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第2話
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3/4(金)
本日、『白い檻』のPV増加数が
1ビュー分多かったので、こちらを更新させていただきます。
動画を見てくださった方、ありがとうございます!
〈現在レース更新中〉
↓↓以下の作品の動画のPV増加数に応じて、
その日更新する作品を決めさせていただいていますm
◆『マイ・フェア・マスター』(SM主従BL)
https://youtu.be/L_ejA7vBPxc
◆『白い檻』(閉鎖病棟BL)
https://youtu.be/Kvxqco7GcPQ
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「髪はどうしますか?」
シャツに手を通していた時、手伝ってくれていた〝笑い犬〟が聞いてきた。
「髪? あぁ——」
二ヶ月間眠りっぱなしだったので、私の髪は肩の辺りまで伸びていた。
「どうしたらいいのだろう?」
「そうですね。明日は、理容師が来る日です。必要ならば手配しておきますが」
「そう。じゃぁ、お願いしようかな」
「かしこまりました」
馬鹿に丁寧な口調だった。これでは患者と看護士というより、主人と付き人だ。
だが、〝笑い犬〟らしいといえば、らしかった。
短く切りつめられた髪。寸分なく整えられた服。勤勉そのものの顔つき。真面目な彼はきっと、他のどの患者に対しても、今のような態度で接しているのだろう。
「どうかな、変ではない?」
着替え終った私は、 〝笑い犬〟に聞いた。
開襟シャツと、ネルのズボン。今、着ているのは、患者全員に配られている服だ。きっと以前の私も着ていた——はずなのに、なぜか居心地の悪さを感じた。
「えぇ、お似合いです。貴方は、何を着ても綺麗だ」
〝笑い犬〟が熱っぽい息をもらした。意外な反応に戸惑っていると、
「……ッ!」
冷たいものが手首に触れた。見ると、〝笑い犬〟が、私の手首に手錠をかけていた。彼の瞳には先ほどよりもはっきりとした底暗い熱が浮き沈みしていた。
「すみません。外に出る時は、こうするのが規則なので」
そう言われては反論の余地がない。私は黙って、もう片方の手首にかかる手錠を見つめた。
その時、ふいに見てしまった。手錠の鍵がかかる瞬間、〝笑い犬〟の口元が一瞬、ひくりと引き攣り笑ったのを。
(……気のせいか)
出掛ける準備を整える 〝笑い犬〟の瞳には、熱の片鱗も見当たらなかった。私は、今見たことを忘れることにして、用意された車椅子に乗り込む。
寝たきりだった私の体は、自分では自由に動かせないくらい萎えていた。リハビリは午後から始まるらしいので、それまでは、これで院内を廻るしかない。
〝笑い男〟に車椅子を押してもらい、病室の外に出る。
モルタルの廊下の両側には、いくつも房が並んでいた。どれも似たり寄ったりの造りで、入り口には必ず鉄格子が嵌められている。廊下の先には、厳重な金属製の二重扉がそびえていた。
〝笑い犬〟が一度立ち止まり、色々と説明してくれる。
「この閉鎖病棟には、全部で六つの病室があります。貴方がいるのは出入り口から入って一番奥の左、〇一号室。右手奥が〇五号室となっています」
「へぇ。じゃぁ、〇四号室がないわけだ。何か意味があるのかい?」
〝笑い男〟が、感心したように頷いた。
「さすが、〝人形〟だ。以前の貴方も感情が乏しい代わり、知能数や判断能力はずば抜けて高かった。〝先生〟も、貴方には一目おいていたくらいだ」
〝笑い男〟は、思い出したように付け加えた。
「〇四号室がないのは、よくある迷信のためです。四 は死 に通じる。患者の中には、そういったことを異常に気にする者もいますから」
「ここには、一体どうゆう人たちがいるんだい?」
〝笑い犬〟が、向かいの部屋を指さした。
「貴方の部屋の向かい——〇五号室の住人は、〝眠り男〟と呼ばれています。彼は重度の睡眠障害を患っていて、名前の通りいつも寝ています。時々、夢遊病で夜に棟内を歩き回ることがありますが、構わないで下さい。歩き回るだけで害はないですし、いつの間にか帰ってきますから。逆に夢遊病をおこしている時に閉じ込めてしまうと暴れるので、夜だけは鍵を開けてあります。普段は、木訥で大人しい青年なんですけどね」
次に〝笑い犬〟は、〇六号室を指さした。
「ここの住人は〝さかさま〟といって——」
その時、二重扉の方から、ヒャハハと甲高い声が聞こえてきた。
診察帰りなのだろうか、手錠をはめたのっぽの男が、あっちへフラフラこっちへフラフラと歩いてくる。ついていく看護師も必死そうだった。
「丁度いい。あれが〝さかさま〟です」
