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第1話

「残念だ、ベルナドッテ公爵、そしてキャスリーヌ嬢。只今を以て私と令嬢の婚約は解消、皇国査問会までお二人を城に拘留させてもらう」  皇太子の断罪が凛と響く。マリア=クレムルはその瞬間、「やっとクリアした」と思った。  悪役令嬢の断罪イベントが終わった。正当なる「ざまぁ」を終えて、後は自分へのご褒美たるハッピーエンドが待っている。  長い長い一年間だった。世間で、否、マリアの前世での世間では最早ありきたりだった乙女ゲーム世界へ転生、という非常事態が現実になったと気付いてからの一年。  前世で嵌っていた『月女神の後継者』という異世界ファンタジーな乙女ゲーム、しかもそのヒロインへ転生していた。愛らしい容姿、平民ながらに持って生まれた“聖女”の力という、愛される主人公ロードまっしぐらの武器。  でもマリアは馬鹿じゃないから油断しなかった。ヒロイン属性に胡座をかいて、こっちが「ざまぁ」される流行りの展開なんて冗談じゃない。立ち居振る舞いはゲームのヒロインを踏襲し、学院に入学してから身の回りにイケメン達が溢れても飛び付かない。  婚約者がいる相手に目立つ所で接触して、尻軽呼ばわりなんて瑕疵を付けられたらたまったものではない。だからゲームのシナリオ通りフラグを回収しつつ、前世で推しだった攻略対象達に程よくチヤホヤされるよう上手に立ち回ったのだ。まぁ少しばかり欲求不満解消のために遊んだが、聖女の力を維持する為の処女だけはちゃんと守ったのだから問題無いだろう。  これは現実だと分かっているからこその慎重だが、マリアにとってはゲームで知る“筋書き”でもあるから、楽勝だった。幸い、悪役令嬢を含め転生者は自分だけのようだったから尚更。  あとは、己の望んだ攻略対象とエンディングを迎えるだけ。 「わたくしは悪くないわ! 全てその女が、……あなたさえ居なければ!」 「放せ! 私達を誰だと思っている!」  喚きながら近衛騎士に連れて行かれる悪役令嬢と公爵を痛ましい表情で見つめる振りして、マリアは密かにその相手を見遣る。  自分の相手に選んだのはこの国の第三皇子。ゲームの所謂メインルートでの相手ではない。このゲームのメインルートは皇太子が相手になるが、どう足掻いても悪役令嬢と婚約破棄直後なんて現実では外聞が悪いし、何より将来国を背負って立つ皇帝の妃なんて面倒過ぎる。国の為に尽くすなんて冗談じゃない。しかも、現実で接する頭の堅い次期君主なんて、実際は為政者感や理想が高過ぎてゲームでなければパラメータもメンタルもついて行けやしなかった。  楽な立場で湯水のように贅沢出来て、地位が高くて、攻略対象達の中で一番優しく、エンディング後は恐らく最も自分の言いなりに出来る。それが第三皇子だった。この国の皇族は、神話時代に月の女神が加護を授けた人間の末裔とされている。可愛い系男子の枠である中世的な容姿の彼もまた、皇族の主筋に連なる証たる金色の瞳を持ち、小柄だが当然に超がつく美形。聖なる力が強く、皇族の末子として一際守られ可愛がられた為か、鷹揚で柔軟性があり、──最も色事に不慣れで初々しい。 (初モノって一回味わってみたかったのよね〜)  マリアは前世で性に奔放だった。彼女や妻が居る相手と関係を持った事もあるが、飽きられる方が悪いと罪悪感なんて持った事はない。寝た男達は皆、モテるタイプでセックスが上手かった。でも大抵プライドが高くて面倒だった。しかもそのせいで、浮気がバレた男にこちらだけのせいにされ、激怒した妻に突き飛ばされて、マリアは階段から落下死したのだ。  転生した今、どんなにスペックが高くてセックスが上手そうでも、プライドが高い男は懲り懲りだった。前世では経験出来なかった男の初めてを味わって、一から調教し虜にさせて、マリア好みにベッドで尽くす男に育てる。相手を一番に考え守ろうとする優しい男は、時に物足りなくもなるだろうが、夫という性欲解消相手兼、金ヅルにこれほど向いている人間もいまい。 (ま、他の攻略対象もそこそこシナリオクリアしてるから、時々味見しちゃうけど〜。