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第16話
「押収品の中から、君の店の包装紙は返却してもらえるように頼んでおいたよ」
「ありがとうございます!助かります」
オオクマと食事をして、自宅に戻ったらミハナがいてくれて、多岐はとても上機嫌だ。外套を脱ぎながら話しかければ、すっかり寝支度で寛いでいたミハナがお茶を淹れてくれて、一緒に食卓に座る。
「オオクマさん、なんて言ってました?」
「うーん……煮え切らないことばかり繰り返していた」
「は?」
「俺は惚れたわけじゃないとか」
「へぇ」
「うん」
「ちょっと話してきます」
「ままま、待って、ミハナくん、あの」
「俺の友達に手ぇ出しといて、何ふざけたことを言ってんでしょうねぇ」
「いやっ、ちが、違うんだ、俺の言い方がまずかった。その、あれだ、まだ、腹が決まらないと言うか」
「へぇ」
「うん」
「ちょっと行ってきます」
「いやいやいやいや」
「冗談です」
ミハナはにっこり笑った。いや絶対本気だったでしょうが。まったく若い子は見境がないから危なっかしい。酔いもすっかり醒めて、多岐は、とにかく二人は睦まじくやっているようだから、不慣れなところもあるみたいだけど、そのうちまた四人で食事でもしようと言ってこの話を終わらせた。ミハナは、事と次第によっちゃあ許さないぞと思いながら、そうしましょうと頷いた。多岐は何度も頷き返して、風呂に入ってくるよと立ち上がる。
「あぁー……」
風呂上がりに脱衣所で、多岐が情けない声を出す。ここのところ仕事が少しバタバタしていて、ここに置いている寝間着だとか下着がすっからかんだった。ぽっかり空いた棚を眺めて、まあ、いいか、と呟く。自室にはあるのだ。洗濯が終わって乾いてある程度畳まれた、寝間着も下着も。それをここへ仕舞うのを面倒がっていただけだ。ただし、居間にはミハナがいる。でもまあ、気にしないだろう。ちょっとだらしない人だとは思われるかもしれないが。多岐は浴巾を腰に巻いて、居間に戻った。
「んー、おかえりな……なっ!?」
「すまない。下着とかを、こっちに」
扉の開く音に反応して、ミハナが戻ってきた多岐に声を掛けながら振り向いて、変な声を上げた。真っ裸かと思った。そうではなかった。いやでも、なんて格好で出てくるんだ!?多岐は自分の部屋を指さして、ごにょごにょと言い訳をしながら、ミハナの意外な反応に驚いていた。顔を背けても、耳や首筋が真っ赤になっているのがわかる。
「ミハナくん」
「はい……って、わあ!もう!さっさと着てくださいよ!」
「少しは俺を意識してくれてるのかな」
「はぁ!?この酔っ払い用心棒め……」
多岐が、二人が良く寛ぐ大きくてフカフカの長椅子に座るミハナの隣に腰を降ろして、ミハナにちょっとくっつく。立ち上がって逃げようとするミハナを、背中から抱え込んで掴まえる。ギュッと力を込めると、自分がほとんど裸なのもあって、ミハナの体温や鼓動がびっくりするほど伝わってくる。
ミハナは多岐におぶさるようにくっつかれて、混乱した。何やってんだよこの人は!意識してるに決まってるよね決まってるじゃん決まってるわ馬鹿!!と叫びたい。うぐぐぐと唸り声をあげてどうにか抜け出そうとするが、無理な話だ。腕太い、重い、近い。
「ちょっと、多岐の旦那!放してください!」
「ミハナくん、ドキドキしてる」
「もう!当たり前でしょうが!!好きな人がそんな格好でウロウロして、くっつかれたら、意識もするしドキドキもするんですよ!」
マジでおふざけが過ぎるよ!正直ずっと我慢してるんだからね!襲っちゃうよ!?と、そこまではさすがに口にしない。酔っていてふざけているとはいえ、大事な人を傷つけかねない言葉は絶対に言わない。
一方の多岐はのんきに抱き心地がいいなぁと思いながら、ミハナの浴衣の襟元から覗くうなじに、軽く口づけした。ミハナの身体がビクンと揺れる。騒がしかった雰囲気が、一気に変わる。
「……本当に、旦那、放し、て」
ミハナの声も変わる。俯くせいで、うなじはますます多岐の目前にさらされる。そこにもう一度多岐が口づけを落として、ミハナがもう一度抗議するより早く、ミハナをひっくり返しながら長椅子の座面に押し倒した。
「いい加減に」
「少し、わかったよ」
「何が!」
「クマの気持ちが」
滾る、と、クマは言っていた。その時はピンとこなかったが、今分かった気がした。もう少し、知りたい。大きいとはいえ広くはない長椅子で、仰向けで押さえ込まれて、ミハナは多岐を見上げるしかない。だって少しでも視線をずらすと、多岐のむき出しの身体が目に入って、もう、やばい。察して欲しいし退いて欲しいし、退けよって思う。
「多分君には、不要な心労とか我慢を強要していたんだろうな」
今思えば、あの時自分の体のことを話しておいて良かったと多岐は思っている。仲が深まっていくと、言い出しにくくなっただろうと。でも、そのせいでミハナが色々と気を使ってくれただろうということもわかる。事あるごとに口づけをくれるのは、多分二人にとってそれが最大限の接触だからだろう。その先はない。その先を匂わせるような、求めるようなこともできない。ミハナは健康だ。健康な青年が性的な興奮を覚えるのはよくある事で、それを多岐に悟らせないようにずっと、苦労していただろう。
