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第1話
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↓現在、以下の2つのお話が連載中です。↓
毎日昼の12時あたりのPV数を見て、
増加数の多い方の作品をその日22〜23時あたりに更新したいと思いますmm
◆『白い檻』(本作品:閉鎖病棟BL)
https://youtu.be/Kvxqco7GcPQ
◆『マイ・フェア・マスター』(SM主従BL)
https://youtu.be/L_ejA7vBPxc
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白。白。白。白。白。
目を開けると、何もかもが白かった。
天井、壁、ベッド。高窓から差し込む光さえも、ほのぼのと白い。
私は、ベッドから体を起こした。それだけで一苦労だった。手足は鉛のように重く、数分かかって、ようやく上体を起こすことが出来た。
辺りを見回す。
八、九畳ほどの部屋には、ベッドと机、小さな棚が置いてあるだけだった。どれも簡素な造りで、一様に白い。ただ一つ、出入り口に嵌めこまれた鉄格子だけが、錆びて黒々としていた。
(ここは、どこだ?)
もっとよく見ようと、そろりと足を出す。
「……ッ!」
思った以上に力が入らなくて、ベッドの上から落ちてしまった。
「あいつだっ! あいつだっ!」
突然、向かいの壁越しにドンドンと壁を叩く音とともに、男の叫び声が聞こえてきた。
「会わせてくれっ! あいつにっ! お願いだっ!」
激しくなる音と声に、どうしていいかわからない。私は向かいの壁を見つめたまま、ひたすら息を殺していた。
「〇二番! 静かにしないか!」
しばらくすると、どこからかパタパタと足音が聞こえてきた。だが、男の声は止まない。
「お願いだっ! あいつに、会わせてくれっ! 時間がないんだっ!」
「静かにしろと言っている! また保護室送りにされたいのか!」
「それでもいい! 会いたいんだ、あいつに——ああぁぁ!」
絶叫が、迸った。まるで神経を削いでいくような声に、たまらず耳をふさぐ。
ふと視線を感じた。顔を上げると鉄格子の前に、白衣を着た男が立っていた。
「気分は、どうかな?」
周囲の騒音などまるで気にしていない、ゆったりとした声。
灰色の髪。穏やかで深い目。男は一瞬、老人のようにも見えたが、実際は若いのかもしれない。そう思えるほど、子供のようななめらかな肌をしていた。
「あぁ、落ちてしまったんだね」
床にヘたり込んでいる私を見て、白衣の男が小さく笑った。
「怪我はあとで見てあげよう。——鍵を」
後ろで控えていた看護士の男が、すかさず鍵束を取り出した。ガラガラという音とともに、鉄格子が開き、二人の男が中に入ってくる。
「さて、ちょっと見せてもらおうかな」
白衣の男が、ベッド脇の丸イスに座る。看護士が私の後ろに周り、まるで猫の子を持ち上げるように、ベッドに戻した。
すかさず白衣の男は、私の脈を調べ、心音を調べ、最後に質問をする。
「君は、ここがどこだかわかるかな?」
ふるふると、首を振る。
「じゃぁ、自分が誰かは…?」
今度は、少しばかり考えた。しかし、何もわからなかった。
再び首を振った私を見て、男は独り言のように呟いた。
「そうか……やっぱり、記憶をなくしてしまったようだな…」
「記憶……?」
訝しげな顔をすると、相手はにこりと微笑んだ。
「申し送れたね。私は、君の主治医。どうか〝先生〟と呼んでくれ。他の患者やスタッフたちも、そう呼んでいる」
「…〝先生〟?」
「そう、よく出来たね」
まるで子供を褒めるかのような言い方だった。
「何か、質問があるという顔だね。言ってごらん」
「……ここは一体、どこですか?」
「精神病院の閉鎖病棟だよ」
ふと 〝〝先生〟〟が、遠いところを見やる。
「もう何年になるかな、君がここに来て。君は極度の離人症で、長年ここに入院している患者なんだ。覚えているかい?」
考えるまでもなかった。
「……まったく」