……でも何で本当、折角の断罪イベントがこんな地味なの? ゲームでは卒業パーティーでバーンってド派手だったのに)  各イベントはゲームと大なり小なり違いがあった。今の断罪イベントも卒業パーティという華々しい場じゃなく、皇城で関係者のみ集められた厳粛な場。悪役令嬢の親である公爵も同席していて、寧ろ公爵の悪事が主題の予備裁判に思える。  とはいえヒロインたる自分を虐めていた悪役令嬢が断罪された事には変わりないし、ゲームでの重要な選択肢は覚えているシナリオ通りに発生したから、誤差の範囲だろう。  その証拠にエンディング間近の今日、第三皇子はマリアの眼の色である黄緑の宝石のタイピンをクラヴァットに留めている。これはルートに入っている証だ。予定では、悪役令嬢を成敗した後に攻略対象が虐めに耐え続けたマリアを心配し、連れ出してプロポーズしてくれる。 (ほら、早く甘々展開に持ち込んでよ!)  名家の末路に哀しげに伏せられていた皇子の視線が上げられる。見つめるマリアと目が合って、大きな双眸が瞬いて、甘い微笑が浮かぶ筈だ。然し、内心の笑みをひた隠していたマリアに浴びせられたのは、思わぬ声だった。 「クレムル嬢、証言に感謝する。ベルナドッテ公爵と令嬢にはまだ多くの余罪があると殿下方はご覧になっている。査問会での証言にも協力頂きたい」  第三皇子への視線を遮るように、間へ割り込んだ人影。抜き身の刃に似た光を孕んだその緑眼の持ち主は、第三皇子の側近、ラウルだ。普段は不良もかくやな尖った口調と、怜悧な貌に気怠げな無表情か挑発的でシニカルな笑みしか乗せないが、公的な場では別人ばりに弁える器用な男。  その眼の冷たさにビクッとしてしまったが、胸元に光る宝石を見て内心でほくそ笑んだ。 (なんだ、嫉妬しちゃったのね)  側近はマリアの髪の色に寄せたと思われる、大きな赤い宝石を小さな淡黄色の宝石が囲むデザインのタイピンを留めていた。だからきっと、マリアが皇子ばかり見つめているのに嫉妬したのだと結論付ける。  前世では高スペックな男と結婚出来ず死んでしまったが、今世では前世と比べ物にならない程イイ男を複数掌の上で転がしている愉悦に唇が弧を描く。すると側近の後ろから顔を出した皇子が、眉尻を下げながら男性の中では高く柔らかい声を発した。 「僕からもお願いしたいんだ。君にとっては嫌な事を思い出させてしまって、本当に申し訳ないのだけれど……」 「お気遣いありがとうございます、リュカ様。私でしたら大丈夫です。貴方のお役に立てるなら、これくらいの事……」  いじらしく顔を伏せて上目遣いの流し目をしながらも、側近へ貴方だけだから安心して、と伝えるかのように微笑むと、静かに双眸を眇められた。  キャラで言う不良系オレ様枠のこの青年は元は第三皇子の子飼いであり、普段の粗暴な言動とは裏腹に、実力主義の皇国において叩き上げで第三皇子の側近という立場を手に入れた実力者だ。厳しい生い立ち故に、主であり幼馴染の皇子以外には無関心且つ冷徹だが、執着する相手が少ない分、刺激的ながらエンディング以降の愛情深さは郡を抜く。 (リッチさが物足りないけど、不良は絶倫って相場が決まってるしぃ。皇子と同じくらい相手してあげるから安心して!)  砂糖のように甘そうな第三皇子を攻略すれば、漏れなくスパイスのような側近も手に入る。我ながら一番美味しいルートを手に入れたと悦に浸る。けれど今はまず、第三皇子とエンディングを迎えるのが先だ。  連れ出してくれるのを心待ちにしていたのに。 「ありがとう、クレムル嬢」 「……リュカ殿下、参りましょう」 「ラウル……うん。兄上、ではまた陛下へのご報告の時に」 「あぁ、協力ありがとう、リュカ。……ラウル、例の件はくれぐれも、」 「皇太子殿下、オレの判断に任せて頂けると仰せでは? 御前失礼致します」 「あっ、ちょっとラウル、」 「いや良い、リュカ。頼んだぞ、ラウル」  嘆息する皇太子に黙礼する側近と困ったように見上げる第三皇子。自分を蚊帳の外に置いたよく分からぬやり取りの後、側近に肩を抱くように促されて、「では失礼するね」なんてあっさり退席していく皇子にマリアは目を剥いた。 (はぁ!? 何でよ、アタシは!? エンディング入らなきゃどうすんのよ!)  