多岐を見上げるミハナは、今まさにそうだった。まだ乾ききらない髪の重そうな金色も、自分を見下ろす瞳の少し陰った金色も、とてもきれいだ。そして、目の当たりにさせられた裸体は、見たことがないような感じだった。今まで付き合いのあった友人だとか恋人だとかは同じような年頃が多くて、こんな風にどっしりと逞しくて筋肉の凹凸に少し脂肪が乗ったような、なんとも言えない大人の色気を感じる身体の人はいなかった。直視したらまずい。一瞬見ただけなのにしっかり頭に焼き付いてしまって、ちょっと、だから、さっきからやばいのだ。
「人間の身体は不思議だ」
「え?」
ミハナの赤い頬や潤んだ目を見ていたら、そんなミハナを押さえつけていたら、すっかり抜け落ちたと思っていた性欲が、わずかに多岐の中に点る。それは本当に小さい。でも、予感はある。あっという間に大きな炎を吹き上げて、内面を焼きそうな予感だ。
「君を見ているだけで、股間が落ち着かない」
「え……」
「久しぶりすぎて忘れた感覚だが、君とそういうことをしたい気分だ。身体も、反応しそう」
ミハナに無駄な期待をさせたくはないが、こんなことがまた自分に起きるなんて予想外だったから、この動揺を一人で抱えていられない。多岐は苦笑いをして、どうしようか、とミハナに聞いた。ミハナは、パチパチと瞬きを繰り返し、自分の中で整理と分別をつける。言いたい事と言ってはいけない事。
「えっと」
「うん」
「……できそう?」
したいのだ。身体のつながりが全てだとは思わないけれど、好きな人の全てが欲しいという気持ちは誤魔化せない。ミハナにとって避けるしかなかったこういう会話ができるだけで大いなる前進で、怯んでなどいられない。
「どうかなぁ……あんまり久々で、よくわからん。もし途中で役に立たなくなったら」
「はい」
「君が抱いてくれ」
「いいんですか?」
「うん。そのくらい、君を抱きたい。俺が抱けなくても、君と身体を重ねたい」
身勝手な話で申し訳ない。でも、正直な気持ちだ。多岐は真剣にそう言った。もしかしたらミハナだって自分を抱く側の方が好みかもしれないけれど、今日のところは譲ってほしい。
ミハナは嬉しくて、多岐の首に腕を回して引き寄せた。こんなことならもっと早くに話し合って、誘えばよかったのかもしれない。一緒に寝ていて、眠れない夜も起きられない朝もあったわけだ、こちらの股間の都合で。それに、ミハナは両方経験があるけれど、多岐はなさそうだ。抱かれる側の方が慣れが必要だと思うから、自分がそちらで不満はない。だから、したい。
ミハナに引き寄せられるままに身体を倒し、多岐がミハナの唇を塞ぐ。舌を絡めて貪る。髪を撫でて、指先で耳元を擽る。その巧みさと情熱的な動きに、ミハナはあっという間に煽られるし、根を上げた。
「ん、あの」
「うん?」
「で、できれば、お布団に」
「そうだな、うん。ははは、何だかもう、恥ずかしいな」
「恥ずかしいですか?」
多岐は自分の髪を大きな手でかき上げつつミハナの上から退くと、ミハナに手を差し伸べた。ミハナはその手をぎゅっと握って身体を起こす。多岐は、握ったミハナの手を引き寄せて唇で触れて、目尻を下げて微笑んだ。
「少しね。いつも俺は、なんだかんだモタモタしたりグズグズ言ってて、いざとなれば結局、自分の欲求に簡単にひっくり返される」
「えっと」
「ずっと長い間、性的な興奮も衝動も、なかったのに」
「はい」
「それだけ、俺は君が好きなんだろうな」
ミハナは、驚きのあまり動けなくなった。そんなミハナを見て、多岐は少し困ってしまった。わかっている。自分が悪いのだ。
「今更だよな。でも、ちゃんと伝えてなかった。言葉にしてなかったね。俺はミハナくんが好きだよ。とても、好きだ」
「……遅いです」
「すまん」
「すごい遅いですよ」
「ごめん。悪かった」
「本当に悪いと思ってますか」
「思ってるよ。お詫びに、穴埋めに、これからは君が聞き飽きて嫌になるくらい言おう」
「……うん」
「好きだよ」
「俺も好きです。俺の方が好きです」
「よかった。でも多分、俺の方が好きだと思う」
ミハナが笑ってくれたので、多岐も笑顔になる。二人して立ち上がって、寝室へ。天井灯はつけずに、小さな間接照明と、多岐は枕元においてあるミハナの蝋燭に火を点した。
「それは、俺がちょっと恥ずかしいです」
「そう?でも、いい雰囲気だろう?」
「えー……」
「いいじゃないか」
全然良くない。真っ暗じゃないと困る。浴巾を外して真っ裸になった多岐は、目の毒だ。寝台に二人で上がれば、本人が「落ち着かない」と言っていた股間を、やっぱり見てしまう。そこは流石に蝋燭の灯り程度では影になって良くわからないものの、だからこそ余計に大きく見える気がする。あからさまに勃起はしていない様だけれど、確かに多少、落ち着かなくなっているのだろう。でなければその大きさの説明がつかない。大きいというか、重そうというか、なんだか、すごい。ジロジロ見て多岐のその気が失せたら困ると分かっているのに、目が離せない。
ミハナの浴衣を脱がせようと多岐が手を伸ばすと、ミハナは慌ててちょっと後ずさる。
「あの!」
「……やめるかい?」
「違うんです。今日、あの、俺のお気に入りの屋台が来てて!」
