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第2話
「あー、疲れた」
言うなり、律はベッドに沈み込んだ。
その揺れに、ラップトップを胡座 をかいた膝の上で弄っていた凪は、眉根に皺を寄せた。
「何度も言うが、ここ、俺の部屋だぜ」
椎木リゾートホテルの従業員階の一室。ここは凪の部屋である。隣が律の部屋であったのだが・・・。
「俺、全部屋回って、コンセプトと備品の確認してきたぜ」
「お前は、人の話・・」
「俺、ここに来てから部屋周り、何周目だろ。凪は何やってた?」
寝転んだまま、凪を見上げる律。
「事務所で伝票整理」
「ずっと?」
「ずっと」
「このペーパーレスの時代に?」
「山積みだった」
「ふーん。事務作業もこれじゃやり辛いだろ」
言うなり律は、凪の吊った方の腕の肘に指を這わせた。
「っっ」
驚き咄嗟に腕を引いた凪。考えるより先に足が上がった。が、空中で止める。
「おー、エラいエラい。今、踵落とし入れられたら、俺の肋骨、完全に逝くぜ」
「・・そう思うんなら、んな触り方すんな」
「まだ慣れねえのか」
ニヤリと笑いながら、再び手を伸ばそうとする律。
「一生慣れねえよ」
心底嫌そうに言いながら、その手を払う。
払われたその手につけられた腕時計で時間を確認した律は、
「おっと、時間だ。次はラウンジの確認だ」
起き上がると、さも何でもないという様に凪の頭を抱き寄せ、軽くスマック音付きのキスをした。
「・・・」
完全に油断していて、反応が間に合わなかった凪は、固まった。
「じゃな、行ってくる」
ドアがパタンと閉まる。
「はーーーーー。あいつ・・本気なのか」
凪は頭を抱えて倒れ込んだ。
夕食の時間になり、牧田が呼びに来た。牧田は理央の執事でどこへ行くにも一緒だ。という事は、理央の姿は見ていないが、今はこのホテルにいるという事だ。食事の時間も取れないほど忙しく動いているのか。
レストランのテーブルには、この数日、一緒に働いている、フロア教育係りの瀬名 瑞樹 (27)と、経理担当の小鳥遊 優子 (42)が先に着いていた。差し詰め二人の教育担当である。
「やぁ。こっちだよ。律くん、凪くん。座って座って」
小柄な瀬名が先輩気取りで手招きをする。
「こらこら瀬名くん。君のテーブルじゃないでしょ」
優子は苦笑いだ。
「でもですね、小鳥遊さん。この業界じゃ、僕の方が先輩なんですよ。椎木さんにも、二人を特別扱いする事なくビシバシ扱いてくれって言われているし」
「確かに言われているわね。でも、将来、この二人が私達のボスになる可能性も忘れちゃダメよ」
「もちろんです」
瀬名は胸を張って答えた。
「もしそれで、この二人が将来、僕をクビにするなら、愛情を持って心を鬼にして教育している僕の胸の内がわからずに、この僕をクビにするってんなら、それまでです」
言い終わると、グビグビと食前酒を飲み干し、タンッと小気味良い音を立ててグラスを置いた。
「いよっ。男、瀬名」
優子は冗談なのか本気なのか、瀬名を後押しする。そして、二人に向かい、
「君達にも勧めてあげたいところだけど、未成年者だから、辞めておくわね。家の中で保護者の許可の元で飲むのと訳が違うわ。今、ここで働いている以上わね」
ウインクすると、自身も食前酒に口をつけた。
律と凪はそれぞれ頷く。
「はい。構いません」
なるほど。理央が雇っただけの事はある。物腰は柔らかく丁寧だが、きちんと意見は言うタイプだ。
素性を明かさない方が普段の従業員の姿が見れていいんじゃないかと思いそうなのだが、そうではない、実は。
最初から素性を明かし、その上で従業員達の人間性を見る。人間という生き物は、いくら上部だけ取り繕っても直ぐにボロが出るからだ。そして、もしそうであるならば、その類の人間を分るようにならなければならない。椎木の人間として。
そしてまた、自分達も彼らに、椎木の一族の人間としての振る舞いを精査 されている事を忘れてはならない。
確かに、家の中では何処でも好きな時にアルコールは飲んでいたが、外でハメを外す様な教育は受けて来ていない二人であった。
美味しい食事と酒で、だいぶ酔いが回ったらしい。瀬名は赤らんだ顔と蕩けそうな目で二人を交互に見比べた。
「君達って、双子なんでしょ。でも、あんまり似てないね。雰囲気は一緒だけどさ。きゃははは」
二十代後半の男がキャハハハなどど笑えば、薄ら寒い気もするが、小動物の如き瀬名の場合は似合うから不思議だ。
「ええ。まぁ、二卵性なので」
優等生然として律が答える。
「えー。二卵性って事は一卵性じゃないんだー」
あざと可愛いさを狙う女子並みのおバカ発言に、元々無表情の凪は一気に雰囲気も凍らせる。その気配を察して、律はテーブルの下、自身の手の甲で凪の太腿を軽く叩いた。椎木家の人間として、一定の礼節は重んじなければならない。
「はい。そうですよ」
「でも、ウチの律君の方がカッコいいね」
「どうも」
既にウチの呼びする瀬名に流石の律も苦笑いで答える。
「こらこら。瀬名君。ウチの凪くんの方が、良い男よ」
瀬名に釣られてか、優子も凪を身内呼びで対抗する。
「えー」
「えー、じゃない。ほら、よく見て」
優子に言われて、渋々、凪の方を見た瀬名は、次の瞬間。
「ひっ」
言葉にならない悲鳴をあげた。
凪の凍る様な視線を受け止めて。
