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第3話

朝。  凪は牧田の訪問で起きた。その事に凪は驚く。今まで、朝は律が凪を起こしていたからだ。 「牧田、・・律は?」 「律さんは既に朝食の席に着いてますよ。凪さんもご準備をなさって下さい」 「・・わかった」  凪はシャワールームへ消えた。と、 「うわっ」  声と共にガシャンと硬いものがガラスにぶつかる音が聞こえてきた。 「凪さん。大丈夫ですか?」  牧田は慌てて、シャワールームへ向かう。 「牧田・・シャワーが冷たい」  濡れたまま凪が呆然と立っている。  牧田はバスタオルで凪を包むと、スイッチをオンにする。 「ボイラーの電源が入っていませんでした。ここは椎木家ではないので、ご自身で電源の切り替えをしなくてはなりません」 「でも、昨夜は普通にシャワー浴びて・・」  不思議そうな表情の凪に牧田は、 「時間が経つと、自動で電源がオフになる様にになっているんですよ。従業員の階は」 「・・そうか」  理屈は分かる。電源という概念もある。確かに、昨日そんな説明も受けた気がする。だが、この部屋に入った時、色々動いていたのは律だったから。・・。昨日だけじゃない、律がいつも・・。  シャワーを浴び直して、レストランへ向かう途中、理央と合流した。近況を報告する。  レストランへ入ると、皆が一斉に立ち上がり、挨拶をする。理央が一声かけると、再び皆は食事に戻った。理央の副代表らしい姿に少し感動を覚えた凪だった。 「凄いな、理央。ちゃんと仕事してんだな」  理央は、全く仕方がないなという笑みを浮かべながらも、(たしな)めた。 「ここは職場だ。副代表と呼びなさい」 「わかりました」  椎木家の礼儀作法を思い出した凪は素直にいう事を聞いた。が、律が瀬名と談笑している姿が目に入ると、無性に苛立った。睨みつけると、こちらに気がついた瀬名が驚きながらも、手招きをする。二人から視線を逸らさずにテーブルへと向かう凪。段々とイライラが募る。  何故なら、俺が来た事を知った癖に、律が一回も振り替えらないかりだ。仕方なしと瀬名の横に座ろうとした時、 「どうしたの?君達、喧嘩でもした?」  律の向かいの席から、優子が声をかける。 「え?あ、優子さん」  その言葉に優子は眉根を(ひそ)めた。 「ちょっと、凪くん。今、私の存在に気がついたの?」 「まぁ」 「あのねぇ、君。そういう時は嘘でも気がついていましたよってニッコリ笑って挨拶でもなさい」 「おはようございます」  笑顔は無いが、挨拶はする凪であった。  瀬名と優子の間に座った凪であったが、食事の間もずっと律を睨みつけていた。だが、律はどこ吹く風で凪の相手をしない。瀬名と優子が気を使い、双方に話しかけながら何とか食事が進む。  食事が終わり、それぞれにコーヒーを飲んでいると、理央が後ろに牧田を連れて、テーブルへ近寄って来た。 「副代表、お疲れ様です」 「やあ。オープンの準備が滞りなく進んでいるのは君達スタッフの活躍の賜物(たまもの)だと思う。感謝したい。ありがとう」 「ありがとうございます」 「ところで、この子達はどうかな。我儘(わがまま)が出ていないといいが」 「副代表。律くんは、とても良くやってくれています。ソレどころか、物を覚えるのは早いし、作業も早いんです。まだ、数日ですけど、もう一ヶ月くらいは一緒に働いているみたいです」 「副代表。凪くんもとても優秀ですわ。それこそ理解力がありますので、とても助かっています」 「そうか。この子達は家の中で甘やかされて来たから、何かと不出来な所もあるかとは思うが、これからも面倒を見てやって欲しい」 「はい」 「勿論です」  瀬名と優子に頷きを返し、律と凪へ声をかけた。 