「うん」
「昼も夜もそこで食べちゃって!あ、あとあと、ずっと最近多岐の旦那の車に乗っていたから運動不足で!」
「うん」
「……ちょっと、お腹出てるかも、俺」
「ははは」
笑い事ではない。多岐の肉体美に比べたら、自分の貧相な身体が恥ずかしい。だからもう少し暗く、例えば蝋燭を消してもらって、じゃないと脱ぐに脱げない。いつもはそんなの全然気にならないミハナだけれど、多岐がかっこ良すぎて動揺しているのだ。多岐は自分の心配が外れてホッとして、ニコニコしている。
「じゃあ、出ているお腹を見せてもらおうかな」
「えええ〜……」
「お腹が出ていてもいいよ。触り心地が良さそうだし」
「旦那はなんでそんなにムキムキなんですか」
「さあ?何もしてないが」
「はい出た。絶対何かしてるでしょ!?」
「ミハナくんと暮らしてた時、何もしてなかっただろう?お酒飲んでぐうたらしてるんだよ、俺は」
「確かに……!」
「さて、俺が脱がせてもいいのかな?それとも自分で脱ぐ?」
「あかりを」
「俺はせっかくだから、ミハナくんをよく見ていたいなぁ」
「……俺もです」
「うん」
ミハナが自分で帯をほどいて、多岐はそれを眺めていた。これなら脱がせてもらった方がマシだ。視線が痛い。ミハナはバババババっと寝巻を脱いで床に放り投げ、多岐に抱きついた。
「熱烈だな」
「くっつくと、見えないでしょ」
「うん。まあ、追々」
「すけべ」
「そうなんだよ。自分でも意外だが、俺はすけべだ」
お互いの肌のぬくもりが、触り心地が、気持ちいい。何度も口づけを交わして、多岐がミハナに覆いかぶさるように押し倒す。経験はないが、耳年増であることに自信はある。ミハナに不快な思いは絶対にさせたくないし、できればうまくやりたいし、さらに言えば、一緒に気持ちよくなりたい。初心者には過ぎた目標だろうか。
「不慣れなんだ。緊張してるし、興奮してる。君に嫌われたくないが、うまくできるかわからない」
「旦那、そんなの俺もそうです。それに、うまくできなくったって、いい」
「しかしな」
「もし俺が上手に旦那に抱いてもらえなかったら幻滅しますか」
「しないよ。馬鹿なことを言うもんじゃない」
「俺もしません。こういうことしたいって、旦那が言ってくれただけで、俺、嬉しくて」
「俺も嬉しい。でも、うまくやりたい」
「ごうよく~!」
「かもしれん」
もっともっとと、ひたすら思ってしまう。多岐はそのことに少し負い目を感じ、ミハナはそのことが嬉しい。
「水を差すわけではないのですが」
「うん」
「……最初なので、俺と、多岐の旦那がこういうことをするのが最初なので、えっと、ご期待に沿えないかもしれません」
「……そうか。そういうものかな」
「はい。俺も緊張してますし」
「うん」
「なんか、ちょっとまだ、遠慮もありますし」
「うん」
「なので、今日は、ほどほどかなって思うんですけど」
「うん」
「……これから、何回も、したいです」
「承知した」
何度もしよう。お互いの肌がないと飢えてしまう位に何度も。今日がその始まりだと思えば、もしうまくいかなくたって大丈夫、その次があるし、その次もある。しかしとりあえず、今夜だ。今だ。まさかこんなことが起こるとは思っていなかったミハナは、少し慌てている。多岐はこういうことに疎いのだろうから、自分が様々気遣うべきだろう。勢いに任せてこの状況になって、離れがたくはあるが、居間にある自分の荷物を取りに行かないと。常備薬なんかと一緒に、こういう時に使うべき品が入っている。
「あの」
「うん?」
多岐の手は、ミハナの肌を撫でている。大事な大事な子だ。同時に、全部自分に差し出して欲しいという強い欲望の対象。より深く、奥まで、交われるのか。その予感に、こころも身体も興奮する。ああ、滾る。なのにミハナはモジモジしてる。
「どうした?」
「えっと、ちょっと、要るものが」
「……ああ」
「はい」
「そうだな。要るものがある」
「はい。俺、持ってます。なので、あっちに取りに」
「俺もだ。珠のがくれた。だからここにいて」
珠の進は多岐の身体のことを知っている。でも、人の身体を、その変化を、様々目の当たりにして生きてきたので、ミハナと交際し始めた多岐にこういうものが必要になることがあるかもしれないとも考えた。別に、多岐が勃起しなくてもミハナがすればいいのだし、挿入を伴わなくともいくらでも方法はある。どんな場合も、精液が相手の体内に入らないようにする物や、潤滑剤は使った方がいい。珠の進が愛用している身体に優しくて使いやすいものを多岐にまとめて渡していた。貰った当時、多岐は複雑な気分だった。使うあてがなかったからだ。珠の進の先見の明。今になってそれに盛大に感謝している。興奮しすぎて完全に忘れていたが。
ぐっと肘を伸ばしてミハナの上から上半身を起こし、多岐が寝台の傍の棚の引き出しに手を突っ込む。この辺りに、放り込んでおいたはず。時々身体を伏せてミハナの額や鼻先や頬に口づけをしながら、至ってものぐさな調子で目的のものを探る。なんとなくそれらしき何かが指に触れ、ああよかった、捨ててなかったと思いながら、掴み出して、ミハナをしっかり抱きなおして唇を重ねる。
「これですか?」
「ああ」
「見たことない……絶対特級品ですよね」