「そうか。どうやら完全に忘れてしまっているようだね。仕方がない。あんなことがあったんだから……」
「あんなこと……?」
〝先生〟は、痛ましそうに眉を寄せた。
「いずれわかってしまうことだから、今のうちに言っておこう。君は二ヶ月前、この病室で自殺未遂を起こした。どうやってやったかは知らないが、保管庫にある睡眠薬を持ち出してね。幸い、君は一命をとりとめることが出来た。しかしその代わりに、二ヶ月もの間、昏々と眠り続け目覚めた今、記憶を全てなくしていた。たぶん薬の副作用だろう。偶にあることなんだ」
〝先生〟は何でもないことのように言った。たぶん、私を安心させるためだろう。しかし、これで混乱するなと言う方に無理がある。
目が覚めると、そこは精神病院の閉鎖病棟。自分は長期の入院患者で、自殺未遂まで起こしていた。
(……ダメだ。何も思い出せない)
どうやら、自分は本当に、記憶をなくしてしまったらしい。
その時、静かになっていた隣から、再び叫び声が聞こえてきた。
「お願いだっ! 声だけでもいい、聞かせてくれっ!」
思わず〝先生〟を窺う。相手は慣れているのか、まったく動じていない。
「あの声のことは気にしないでくれ。隣の房の患者は、少し…情緒が不安定でね。いつも、ああやって意味不明なことを叫ぶんだ」
「意味不明? 誰かを探しているみたいだけど」
「実在しない人物さ。彼は、妄想と現実を混同しているところがあってね、自分の頭の中で創り出したありもしない人を、ああやって探し求めているのさ」
(ありもしない人……?)
私は、向かいの壁を見た。
そこから聞こえてくる男の声は痛切で、とても現実にはいない人物を呼んでいる声とは思えなかった。
「——ちょっと失礼」
〝先生〟は席を立つと、外のスタッフに声を掛けた。
「君たち。〇二番を保護房に連れていってくれ。このままでは耳が壊れそうだ」
「わかりました。今回は何日くらい?」
「二日……いや、一日でいい。頼むね」
耳をすましていると、隣の鉄格子が開く音が聞こえてきた。ついで、ジャラリと鎖を引きずる音。たぶん足枷か何かだろう。
「ふ、はははははっ……!」
静寂を破るように、廊下から男の哄笑が届いた。先ほどの悲痛な絶叫とは違う、心底おかしいとでもいうような声。狂っているとしか言いようのない、人をどこまでも落ち着かなくさせる声だ。
「静かにしろっ! 黙って歩くんだっ!」
それでも男は笑い続け、やがて声は、重たいドアに吸い込まれるように消えていった。
「あの人はどこへ………?」
私は、詰めていた息を吐いた。
「彼が、気になるかい?」
〝先生〟の瞳は、何かを探ろうとしているかのようだった。
「いや、そうゆう訳じゃ……」
小さく首を振ると、〝先生〟はふっと頬を和ませた。
「あの患者は、保護房に行ったんだ。あそこは、病状の落ち着かない患者が行く部屋でね。周囲の喧噪から離れているから、静かに神経を休めてもらうには最適な場所だ。〝王様〟は、日頃から問題行動が多くてね、頻繁に行ってもらっている」
「〝王様〟?」
「あぁ、そうか」
〝先生〟は、今気づいたというように頷いた。
「〇二番とは、今の男の名前だよ。ここの患者はみな、部屋の番号で呼ばれることになっている。外から持ってきた情報に煩わされず、治療だけに専念出来るようにね。ちなみに君は〇一番だ」
〝先生〟は、私を指さした。
「でも、番号だけじゃ味気ないからね、ここにいる者にはみんな——患者もスタッフも含めて、あだなというか、通り名みたいなものがつけられている。私は〝先生〟。そして、この看護士は〝笑い犬〟だ」
〝先生〟は、後ろにいる看護師を横目で見た。〝笑い犬〟と呼ばれたその男は、にこりともせず小さく頭を下げる。
どうしてその名がつけられたのが不思議なほど、無表情で寡黙な男だった。だが〝先生〟の後ろにつき忠実に仕事をこなす姿は、主人に忠誠を誓った犬そのものだとも言える。
「そして、君は〝人形〟」
〝先生〟が再び、私を指さした。
「〝人形〟……?」
