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第1話(2)
※お忙しい方のための1話動画はこちら→https://youtu.be/L_ejA7vBPxc
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↓現在、以下の2つのお話が連載中です。↓
毎日昼の12時あたりのPV数を見て、
増加数の多い方の作品をその日22〜23時あたりに更新したいと思いますmm
◆『マイ・フェア・マスター』(本作品:SM主従BL)
https://youtu.be/L_ejA7vBPxc
◆『白い檻』(閉鎖病棟BL)
https://youtu.be/Kvxqco7GcPQ
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「……もしかして君、痛いのが好きなの……?」
信じられない思いで聞くと、シャツを掴む相手の手の力が強くなった。さらりとした黒髪が揺れたのを見て、相手が頷いたのがわかる。
ドクリと良明の中で、何かが蠢いた。まるで身体の奥底で眠っていた獣が眠りから覚めたかのように。
気がついたら、良明は青年のか細い身体をくるりと自分の腕の中で反転させると、背後から抱き込んでいた。脇の下から相手の胸元に回した手の指で、両の乳首のピアスをいじる。
「……んあっ」
強く引くと、青年の背中がびくりと撓り、切羽つまった声がもれた。良明は自分の腕の中で身を捩る相手の熱い身体を感じて、高まってくる興奮を抑えきれなかった。
「このくらいがいいの? それとも、もっと?」
「……っ、もっと、あっ……」
青年の背中がさらにのけぞり、後頭部が良明の肩にかかる。
「お願いっ……マスターぁっ……」
瞬間、世界が止まった。良明はぴたりと手を止め、相手の肩越しから顔を覗き込んだ。
「……え? 今、何て? マス、ター……?」
見る見るうちに、青年の首元が火を噴いたように赤くなった。良明が何か言う前に、彼はバッと自分を抱き込んでいる相手の腕の中から逃れると、突然、フロアの方へ走り出してしまう。
「ちょ、待ってっ……!」
猫のように敏捷な駆け足に、良明は数秒遅れて相手のあとを追いかけた。
店のフロアについた時、青年は既にフロントドアを開けていた。横殴りの雨と風が、その裸の上半身を打ちつける。
何があっても、こんな状態のまま行かせるわけにはいかない。
良明はパニックになりそうになりながらも、それだけは確信を持って言うことができた。
「いいからっ……ちょっと待てって……!」
息の合間から力を込めて言うと、意外にも、相手はドアの前でぴたりと止まった。なんで自分が止まったのかわからないというように、周りをキョロキョロと見ている。
その隙に良明は追いつき、逃げられないように相手の肩を掴む。はあはあと息が上がっていたが、一秒でも惜しくて必死に息をかき集める。
「ごめんっ、僕がどうかしていた……! いくら落込んでいたとはいえ、君にあんなことしてしまって……」
振り向かない相手を見て、後悔と罪悪感できゅうっと胸が握り潰される。良明は手を離すと、一歩離れた。
「ここで待ってて……お願いだから、逃げないでくれ」
相手の返事を聞く前に、良明は事務所にとって返し、イスの背にかけてあった服を掴んでフロアに戻った。
先ほどと同じ場所に青年が立っているのを見て、ホッと息をつく。
「これ乾いているから着てって。それと、これも——」
相手の肩越しに乾いた服を渡し、その上に名刺をそっと置く。
「何かあったら、ここに連絡して。何でもいいんだ。もし償いになるようなことがあれば……どんなことでもいい。わかった?」
青年がわずかに振り向いた。その目は驚きと戸惑いで大きく見開かれ、名刺と良明を交互に見やる。良明は突き返されないよう、なかば強引に相手の胸元へ服と名刺を押し込める。
「いい? とっておくんだよ」
そっと手に名刺を握り込ませると、相手の首がわずかに揺れた。
それが否定なのか肯定なのかわかるより前に、青年はふらりとドアから外へ身を滑り込ませていた。そのまま入口の前に停めてあったバイクに乗り込みウィンドブレーカーを着る。いくぶんか柔らかくなった雨が、靄のようにその身体を包み込んでいた。
「そうだっ、君、名前はっ……!?」
良明はドアの縁に手をかけ、身を乗り出すように聞く。するとバイクのエンジンをかけていた青年はちらりと良明を見、ヘルメットをかぶりながら言った。
「——マキ」
ブロロ……とエンジンの音が響き、マキの小さな背中は雨で煙る景色の中へと消えていった。
※
(本当に、僕はなんてことをしてしまったんだっ……!)
