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優しい魔物の大好きな家族

「父さん、母さん、結婚三十周年おめでとう!」  正人の祝いの言葉に琴音と青も唱和し、全員でそれぞれ好きな飲み物の入ったグラスをカチリと合わせる。 「やぁ、ありがとう」 「みんな、本当にありがとう」  テーブルのいつもの席に並んで座った恒夫と和子はいつにも増して満面笑顔で、青もとても嬉しくなってくる。  恒夫と和子の三十回目の結婚記念日の今日、テーブルにはいつもよりたくさんのご馳走が並んでいる。和子に手伝ってもらいながら琴音が腕を振るった料理は、どれもとてもおいしそうだ。  青の担当はデザートだ。大きなデコレーションケーキはハートの形にして、上にハート型のチョコレートをいっぱいちりばめてみた。今日という本番の日のために、こっそり一人で試作を重ねていたことは内緒だ。 「こんなに盛大に祝ってもらえるとは思わなかったな。ありがたいような照れるような……なぁ、母さん?」  ご馳走に舌つづみを打ちながら、恒夫が本当に照れくさそうに和子に話しかける。 「本当ですよ。そんなに気を遣ってくれなくてよかったのよ。これまでだって、ねぇ? 毎年忘れてたくらいなんだから」  和子も、嬉しそうな中にもなんだか申し訳なさそうな表情だ。 「今年は特別だよ。何しろきりのいい三十年だしな」 「そうよ。今まで何もできなかったからこそやるんじゃない。今日は、これまでの分も併せてのお祝いなんだからね」  正人と琴音に笑顔で返され、恒夫と和子は少しだけしんみりとした顔になる。  琴音の病気のことがあり、去年までは結婚記念日など思い出す余裕すらなかったのだと、青は正人から聞き胸を痛めた。けれど昨年暮れの検診で病いが快癒したという結果を受け取り、世向家には次第に笑顔が戻ってきた。訪れた奇跡をまだ信じられず、夢ではないことを確かめるようなゆっくりとした歩みで、家族は少しずつ日常を取り戻してきた。まるで長いこと止まっていた時計が、またゆるりと動き出すように。  青のおかげだ、と正人は言った。家族はみんな、青に感謝していると。青はあわてて首を振った。  命の花が効いたのは、家族や、坂本や、もちろん青も、みんなで琴音の回復を祈っていたからだ。希望をたくさん重ねあわせたから、きっと大きな希望になって願いが叶ったんだよ、と言うと、正人は驚いたように目を見開いてから、ぎゅっと青を抱き締めてくれた。正人が喜んでくれているのがわかって、青も胸がいっぱいになった。  だから今日は久しぶりの、そして、特別に嬉しい結婚記念日なのだ。  ご馳走を食べながら楽しく語り合う大好きな世向家の人達を見ながら、青はとても安らいで、ほっこりとした幸せ気分になっていた。全員が話し上手な家族の中で、もともと無口な青は正人の隣にちょこんと座って料理を配ったり、みんなに話しかけられうんうんと相槌を打ったり、一緒に笑ったりしているだけなのだが、本当にとても楽しかった。 (こんなに楽しくて、いいのかな……)  もしかしたら、これは夢なのでは……。去年世向家を去り故郷の山に戻ろうとして、村人に捕獲され入れられた冷たい水槽の中で、長い長い夢をみているのでは……。  そんな不安にかられたときは、テーブルの下でそっと正人の手を握った。大きな手は青の不安を汲み取ってくれたように、強く握り返してくれる。そのたびに、青はとても安心した。 「おお~、これはまたすごいケーキだな!」 「まぁ、本当だ! 青君、上手になったわねぇ。ケーキ作りは私より腕が上だわ」  恒夫と和子にしきりと感心され、青は真っ赤になって照れまくってしまう。揃って甘党の両親に喜んでもらおうと、スイーツ作りを日々がんばってきた甲斐があった。  では早速、と和子がケーキにナイフを入れようとするのを、正人が止める。 「デザートの前に、プレゼントの贈呈といこうか。琴音」 「はいは~い」  正人につつかれて琴音が立ち上がる。軽く咳払いをして少しだけ照れたような改まった表情で、琴音は長方形の薄い箱を二人に差し出す。 「父さん、母さん、これ。兄さんと私からよ」 「おお、何だろうな?」 