「そう。かつての君は、離人症——極度の感情鈍麻を起こしていてね。感情が、まったくと言っていいほどなかった。何をしても笑わず騒がず、驚くことも泣くこともない。部屋にいる時は、大抵ジッとしているだけで、何にも、誰にも興味を示さない。そんな君を見て、誰となくそう呼び始めたんだ。まぁ、君の顔立ちが人形のように綺麗だからという意味もあるけどね」
「綺麗……?」
自分の顔に手を当ててみた。
私は一体、どんな顔をしているのだろう。部屋には鏡一つないので、わからない。だがそれ以前に、自分の容姿に興味が持てなかった。綺麗であろうと、醜かろうと、どっちだっていい。
なるほど、感情がないということはこうゆうことかと、実感した。
「私の病気は、重かったんですか……?」
カルテに目を通していた〝先生〟が、顔を上げた。
「昔はね。だが今みたところ、前よりは回復しているようだ。多少はぼんやりはしているが、受け答えもしっかり出来るし、自分で動くことも出来る」
ちらりと〝先生〟が、私の足の怪我を見た。
「その怪我は、あとで〝笑い犬〟に手当してもらいなさい。さて、どうやら君は、自殺を試みる前より、明らかに離人症の症状が軽くなってきている。たぶん記憶をなくしたことで、極度のストレス状態から解放されたためだろう。もし、このままの状態が維持出来れば、すぐにでも退院——『外』に出ることも出来る」
「え、『外』に……?」
『外』と聞いた瞬間、私の胸は高鳴った。懐かしいような、憧れにも似たような気持ち。
「君は、『外』には出たいかな?」
こくりと頷いた私に、〝先生〟は勿体ぶるように話し出した。
「ならば、僕の話をよく聞きなさい。今回、君は記憶をなくしたことで、はからずも離人症の症状に改善がみられた。だが、再び記憶が戻ることがあれば、前と同じ状況に戻ってしまう可能性がある。そこでだ。これから君には、記憶をコントロールする治療を受けてもらう。正確には、記憶を完全になくすための治療だ」
「記憶を完全になくす? そんなことが出来るんですか?」
「あぁ、出来る。うちの院が独自に生み出した技術でね。まだ学術的には認められていないが、相当信用出来るものだ。もし、これで記憶を完全に封じ込めることが出来れば、君はまったく新しい人生を送ることが出来る。もちろん『外』にも出られる。どうだい、やってみる気はないか?」
答えは、考えなくとも決まっていた。
「やります。やらせて下さい」
「そうか、良かった」
〝先生〟はホッと息をはくと、猫背ぎみの背筋を伸ばした。
「では今後、僕の指示には必ず従ってもらうよ。どんなことであろうとね。しかし、治療以外は好きなところで、好きに過ごすといい。病院内なら、どこへ行ってくれても構わない。色々廻ってみるといい。一応、ここは君が長年過ごした場所だからね。もし見て廻って、何も思い出さないようならば、治療は既に半分成功しているようなものだ。必然的に、『外』へ出られる日も近づくだろう。それと——」
〝先生〟の視線が、鉄格子の外にいった。
「ここには他の患者もいる。彼らは一風変わっていてね。別に会うなとは言わないが、あまり刺激はしてやらないでくれ。何かあったら大変だからね。念のために、〝笑い犬〟を護衛につけよう。彼は最近まで、〇三番のところにいたが、彼の症状も落ち着いてね。いい看護師だから、色々と面倒を看てもらうといい」
〝先生〟が、席を立った。
「さて、今日は、ここまでだ。さっそく〝笑い犬〟に、院内を案内してもらうといい。そうそう言い忘れていたけど、くれぐれも、変な気は起こさないようにね」
〝先生〟の声が、ふいに厳しくなった。
彼は危惧しているのだ。私が再び、自殺を試みるのではないかと。〝笑い犬〟をつけるのも、護衛ではなく監視のためなのかもしれない。
(でも、何でもいい。『外』に出られるのなら)
昔の自分が、なぜ自殺をしようと思ったのかはわからない。
でも今、願うのはただ一つ。
——『外』に出たい。
まるで、生まれる前から願い続けてきたかのような強い希求。この願いを叶えるためだったら、〝先生〟の言うことだって忠実に聞く。
「はい、〝先生〟。貴方の言うとおりにします」
そう言うと、〝先生〟は満面の笑みを浮かべた。
「よし、いい子だ」
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