イベントが完全に未知の展開へ突入した。さぁお帰りくださいと言わんばかりの案内役の騎士を前に、呆然とする。これではまるで、証言の為だけのモブキャラ扱いだ。──何かがおかしい。シナリオからほっぽり出されたヒロインは、一体どうなるのか。  思っていたのと違ったのは、実はイベントや今日の事だけではない。世界観や起こる事、実際に接する攻略対象達の人物像、最たるものが、第三皇子と側近の距離感だ。元々ゲームでも主従の枠を超えた対等な友人関係を結んでいる二人だったが、実際目の前で常に寄り添う距離感はとても近かった。小柄な皇子の首に側近が腕を回して引き寄せるのは、男子高校生と思えば戯れ合いとして分からないでもないが、時に肩や腰に腕を回して、まるで抱き寄せるようにする事もあるのだ。皇子の方もそれが当たり前みたいに収まりに行くし、周りもそんな二人を気にも留めない。  所詮、ゲームでは立ち絵とスチルでしか会話も言動も分からないから、現実になった差異だろうと思っていたが、ルート通りに行動して来たマリアは初めて不安を覚えた。 (大丈夫よ……だって、リュカもラウルも、アタシの事を好きなんだから。リュカと二人きりになりさえすれば……)  然し微々たる不安。ここが元はゲームだと、シナリオに従えば間違いなく自分は勝者になれるのだと、──自分がヒロインだと。「マリア」はやはり疑いもしなかった。筋書き通りに行動すれば、自分は当然愛されて、手に入れられるのだと。自分のものだと、思い込んでいた。  何とか案内役を蒔いたマリアは、第三皇子の執務室へ向かった。言われるまま今日帰って、これ以上シナリオから外れたくなかったから。執務室の前に護衛も見当たらず、自分を後押しするような好都合に自信が戻ってくる。ノック無く扉を開けて覗き込んだ室内に人影は無く、見回せば休憩等に使われるプライベートルームへの扉が少しだけ開いており、微かに人の声が聞こえて来た。 (でも、これ女の声? まさかね、まさ、……)  聞き耳を立て、無意識に足音を忍ばせつつ近付いて、マリアは心臓が嫌な音を立てるのを聞いた。 「あっ、……っぁん……ふぁっ」  甘い甘い、嬌声。ギシギシと家具の軋む音。──情事を思わせる音。第三皇子以外、限られた人間しか入れない部屋から。  ヒロイン以外には色事に縁の無い男だと思っていたのに、自分以外の誰が相手だと扉の隙間から覗き込んで、マリアの心臓は更に大きく音を立てた。  床に放られた金糸刺繍のジュストコールとキュロット、靴。纏える人物が限られたデザインと品質。奥を向いたソファに座った一方の上に対面座位で重なり合っているのは。 「ラウル、ッ……ア、……口付け、てっ……」 「ッハ、かわい……口開けろ、リュカ」  戯れ合いだとかを勘違いする微笑ましいものではない。一方はシャツを完全に肌蹴させ、もう一方はその肌に唇を這わせていたのだから。絡まりながら熱を孕んだ囁きと呼吸が空気を震わせる。抱き締め合って、然し明らかにそれだけでないと分かる淫らな律動を続けているのは、自分が落としたと信じて疑わなかった第三皇子とその側近。嬌声を上げていたのは女ではなく皇子だった。  喘ぎながら蕩けた顔をしている第三皇子と、主である筈の彼を我がもののように滾った獰猛な眼で突き上げる側近。  従順に口を開けた皇子に喰らい付くように唇を重ね、互いに貪り合うが如く口付けを交わしたまま、動きが激しくなるにつれ粘着質な水音まで聞こえてくる。 (何、これ……何これ何これ何これ!? あんあん言ってんの皇子じゃない! 何で乙女ゲームなのに攻略対象同士がBLになってんのよ!?)  色事とは縁が無いように思われた第三皇子が思いの外、何とも不可思議な色っぽさを湛えていたのは良い誤算だと思っていた。綺麗な顔立ちに反して粗暴な言動の側近が、滴る様な男の艶を滲ませているのも。  転生したと自覚した瞬間よりも遥かに大きな混乱で、微動だに出来ない。  この世界のヒロインは自分だ。自分がこいつらに愛されて当然なのに! 落とした男達がくっついて、ヒロインが放っておかれるルートなんて存在する筈…… 「……お姫サマ、」  熱を孕んだ声音。