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第1話

何も見えず音も聞こえない闇の中…。なぜか自分の意志では動かすことができないからだは、重く重く、目を閉じたまま暗闇に沈んでいく。これが現実じゃないのはわかっているけど、まるで心の一部がどぷっと沈んで、浮かび上がってこられないような気がする。 カーテンの隙間から光が射し込む、8畳弱の1Kの部屋。少しモヤモヤした夢見心地で目を覚ました光太郎は、ハッとスマホで今の時間を確認する。6時47分。良かった、寝坊じゃなくて。むしろ早いくらいだ。 たまに見る深い闇に落ちる夢。こんな夢をみると不安に駆られそうだが、光太郎にはなぜそんな夢をみるのか心当たりがあった。思い出したくない過去のトラウマ。もう気にしていない、と自分に言い聞かせながら、心にはモヤモヤした気持ちが残っていた…。 青砥光太郎、大学二年生。専攻は経済学部で、さぼることなく真面目に大学に通っている。今日の授業は一限目から。実家を出て一人暮らしをしているので、いつも朝食は、コンビニや大学の食堂で済ませているが、余裕で朝の支度が出来る時間に起きてしまった今日は、冷凍してあったご飯を温めて、インスタントの味噌汁と、冷蔵庫にあったウインナー、かろうじて作れる卵焼きでも食べようか、と考え、その通りにした。 う~ん…朝からしっかり食べすぎたかな、と少し後悔する光太郎だったが、一限目、二限目が終わり昼食時になると、結局お腹がすいてきた。 ワンコインで食べられる日替わり定食のプレートを持ち、大学の食堂を見渡すと、すぐに目当ての人物を見つけた。 「侑吾!」と声をかけ、その友人が座っている席に近寄る。 「おー!光太郎おはよう。」 爽やかかつ人懐こい笑顔で返事をしているのは、遠山侑吾。光太郎の唯一の大学での友だちで、光太郎のトラウマを知る一人でもある。そして、侑吾がそれを誰かに言いふらすことはない、と光太郎は信頼している。 「君が光太郎君?」と、侑吾の前に座っている男に声をかけられた。第一印象はとても優しそうな、おしゃれな男。少したれ目で、にこやか。少し低めの声が印象的だ。 侑吾は人当たりが良いので、大勢いる友人のうちの一人だろう。 大学に二年間も通っていても、光太郎には“友だち”と呼べる相手は侑吾以外にいなかった。自分から話しかけるのは苦手だし、明るい性格でもないから、積極的に声をかけてもらえてるタイプでもない。 別に友だちが欲しくないとか、喋るのが嫌いなわけじゃないし、会話をするクラスメイトはいる。ただ、その相手のことを“友だち”と呼べるかといえば、そこまでの関係は築けていなかった。 それに比べて、侑吾は明るく、喋るのが上手で、かといってうるさいわけではなく、空気が読むことに長けている。グイグイ押してくるくせに、相手が不愉快に感じるところまでは踏み込まない線引きがしっかりと出来ている。 こういうやつをコミュ力が高い、っていうのかな、なんて、光太郎は常々思っていた。 「そうですけど、侑吾の友だち?」 「ああ、俺がいるゼミに入ってきた、上杉友樹。もともと違う大学だったけど、うちの学部の教授に惚れこんで、編入したんだって。俺らと同じ二年だけど、年は一つ上だよ。気取ってて、面白くて、いい人」 声をかけてきた相手に聞いたつもりだったが、侑吾が笑いながら答えた。 「お前、そんな紹介の仕方あるかよ。上杉友樹です。友樹でいいよ、よろしくね。さっき侑吾から光太郎君の話を聞いてたんだ。」 ニコッと笑いかけてくる姿は人懐っこくも見える。 光太郎の心がざわめく。俺の話を聞いていたって、侑吾は何を話したんだろう。 光太郎の顔色をみて考えを察した侑吾が、 「いや、今から中学のとき一緒だった友だちがくるって言っただけだよ。