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第1話(3)
※お忙しい方のための1話動画はこちら→https://youtu.be/L_ejA7vBPxc
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↓現在、以下の2つのお話が連載中です。↓
毎日昼の12時あたりのPV数を見て、
増加数の多い方の作品をその日22〜23時あたりに更新したいと思いますmm
◆『マイ・フェア・マスター』(本作品:SM主従BL)
https://youtu.be/L_ejA7vBPxc
◆『白い檻』(閉鎖病棟BL)
https://youtu.be/Kvxqco7GcPQ
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入ってきたのは大柄な男だった。カシミア地のグレースーツに、クラシックな風合いのコートを羽織っている。首からはオフホワイトのストールがかかっていて、男が歩を進める度に、それが映画のワンシーンのように風になびく。
そびえ立つような長身。広い肩幅。張った胸元——かなり体格のいい男だった。なのに無骨さを感じさせないのは、その洗練された身なりと、知的で威厳のある顔立ちのおかげだろう。艶のある黒髪は後ろにゆるく撫でつけられ、鷹のような鋭い目つきは真っ直ぐに自らの行き先を見据えていた。
この人だ、と良明は直感した。自分に電話をしてきたのは、絶対この人だ。
電話越しからでも感じたが、実際会ってみると、その異様な雰囲気がさらに良くわかる。まるで入ってくるなり辺りの空気が全部、この男に吸い込まれてしまったかのような。人間ブラックホール、という言葉が良明の頭を過ぎる。
「……マスター……」
畏れとも喜びともつかないため息が聞こえた。「え?」と良明が顔を戻すと、カウンターには誰もいなかった。
驚き、辺りを見回す。すると志倉が真っ直ぐ、だがゆったりとした足取りでバーカウンターの横を通り過ぎ、スーツの男の元へ近寄っていくのが見えた。
彼は男の目の前で止まると、その足元にすっと流れるような動作で片膝をつく。さらに両の手を背後で組み、視線を男の足下へと伏せた。
まるで忠誠を誓う騎士のような、またはダンスの誘いを受ける姫君のような厳粛で優雅な仕草だった。
「樹(いつき)。いい子にしていたか?」
黒革の手袋をはめた男の手が、志倉の顎にかかり、顔を上げさせる。志倉はうっとりとした目で男を見上げ、頬を撫でていく男の愛撫を受け入れる。
「はい……マスター。お気づきかと思いますが、工藤さんがお見えになりましたよ。貴方、ずいぶんと脅したんでしょう、相当怖がっていますよ」
「するつもりはなかったが、どうやら、本心がもれてしまっていたみたいだな」
クククと、男の喉から短い笑いがもれる。それはまるで、ウイスキーのように芳醇でまったりとした声だった。聞いた誰もが悪酔いしてしまいそうな、甘美で危険な……。
(って、そういうことじゃなくて……!)
良明は一体、自分が何を見ているのか信じられなかった。男の足下に恭しげに膝をつく男。その男を至上のもののように愛でる男。今まで培ったどんな常識を結集させても、目の前の光景を理解する手助けにはならなかった。
「あ、あの……あなたたちは一体……その前に、ここは一体……」
震える声で聞くと、他人がいることに今、気づいたというようにスーツの男が良明に顔を向けた。
「何って、SMクラブだ」
良明は、あやうく逃げ出しそうになった。いや、心は完全に逃げていた。でもできなかったのは、このラスボスみたいな男の脇を通ってドアまで行き着く自信がなかったからだ。
代わりに立ち上がり、バーの後ろにある黒いカーテンの方へじりじりと下がっていく。自分自身を守るよう、両手を顔の前でぶんぶんと振る。
「お、お願いです。何でもするんで、ここから出して下さいっ……! 後生ですから鞭とか打たないでっ! 僕、痛いのほんと無理でっ……!」
ほとんど涙声だった。この際、プライドや見栄などかなぐり捨てて、土下座でも何でもする勢いだった。
パニック寸前の良明を見て、志倉たちが訝しげに顔を見合わせた。
「工藤さん、あの……」
志倉が許可を求めるようにスーツの男を見上げると、男は「許す」と一言だけ言った。志倉はバランスを崩すことなくスクッと立ち上がり、興奮する馬をなだめるように良明に近づいていく。
「工藤さん、落ち着いて。誰も貴方に鞭打ったりしませんよ。貴方は何か誤解しているようです」
「で、でも……ここSMクラブだって……それってつまり——」
「とにかく座って、落ち着いて話しましょう。こちらも——」
ちらりと志倉が後ろのスーツの男に視線をやり、素早く戻す。
「貴方に聞きたいことがありますから」
真剣で重々しい声音に、良明に少しだけ冷静さが戻った。盗み見るようにスーツの男を見たあと、怖々とスツールに戻る。