皇子を見つめ側近が呟く言葉は、彼がほんの時折第三皇子を揶揄うように呼ぶものとゲームで知っていた。皇子と仕える子飼いとして、幼い頃から共に過ごし気心知れた二人ならではのやり取り。側近が中性的な容姿の皇子を揶揄う冗句に過ぎないと思っていた。  側近がれろりと舐め上げた皇子の喉仏も平らな胸板も、当然に男のそれ。どれだけ舐られた後なのか、いやらしく尖った突起が側近の口の中へ消えて行く。  或いは単に、男が心底愛する対象の概念として呼んだだけのそれは、後から考えれば二人の関係性を如実に表していたのかもしれない。 「ひあぁっ、ん……っ、ン、! ラウル……っんぁ」  白皙の胸元に埋めたまま何度も何度も角度を変える側近の頭と、皇子の悶え漏れる喘ぎ声が、いかに愛撫が激しく淫らなものかを物語る。  やがて顔を離した側近は皇子をソファへ押し倒し、片脚を肩に担ぎ上げた。ソファの背に隠れて、スラリとした皇子の白い脚と、着衣のままの側近の胸上しか見えなくなる。  けれど、何が行われているかは明らかだった。唇を舐めて見下ろす側近の、肉食獣が舌舐めずりをする眼差し。白絹の靴下を纏ったままの艶かしい脹脛に甘く喰らい付いてから、側近が身体を激しく前後に動かし始めると、より激しい水音と共にパンッパンッ、と肌がぶつかる音も聞こえ始める。 「あぁッ、ぁあん……! すき、だいす、き……っ……」 「リュカ、……可愛い」 「あぅ、深、ぃっ……はぁ、!」  清廉でいつも優しい笑顔を絶やさない皇子の、淫らで甘ったるく善がる声。気怠そうで他人へ警戒心を決して緩めない側近の、「可愛い」と何度も溢す生温い声。  男女関係無く下腹部を疼かせるような音と色めいた光景に、知らず生唾を呑み込み食い入るように見つめてしまっている事にも、マリアは気付かない。BLに興味は無いが、皇子が少女寄りな見た目と声をしている事もあり、美形二人の甘く激しい情事は、極上の官能映画のように淫靡だった。転生後も同じ強い性欲を、自慰と遊びの行為で誤魔化してきたが、聴覚と視覚から炙られた子宮がズクズクと疼くと同時に、前世を含めても初めての屈辱感が忍び寄って来る。不貞行為を目撃した女どもを、男の上で腰を振りながら小馬鹿にしてきた自分が、欲しがった男達の情事を惨めに覗き見。 「ラウルぅ……っ」  男にしては華奢な指先が伸ばされ、応えるように覆い被さる側近。二人とも見えなくなった向こうで声は塞がれたようにくぐもったが、ギシギシと軋むソファが揺れ、それに合わせ跳ね上がる白い脚と背中だけがチラついて。軈て切羽詰まる声に伴い、両脚が強請るように腰へ絡みついた。 「も、だめ、ぇっ……! イっちゃう、んん、──ッあ、ぁっ、ア!」 「……ハ、……ッ……」  感じ過ぎて泣き声にも聞こえる甘え切った声を受け、言葉無くも速くなっていく律動。明らかに一度目や二度目の情交ではなく、一時の性欲処理でもない。何度も何度もお互いを確かめ合い、知り尽くし、愛情と快楽を与え合ってきた余りにも生々しくて濃密な行為。  誰がどう見ても、愛し合う恋人同士の其れだ。  堪らないとばかりにかなぐり捨てた悶え様なのに、拒む色は欠片も無く、愛しい存在から与えられる全てが幸福だと享受する、無防備で無垢な愉悦。それを知っているかのように、ともすればぶつけるが如く乱暴に見えて、然し互いが互いを惜しみ無く堪能出来るように与える、強靭で愛情深い支配。  これ以上無く混乱する一方で、奇妙に符合する点もある。異なる種類で一見色事にはまるで関わりが無さそうな二人が、奇妙に色と艶を纏っていた訳が。二人がお互い以外を、「その対象」にしていなかったからだ。  一体いつから。フラグは全て立てた筈なのに何故。確かに二人は幼馴染で、互いに大切な存在という設定で、でも、それより大切な存在が己になる筈なのに。  二人の情事に思い知らされる。誰からも愛される筈の自分ヒロインが、── (誰にも、愛されてない……?)  辿り着いた結論に愕然として後ずさった瞬間、踵が何かに──否、“誰か”に当たってヒッと息を呑んだマリアの意識は、闇に包まれた。

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