良明は事務所のデスクにふっつぶして、ガシガシと頭をかき乱す。
あの嵐の日から一週間。ずっと同じことを考えては、ぐるぐると堂々巡りをしている。
未成年に近いような(もしかしたら未成年かもしれない)子にあんなことをしてしまって、最悪、逮捕されてもおかしくはない。そう思うと、いつ警察が乗り込んでくるのかと夜もろくに眠れなかった。
そもそもどうしてあの時、自分は名刺など渡してしまったのか。もっとスマートな奴だったら口止め料にお金でも握らせて、まるく収めていたかもしれないのに。
だが、あの時はああするのが正しいように思えたのだ。たとえどんなにか細くてもいいから、彼と——マキと、つながりを持っておきたかった。
なぜだかはわからない。ただ放っておけなかった。これが自分の罪悪感からか、それとも元来のお節介焼きの性分からくるものかはわからない。
それに——。
『お願いっ……マスターぁっ……』
突然、マキの声が甦ってきて、良明はさらに頭を抱えた。
慈悲を乞うか細い声。哀願するように見上げてくる瞳。
それらを思い出す度、大反省会の途中であっても、結局トイレへ直行してしまう。もちろん、やることはひとつ。それがさらに罪悪感をかき立てるが、どうしても止めることはできなかった。まるで毎日毎日、甘美すぎる悪夢を見ているようだ。
(……それにしても、マスターってなんだろう? あの子の恋人がコーヒー店の店長とかなのかな……?)
想像しただけで、イラッとしてくる。これからは絶対、近くのコーヒー店で買い物はしない。というか、それ以前に自分は昔からインスタント派だ。
ルルル……。いきなり携帯が鳴り出した。ディスプレイには知らない番号が映っており、自然と身体が緊張で強ばる。
(……警察? それともあの子——マキか?)
期待半分、不安半分の面持ちで電話に出る。
「もしもし……?」
一瞬の沈黙のあと、低い男の声が聞こえてきた。
『工藤良明さんですか?』
「えっと……そうですけど」
明らかにマキの声ではなかった。深く威厳のある声は、海外ドラマの敏腕エージェントを思わせるほど威圧的なものだった。
(絶対、警察だっ……! それか弁護士っ……!)
脳裏に「未成年へのふしだらな行為で文具店店長を逮捕」という新聞の見出しがパッと浮かぶ。
それを考えると、相手にも聞こえるんじゃないかというくらいゴクリと大きく喉が鳴る。
「は、はい……そう、ですけど……あの、どちら様ですか……?」
自分の声が震えているのはわかったが、電話を切らないようにするだけで限界だった。冷たい汗が、つうっと背中を流れる。
相手の男は良明の質問には答えず、会話の主導権を主張するように話を進めてくる。
「篠原──について会ってお話をお伺いしたいのですが、都合のつく日はありますか?」
慇懃な口調にも関わらず、男が喋る度、喉元を鷲掴みされているような気分になるのはなぜだろう。こんな種類の声を持つ人間がいるなんて、初めて知った。
「篠原──ですか……?」
はて、と頭を巡らす。そんな名前の知り合いはいないはずだ。
「こう言えばいいですかね、——マキと」
さらに低くなった男の声は、侮蔑的ともいえる響きを含んでいた。
一体、何者なんだ、こいつ。一瞬、問い質そうになった良明だったが、小心者の常に漏れず、考えるだけで終わった。代わりに、主人に腹を見せて媚びる犬のように、無駄に明るい声で言う。
「ああっ! 彼なら知っていますよ! 元気ですか? 風邪、引いていないといいんですけど」
電話が切れたかと思うような沈黙が流れたのち、男が一言言う。
「よろしい」
最後の最後、ドスッと心臓にナイフを突き立てられたように感じた。再び男が話し始めた時、良明は自分が生きているのがほとんど不思議なくらいだった。
「では、明日の七時。新宿のM通りにあるディスラッシュズ、というクラブでお待ちしています」
男はクラブの場所を手短に説明したあと、「では」と言って電話を切った。
ツーツーと、電子音の鳴る受話器をおいた瞬間、良明の肺から重たい息が出る。秋とは思えないほどの大量の汗を、背中と額にかいていた。
(あれは絶対、ヤクザだ! しかも組長級の。僕はもしかして、組のイロとかに手を出してしまったのだろうかっ……!)