だが一つ席を開けた右隣にスーツの男がどかりと座った時、びくりとロケットのように身体が飛び上がった。
「ちょっとマスター、工藤さんをいじめないで下さい。彼、この世界は初めてなんですから」
「だろうな。その様子では」
スーツの男は、目の前に差し出されたバーボンをぐいっと一口であおる。
「樹。本当に、この男で間違いないんだろうな。マキが名刺を持っていたというのは」
「間違いはないです。マキという、あの子のこの世界だけの通り名も知っていたようですし」
「それなら、てっとり早くいこう。時間がない」
スーツの男が二杯目のグラスを傾けながら、じろりと良明を横目見た。何ともいえない威圧感に、良明はほとんどイスから転げ落ちそうになった。志倉が間に入ってきてくれなければ、実際にそうなっていただろう。
「マスター。調教の名人の貴方らしくない。まずは工藤さんに、この世界のことを説明しないと、話してくれるものも話してくれませんよ」
「許可する。ただし早くすませろ」
男がグラスを振ると、中の氷がカランと涼しい音をたてた。志倉は「はい、マスター」と目礼し、良明の方に身体を向ける。
「工藤さんは、このSMクラブのSとMが何を示す頭文字か知っていますか?」
良明は隣で酒を飲んでいる男を気にしながら、怖々と答えた。
「えっと、サドとマゾですか……? 痛めつけるのが好きな人と、痛いのが好きな人、でしたっけ……?」
「正しくはサディズムとマゾヒズム、加虐趣味と被虐趣味のことですね」
優雅に詩でも吟じてそうな唇から飛び出す大胆な発言に、良明はただ唖然と聞くしかできなかった。
「確かに、SとMにはそう言った意味もあります。だけど、このクラブでのSとMはまた少し違ったものになります。ここでのSはサブミッション──服従者、奉仕者を意味し、Mはマスター、つまり支配者を意味する。このクラブは、サブとマスター——主従のための会員制のクラブなんです」
「サブとマスター……?」
「ええ。ちなみに僕たちも、サブとマスターの契約を結んだ主従です。この方が、僕のマスターの堂島(どうじま)さん」
スーツの男——堂島と、彼を恭しく手で示す志倉を、良明は交互に見やる。
頭がクラクラし始めた。まだS(サド)とM(マゾ)といわれた方が、ある程度想像ができて楽だったかもしれない。だがS(サブ)とM(マスター)だなんて──未知の世界すぎる。
(……ちょっと待てよ。そういえばあのマキも〝マスター〟って言ってた……それって——)
さらに混乱し始めた頭を抱えていると、志倉の柔らかい声が降ってきた。
「工藤さん、何度も言うようですが、服従者と主人——サブとマスターの関係は、あなたが想像しているのとはちょっと違うと思います」
「どう……違うんですか……」
やっと出た言葉はガサガサに枯れ、自分で思うよりも冷ややかだった。
「どんな言葉を当てはめたって結局、サドとマゾと同じ……身体目的のためのゲームみたいなものでしょ? 僕はそうゆうのは好きじゃない……真剣じゃない、遊びみたいな感じがして……」
ムチ打たれることを覚悟で言った。
確かに、世の中にはそうゆう遊びに興奮する人間がいることは知っている。だが、自分は絶対にそうゆうのは受け入れられない。重たく古くさい考え方をしているのはわかるが、セックスをするなら真剣に、一生をかけられる相手としたい。それが一番の喜びだし、一番気持ちいいことだと思っている。誰かをさっきみたいに膝まづかせたり、下僕にして楽しむなんて、悪趣味にもほどがある。
「こりゃ、長い道のりになりそうだな」
グラスに口をつけたまま、堂島がふっと嘲笑をもらした。恐怖が、良明の全身にビビッと走る。たった一言——いや、笑っただけで、ここまで人の神経を支配できる人間がいるだなんて……。
固まってしまった良明に気づいて、志倉が子どもを諭すように言う。
「普通の人が、この世界に差別や偏見を持っていることは知っています。でも何も知らずに『嫌い』と決めつけるのは、少し早すぎませんか? 貴方も同性愛者ならわかるでしょう? 何も知らない人間から白い目で見られる気持ちは」
「……どうして、僕がゲイだって」
横でカランとグラスが置かれる音がし、堂島が長い足を組み直す。
「事前に調べさせてもらった。数ヶ月前にこの通りのゲイバーを利用していたことも知っている。ちなみに、その時に会った相手は、今やここの会員だ」
「え? あいつが——いや、それよりも、何でそんなことを知って……」
「俺は色々と方々にコネがあるからな。これくらい簡単だ」
暗く笑い、堂島は残りの酒をあおった。
本格的に身体が震えてきた。この男、絶対にカタギではない。自分はやっぱりとんでもないところに足を踏み入れてしまったに違いない。
額に流れる冷や汗を感じながら、良明はぎゅっと目をつぶった。頭の中を色んなものがぐるぐると回っている。
でも今、何より気になるのは——。
バイクにのって雨の中を、走り去っていった小さな背中。
彼は今、どこにいる? このクラブにいれば会えるのか?