後ろから、〝笑い犬〟が耳打ちしてきた。
「アレッ!? 何だ〝人形〟じゃんかよォ〜久しぶりだなッ!」
〝さかさま〟と呼ばれた男が、私の存在に気づき、やってきた。馴れ馴れしい態度で、身を乗り出してくる。
「なぁなぁ、記憶をなくしたってホント? 俺のことは覚えているぅ?」
「……いや、すまないが」
「ウッソだろうぅ! あんなに仲良かったのにぃ!? ひど~いっ!」
〝さかさま〟は、おいおいと泣き出した。だが、その口元は楽しげにニヤニヤと笑っている。
「……私は、君と仲が良かったの?」
「は?」
急に〝さかさま〟の声が低くなった。顔にも暗い影がさす。
「そんな訳ないだろう? 誰がそんなこと言ったんだよ? 俺とお前が仲良い訳ないじゃん。だってお前は——」
〝さかさま〟は、途中で何かを思い出したのか、再び陽気な態度に戻る。
「そっかぁ! 今日、〝王様〟が暴れたのって、お前が戻ったからかぁっ! ん? いや、違うな。〝王様〟はいっつも暴れてるんだったっ! ヒャハハハッ!」
腹を抱えて笑い出す〝さかさま〟に、私は戸惑うしかなかった。
先ほどから相手は、「そうだ」と言ったり、「そうじゃない」と言ったり。一体、どっちが本当なのか。
だが、それよりも気になるのは——。
「〝王様〟って——」
「あれぇ、知らないのぉ? 〝王様〟は〝王様〟だよ。でも本当は、〝王様〟は〝王様〟じゃないんだぜぇ!」
……やはり、よくわからない。
その後も〝さかさま〟は意味不明なことをペチャクチャ喋り続け、一通り騒いで満足したのか、来たときと同じ唐突さで、自分の房へ戻っていってしまった。
「〝さかさま〟の話を真面目に聞かない方がいいですよ」
呆然とする私の車椅子を、〝笑い犬〟が押した。
「〝さかさま〟には虚言癖があり、何が本当で嘘かわからない。というより、全てが作り話なのかもしれない。躁鬱病も患っていて、躁状態の時はずっと喋っているくせに、鬱になると部屋に閉じこもって、時々、狂言自殺まで起こしたりする。その時はもう、スタッフ全員がかり出されての大騒ぎです。〝さかさま〟と呼ばれているのも、彼が毎日その日の気分でコロコロ性格が変わるからです」
車椅子が、〇六号室の前を通り過ぎた。中で〝さかさま〟が、壁に向かって大声でペチャクチャと話しかけていた。
「あっちは……?」
向かいの部屋を指さすと、〝笑い犬〟が苦々しげな声を出した。
「あそこは、〇二号室。〝王様〟の部屋です」
「〝王様〟って……さっき叫んでいた?」
「えぇ。ちなみに〝王様〟と呼び始めたのは、〝さかさま〟なんです。彼は〝王様〟のことを慕っていますからね。曰く、〝王様〟こそ、この閉鎖病棟の王、つまり狂人の王だとね」
「狂人の王……?」
「はい。〝王様〟は、この閉鎖病棟の中で一番深刻な重病患者なのです。彼は多くの精神病を抱えている。中でも最もやっかいなのは、あの癇性と凶暴性です。〝王様〟は、ほんの些細なことがきっかけで暴れだし、意味不明なことを叫んでは、手辺り次第物を壊す。スタッフに手を上げたこともあります。彼が一度そうゆう状態になってしまうと、もう止めようがありません。疲れ果てるまで、ただ狂ったように暴れ続ける。〝さかさま〟に意図はないかもしれませんが、〝王様〟とは、よくつけたものです。王に獣がとりつけば、狂となりますから」
〝笑い犬〟は、固い表情で念を押す。
「いいですか? 〝王様〟は、大変危険です。絶対に、彼には近づかないで下さい。もし、そのような状況になってしまったら、すぐに呼んで下さい。私が、貴方を守ります」
※
初夏の風にのって、甘やかな薫香が舞う。
一通り病院内を見て回った私は、最後に庭に出てみることにした。
玄関を一歩出て、驚く。ロータリーの向こうには、見渡す限りのバラ園が広がっていた。
「この病院では、患者の心を癒すという目的で、千株以上のバラが植えられているんです」
〝笑い犬〟が、花の間をぬって車椅子を押す。
赤、白、黄、ピンク、絞り、限りなく青に近いラベンダー色。バラ園には、様々な色と形のバラが午前の光を受けて、今を盛りにとばかりに咲いていた。
まるで夢のような光景だった。ただし、バラ園の向こうに見える厳重な門や有棘鉄線がなければの話だが。
「どうです、見事でしょう? 病院 は、このバラ園があるために『外』でも有名なんですよ」
〝笑い犬〟の口調は、どこか他人事だった。
「確かに、キレイだね」
私は頷く。だが、内心は違っていた。どれだけ多くの花を見ようと、何も思うことはない。私の心は美しいとも、懐かしいとも感じることがなかった。
考えてみれば、おかしな話だ。ここに来るまで、病院内は一通り廻ってみた。が、何一つピンとくる場所はなかった。
私はこう思わずには、いられない。
——本当に、自分は、ここに住んでいたのか……?
