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愛しい魔物と永遠のぬくもり
学校でも家でも、いつもひとりだった。
別に、それでもよかった。寂しいなんて、思ったことはなかった。気の合わないヤツと無理してつるむより、ひとりでいる方がずっといいからだ。
けれどそんな正人に、なんと親友ができてしまった。
「青ーっ!」
くるんと丸いシルエットを前方にみつけ、笑顔になった正人は大きく両手を振る。
木々に囲まれた山道の途中で、いつものようにその親友は正人が来るのを待ってくれていた。丸い頭に丸い体。後ろ足でひょいっと立って短い両手を一生懸命振ってくれる姿は、とてもユーモラスで可愛らしい。
(正人ーっ)
親友の弾んだ心の声が届いて来て、正人もますます嬉しくなって全力で山道を駆け上がる。
親友の青は、人間ではない。ちょっと似ているけれど、オオサンショウウオでもない。村の大人達から絶対に近付いてはいけないと言われている山奥に住む、恐ろしい『伝説の魔物』だ。
大人達は言っていた。誰も入ったことのない山のずっと高いところにいる『魔物』は、とても危険で凶暴なのだと。
青は、自分がその『魔物』なのだと言う。だとしたら、大人達の言っていたことはまるっきり間違っている。本当の『魔物』は丸くて可愛く、おとなしくて、そしてとても、とても優しいのだから。
(正人、今日も来てくれてありがとうね)
正人が遊びに来るたびに青は心の声でお礼を言って、小さな黒い目をぱちぱちさせ嬉しそうに見上げてくる。
「俺が来たいから来てるんだぞっ」
正人は笑って、青の丸い頭をくりくりと撫でる。
そうしていつも同じ会話をしてから、2人は青の住んでいる泉のほとりまで並んで山道を登っていく。
木々の生い茂った山奥にあるとは思えないほど、そこはとても綺麗なところだ。泉の水は真っ青で、その周りには星の形をした水色の花がいっぱい咲いている。
青はこんなきれいなところに住んでいるから、こんなに優しいのかな。それとも、優しい青が花の世話とかしてるから、こんなにここがきれいなのかな。
きっと両方だ、と正人は思う。
まるで物語の中の世界みたいに綺麗な綺麗なこの場所に、青はずっと、たったひとりでいたそうだ。
いくらここがおとぎの国の楽園みたいな素敵なところでも、何十年もひとりでいたら寂しくなったりもするだろう。青は別に寂しくなかったと言うけれど、青が長いことひとりでいたことを考えただけで、正人の方が寂しくなってくる。
「なぁ青、今日何して遊ぶ? やっぱ野球だよな! 俺今日のために変化球練習してきたんだぞっ」
(駄目だよ、正人。『やきゅう』はこないだいっぱいやったから、今日は一緒にドリルをやる約束だよ)
野球をしたくてうずうずしている正人の手を丸い手でぽんぽんと叩いて、青が首を振る。
青も野球が大好きだけれど、それはそれ、お勉強が先、というところはなかなかしっかりしている。優しいけれど、いつも正人にとってよりいいように、と考えてくれるのがこの親友だ。
「ちぇ~っ、わかったよぅ」
正人はちょっと唇を尖らせつつ、おとなしくランドセルの中からドリルを取り出す。泉のほとりに並んで座り、ほかほかとした陽だまりの中で正人と青は勉強を始める。
本当はドリルより野球の方がずっと好きだけれど、青と一緒だと勉強も楽しい。青はとても賢くて、正人がわからないところはわかるまでていねいに教えてくれるからだ。もともとテストの点はいつもクラスの上の方だけれど、青に勉強を見てもらうようになってからは必ず一番になった。
「おお~っ、そっかそっか。青、おまえホントすごいなっ」
(すごいのは正人だよ。正人はとても覚えるのが早いよ)
「青の教え方がうまいからだよ。青が先生なら、授業も楽しいのにな~」
(えっ、ぼくが先生っ?)