いいやつだから、今日は昼を一緒に食べようって。」 「そうか…。青砥光太郎です、よろしく。」と少し安堵しながら、侑吾の隣に座る。大丈夫。動揺したことは上杉に気づかれていないはず。大丈夫、大丈夫。 「光太郎君は、何の授業を取ってるの?被ってるのあったら、今度一緒に受けてもいいかな。」 やっぱりにこやか。 「侑吾と同じ学部なら、被っていそうなのは、数学とか経済系…ですかね。」 「同じ学年だし、敬語じゃなくていいよ。被ってるクラスがいくつかありそうだし、これからよろしくね。」 毒のない笑顔に、警戒心が解けていく。いい人そうだし、侑吾の友だちなら仲良くしたい。 「じゃあ…よろしく、友樹さん。」 「呼び捨てでいいのに」 「まぁ…それはおいおい。俺こそ呼び捨てでいいよ。」 「ふふ。じゃあ呼び捨てになったら、光太郎がなついてくれたってことだね。頑張るよ。」 チャラいな、という印象が加わる。でも悪い人じゃなさそうだし、まだ大学に侑吾しか友だちがいないから、知り合いが増えるのは単純に嬉しい。 「侑吾と光太郎は中学からの付き合いなんだろ。大学も一緒なんて仲がいいね。俺は地元が遠いから、あまりこっちに知り合いがいなくて。二人と仲良くなれて嬉しいよ」 食後の缶コーヒーを飲みながら、友樹が言う。 「もう光太郎とも仲良しのつもりかよ。こいつ結構人見知りするから、距離の詰め方は気を付けろよな」 侑吾が茶化すように友樹に忠告する。 「いやそんなことないけど…」と否定しつつも、その通りだと自分でも思う。 まだ仲良くない相手がフランクに近づいてくるのは苦手だ。 「まぁ、今話しただけでもそんな感じするよね。でも俺は光太郎とも仲良くなりたいな。今度二人で飲みに行こうよ」 軽い言葉で友樹が誘ってくる。 「おい、俺は誘わないのかよ」 「侑吾とはもうゼミで飲みに行っただろ」 二人きりはまだ無理なので、「侑吾も行くなら行ってもいいけど」と光太郎が答える。 「光太郎がそういうなら、しょうがないから侑吾も誘ってやるか」 「なんだよ、ついでかよ。まぁいいけど」 ふてくされた風を装いながら、侑吾は全く気にしていないようだ。 そういうやつだよな、と光太郎は思う。侑吾は本当にいいやつで、光太郎にいつも優しい。時々叱られることもあるけど、侑吾が言うことは正しいと思うし、理不尽さを感じたことはない。 「じゃあいつにしよっか」と侑吾が予定を決めようとしたとき、 「友樹!」と、食堂の入口のほうから声が聞こえる。声を上げたのは、遠目で見てもイケメンだと分かる青年。 声の相手を見た友樹は、 「あぁ、ちょっとごめんね。また連絡するからそのとき予定を決めよう」と、ニコッとした笑顔をこちらに向けながら、飲みかけの缶コーヒーを持って、声をかけてきた相手のほうに去っていった。 「こっちに知り合いがいないなんて言ってたけど、いるじゃん」と光太郎が言うと、 「あ~、この大学の生徒じゃないかもな。」と少し気まずそうに侑吾が答える。 「侑吾、あの人知ってるの?」 「前に、ゼミで飲んだときにも出くわしたんだよ。偶然かどうかはわかんないけど」 「どういう意味?」 ちょっと意味深な言葉に、光太郎は興味をひかれた。 「まぁ、今度あいつに聞いてみてよ。俺からいうことでもないし、まぁ隠すようなことでもないと思うけどな」 侑吾は、その人が自分から話していないことを、自ら進んで他の奴に伝聞したりしない。そういうところも、侑吾のことを友だちとして信頼している一つの要素だ。 「じゃあ俺も次の授業行くわ」と、侑吾が立ち上がる。 「あぁ、じゃあまたな」 いつもと変わらないなんでもない一日。でも、今日は友樹という新しい知り合いが増えたことが、光太郎にとっては新鮮だった。

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