嫌な考えが、次から次へと浮かんでくる。これならまだ警察に捕まった方がマシだったかもしれない。このまま自分は最愛の恋人を見つける前に、東京湾に沈められて魚の餌にされてしまうのだろうか。きっと小物の自分の肉など鰯とかフナとか……はたまたプランクトンくらいしか食べないだろう。
(どうして僕は、こうもついていないんだろう……)
今日もまた眠れぬ夜がやってくるのだろうと思い、今度こそデスクの上に気を失ったように落ちた。
※
良明の心情とはうらはらに、翌日は空気の澄んだいい夜だった。
秋の入り口。少し肌寒い気温がネオンに負けそうな満月の光を、いつも以上に綺麗に見せている。街路樹の葉はわずかに色づき、繁華街を通る人々の足元で、かさりかさりと小気味良い音をたてている。
目的のクラブはすぐにわかった。前々回の恋人とは新宿のゲイバーで知り会ったとだけあって、この界隈は少なからず知っている。
しかしバーでは、一夜だけのお楽しみを求める人も多い。本気の、そして出来れば一生もののつき合いを求める良明は、最近では随分と足が遠のいていた。
クラブは半地下にあった。まだ開店前のようで、地下に下る階段の電気はついていない。ウッドチェリー材の重厚なドアの横に、小さな立て看板があるだけだ。その透明なタイルで挟まれた艶のある黒い紙には、金の箔押しで「D/s」と印字されている。
「ディスラッシュズだっけか……?」
何度かこの通りは通ったことがあるが、こんな店があるなんて初めて知った。外観の雰囲気からしても、会員制の高級クラブの類いなのかもしれない。
再び、緊張がお腹を襲う。
(きっとここは、ヤクザの組長御用達の店に違いないんだ)
絶望から涙が出そうになったが、ここまでくればもう腹を括るしかない。ここでじっとしていても、事態は悪くなるだけだ。
何度か深呼吸をして、一歩踏み出す。震える手でそっと天然材のてすりを押すと、ドアは音も無く開いた。これは、入っていいということだろうか。
恐る恐る、中を覗き込む。
意外にも、店内は普通のクラブのようだった。黒い大理石風の床に、薄暗い間接照明の光りが反射している。壁はダークローズ色のクロス張りで、鬱金色のダマスカス柄が入っていた。
席はほとんどがブース席となっており、一目見ただけで高級とわかる重厚なテーブルと革張りのソファが囲んでいた。右側奥には、小さいながらもダンスフロアらしきものがあり、反対側の奥には各種ボトルが並んだバーがあった。
そこに、一人の男が立っていた。
バーテンダーだろうか、手に持った白いクロスでグラスを磨いている。良明の存在には気づいていないらしく、良明も今更、自分の気配の薄さに驚いたりはしなかった。
暗い照明のせいで相手の顔はよく見えなかったが、中肉中背で無地のコットンシャツという飾らない格好をしていた。しかしグラスを拭く仕草は流れるようで、皇族の前でお茶をたてているみたいに優雅だった。隠しきれない育ちの良さ。平凡な庶民である良明には、一生、手にできない種類のものだ。
ふと気がつく。男の首元には、金の金具がついた白革のチョーカーがついていた。すっきりとした首に、細くエレガントなデザインがよく似合っている。肩くらいまである長めの色の薄い髮は、男が動く度、なめらかな革の上でさらさらと滑る。
(もしやこの人が……?)