「律も凪もしっかり勉強をする様に」 「はい」 「わかりました」  二人の返事に満足したらしい理央は踵を返した。その後に続く牧田に「あ、」と凪は声をかける。 「牧田。朝、聞き忘れた。洗濯物、何処に出せば良い?」  振り向き様、口を開いたのは理央。 「凪。ここにいる間は自分でするんだ。牧田、教えてやってくれ」 「はい」頷く牧田。 「え?」  驚きを隠せない凪に、理央は片方の目だけを細める仕草をした。椎木家の礼儀作法の一つとして、『いついかなる時でも冷静であれ』がある。その家訓より外れているぞと暗に伝えた。受けた凪は、スッと背を正し答えた。 「わかりました」    ランドリールームで、牧田から洗濯の仕方を教わっていると、瀬名が現れる。 「あ、凪くん。本当に一度も洗濯した事ないの?」  不思議な生き物を見るように見つめられる。 「ない」 「へー。本当に御坊ちゃまなんだね」 「御坊ちゃま?」  その言い方にピクリと眉が揺れた。だが、瀬名はそれに気が付かない。 「じゃあ、律くんも洗濯した事ないんだよね。きっと」 「たぶ・・」(ん、ない)と答えようとした時、後ろから律の声が聞こえて来た。 「俺はありますよ」 「えー。そうなの?」  振り向いた瀬名の正面に洗濯物を抱えた律が立っていた。 「何か、変なの。洗濯物と律くんって似合わない」  この言葉に律は口の端だけで笑った。 「似合わないって何ですか。それより、瀬名さん。小鳥遊さんが探してましたよ。備品の在庫表はまだかって」  一瞬で、真っ青になった瀬名だった。 「あ、やばい。午前中に提出って言われてたー」  言いながら走り去る瀬名を、面白そうに見つめる律は呟く。 「(にぎ)やかな人だな」  ふと、視線を感じると凪が睨んでいた。 「随分、楽しそうだな」  凪が嫌味ったらしく言う。 「別に」  ふと真顔になり視線を逸らす律に、凪のイライラは再び頭をもたげた。  と、牧田が腕時計を見やる。 「申し訳ありませんが、律さん。凪さんにこの続きと、畳み方を教えて頂けませんか?私は、洗濯が終わるまでここにいる時間がありません。何故なら、副代表がもう出かける時間ですので」  牧田は二人に一礼すると、ランドリールームを後にした。  残された二人の静寂を埋めるように、洗濯機の機械音が響いている。  と、終わりのアラームが鳴った。 「これ、畳むのか?」  凪がドラムの蓋を開けながら、聞く。 「その前に、乾燥機」  律は、洗濯ドラムの中に手を伸ばす。 「いい。自分でやる」 「まだ、鎖骨治ってないだろ」 「それを言うなら、お前の肋骨だって」 「俺のはもう治りかけだ。お前の方が体重が軽いからな。衝撃もその分軽い」 「っ・・・」  気はついていたが、自分でも認めたく無いところを言われて、咄嗟に言葉が出ない。それに、もしかしたらその事に律が気づいていない可能性を持ちたかった。のに。  律は、濡れた衣類を取り出すと乾燥機に放る。 「で、ここに分量に応じて時間が書いてあるから、そのボタンを押す」  渋々、律の指差したところを覗き込む。と、後ろから腕が回された。咄嗟に振り解こうとすると、首筋に律の唇を感じた。 「授業料」  その言葉と共に。 「ふっっっ。う・・んっ」  角度を変えながら強弱をつけて吸われると、自然と声が出てしまう。自分が発している声だと認めたく無い凪は、何とか歯を食いしばって耐えようとするが、その度に口づけは深くなる。  何とか思考を保とうと、話題を探す。 「り・・つ。・・何で・・。なぁ・・お、前・・んっっ。いっっ。ふぁっっ・・。り、つっ・・おい・・」 「・・何?」  鬱陶しいと言わんばかりの声音だ。 「お前・・。いつ、洗濯なんか・・したんだよ」 「んな事、どうだって良いだろ」  言いながら、前に回した手で太腿を撫でる。 