「かもな。俺に持たせたんだから、ミハナくんと使うとわかっているんだし、おかしなものは寄越さないよ」
「……使います、よね?」
「全部使う」
「それは無理」
「冗談だよ」
広口の容器の中身は潤滑剤だろう。手のひらほどの直径で底が浅い。多分、一回分だ。市販されている一般的な物はこういう個包装に近い形ではなく、もっと背が高くて容量の大きい入れ物にたくさん入っている。珠の進からの贈り物はその容器さえ細工のしてある硝子製。特級……超特級品だろう。それを惜しげもなくコロコロといくつも。もしかしたらまだ引き出しに入っているかもしれない。ありがたいけれど、少し恥ずかしい。もう一つ渡されたのは、いわゆる避妊具だ。男同士で妊娠の可能性はないけれど、妓楼でももちろん、付き合いの浅い相手とはそういうものを使うのが当たり前だ。相手の了承を得ずにその配慮を省くことは暴行であり、さまざまに罰せられる。
「わー、液体のやつだ」
「ん?ああ」
こういうものは、日々進歩する。現在の最新の製品は、液体を性器に塗布することで、それが渇いて被膜となるというものだ。大昔からある伸縮性のある袋状のものを被せるという製品も、その素材や薄さその他付加価値で進化し続け広く使われているが、液状のこれはまったく新しく、大きさや形に使い心地が影響されないので人気が高い。袋状のものは性器がある程度大きくなってから装着するので盛り上がりに小休止が入ってしまうが、液状のものは序盤で塗ってしまえばいいのでそういうところも使い勝手がいい。しかしその分値も張る。買えない額ではないけれど、正真正銘一回きりの使い捨て消耗品の割にはお高いのだ。ミハナは一度だけ使ったことがあるが、それをこんなにいくつもくれるなんて珠の進はすごい。お礼をしないと。多岐はさっきからずっと、ミハナのあちこちに口づけをしては撫でまわしている。あまりそういうものに興味を持っていないからだ。多岐の興味はすべてミハナに注がれている。
「俺がしてもいいですか?」
「え?……ああ、でも、元に戻るかもしれない」
「あ、いえ、えっとじゃあ、旦那が自分でしますか?」
「ミハナくんに塗ってもらう方が嬉しい」
であれば遠慮は要らない。萎える時は萎えるのだ。向かい合うように座って、少しだけ照明を明るくして、ミハナは珠の進愛用の液体型避妊具を手のひらに出す。ほんのりと色がついている。とろみもあるが、ほぼ水のようなものだ。零さないように注意して、多岐の陰茎に塗る。多岐は初めて他人にそんなところを触られて、心配していたことは起こらなくて安心した。久しぶりに勃起しつつあるそこの元気がなくなるのではないかと思っていたのだ。こころと身体は別物で、ミハナに触れられるのが嬉しくても、緊張やらなんやらで常態へ後戻りすることも想定していたのだが。自分はとても単純な生き物らしい。それが今はとてもありがたい。
ミハナは、塗りこめながらマジマジと多岐のそれを眺めた。太いとか大きいとか、そういうのはもちろんそうなのだけれど、一言でいうと"立派"だ。まだ少し柔らかさを感じるのに、生唾を飲むほど、立派だ。緩く握って、上下に軽く擦って、件の液体を塗り残しのないようにまんべんなく広げていく。そうすると、また少しかたくなった。液体はゆっくりと乾いていき、すっかり被膜となれば透明になる。すでにその状態であるのに、ミハナは手淫を、すでにミハナの手の動きは愛撫になっていて、それをやめず、多岐は股間からの懐かしいような快感に目を細めてミハナを抱き寄せた。
「気持ちいいよ、すごく。ミハナくんは上手だな」
「上手かは、わかりませんけど、気持ちいい?よかった」
「気になるところに、塗っていいよ。風呂には入ったが」
「え?」
この製品が妓楼などの売買春の場で喜ばれるのは、液体であるがゆえにどこでも塗れるということにある。春を鬻ぐ者は、自分の口や舌を使って相手の陰部を慰める。それが陰茎だけにとどまらず、ぶら下がる袋や尻の穴まで舐めることもある。できればやりたくないと思ってもそれが仕事だ。でも、これを塗れば、見た目や感触ではわからなくとも確実にそこには遮るものがある。多岐はそういう話をずっと珠の進の部屋で寝転がりながら耳にしていたので、ミハナにも進言したのだが、一般的な使い方ではなかったようだ。
「これは、ここに塗るものでは」
「……うん、そう。後で話そう」
「裏技を知っているんですか」
「大したことじゃない。続けよう」
情報は役に立つが、時々使い方を間違えることもある。不思議顔のミハナをぎゅっと抱きしめると、多岐は改めて押し倒した。
「……こんなものだったか」
「こんなものとは」
「自分の性器がこうなるのを見るのが久々で、こんな風だったかなと」
「はあ」
どうやら使いものになりそうだが、自分のこれはこんなにも醜悪だっただろうか。普段から無意識にあまり見ないようにしてきたから、そもそも勃起していない時の様子もあいまいだが。
ミハナは不思議そうに自分の股のあたりを見て首をかしげる多岐にびっくりしていた。今のところ、その、うん、大丈夫そうだけど。こんなものっていうか、すごいんだけど。入るかなって、心配になるほどだ。その心配は多岐も同じだ。もう少しかたさが増せばいいけれど、とりあえずこの程度でも性交するにはミハナのあそこを柔らかくしてもらって受け入れてもらうしかない。珠の進の愛用品第二弾は、蓋を開ければなにやらいい香りがして、二人を照れさせた。