予想していた姿とはだいぶ違う。電話で聞いた限りではもっと男っぽい、体格のいい男をイメージしていた。しかし、もしこの男が相手ならば、緊急事態になっても最悪、勝てる——まではいかなくても、逃げることはできるかもしれない。
自分の考えにわずかに背中を押され、良明は一歩を踏み出していた。
「……あのっ、すみませんっ……! 先日、お電話いただいた工藤ですが!」
客の誰もいない空虚なフロアに、自分のうわずった声が響く。するとコットンシャツの男がびくりと顔を上げた。ドアの前に立っている良明を見、わずかに眉を顰める。
やばい、怒られる。電話で聞いたような物々しい声が降ってくるのを覚悟して、ぎゅっと目を閉じる。
「そんなに緊張しなくてもいいですよ」
意外にも振ってきたのは、何もかも包み込んでくれる春の日差しのような声だった。
「どうぞ、こちらへ。何か飲みますか?」
ホッと安堵の息をついた良明は、勧められるまま男の正面にあるバーのスツールに座った。
「いえ、どうぞお構いなく……」
現金なことに、気が抜けた途端、へらっとした笑みまでもれる始末だった。
「すみません。てっきり危ないところに呼び出されてしまったと思って。でも予想していた人とは違っていて、安心しました」
男もにこりと微笑み返す。
「僕も想像していた人とは違って安心しました。いや、本当に違うといいんですけど……」
男は見定めるように良明を見ながら、水の入ったグラスを前に置いた。ふきんで手を拭き、優雅な仕草でスッと手を差し出してくる。
「申し遅れました。志倉(しくら)と申します」
「あっ、工藤良明です。よろしく」
握手をかわし、良明はちらりと周りを見る。
「ところで以前、僕に電話をしてきた人は……?」
「もうすぐ来ると思いますよ。時間に正確な人ですから」
店の時計を見ながら、志倉がドアに目を向けた。
「じゃぁ、やっぱり来るんですね……」
このまま志倉だけだったらと期待したが、現実はやはりうまくはいかない。ピッと肩を緊張させた良明を見て、志倉がからかうように笑った。
「そんなに怖かったですか? 彼」
「えぇ、そりゃもう。ちびるかと思うくらい」
正直に言うと、志倉はさらにクククと喉の奥で忍び笑いをたてる。
「すみません。まだ確かなことは何もわかっていないのに。マス——あの人ったら、どうしても自分で電話をすると聞かなかったものですから……」
志倉は細い腰に両手をおいて、ため息をついた。それは見ているこっちがドキドキしてしまうほど雰囲気のある佇まいだった。
まるで良明の母親が「まったく、しょうがないんだから」と夫の文句をぶつぶつ言いながらも、笑って許している時のような……。
「大丈夫ですか?」
顔を覗き込まれ、良明は自分が大きなため息をついていたことに気がついた。ぶんぶんと顔の前で手を振る。
「大丈夫です。ちょっと個人的なことで……それより、僕がここに呼ばれたのって……その……マキ君に関することなんですよね?」
志倉の表情が硬い、真剣なものに変わる。
「ええ。その名前の方を知っているということは、やっぱり貴方もこの世界の人なんですよね?」
「この世界? って、どこの世界?」
「志倉さーん、裏掃除終わりました!」
バーの後ろにあるカーテンの向こうから、一人の男が飛び込んできた。
すっきりとしたバーテンの服に不釣り合いなほどのイカツいチョーカーをはめている。その上下両サイドにはトゲトゲのスタッドがびっしりと張り巡らされ、フロント部分の金具からは太く長い鎖がジャラジャラと垂れていた。
チョーカーというよりは首輪と言った方が近いデザインだ。
「ご苦労様。次は下からお酒の補充を持ってきてくれるかな?」
志倉が後ろに笑顔を向けると、男は「イエス、サー!」とおどけた敬礼をして、再びカーテンの向こうに消えてしまった。
志倉は良明の方に視線を戻し、こそっと耳打ちしてきた。
「あの子の主人(マスター)、かなり独占欲が強くて、自分のサブが店に出る時は必ず、誰の目からも一目でわかるような大きな首輪をつけさせたがるんです」
「へ? マスター……? サブ……?」
困惑顔を返すと、志倉の形のいい眉がみるみるきつく寄っていく。
「貴方……もしかして……」
何か言い掛けて、ハッと志倉がフロントドアの方を見た。つられるように良明も後ろを向く。
数秒とたたず、黒革張りのドアがゆったりと開いた。
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