「あら」
その時、ガサリと音がしたかと思うと、バラの茂みの中から一人の少女が現れた。長い黒髪に、黒い瞳。セーラー服がバラの新芽のようなしなやかな体を包んでいた。
「こんにちは、〝笑い犬〟さん。〝人形〟さん」
こちらに気がついた少女が、茂みをかき分けやってくる。棘のことなど一切気にしていない大胆な足取りだ。案の定、彼女の剥き出しの手足には、いくつもの傷ができる。だが本人は気にする様子もなく、にこやかに近づいてくる。
「お久しぶり、〝人形〟さん。目が、醒めたのね?」
少女は、私の前で背をかがめ、顔を覗き込んできた。
(この人、どこかで……)
一瞬、胸の中で何かがぐらついた。
不安になった私は、後ろに目をやる。視線に気づいた〝笑い犬〟が、少女を手で示す。
「彼女は、ここのバラ園の世話をしている樒 さんです」
真面目くさった言い方に、樒がクスクス笑い声をたてた。
「いやだ。世話といっても、大層なことをしている訳じゃないのよ。水やりと芽かきくらいしか、お父様は任せてくれないのだもの」
「お父様……?」
「えぇ、私は〝先生〟の娘なの。と言っても、養女だけれど。いつもここには、『外』から通ってきているの。バラの世話のために」
「『外』から? あぁ、だから名前が」
「そう、この病院の中で、本名で呼ばれているのは私くらい。まぁ、私もいつ、あだ名で呼ばれるようになるかわからないけど」
「樒さん、何を」
これには、さすがの 〝笑い犬〟も困った顔をした。
「冗談よ」
樒はからかうように言うと、近くにあったバラの花を手折り、私に差し出した。
「再会の印に。あなたが良くなって、早くここから出られますように」
「……ありがとう」
花を受け取る。ちらりと見た樒の腕には、無数の傷跡があった。全てバラの棘でつくったものであろう。なまじ肌が白いだけあって、とても痛々しい。
「その傷——」
顔を上げる。だがその時には、樒は既にバラの茂みの中に姿を消していた。
※
午後のリハビリを終えた私は、病室のベッドの上でぼんやりしていた。
ここにいる人間は、みんな、どこか変だ。
患者だけではなく、 〝先生〟や〝笑い犬〟などのスタッフ、果ては『外』から来ているという樒という少女まで。
でも、何より変わっていたのは……。
私は、隣の病室の気配を窺った。何の物音もしない。〝王様〟は、まだ保護房にいるらしかった。
『会わせてくれっ! あいつにっ!』
今朝聞いた、悲痛な叫び声が蘇ってくる。その声を聞くと、無性に落ち着かなくなるのは、なぜだろう。頭がギリギリと軋み、胸の中まで圧迫されているような気分になる。
これを恐怖というのだろうか、それとも不安?
感情のない私には、わからない。ただ『外』という言葉を聞いた時に感じる希望に満ちた感覚とは、まるで違うことだけはわかった。
——もしかしたら私は、以前、〝王様〟と何かあったのかもしれない。
そこまで考えて、止めた。
思い出さない方がいい。
〝先生〟は言っていたではないか。思い出してしまえば、以前の〝人形〟に逆戻りだと。
——そんなのは、嫌だ。
私は思考を停止させるように、ゆっくりと目を閉じた。
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