「あっ……も、う、いい、でしょ?」
「だめだよ、もう少し」
「や」
「協力してくれ、ミハナくん。君を抱きたい」
そう言われてしまえば、ミハナは頷くしかできない。多岐は先ほどからもうずいぶん長いこと熱心にミハナの後孔を解している。潤滑剤を乗せた指を、そこへ入れた時、多岐は初めてのことに驚いた。熱い。人間の身体の中はこんなにも熱いのか。それに、予想していた感触とは違う。拒むような収縮と、甘く漏れるミハナのため息。思いがけないほどの興奮に襲われて、一瞬我を忘れそうになった。痛くはないと言う。でも多岐は知っている。ちゃんとしないと痛くなるのだ。そしてそうなればすべてが台無しだと。知っている。なんならそういう相手はちょっと嫌いになる。知っているのだ、何度も聞いたから。そんな事態は避けないといけない。例えどれほど気持ちが逸っても、段取りを間違えば次はない。慎重に念入りに、事を進めたい。
そんな多岐の考えは、ミハナには伝わっていない。目の前にある多岐の顔がかっこよくて、金の目が自分を見るのが嬉しくて、汗に濡れる金の髪が綺麗で、早く早くとそればかりだ。何より、多岐はこういうことが初めてのようなことばかり言うのに、ミハナの中にある指は器用に動いて、時々背が反るほど、足の指が強張るほどの快楽を寄越す。そのたびに多岐は、痛かったか?すまない、優しくするから許してくれと、ミハナに口づける。だから、ミハナは痛かったんじゃないよと言うことができないまま、口づけしながら多岐のたくましい首や背中に腕を回すことしかできない。多岐が挿入してくれたのは、ミハナがすっかり蕩けてしまって、明瞭に多岐の名も呼べなくなってからだった。
「ミハナくん……ミハナくん?痛かったら言うんだよ、聞いてるかい?」
「ん、ん」
「我慢してはダメだよ」
我慢させてるのは旦那の方です!と抗議したいけれどもうそれどころではない。さっさと突っ込めという気持ちを込めて、握った拳で多岐の胸を叩くが力が入らない。みっともないほど呼吸を乱して、涙や鼻水を滲ませながら本番を強請る。ああ、やばい。なんだこれ。頭おかしくなりそう。涎も垂れそう。さんざんやさしく柔らかくされたところも、その間たくさん口づけされたあちこちも、全部がただひたすらもっと強い刺激を欲しがっている。
多岐は息を吐いて、すでに開けていた二つ目の硝子の容器からさらに潤滑剤を掬うと、自分の陰茎に塗り付けた。不思議な気分だ。これがこんな風になるのも、これを使って繋がりたいと思う相手が傍にいるのも。自分は幸運だ。きっと普通はこうはいかない。自分のような男を好きになってくれたミハナくんは、なんていい子なんだろう。
「かわいいな、ミハナくん」
しっかり者で優しくて、とてもかわいい。今自分に見せている顔は、間違いなく昨日までとは違う。それを見ていると、かわいいと思う気持ちより大きな、劣情が湧く。衝動的な性欲が身体中にめぐる。また少し、かたくなった気がするが、もうどうでもいい。とにかく抱きたい。
多岐にとって初めての行為は、挿入した時からずっと、ただひたすら気持ちが良くて気分が良かった。ミハナが自分の名らしきものを上ずった声で呼んで、身体を強張らせてはぐにゃりと弛緩する。ああ、多分、上手くいっている。よかった。そしてまたミハナに口づけをして腰を押し付ける。多岐の動きに合わせて揺れるミハナの性器は萎えかけているけれど、それもそういうものだと知っている多岐は、握り込んでゆるゆると愛撫を繰り返す。
「あー……!あ!あ、あ、だん、な、あ、あぐ……!」
こんなことは初めてだと、ミハナは思った。なかなかこうはいかない。入れる方はともかく、入れられる方が初回からこれほど感じ入ってしまうなんて。普通は多分、気持ちいいなと思いながら揺さぶられて、入れた方が気をやればそこで終わり。あとは手や口でこちらも出す。付き合いが深まればもう少し上手くできる様になって、挿入で達することができたり、その回数が増えたりするものだ。多岐は本当に初めてなんだろうか。それとも自分たちは、とても相性がいいのだろうか。もしそうなら、とても幸運だ。嬉しい。もっと気持ち良くなりたい、この人と一緒に。
多岐の背に腕を回して強く抱き寄せると、言葉にならない気持ちを渡す様に唇を貪る。そんなミハナがかわいくて、多岐もミハナをギュッと抱きしめて口づけに応えながら、ゆっくりと腰を動かし続ける。多岐のその動きが、本人は気づかないまま巧妙にミハナを追いつめている。多岐としては、乱暴にするのは良くない、盛り上がっても優しく丁寧にと、頭にこびりついた孔雀屋の男娼たちの言葉を一生懸命実践しているだけだ。口の中でミハナの舌が強張り、呻き声が漏れる。あまりずっと動いていても負担だろうかと、多岐は口づけを解いて、ミハナを抱きしめ直して動きを止める。お互いの汗が隙間を埋めて、肌が吸い付きあって気持ちいい。
グッと奥まで挿入され、そのまま熱い身体ですっぽりと抱きしめられたミハナは、すでに高みへと向かい始めていた自分を止めることができず、ベソをかきながら、多岐にしがみついた。
「や、いや、多岐のだ、んな、いや、あ、うご」
「うん?」