「やめろっ。そこまでして良いって言ってなっっうあああっっ」  首筋に生暖かい湿った感触を覚えた。 「んんんんっっっ」  力が抜けて立っていられなくなる。膝から崩れ落ちそうになる凪を律は回した腕で支えた。 「はぁっ、ああああっ。んっっ。・・もう・・はなせっっ」  後ろから伸びた律の手は、布越しに凪の昂りを撫でていた。手の平を押し当てられゆっくり回される。そのまま掴まれ圧をかけられる。思わず動いてしまいそうになる腰を何とか止めるが、不意に手を離されるともっと刺激が欲しくなってしまう。そんな自分に驚きと認めたくない感情を持て余す。 「うんっっ。ああああっっ。・・もう・・はなせっ」  嫌だと言う返事の代わりに、首筋に歯を立てる律。 「痛っっ。ん、嫌・・だ。あっっっ」  律の手を引き剥がそうと、律の手首に触れた瞬間、律はもう片方の手で凪の胸を探り突起を摘むと軽く捻った。 「ふぅっっっ。い、や・・だ。んんんっっ」  身体は快楽を欲しがっているが、心は受け入れられない凪の葛藤。そんな凪の心をわかっているかのように律は、追い詰めては離し、強めては緩めるを繰り返した。  まさに、蹂躙。そんな表現が似合う行為だった。  と、その時、乾燥が終わった事を告げるアラームが鳴った。  律が名残惜しそうに凪を離すと、腰が抜けて立てない凪はその場に崩れ落ちた。そして(うつろ)な目で中空(ちゅうくう)を眺めている凪に代わり、洗濯物を畳む律。 「これは部屋に届けておく」  言い残し、律はランドリールームを後にした。  その後、午後の仕事をこなして部屋に戻る途中、牧田が廊下の向こうから歩いて来た。 「凪さん。副代表からのお知らせです。律さんと凪さんに明日から二日間のお休みを、という事です。本日、戻られますか?」 「律は?」 「律さんは本日、夕飯前に戻られます」  凪は逡巡(しゅんじゅん)する。 「家には戻るけど、律と一緒は嫌だ」  牧田はわかりましたと頷くと、 「では明日の昼少し前に凪さんをお迎えに上がります。宜しいですか?」 「あぁ。頼む」  言うと凪は踵を返した。が、数歩、進んだ所で歩を止め振り返った。 「牧田。悪いな。面倒をかける」  神妙な面持ちの凪を目の当たりにした牧田は、内心では驚いていたものの、鉄壁のポーカーフェイスにより静かに頷いた。  成程、副代表の言葉の通り、二人の関係性が変わった事により二人の雰囲気が変わったようだ。今まで、理央の補佐についてから(学生時代より、理央と勉学を共にしていて椎木家にも出入りをしている)数年、凪と会話をした事が無かった牧田であった。  牧田の言葉通り、夕飯の席に律の姿は無かった。もう椎木家に戻ったんだろう。 「あれ?凪くんはお(うち)に帰らなかったの?」  瀬名が小首を傾げ聞いてくる。一昨日までは、この仕草も、二十後半の男のお家呼びも腹が立って仕方がなかったが、今は慣れたようで少し可愛らしく感じてしまうから不思議だ。と凪は思った。  鎖骨の負傷により、ここに来てから一週間ほどの間に事務仕事をメインにはしていたが、ホテル内を歩いていて気が付いた事は、この男は他の従業員と良く話をしている。  決して無能ではなく、有能な方である方とは思うが、時折、どこか抜けている態度を見せる瀬名は、歳の上下関係なく皆から可愛がられているのが良くわかった。愛嬌のおかげで助けても貰えるのだ。  そして優子もである。彼女自身が仕事が出来きるので、一見、他者に対して冷たそうに見えるが、周りをよく見ていて必要な時に声をかけているのがわる。そして、それはほとんどの場合、適切なアドバイスとなっているのだ。  そういえば理央も、従業員の顔と名前家族構成も覚えていたっけ。