すっと目を開け、目の前におかれていた水を一気にあおった。氷がすっかり溶けてぬるくなった水でも、意識をはっきりとさせるには十分だった。
グラスをカウンターに置き、ぐいっと口元を拭くと目の前を見た。
「すみませんでした……志倉さんの言う通りです。僕、何も知らないのにイメージだけで勝手に決めつけていました」
「ずいぶん物わかりがいいな。いいサブになれるんじゃないのか」
はんと堂島が冗談まじりに笑ったのとは反対に、志倉は至極、生真面目な顔をした。
「いえ、マスター。それは違うと思います。たぶん工藤さんは貴方側の人間ですよ」
断言した志倉に堂島は「ほお」と目を向け、ついで興味深そうに良明を眺めた。まるで新しいおもちゃを見つけた悪ガキのような表情に、良明はもうないはずの水のグラスを飲むふりをする。
そこへ、志倉がピッチャーで水を継ぎ足した。
「工藤さん。まず貴方に知っていて欲しいのは、僕たちはこの主従関係を遊びでやっているわけではないということです。この世界——特にこのクラブに来る者はみな、自分が求めるものを手に入れるためにここへやってくる。サブもマスターもひとしく、ね」
「自分の求めるもの……?」
「そう」
決然と微笑む志倉をぼおっと見ていると、ごほんと隣で堂島が咳をした。
「そろそろ、本題に入っていいか。あまり無駄にできる時間はない」
その一言で、空気がガラリと変わった。堂島はスツールごと良明の方を向くと、組んだ手を片膝にかけ、猛禽のように鋭い目で真っ直ぐに良明を射る。
「工藤さん。あんた、マキをどこにやったんだ?」
「どこへって……それはどうゆう……?」
助けを求めるように志倉を見たが、彼は主人の命令を待つ猟犬のように堂島の一挙手一投足だけに全神経を集中させていた。
良明は、堂島に視線を戻す。
「どこへって、僕は何も。一体、彼に何かあったんですか?」
堂島の顔が、落胆と苛立ちでさらに張り詰める。
「ここ一週間、連絡がないんだ。あいつがどこかのマスターのところへふらっと行くことはよくあるが、仕事までサボるなんてことは初めてだ。何かあったとしか思えない」
さあっと、良明の背中に戦慄が走る。気がつく前に立ち上がっていた。
「……で、でも、どうして僕が居場所を知っていると思ったんですか?」
「これだ」
堂島の長い節くれ立った指が、すっと一枚の名刺をカウンターへすべらせた。何の変哲のないクリーム色の名刺。そこには、良明のフルネームが印刷されていた。
「この名刺が、うちの従業員のロッカーに入っていた。マキには時々、店を手伝ってもらっていたからな。てっきり今、契約しているマスターのものだと思って連絡したんだが、どうやら当てが外れたようだな」
「ちょっ、ちょっと待って下さい! っていうことは、やっぱり……あの子——マキ君も……」
「サブです。僕と同じ」
頷いた志倉を見て、あんぐりと口を開ける。
「どうしてあんな若い子が……? だってまだ二十歳ちょっと過ぎたくらいでしょう? 大人が普通の刺激に飽きて、こうゆう世界に入るならまだわかりますよ。でも、あんな子がどうして……サブになんかなるんですか? まさか無理矢理!?」
「それはない」「それはありえません」
と、堂島と志倉が同時に言った。主人の視線を受けて、志倉が後を継ぐ。
「コンセンサス——〝両者の同意の上〟が、この世界の絶対的なルールです。誰も強制されたり、脅されて、サブやマスターになることはない。マキ君も完全なる自分の意志のもとでサブとしてマスターに仕えている。ただ彼の場合は、一つの主人に落ち着いた試しがなくて……時には、悪い噂の絶えないマスターのところまで転々と……」
「何で、そんな……? 何のために……?」
かすれた声で聞くと、志倉は目を伏せ、ぽつりと言った。
「痛み、だと本人は言ってます」
「痛み……?」
脳裏に、あの嵐の日の出来事が甦る。
良明の与える痛みに、切なげに身体をよじっていたマキ。その姿に、あの時はものすごく興奮したが、今はそんな自分が汚いもののように思えてならなかった。
薄暗い室内に、重たい静寂が下りる。
堂島は、わずかに残った琥珀色の酒の表面をじっと見つめていた。志倉は、そんな主人を気遣うように黙ったままだった。