「うご、いて、だめ、いや、俺、俺、いっちゃ、あ、あ、んあ!あ!あ───」
太腿で多岐の腰を挟み、汗で滑りながらも掌で多岐の背にすがりつき、いっぱい動いて、もっと突き上げて、そうされてイキたいと訴えたつもりだったけれど、多岐にはまったく伝わらず、重い下半身をさらに密着させられて、ちゅ、とあやす様におでこに口付けられて、ミハナはそれで達してしまった。二人の腹のあたりに広がる、濡れた感触。それに合わせて、ミハナが何度も大きく身体を揺らす。声が出る。多岐はとても驚いたけれど、同時に安心した。少し腕を緩めて、ミハナの顔を覗き込む。見たことのない顔は、ものすごく、かわいい。見開かれて揺れる瞳は自分を映していて、涙がまだ目尻からポトポトと落ち、唇からはとろりと唾液が垂れている。ああ、かわいい。よかった、抱けて。彼は、俺のものだ。こころも身体も全部。
「や……や、だ、やだったのに、やだって、言ったのに」
「すまん、嫌だったか?もうやめようか」
「俺、俺の身体が、勝手に、止まらなくて、旦那に、してもらいたかったのに」
「うん?」
「奥まで、旦那の、入ってて、う、うごか、動かなくて、も、あ、あぁ……!」
泣きながら訴えるミハナの言葉に一つ一つ頷き、多岐はとても慌てている。頑張ったつもりだが、良くなかったか。埋め合わせの様にミハナの髪を撫で、頬を撫でる。離れた方がいいだろうかと身体を起こそうとすると、ミハナが短く悲鳴を上げて身体を反らせ、また何度も痙攣する。二人の隙間に見えたミハナの性器から、さらに白濁が吐き出された。かわいいな。さっきから、多岐の性器をトロトロと包んで時々強く締め付け、ミハナはとても気持ちいいのだと教えてくれる。それが続いていると。ただし、身体だけのようだが。
「俺が動いた方が、気持ちいいのかな。苦しくないか?」
「もう、い、です……!もう、いや、待って……!」
「俺も、達成感が足りない気がする。俺がいかせてあげたい」
「も、じゅうぶ、ん!だめ、あ、だめ、だめ」
「なあ、だめとかいやとか、君が言うとかわいく聞こえてかなわんよ。嬉しくなってしまう。やめろって言いなさい、俺を止める時は。いいかい?」
いやよいやよも好きのうちは、全くの嘘らしい。嫌なものは嫌なのだ。嫌だと言っているのだから言われたら弁えるべきだ。孔雀屋の男娼という手練れたちが揃ってそう言っていたのだから間違いない。それでも、褥での甘言に混じれば勘違いさせられるものだと思い知る。今まさに、多岐には甘くかわいい囁きに聞こえる。だから、多岐はミハナからの拒絶を待った。そうじゃないと、どうも無理だ。自重できそうにない。ほら、早く言わないと、またその口を塞いでしまうよ。
ミハナは掌で乱暴に自分の顔を擦って、涙やそのほかを振り払うと、まだ潤む目で多岐を睨んだ。
「やめたら、明日の朝は玉ねぎのお味噌汁になりますけどっ!?」
「なるほど。それは勘弁して欲しいな」
多岐はにやりと笑ってミハナの両脚を抱えなおすと、じっとミハナの顔を見つめながら、またゆっくりと腰を動かす。かわいいな、好きだよ、こっちを向いてと繰り返し、唇の届く範囲にたくさん口づけを落としていく。気持ちいいし嬉しいしで、ミハナも、俺も好き、気持ちいい、俺も好き、と同じことを繰り返す。そして程なく、今度こそ満足のいく絶頂へ導かれて悲鳴をあげた。深く重い快楽は、息ができないほどで、その余韻は続く。もう、元には戻らないのではないかと怖くなるくらいに、長く強い余韻だ。そんなミハナの様子を眺めながら、多岐は流れる汗を指で拭った。
「たきのだんな……」
「ん?」
「……旦那、は?」
「ここにいるよ」
「気持ちよくない?」
「気持ちいいよ」
勃起不全は多分、大多数の人と異なる容姿のせいで人づきあいに色々と苦労が伴い、それが高じて他人と深く関わることを嫌悪した結果だろうと思っている。でも、ミハナとの性行為に嫌悪感など微塵もない。想像していたよりもずっと気持ちがいいし、満足感を覚えている。見様見真似ではないけれど、聞き齧った知識を総動員し、できるだけミハナに負担のないように、不愉快な思いをさせないようにと頑張った。結果は上々のようで、ミハナも気持ちよさそうにしてくれている。それを言葉でも身体でも示してくれる。他人であっても、好きな人が相手であれば、どれほど色に乱れても愛おしいものなのだと思い知る。多岐はまた、ミハナの唇に音をたてて吸い付いた。そんなミハナが相手でも、どうやら難しいらしい。
「かわいいな、ミハナくん」
「ん、でも、旦那、その、」
「うん、まだ身体がボケているのか、射精の仕方が、思い出せなくてね、わからん」
「うぅ」
「終わりにしようか?俺はいいよ」
「うううぅ」
こみ上げるものは、ある。間違いない。でも、刺激は十分なはずなのに、射精に至らない。萎えてはいないので行為に支障はない。だからまあ、今日のところは程々のところで終わりにすればいいのだろう。ミハナから離れれば、色々落ち着くような気もする。続けたいというのが本音ではあるが。
ミハナにすれば、どうにかして多岐に気をやって欲しかった。できれば、挿入で。それが難しいなら手や口で促すことも吝かではない。というより是非したい。でも、射精の仕方なんか、ミハナにもわからない。気持ちよくなると止めたくても出てしまうものなのだから。吸いすぎて赤くなっている多岐の唇をペロリと舐めて、ミハナは少しだけ困った顔をした。