「いいのよ、そんな気を遣わなくても」  恒夫が箱を受け取り、和子に見せながらラッピングを解く。 「おっ、旅行券か!」 「まぁまぁ!」  中から出てきた箱を開けた、二人の声が弾む。 「たまには二人で、ちょっと遠くにでも行って来てくれよ」 「そうよ、これまではいろいろ大変で、ゆっくりする時間もなかったんだから」  正人と琴音のねぎらいの言葉に恒夫は嬉しそうに微笑み、和子も目を潤ませている。  素敵な光景に胸をじんとさせながら、青はちょっと悩んでいた。実は青も正人達には内緒で、二人に贈り物を用意してきたのだ。けれどその贈り物は旅行券と比べるとかなりちっぽけで、あまりにもささやすぎる。恒夫と和子に、はたして喜んでもらえるだろうか。 (でも……やっぱりもらってほしい)  お祝いの会をやろうという話になってから、何週間もかけて準備してきたものだ。たとえ喜んでもらえなくとも、受け取ってほしかった。  はいっ、と首をすくめながら思い切って手を上げた青に、四人が注目する。 「ぼぼっ、ぼくも、恒夫先生と和子奥さんに、お渡ししたいものがあるんですっ」  えっ、と全員が驚く。青のプレゼントはとても可愛らしく綺麗に仕上がった、ハートのケーキそのものだと思っていたのだろう。 「こ、これっ、お手紙です……。ぼく、こんなものしか思いつかなくて……」  恒夫には薄いグリーンの、和子には淡いピンク色の封筒に入った手紙を、青は俯いたまま真っ赤になって差し出す。おお、とか、まぁ、とか言いながら、二人がそれを受け取ってくれる。 「何だ青、おまえこっそり手紙なんか書いてたのか」  正人がびっくりした声を出すのに、青ははにかみながらうんうんと頷いた。  駅前の大きな文具店まで行って悩みに悩んだ末選んだレターセットに、青は二人への感謝の気持ちを綴ることにした。二人それぞれの大好きなところ。そして、これまで二人にしてもらったたくさんの嬉しいことに、一つ一つお礼を書いた。書いているうちに、自分が二人のことをどんなに大好きか、二人にどんなによくしてもらってきたかを思い出して、青もとても幸せな気持ちになれた。二人への贈り物だけれど、書かせてもらった青の方が素敵なものをもらった気分になっていた。  けれど、あれもこれもと書いていたら便箋十枚全部使ってしまって、ぎゅっと無理矢理詰めた封筒はパンパンだ。こんなぶ厚い手紙もらっても迷惑じゃないかと、実は心配していたのだった。  暇なときにでもゆっくり読んで、と言う前に、恒夫と和子は封を開けすでに読み始めてしまっていて、青はあわてにあわてる。 「恒夫先生、和子奥さんっ、ご、ごめんなさい! そんな厚い手紙、あの……っ」  おろおろする青の袖を、いいから、と正人と琴音が両側から引く。正人達がとても優しく微笑んでくれていてホッとしつつも、大丈夫かな、と恒夫と和子を窺い見る。  びっくりした。恒夫は眼鏡を押し上げ目元をしきりと拭い、和子もハンカチを目に当ててしまっている。 (二人とも、泣いてるっ? ど、どうしよう……!)  何か失礼なことを書いてしまったのかと、青はうろたえまくる。せっかくのお祝いの夜が、青の下手くそな手紙で台無しになってしまうと思ったらひどく悲しくなってきた。 「あのっ、本当にごめんなさい、ぼく……っ」 「青君、ちょっとこっちにいらっしゃい」  涙を拭いた和子に手招きされた。青はカチンコチンになりながら、テーブルを回って二人の間に立つ。 「本当にありがとう!」  立ち上がった和子にふわっと抱かれ、青は優しいぬくもりに包まれた。 「こんな素晴らしい贈り物をもらったのは久しぶりだな」  恒夫も青の背をポンポンと優しく叩いてくれる。どうやら喜んでもらえたらしいと気付き、青の緊張は一気に解けた。 「やれやれ、これは俺達の負けだな、琴音」 「完敗よ。もっとも、青君に張り合おうっていう方が無謀だけどね」  正人と琴音も優しく笑ってくれていて、青もじわじわと嬉しくなってくる。 「恒夫先生、和子奥さん、ぼく……」 「ねぇ、青君。今日は私達からお願いがあるの」  恒夫と目くばせした和子が、青の言葉を遮った。 「お願い、ですか? はい! ぼく、お二人のためなら何でもしますっ」  目をキラキラさせる青に、和子はクスッと笑って言った。 