ここに到着したその日、理央の部屋に行った時に、体調不良の従業員の休暇申請の処理で、牧田とそんな話をしていた。  俺は・・・。 「ねぇねぇ。凪くん。凪くん」  瀬名がワイングラス片手にほろ酔い加減で、手招きをする。席に着いているし、隣同士の状況で手招きをする意味はわからないが、話がしたいと言う事なんだろう。 「ねぇねぇ。凪くんってば」 「・・何だ」 「もう。やっと返事した」 「この状況で必要か?」 「必要に決まってるでしょーー。呼びかけに問いかけにお返事は必要ですっっ」  ワインをグビッと空けて、タンと置く。一気にの飲み干した後、グラスをテーブルに勢いよく置くのはこの男の癖なのかもしれない。でも、公式の場では、マナー違反だ。 「瀬名さん。グラスはテーブルに優しく置きましょう」  凪は努めて、柔らかく言う。  と、 「えーーー。そこー?今?僕の話、聞いてた?」  信じられないという様に、凪の顔を覗き込む瀬名。 「ふふふ。凪くんらしいわね。コミュニケーションの必要性より、テーブルマナーが気になるなんて」  優子は二人のやり取りを微笑みを持って見守っていたが、微妙にズレ始めたので、会話に参加する事にした。 「あ、いえ。話は聞いています。確かに、ここ最近、皆さんの仕事ぶりを見てコミュニケーションの重要性を理解しました。俺には無かった所なので、勉強になりました。ありがとうございます」 「そ、そう?僕の仕事ぶりを褒めてくれているの?」  瀬名は愛嬌たっぷりに聞く。 「はい」 「な、なんか、凪くん。本当に思っている?」 「・・?思っていますが」 「だったらもうちょっと、律くんみたいに朗らかに・・」 「律みたいに?」 「もう。直ぐそうやって揚げ足を取ろうとする」 「揚げ足・・」 「別に馬鹿にしてるとかじゃないし、文句でもないの。ただ、もうちょっと雰囲気が柔らかくても良いんじゃないかなーーーって思うんだ」  またワインを一気に空けると、今度は優しくグラスをテーブルに置いた。受けたアドバイスを直ぐに実行できる柔軟性に感心する。 「面白くもないのに笑えないんだが」  それとこれとは別という様にバッサリと言う凪に優子が声をかける。 「そこね。君に思うところは。  君に教えたいのは、別に無理に愛想を振りまけというのじゃないのよ。それは、不自然になるし逆に人間性に信用が出来なくなるわ。でも、雰囲気が柔らかいという事は大事な事なの。仕事をする上でも、例えば、わからない事や自信がない事があった時に、柔らかい雰囲気の人間には質問をし易いのよ。質問が出来ればミスを回避出来るわ。ミスを回避出来れば職場の雰囲気も良いものを保てるのよ。  たがら重要なのよ」 「それはプライベートでも重要ですか?」 「それは、君がどんな関係を築きたいかにも寄るわね。所で、律くんと仲直り出来たのかしら?」 「え?」 「ケンカとまではいかなくても、微妙な雰囲気だったでしょ。一触即発的な」  凪は朝を思い出した。 「あ、まぁ。大丈夫です。兄弟ですので」 「まぁ、それはそうね。兄弟はケンカが仕事。どんなに頭に来ても、腹が立っても、心の底から嫌いになる事は無いのが兄弟よね。ま、場合によるだろうけど」 「そう・・ですね」  凪は「ところで」と瀬名に視線を向けた。酔っ払ってテーブルにうつ伏せの状態で寝ているのである。 「ああ、良いわよ。今日は私が部屋まで送っていくわ」  言うと、文字通り優子は瀬名を叩き起こした。 「ほら。瀬名くん。起きて。部屋に戻るわよ。このか弱い私に貴方をおぶれって言うつもり?ヒールが折れたら弁償してもらうわよ。プラダの新作なんだから。はいっ、早く起きる」  テーブルに一人残った凪は、律の事を思う。

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