「旦那が、いくとこ、見たいなぁ」
「……今のは、いいな。すごく興奮する」
「ほんとですか?見せてくれます?」
「そうしたいから、ミハナくんが教えてくれないか?」
「俺もわかんない……気持ちいいんですよね?」
「気持ちいいよ」
ずっぷりと突き込んだ多岐の陰茎の根本を、ミハナが強く締め付ける。中は少しかたいところがあるものの全体的に柔らかくて、入り口とは違う感触で多岐のを絞り上げるように包んでくる。かたいところは、ミハナの弱点らしい。そこをしつこく擦ると身体を捩って手や脚を突っ張って、唸り声を上げる。そのあまりのかわいさにギュッと抱きしめて奥まで押し込むと、高い悲鳴を上げて震えながら多岐を呼んでくれる。ああ、なんてかわいいんだろう。性交は、繋がったところだけじゃなくて、身体中、頭の中まで気持ちよくなるものなのだ。だから、多岐は真剣に本心から、ミハナの質問に頷いた。ミハナは何度も頷き返して、体勢変えましょうか、と囁いた。
「後ろから、してください」
「それだと顔が見えないな」
「どんな顔してるか想像しながらしてください」
「せっかくだから本物がいいよ」
「もう、じゃあ、ちょっと座って」
ミハナは嬉しそうに多岐のわがままを聞き、寝台にあぐらをかいて座った多岐の太腿に跨った。ゆらゆらと腰を揺らして多岐のを、もう萎えるかもなんて考えもしないほどかたくて立派なソレを、自分の中に受け入れていく。
「ん、ふ、う」
「う……な、るほど……少し、感触が変わる……」
「気持ちいい、で、す?」
「ああ……はぁ……気持ちいいな……」
「俺も、です。こうしたら、どう?」
ミハナが腰から下をこれでもかというくらいねっとりと動かして、多岐の陰茎を自分の内側で舐めるように出し入れを始める。ただしこれをすると、自分も死ぬほど気持ちいいので、どちらが先に根を揚げるかということになる。ミハナは歯を食いしばりつつ、唇の端から涎を滲ませ、多岐の額に自分の額を押し付けて目を閉じた。腕は、軽く多岐の首に回して、身体を支える。ただひたすら、多岐の立派なものが自分の中に出たり入ったりする、その苦しいほどの気持ちよさを噛みしめながら。多岐が気持ちよくなりますようにと思いながら。
多岐は、先ほどまでよりもずっと強くなった射精感に驚いていた。ミハナくんは床上手なんだな。これなら出せるかもしれない。自分が不甲斐ないばかりにこんなことまでしてもらって申し訳ないような気がして、小さくかたく立ち上がっているミハナの乳首に吸い付いた。途端に、ミハナの中が勢いよく締まる。
「だ、め!もう、大人しく、してて、くださ」
「無理だよ。君がかわいいのがいけない」
「俺、はぁ」
「君もかわいいが、君のここもかわいいな。舐めたときと吸ったときで、反応が変わる」
「ばか、旦那、も」
「噛んだらどうなるのかな」
「や、や、ひっ……!」
もう多岐のためにどころではない。元々乳首への刺激に弱いミハナは、念入りで執拗な多岐の愛撫に、あっという間に骨抜きにされて腹の奥が熱くなっていく。ああ、このままじゃまた、いっちゃう。旦那の馬鹿、俺だって、お尻とか乳首でこんな風になるの初めてなのに、そんなに何回も、そんなにいっぱい、だめなのに、もうだめなのに。ミハナはグズグズととろけた頭でそんなことを考え、うまく回らない口で多岐に訴えるけれど、先ほどと同じでやはり全然伝わらない。多岐もあまり聞く気はなく、自覚している以上に余裕はないのだ、暴れるミハナの膝裏に腕を通して抱え、下から突くように腰を振る。ああ、これはいい。とても気持ちがいい。知らず知らず、動きが激しくなっていく。
「ま、って、やばい、あ、あ!だめ、あ!あ!」
「俺もだ、ミハナくん、気持ちいいよ、ああ……すごくかわいい、好きだよ」
ミハナは自分の中にある多岐のものがまた大きくなったような気がして、きっと射精するんだ、嬉しい、一緒に、少なくとも先にいって欲しいと思ったけれど、先ほどから繰り返された絶頂が身体にまとわりついて溜まっていて、だから、待てなかった。多岐の声はいつも通り優しいのに、ひどく色っぽくて悩まし気で、呼吸は荒くて、金色の目に見つめられながら好きだと囁かれたら我慢などできない。初めてのくせに主導権握って余裕綽々だな!?と少し拗ねていたミハナだけれど、多岐の目に、余裕なんて感じなかった。ほんの少し怖いと思うほど、動物のようだと感じるほど、わずかに細められた目が獰猛で、ミハナを昇天させた。こんなはずじゃなかったのにと泣きながら、それでも止められずに、ミハナは抱えきれないほどの快感で震え、多岐の腕の中でのたうつ。
最初にミハナが言っていた、今日は初めてだから程々ですよという言葉を思い出し、多岐は、初回でこんなに気持ちがいいのなら今後が楽しみだと思った。そして、程々だと言われていたのに精一杯張り切ってしまったことが少し恥ずかしいような気がした。ミハナはまだ、時々身体を震わせては声を零し、脱力している。汗の流れる彼の背中を撫でると、それだけでまた、中がぐぐぐっと狭くなって多岐の陰茎を絞り上げてくる。射精の仕方を忘れていてよかった、これはひとたまりもないなと息を吐いた。