「あのね、私達のことを、『先生』『奥さん』と呼ぶのはもうやめにしてほしいの。これからは『お父さん』『お母さん』と呼んで」 「えっ……?」 「それと、敬語もやめてね。だってあなたは正人の大切な人で、私達の家族なんだから」  ね? と優しく背中を撫でられ、青はポカンとしてしまう。  最後の仲間だった長老が亡くなってからは、青はずっとひとりだった。ひとりでいることを当然のように受け入れていて、『家族』がいないのを寂しいと思ったこともなかった。  でも今は、正人を好きになって、好きになってもらって、彼の大切な家族の人達とこうして一緒にいる。そして今大好きなその人達が、青のことを家族だと言ってくれている。  正人と琴音を見た。ニコニコと笑って頷いている二人の顔が、急に霞んでくる。 「和子奥さん、あの、ぼく……っ」 「ほら、だから『奥さん』じゃなくて『お母さん』でしょ? 言ってみて」 「私は『お父さん』だ」  両側から肩を叩かれ、溜まっていた涙がぽろぽろと頬をこぼれ落ちた。 「お、お母さん、お父さん……っ、ぼく……ありがとう。本当に、ありがとうっ」  どうしようもなく涙が止まらなくなって、青は両手で顔を覆った。笑いながら背を撫でてくれる手のぬくもりが、もしかしたら本当は寂しかったのかもしれない昔の自分の心まで、癒してくれるようだった。 (長老、みんな。ぼくには家族ができました)  縁側に座って星を見上げながら、青は天国いる仲間達に報告する。 (だから、大丈夫です。もうぼくは、ひとりじゃないです)  応えるように、星がチカチカと光を放つ。 「青、ここにいたのか」  庭を横切ってきた正人が隣に座った。 「今日のおまえのサプライズプレゼントにはやられたな。父さんも母さんも大感激してたぞ」  ありがとうな、と嬉しそうに笑ってくれる正人に青は照れて首をすくめる。 「恒夫お父さんと和子お母さんに喜んでもらえて、ぼくも嬉しいよ」 『お父さん』『お母さん』と口にしてみてさらに嬉しくなり、青はうふふと笑ってしまう。 「両親も、もっと嬉しかったと思うぞ。おまえにそんなふうに呼んでもらえて」 「そ、そうかな? そしたらぼくは、もっともっと嬉しいな。ねぇ正人、ぼくは今日改めてびっくりしたんだよ」 「何を?」 「涙って悲しいときだけじゃなくて、すごく嬉しいときにもあんなにたくさん出るんだね。ぼくは体中が泉になったみたいにいっぱい泣けて、本当にどうしようかと思ったんだよ」  正人はアハハと声を立てて笑い、青の肩を抱き寄せる。 「嬉し涙はいくら流してもいいな。俺もうっかりもらい泣きしそうになったよ。……青」 「うん」 「これで俺達、本当に家族だな」  優しい瞳でみつめられ胸がまたじんわりとしてきて、青は霞んできた目元をこする。 「家族、だね」  と繰り返してみたら、どうすればいいのかわからないくらい温かい気持ちになった。 「正人、ぼくはこれからますます、正人と家族みんなのためにがんばるよ。ぼくができることはあまりないけど、みんなが笑っていられるようにいろいろ、させて?」  霞んだ目をぎゅっとこすって見上げると、正人は驚いたように瞳を見開く。 「おまえ……これ以上どれだけ、俺や家族に尽くそうっていうんだ? もう十分だよ」 「十分……? ううん、十分っていうのはないよ。ぼくがこんなに嬉しくしてもらったんだから、いくらお返ししても足りないよ。正人とみんなにも、いっぱい嬉し涙を流してほしいよ」  嬉し涙は、とても素敵な気持ちになるから。胸がほわっとなってきゅっとなって、全身に幸せな気持ちが満ちるから。 「正人、ぼくは本当に、びっくりするほど幸せものだね。こんなに幸せでいいのかな? きっとぼくは、宇宙一幸せになった生き物だよ」  満面笑顔で断言すると、正人は驚いていた目を切なそうに細め、ぎゅっと青をきつく抱き締めてきた。 「馬鹿だな、おまえは本当に……っ」 『馬鹿』と言われてしまったけれど、怒られている感じではない。青はますます嬉しくなって、正人の背中に手を回し一生懸命抱き返した。  空の星々が宇宙一幸せになった小さな仲間を、包むように見守ってくれていた。 ☆ END ☆

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