「そーだよ、青先生! ていねいでわかりやすいしさー、優しいしさー。青、絶対人気先生になるぞっ!」
きっと青だったらクラスで一番勉強のできない子にも、根気強くていねいに教えてくれるだろう。自信のない子の背中を小さな手で撫でて、『がんばって』と励ましてくれるだろう。できる子も、できない子も、クラスの子はみんな、絶対青のファンになる。
想像してほんわかとなっていると、
(だ、駄目だよ、正人、ぼくに先生は無理だよっ)
と、後ろ足でひょっと立ち上がった青が、小さな両手を胸の前で一生懸命振る。
「えー、何でだよ? 恥ずかしいのか?」
(うん、ちょっとだけ恥ずかしいし……それに、先生は黒板に字を書いて教えるんでしょ? ぼくは手を伸ばしても、きっと届かないよ……)
大真面目に言ってしょぼんと肩を落とす様子が、本人には悪いがなんとも可愛くて、正人は爆笑しつつ青に抱きついた。
(わぁ、正人っ)
「そしたら俺、青のことおんぶしてやるよ! それならきっと黒板に届くから大丈夫だろ?」
(正人に、おんぶしてもらって……うん、そうだねっ)
青が嬉しそうに心の声を弾ませる。そして遠くを見るように、少しだけ目を細めた。
(そうしたら、きっと届くよね……)
花畑の向こうを見ながらそっと、青がつぶやく。もしかしたら、学校の先生になった自分を想像しているのかもしれない。
子供たちに『青先生!』と呼ばれて、好かれて囲まれて……。正人におぶってもらって、黒板に字を書いて……。
みんなが、それを見て笑って……。たくさんの笑顔に、あったかく包まれて……。
細められた小さな目が、なんだか少し寂しそうに見えてきて、あわてた正人は青を抱き締める両手にぎゅっと力をこめた。
「でも、やっぱダメだっ。だって青は、俺だけの先生だからなっ」
なぜだか泣きたくなってきたのをごまかすように笑って、青の背中を叩くと、青も笑った。笑いながら、
(ありがとうね、正人)
と言ってくれた。
『青ちゃん!』
『青くん!』
彼を呼ぶ優しい声……。
小学校の子供達ではないけれど、その昔無邪気な子供だった人達に、青は囲まれている。
たくさんのしわくちゃの笑顔にあったかく守られながら、青は優しく笑っている。とても、嬉しそうに笑っている。
(ああ……青……よかったな……)
もう彼があのどこか寂しそうな目で、遠くをみつめることはない。
高齢の患者達の真ん中できらきらしている青の微笑みが、まばゆい日の光にだんだんと溶けていくのを惜しむように眺めながら、まどろんでいた正人はゆるやかに目覚めた。
「あ、正人。起きた?」
夢の中と同じ笑顔で、青が見下ろしてくる。
庭で少し野球をした後、ひなたの縁側に並んで座っておしゃべりをしていたら、なんだか心地よくなってきてうたた寝してしまったのだ。
「ああ……子供の頃の夢を見てたよ。おまえと一緒に、ドリルをやった夢……」
青の膝に頭を預けたまま、正人は手を伸ばしやわらかな頬に触れる。
「そう」
と、青も懐かしそうに微笑む。
「俺どのくらい寝てた……?」
「う~ん……きっと、三十分くらいだよ」
「悪い。重かったか?」
「ううん」
青はぶんぶんと首を振ってから、うふふと首を縮めて笑う。
「全然重くないよ。それよりぼくは正人を乗せていると、なんだかとても嬉しくなるんだよ。昔もこうしてぼくに頭を乗せて、正人はよくお昼寝したでしょう?」
「ああ、そうだったな」
勉強や野球の後、泉のほとりで青を枕みたいにしてその背中に頭を乗せ、正人はよく昼寝をした。帰る時間になると、青がゆさゆさと体を揺すって起こしてくれた。目を擦りながら起き上がり、沈みかける夕陽を見るたびにいつもとても悲しい気持ちになった。
このままさようならせずに、ずっと青と一緒にいられればいいのに。
そう思うと、泣きたいくらいに切なくなり涙がにじんだ。
「正人はとてもあったかいから、乗せているとね、ぼくまであったかくなるんだよ。ひとりのときはあったかいのがわからなかったけど、正人がぼくに『あったかい』っていう感じを教えてくれたんだ」
ありがとうね、と青は恥ずかしそうに小さな声で言い、細い指で正人の髪をすいてくれる。
「おまえは、本当に……」
言葉が出なかった。
教わったのは、むしろ自分の方なのだ。底知れぬ優しさに包まれた『あったかい』という感じを、正人は青から受け取った。
正人の中に今ある温かい気持ち、優しい気持ち、愛しい気持ち。それらはすべて、青が分けてくれたものだ。
「明日は、俺がまた膝に乗せてやるからな。交替でいこう」
自分でも戸惑ってしまうほどの愛しさがこみ上げるのをごまかすように笑い、軽く返す。思い切り抱き締めたいのを我慢しながら頬を撫でてやると、青は本当に嬉しそうにふわっと笑った。
「う、うん。ぼくは正人を乗せてあげるのも好きだけど、正人の膝に乗せてもらうのも、本当は好きなんだ」
照れくさそうに言って頬を赤らめ、青は恥ずかしいから見ないでというように、小さな右手で正人の両目を覆ってくる。青々とした草とひなたの、青の香りに包まれ目を閉じると、またゆるやかに眠気が寄せてきた。
青と一緒にいると、張り詰めていた気が緩んで安心してしまうのだろうか。目に見えな大きな何かに守られているような感覚で、いつもこんなふうに眠くなる。
「正人、もうちょっと寝てていいよ。晩ごはんの時間になったら、ぼくが起こしてあげる」
「ああ……おまえ、ここにいろよ」
顔の上に置かれた手に、自分の手を重ねた。
眠ってしまって目覚めたら彼がいなくなっているのでは、という漠然とした不安は、いまだに正人の中から消えてくれない。
ふわりとした感触とともに、重ねた手のその上にまた手を置かれた。とても、あたたかい。
「正人を乗せているから、動けないよ。大丈夫、ぼくはここにいるよ」
ずっといるよ、という優しい声に、心は安らぎ癒される。
大丈夫だ。青は、ずっといる。ずっと、自分のそばにいる。
もう、目が覚めても『さようなら』を言わなくていい。青も自分ももう二度と、『ひとり』に戻ることはない。
ゆっくりと戻っていった夢の世界の中、泉のほとりで昔の青が、小さな両手を一生懸命振って正人を迎えてくれる。その黒くつぶらな瞳にはもう寂しさの影はなく、日の光を受けてただきらきらと輝いていた。
☆END☆
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