少し落ち着いたのか、多岐の首もとに額をつけて身体を丸めていたミハナが顔をゆっくりあげて、まだ少し揺れる指先で多岐の金色の髪を梳く。そして、両手で多岐の頬を挟むと、おぼつかない素振りで腰を動かし始める。
「う、あ、う、あ、ンンン……!」
「まだ足りないか?」
「足り、あ!あ、ん、足りな、い、ん、ふ」
「もっとする?」
「足りま、せん、おれ、旦那の、いく顔、いかせて、あげた、い」
ミハナは意識が朦朧とするほどすっかり疲弊していながらも、ほとんど惰性で腰を振っている。今までの相手との行為に不満を感じたことはなかったけれど、思い知る。ここまですごいのを、知らなかっただけなのだ。きっとほとんどの人はそうだと思う。ミハナはまだ若いし、そんなにたくさんの経験があるわけでもない。だから、多岐が本当に特別に思えた。相手が多岐だから、自分はここまで気持ちよくなれたのだと。そして、多岐にもそうなって欲しい。ともすれば傲慢なその願いも、今の多岐にとっては無邪気で魅力的なおねだりだった。自分はもう十分であるにもかかわらず、快感に溺れそうになるのを必死で踏みとどまりながら多岐の名を呼ぶミハナの姿は、多岐をものすごく煽った。あ、やばいぞと一瞬頭の奥に浮かんだけれど、浮かんだことさえ次の瞬間には忘れて、ミハナをギュッと抱きしめた。かわいいな。恋人というのは、こんなにかわいいものなのか。覚えのある震えが、背中を駆け上っていく。
「ああ、ミハナくん……かわいい、かわいいな、好きだよ、ミハナくん、ミハナくん……!」
この状況で逃げられるはずもないのだけれど、多岐はミハナが逃げられないように肩や腰を自分の腕や手で拘束し、何度も突き上げた。奥へ奥へと夢中で腰を叩きつけたのは、本能だろう。誰も知らない場所を、自分だけが暴きたいという本能。激しい揺さぶりに、ミハナは悲鳴すら上げられず、それでも多岐の顔から視線を逸らさず、金色の目が、いつもと変わるさまを最高にかっこいいと思いながら見つめていた。多岐が息を詰めて動きを止めて、ミハナの中で達したとき、ミハナも嬉しくて震えたし、出したことのない液体が漏れた気がしたけれど、もう、色んなものでお互いの下腹部はべしょべしょだからどうでもよかった。眉間に皺を寄せる多岐は、ひどく色っぽくて、たまらなくかっこいい。
「───っっ……くっ……は、あぁ……ふ……」
多岐にとって久しぶりの射精は、結構長く続いた。精液が尿道をせり上がる感触、それを放つ快感は、腰が抜けるかと思うほどだった。同時に、ミハナも多岐の目を見つめたまま、小さく絶頂を繰り返す。自分の中で、多岐の陰茎が脈打つのが気持ちよくて、嬉しくて、鼻からも口からも、何度も荒い息を吐く。
「……はぁ……ミハナくんは、すごいな……」
「すごいのは、旦那ですよぉ……」
「君がすごくすごいから、すごくて俺もいってしまったよ」
「多岐の旦那が可愛くなっちゃった……」
「すごくよかった。ああ、馬鹿みたいだな、でもすごかった、これはすごい」
「もう、ふふふ」
熱くてとけてしまいそうだ。二人はそう思った。少しづつ落ち着きを取り戻すように、お互いの唇を啄んでは笑い合う。こういう行為がなかったとしても、これからもお互いを好きだったのは間違いない。でも、できてよかったと心底思った。満たされた。今まで何かが足りなかったわけではない。求めてもいい範囲が広がって、そこにたっぷりと何かが流し込まれて、今までよりももっとたくさん満たされたのだ。
◆
翌朝、二人はほとんど同じ時間に目を覚ました。仕事は休みだ。冬の朝は暗い。そのはずだが、窓掛けから結構明るい光が射している。多岐は布団の中でもぞもぞしながら、身体のあちこちが鈍く痛むのを感じていた。使ったことのない筋肉を使ったからだろう。腹筋の奥や、背中の内側が特に痛い。自分でさえこうなのだから、ミハナはもっと大変だろう。眠い目を擦りながら、隣に眠るミハナを抱き寄せようとすると、あくびをしながらミハナが身体を起こして寝台に座った。そして、く〜〜っっ!とかわいい声を漏らしながら両腕を天井へ向けて大きく伸びをした。それを見上げる多岐の方へパッと顔を向けると、にこりと笑う。
「おはようございます、多岐の旦那。朝ごはん、食べられそうですか?」
「……ああ……うん……」
「無理そうなら、寝ていていいですよ。どうせお昼ももうすぐです」
「いや、うん、大丈夫だ。玉ねぎの味噌汁は困るが」
「ここに玉ねぎはないので安心してください!」
「そうだな」
「起きられます?」
「……君は、元気だな……」
「よく眠れたので」
そうか。多分多岐はあまり眠れなかった。夢の中でまで、延々と、ミハナを抱いていたような気がする。そのくらい、ハマった。癖になりそうだ。本当に気持ちよかったし、ミハナはかわいかった。しかし、身体がミシミシ言っている。ミハナの快活さは若さなのか経験なのか。車を使うのをしばらく控えようと多岐は思った。
「旦那、かわいいですね」
「そうかい……それは、何よりだ……」
「ふふ。おねむですね」
「んん───」
ミハナの作った味噌汁を、二人で。寒い朝は特に最高だ。わかってはいるけれど、多岐は最高に居心地の良い暖かい布団からなかなか出ることができなかった。
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