その時、けたたましい電話の音が鳴った。実際にはそんなに大きくはなかったが、今の静けさの中ではサイレンのような轟音に感じた。
堂島が野生の獣の俊敏さで、コートのポケットから携帯を取り出す。
「俺だ。何かわかったか? ……あぁ、そうだ……わかった、感謝する」
ピッという音とともに、電話が切れる。堂島は携帯をカウンターにおくと、整った髪をくしゃりとかき乱し、残りのバーボンをあおった。
ただならぬ空気に、良明は躊躇いながら聞く。
「誰だったんですか……?」
ぼそりと返ってきた名前に聞き覚えがなくて、志倉を見る。
「さっきのバイトの子のマスターです。都内のERで医者をしていて——」
「ER!?」
勢い良く立ち上がって、堂島に詰め寄る。
「教えて下さい! それって、マキ君に関することなんですか!?」
思わず相手のコートを掴んでしまい、堂島がバッと驚きの表情で見返してきた。まるで乞食が間違って王族に触れてしまったみたいな気まずさを覚え、良明はすぐに手を離す。
「あんたは、マキが心配か?」
堂島は微動だにせず、深く暗い目でじっと見てきた。良明は何もかも見透かされそうな恐怖と戦いながら、こくりと頷く。
「もちろん、心配です」
「なぜ?」
「なぜって……彼はいつもうちに書類を配達してくれるし、うちの従業員のおばちゃんたちにも、何気に可愛がられているんです。僕にはかなり無愛想だけど……でも嫌いなわけじゃない。それどころか、彼には借り——というか謝らなくちゃいけないことがあるし……」
「工藤さん。あんたは何者なんだ?」
唐突に堂島が聞いてきた。良明は言葉を見失う。何者かと言えるほど、自分は特別な人間ではないし、そんなこと自体、聞かれたのも初めてだ。
「ぼ、僕は……文具屋のしがない店長——ただの一般人です。しかも一般具合で言ったら、かなり上の上の方の」
「本当か? 自分でそう思っているだけじゃないのか?」
「は……?」
聞き返すと、堂島が「いや、いい」と首を振った。そこへ最高のタイミングで、志倉が入ってくる。
「で、病院はなんて?」
堂島の意識が、ぱっと志倉へと向かう。
「一昨日、ERに若い男が運ばれてきたそうだ。裏路地で意識を失っていたところを、通行人に発見されたらしい。全身を激しく打たれたことによる打撲と、脳しんとうが原因だとか」
「じゃぁ、マキ君は今、病院に?」
志倉は、はっと息を飲んだ。堂島が首を振る。
「いや、意識を取り戻したと思ったら、いつの間にか病院から消えてしまったらしい。書類を作成する前だったから、俺がどんなに各所に手を回してもわからなかったわけだ」
「じゃぁ、彼は、今はどこに……?」
良明がすがるように見ると、志倉と堂島が顔を見合わせた。やがて、志倉が顎に手をあてながらぽつりと答える。
「……たぶん、家にいると思います……」
言い終わるより先に、堂島は立ち上がっていた。コートのポケットに入っていた黒皮の手袋をつけながら、真っ直ぐ入り口のドアの方へ歩いていく。決して焦っている風ではないが、誰にも邪魔させないという確固たる意志がこもった足取りだった。
志倉の方もまるで主人が次に何をするか予想していたように、裏のスタッフに指示を出すと、車のキーを持って堂島についていく。
二人ともまるで打ち合わせでもしていたかのように、息がぴったりとあっていた。
(……もしかして、これがマスターとサブというものなのだろうか……?)
一瞬呆けてしまった良明だったが、ハッと我に返ると、慌てて二人のあとを追った。既にドアにさしかかっていた堂島の背中に向かって叫ぶ。
「あのっ、僕も一緒に行っていいですか!?」
ゆっくりと振り返った堂島はてすりに手をかけたまま、すっと目を細める。
「来たいなら、来い」
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※本来はDom/Subの言い方が一般的だと思うのですが、
本作品ではMaster/Subという言い方にさせていただいてますmm
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