「に、睨んだって、こ、怖くないんだからね。な、凪くん。う、うん。で、でも、な、な凪くんも十分カッコいいよ。よく見ると。うんうん」
怖くないと言いつつ、意見を変える瀬名に凪は一言。
「も?」
「・・・」
さっきまでの酔いは何処へらや。一気に大人しくなった瀬名であった。
優子は百面相の如きクルクルと表情を変える瀬名を楽しそうに見つめていた。それから笑顔のポーカーフェイスの律と無表情が常の凪の事も。
その後、フォローも加えつつ瀬名を部屋に送って行き、凪の部屋へと向かう律は、明かりの灯ったガーデンテラスを横切る事にした。ついでにという訳では無いが、写真と同じ雰囲気か確認する為に。写真ではとてもロマンチックな演出がされていて、オープン前に貸切で凪と食事をしても良い。そんな事を思いながら。
と、そこには先客がいた。
人の気配に優子は振り向く。
「あら、律くん。瀬名君は大人しく帰ったかしら」
部屋に戻ったらどう凪を構おうか考えていた律は、一瞬で思考を切り替える。
「ええ。少し飲み過ぎたと言っていました。瀬名さんはお酒があまり強くないみたいですね。優子さんは、大丈夫ですか?」
ニッコリ微笑む。
「ええ。ありがとう。私は自分の酒量は心得ているわ」
釣られた訳では無いだろうが、優子も微笑みで返した。
「それなら良かった。先輩二人に倒れられたら大変ですから」
「仕事が?」
「確かに業務も滞りますが、単純に心配だからですよ」
「そう。ご心配いただきありがとう。君って、良い子ね」
「どうも」
二人の間に何とも言い難い空気が漂う。
「凪くんは、素直よね。一見無表情でとっつきにくそうに見えても、分かりやすいわ。可愛いわよね。あの子」
律は自分でも、表情が不自然に笑顔のまま固まったのが分かった。それでも、
「そうですか」
優等生然とした態度は崩さない。
「ふふふ。君ってアレよね。超絶、過保護のお兄ちゃんか、それとも・・・恋人の興味を引くものは、それが良くても悪くても絶対に許せない、超絶、束縛男ね。どっちかしら?」
優子の冗談なのか本気なのかわからない雰囲気は独特で、カマを掛けられているのか、果たして。
「ご想像にお任せします」
律は微笑みの仮面を被ったまま答えた。
部屋に戻ると、既にシャワーを済ませた凪がベッドの上で上半身を枕に預けて、寛 いでいた。本当は後二日ほどは吊るしておくように言われていた帯は面倒なので外してある。視界に律を捉えると、開口一番。
「あのチビ、面倒くせぇ。明日も今日みたいに飯食わなきゃダメなら、俺は部屋で一人で食うぜ」
「・・へぇ・・・」
「ん?」
凪は律の反応が、自分が思っていた反応と違う事に違和感を覚える。食事中、フラストレーションが溜まっていたのは自分の方で、それを律に吐けば、気分が治ると思っていた。だが、今は、自分よりも律の方が機嫌が悪い。それは分かる。理由はわからないが。
「律?」
律は無言のまま、ベッドに膝で登る。無性に面白くない。それどころか腹立たしい。
学校で新しい話題が出ようが、新しい人間が登場しようが、ツレ(友達)の女関係が変わろうが、一切、興味を示さない癖に、瀬名には感情を動かす凪が無性に憎たらしい。
「凪」
その声は絶対零度。
ゆっくりとした動作が更に律の冷たい怒気を伝える。自分に向かい伸びてくる手を凪は払い除ける事は出来なかった。
律に顎を捉えられる。何に腹を立てているのか、訝 しさを持って真っ直ぐに睨んだが、同じ強さ、いやそれ以上の意志の強さで睨み返された。スローモーションで近づいてくる顔。
そしてキス。
甘い雰囲気は一切無く、貪 り喰 らう。そんな表現が正しい口づけだった。
抗おうと身体を捻 ろうとすると、痛めた鎖骨に腕で体重を掛けられた。
「っっっ」
痛みに眉を顰 める。一瞬、呼吸が止まった。その隙を狙って、律の舌が凪の口腔内を犯す。
「はっ」
キスがしたいならと思ったが、リズムを合わせるのが難しいだけで無く、息をするのが大変だ。
「んんんっっ」
一方的にされるのは嫌だと思い、片方の腕で律を押し返そうとしたが、微塵も動かない。そして、その度鎖骨に体重を掛けられ、主導権は律にある事を理解させられる。
その事は少なからず、凪に衝撃を受けさせた。身長は変わらない。体重も体格も変わらないと思っていたのに、いつの間にか、律の方が硬い筋肉がついていた。
動揺の為から思考が停止する。
と、律の片方の膝が凪の両脚を割って入って来た。そして、太腿で凪のソレをやんわり刺激した次の瞬間、背筋に走ったのは快楽。その事に驚いた凪は、思考を引き戻すと同時に身動 ぎした。
「いっっつ。うっっんーーっ」
たまらず、律の舌を噛むと、ようやく、律は唇を離した。
色々な感情がないまぜになって、自分で整理がつけられない。
何なんだ、今の感覚は。兄弟相手に嘘だろ。
「はぁっはぁっ」
呼吸を整えながら、律を睨む凪。だが律のその表情に色は無く、感情を読み取る事が出来ない。
「シャワー浴びてくる」
律はそれだけを残して、ドアの向こうに消えた。
しばらくそのドアを睨んでいたが、
「何なんだよ」
頭を抱えて倒れ込んだ凪だった。いつもなら特に意識しなくても、何となく律の考えてる事がわかるし、自分もそれで良いと思っていた。だが、今は顔を見ても声を聞いても、律の考えてる事がよく分からない。
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