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第2話

友樹と知り合って数日後、午前中の授業を終え、午後からの授業がなかったので、光太郎は一人で大学を出てカフェに向かった。たまに来る、雰囲気が気に入っているカフェ。自由に手に取っていい本が壁の本棚に並び、クラシック音楽がかかった落ち着いた店内で、読書と食事を楽しむことができる。 今日は空いているからか、4人席に通され、光太郎は、以前から気になっていた本を片手に、コーヒーを飲み始めた。 「光太郎?こんなところで会うなんて、奇遇だな」 本を半分まで読んだところで声を掛けられ顔を上げると、ニコニコした友樹が立っていた。 「ここいい?」 光太郎の返事も聞かず、友樹が光太郎の正面に座る。 あっけにとられ返事が遅れた光太郎を見て、 「えっと、俺のこと覚えてるよね?昨日大学の食堂で…」 「あぁ、覚えてるよ、友樹さん。ごめん、ちょっとビックリしちゃって」 慌てて返事をする。覚えてないと思わせてしまったなら申し訳ない。 「よかった。ここよく来るの?俺もお気に入りなんだ」 嬉しそうに友樹が話し始める。 「授業がないときにたまに来る程度だよ。でも本もゆっくり読めるし、気に入ってる」 「じゃあ、気づかなかったけど、これまで同じ店内で過ごしていたかもしれないな。今日は相席してもいいかな?」 どうしても本が読みたいわけでもなかったし、同じ店を気に入っている友樹との偶然が少し嬉しくて、いいよ、と相席を受け入れた。 「その本、数年前に賞獲ってたよな。もしかしてミステリー好き?」 「よくわかったね。読むのはもっぱらミステリー系。」 「お、趣味が合うね。俺も好きなんだ。その本も読んだしね。ネタバレはしないけど、面白かったよ」 本の趣味も一緒だと分かり、光太郎の警戒が解けていく。昨日はチャラいなんて思って悪かったな。 その後も、店の雰囲気に似つかわしい、本についての話題が続く。どの作家や作品が好きか、オススメの古本屋はあるかなど。コーヒーも飲み終え、友樹への印象が好感に変わっていく中、「友樹」と呼ぶ声が聞こえた。 あ、なんかデジャヴだな、と思い顔を上げると、まさに昨日大学の食堂で友樹を呼んでいた男が立っていた。近くで見ると年は少し上だろうか。大きな目が印象的だ。 「ちょっと、また新しい男なの?ほんとどういうつもりだよ」 男が呆れたような顔で、光太郎を品定めするようにチラッと見ながら友樹の隣に座った。 え、座るの?と驚きもあったが、それよりも“新しい男”ってどういう意味だろう。光太郎は心臓がドキドキし始めているのを感じる。 「悟、こんなところまで入ってきて、今日も偶然か?新しい男といるのが分かったなら、ちょっと遠慮してくれないかな」 口角を上げ、笑顔を作っているように見えるが、友樹の態度は少し冷ややかだ。 「ほんとお前最低だね。ねぇ!」 語気を強めながら、悟と呼ばれた男が、急に光太郎のほうに振り向く。 「はい」と、あっけにとられていた光太郎が、つい答えると、 「うまい口調でこいつに口説かれたんだろうけど、やめといたほうがいいよ。マジ最低野郎だから。今だって何人と関係持ってんだか」 光太郎の理解が追い付かないことを言われて何も言い返せずにいると、 「今日はほっといてくれないかな悟。場所も考えろよ」と友樹が突き放す。 悔しそうな、泣きそうな顔をした悟が、友樹と、なぜか光太郎のことも睨みつけ、少し乱暴に席を立ち店を出て行った。 「いや~ごめんね、変なことに巻き込んで。」 謝りながらも、友樹には悪びれる様子も取り繕う様子もない。 「いや、別にいいけど」 なんとなく痴情のもつれのように感じるけど、あまり深く考えたくない。変に勘ぐるのも悪いし。 「実は俺さ、ゲイなんだよね。恋愛対象が男なの。まぁ、知り合ったばっかりでカミングアウトされても困るよな」 光太郎の心の中での気遣いを無視するかのように、友樹が軽く笑いながら告白した。 光太郎の心中は穏やかではなかった。 「そ、そうなんだ。なんか、大変だね」 何も考えずに、口から言葉が出た。自分の動揺を悟られないよう、不自然じゃないことを言わなくては。でも、これ以上言葉は続かない。 「光太郎もそうでしょ?同じだよね?」 え、なに、同じって言った? 「お、同じってどういう意味?」 「だから、光太郎もゲイだろ。こういう勘は当たるほうなんだけど」 心臓がバクバクと跳ね、壊れそうだ。 「え、いや、そんなんじゃ……ないけど」 上手くごまかせない。頭が真っ白でなんて言ったらいいか、どうとりつくろえばいいか、判断できない。 「あ、ごめん、隠してた?お仲間ならオープンにしても大丈夫かなって思ったんだけど。それか自覚ないとか?」 光太郎がどう否定しようと、友樹はすでに、光太郎がゲイだと確信しているようだった。 