ全部欲しいんだけど」 「え!そんなに蝋燭要りませんよね?」 「気に入ったから、うちの見世の子たちに配って回って教えてあげたいんだ」 「お珠さん……!なんていい人……!でもあるだけ全部は売れないです」 「うん。だから今日は、自分のが二つと、親父さんのと、禿の子の分四つだけね」 「十分すごい量ですけどね。すずらんさん以外にも、禿さんがいるんですね」 「この間ミハナが来たときは、すずらん以外の子はお稽古に出てね。すずらんより少し年上だから」 「そうですか。その子たちにも、気に入ってもらえるといいんですけど」 「そうだね。喜ぶといいなぁ」  認可待ちの職人見習いの作業場兼店が立ち並ぶ界隈は、そういう将来性のある新しいものを品定めに来る客や、すでに贔屓の店を作って足しげく通う客や、そこを根城とする職人見習い本人たちで本日もにぎやかだ。そこへ、多岐と珠の進という有名人が現れたのだから騒然とした。ミハナの店の周辺には人だかりができ、彼らが店を去った後は、珠の進がここの蝋燭を買ったぞということで、我も我もとあっという間に棚に並べていた商品が売り切れてしまうこととなった。ミハナの友達は昼下がりの大騒動に呆気にとられつつも、会計やらを手伝ってくれて、店を閉めた後にはしっかりと問いただされた。お前、珠の進とか多岐とか、なんで知り合いだよ!?と。 「なんか、この間、甘味屋で偶然隣の席になって、なんか、色々あって、なんか、そう、うん、ありがたいことに」 「はあああ!!!???意味わからんのですけど!?」 「ねー、俺も、意味わかんないけど、とんとん拍子に、ねー」 「はあああ!!!???」  ちなみに、多岐も一つ購入した。珠の進が狭い店をうろうろと楽しそうに見回っているとき、ミハナの傍に来て、小さい声で言ったのだ。 「俺も一つ、買いたいんだが、これだけたくさんあると迷ってしまってね。ミハナくん、選んでくれないか」  困ったようにはにかむ彼の金の目が、自分を見ているというだけで、ミハナは緊張したし有頂天になった。はしゃいではいけない。多岐は珠の進の。それでも、早くなる鼓動は抑えようがなく、自分の恋心を痛いほど自覚させられる。 「部屋で、灯りとして使われますか」 「ん?ああ……ほかに何か、使い道があるのかな」 「えっと、風呂場とかで使っていただくのを想定したり、あと、こちらは器が透明で花びらを内側に沿わせて蝋を入れているので、少し高い場所に置いていただけると見栄がします」 「ほお……、これは?」 「そちらは、音が鳴ります」 「音……が?鳴る」 「ええ、音が鳴ります」 「……では、これは」 「それは、ここの空いているところに、融けた蝋が流れて」 「多岐!抜け駆けだ!」 「お、みつかったか」  勢い込んで突進してきた美しい男に、珠のはどれを買うんだ?そう言って、珠の進の手元を多岐がのぞき込む。楽しそうに笑い合う二人が、とてもとても綺麗でお似合いで、ほんの少しため息が出る。買い物を終えた二人を店先まで出て見送って、どうにかして早々にこの恋に見切りをつけないと、せっかく得た新しい友達まで失いそうだ。ミハナはぺちぺちと自分の頬を叩いて、予期せぬ売り切れを補充すべく、店の奥にある作業場にこもって蝋燭作りに没頭した。  珠の進は、友達がいると毎日に張り合いが出るものなんだねと、帰る道々に興奮したように多岐に話していた。多岐はそんな珠の進を見ることができたのが嬉しくて感慨深くて、ミハナというまだ付き合いの浅い青年に感謝の気持ちさえ持った。 「重いだろう。俺が持とうか」 「平気だよ。すごいね、ミハナ。あんなにいろんな種類の蝋燭を思いつくなんて。僕が買ったのはね、とってもきれいな形のものだよ。火を灯すのがもったいないような気がするね」 「ああ、そうだな」 「ミハナは、使って形が崩れた蝋燭も、いいものだって言っていた」 「彼は明るくて落ち着きがないような感じなのに、そういうところは懐が深いんだな」 「そうだね。多岐は結局どれを買ったの?」 「迷ったから、ミハナくんの自信作を教えてもらった。珠のの買った中にもあるな」 「ああ、これか。これいいよね。そう、ミハナの自信作なんだね。だってとても出来がいいもんね」 「聞かずともわかる珠のは、やはり見る目があるな」 「そりゃそうだよ。だって僕は、ミハナの友達だからね。すぐわかるんだよ」 「大したもんだ」  笑い合いながら散歩がてら、孔雀屋までの道を行く。二人にとって、ミハナはとても好ましい人物となった。珠の進はそうそう外出はしないけれど、時々誰かに頼んでミハナの店にお菓子を届けさせたり手紙のやり取りをしたりして友情を育み、多岐は多岐で、珠の進の話を聞いてはミハナくんはいい子だなと至極真面目に頷いた。二人とも、あまり交友範囲は広くないし、仕事仲間を含めて周りの人間に執着心は薄いのに、ミハナのことはよく話題にし、顔を見れば構い、特別扱いをした。ミハナはミハナで、恋心と友情をきちんと扱い分けて折り合いをつけて、だらしなくないようにと気を付けながら、二人と接した。

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