実際、光太郎の恋愛対象は男だ。自覚もある。だけどそのことが、マイノリティなのも分かっていたし、ゲイであることを知られることで、相手に不快感を抱かせてしまうことがあるのも十分に理解していた。 でも、なんでわかったんだ。 自分ではそんな素振りを見せたつもりはなかった。なかったけど、実はそんな風に見えていた?周りにはバレバレだった?どうしよう……。 冷汗は出るし、心臓の高鳴りはやまなかったが、ここで友樹に対して嘘をつくことも何か違うと思った。 「いや、ちょっとびっくりしただけだよ。そんなこと面と向かって聞かれたの初めてだし……。えっと、そう、俺も……ゲイ。ごまかそうとしてごめん。」 悪いことをしたわけではないのに、結果、ゲイではないと嘘をついたことに申し訳なさを感じた。 「ふっ、光太郎って真面目だな。そういうところすごくいいと思うよ」 友樹が可笑しそうに息を漏らす。 「急にこんなこと聞いてごめんな。俺はゲイなこと隠してないし、これから付き合いがあるならいずれはわかることだと思って。変なことに巻き込んだついでに言っちゃおうかなって」 言っちゃおうかな、って、そんな簡単に切り出せることなのか。光太郎の中ではありえない。 光太郎は、自分からゲイだなんて進んでカミングアウトしたりしない。 出来れば誰にも知られずに生活することが、自分にとっても、周りにとっても良いことだと思っている。 「実はこの前会った時からお仲間じゃないかなって思ってたんだけど、初対面だし、侑吾の手前、聞くのは悪いかなって。そういえば、侑吾は知ってるの?」 「……うん。侑吾は知ってるよ」 もちろん侑吾にも、自ら進んでゲイであることを告白したわけではない。 中学の時、光太郎にトラウマを植え付けた出来事のせいで、たまたま知られてしまっただけだ。 でも侑吾は、光太郎がゲイだと知っても、態度を全く変えなかった。 「なんだ、侑吾も知ってるなら、ますます気兼ねなく仲良くできるな。光太郎、今彼氏はいるの?」 か、彼氏!?自分には関係のないようなワードに思わず戸惑う。 そうか、ゲイなら相手は男だし、彼氏だよな。 「いや、いないよ」動揺を必死に隠して、何でもないように答える。 「そっか、俺も今、特定の相手はいないんだ。相手が見つからない日があったら、声かけてよ」 機嫌が良さそうに、ちょっといたずらっぽく友樹が光太郎を見る。 相手って、そういうことだよな。とっさに意味を理解して、パッと自分の顔が赤くなったのが分かった。 「なんだよ、照れてるの?慣れていなそうだな、とは思ったけど、想像して顔赤くするなんて、光太郎可愛いね」 光太郎には、もうキャパオーバーだった。彼氏とか相手とか可愛いとか、頭が処理できない。 「いや、俺、そういうのは間に合ってるから、その、気にしないで」 間に合ってるって。誤解させるような言い方をしてしまったかな。 だけど友樹は、光太郎の言葉を気にするわけでもなく、 「なんだ、可愛がってくれる人いるんだね。あ、でも連絡先は教えといてよ。侑吾とも飲みに行く約束するときに、スムーズだろ」 「そうだね、じゃあ、これ俺の連絡先」 なんだか勘違いをさせてしまったようだけど、これ以上、今の状況に対応できる気がしない。 「あのさ……、なんで俺のことゲイだってわかったの?俺、一応態度には出してないつもりだったんだけど……。」 これだけは友樹に聞いておきたかった。なんでわかったか聞いておかないと、自分の態度の改善のしようがない。 「いや、ほんとなんとなくだよ。俺なんかわかっちゃうんだよね。光太郎はオープンにしたくない派なんだよね。大丈夫、特別わかるような態度が出てるわけじゃないから。もちろん俺も口外しないよ。」 「なんとなくって……。」 なんとなくわかるって、それはそれで対処のしようがないじゃん、と光太郎は不安に思ったが、態度に出ているわけじゃないと聞いて、少し安心する。 「もう少し話していたいけど、この後予定があるんだ。じゃあまた学校でね」と、友樹は店を後にした。 窓から外を見ると、オレンジ色の夕焼けが少し眩しく、いつの間にか夕方になっていたと気づく。 なんだか、疲れたな。 嘘をつきたくなかったからと、会って数日の相手に、ゲイであることをカミングしてしまった。 友樹が誰かにバラしてしまうんじゃないかと考えると、冷や汗が出て不安に駆られる。 その一方で、大学生にもなると、人間関係が広がり、周りの環境も変わる。友樹を見ていると、もしかしたら、ゲイであることは、何でもないことなんじゃないか、と思いたくなって、少しワクワクしてしまう自分もいる。 もちろん不安のほうが大きいが、光太郎は、なんだかこれまで自分が見ていた世界が、少し変わったように感じた。

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