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第3話
※お忙しい方のための冒頭動画はこちら→https://youtu.be/Kvxqco7GcPQ
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↓現在、以下の2つのお話が連載中です。↓
毎日昼の12時あたりのPV数を見て、増加数の多い方の作品をその日22〜23時あたりに更新したいと思いますmm
◆『白い檻』(本作品:閉鎖病棟BL)
https://youtu.be/Kvxqco7GcPQ
◆『マイ・フェア・マスター』(SM主従BL)
https://youtu.be/L_ejA7vBPxc
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「〝王様〟のご帰還だァ~!」
騒がしい音で目が覚めた。
何事かと、鉄格子から廊下を覗くと、斜め向かいの部屋で〝さかさま〟がボスを迎える猿のごとく鉄格子を揺らしていた。
丁度、二重扉から一人の男が入ってくるところだった。両脇を看護士に抱えられながら、ぐったり引きずられるように歩いている。彼が歩を進める度、手足に付けられた金属枷がジャラジャラと鳴った。
「ヒャッホウゥッ~! 〝王様〟! 〝王様〟!」
男が〇六号室の前を通りすぎる時、〝さかさま〟が興奮の雄叫びを上げた。だが男は聞こえていないかのか、ぴくりとも反応せず項垂れたままだった。
私は自らの房の前についた男の顔を見ようと、さらに身を乗りだした。
「貴方は下がっていて下さい」
いつの間に来ていたのか 〝笑い犬〟が鉄格子の前に立ちはだかった。 だがその目は、数メートル先にいる男に鋭く向けられたままだった。
私の視線に気づいたのか、男が伏せていた顔をハッと上げる。あっ、と私は声を上げそうになった。
〝王様〟は、何もかもが黒かった。
髪や瞳はもちろんのこと、身にまとう空気そのものが、鋼のように黒々としていた。荒んだ容貌が、そう見せているのかもしれない。
長く伸びた黒い髪。くっきりと浮かぶ隈。精悍な顔はこけ、鋭さが増している。頬にはところどころ打撲の痕があり、大きくはだけたネルのシャツの胸元からは、しなやかな胸元の筋肉と、火傷のような痕が見えた。
「お前は……」
私を見る〝王様〟の目が、みるみるうちに大きく見開かれる。
疲れ切った容貌とは不釣り合いの、力強い瞳だった。まるで強靱な意志の炎が、その奥でバチバチと火花を飛ばしながら燃えているような。
「何をしている。早く歩け」
立ち止まった〝王様〟を看護士が小突く。だが〝王様〟は私を見つめたまま、動こうとはしなかった。
「おいっ、どうしたっ!?」
突然、〝王様〟の身体がガクリと沈み込んだ。驚いた看護士が、慌てて支えようとする。次の瞬間、〝王様〟の頭が右の看護士の顎を打ち、足が左の看護士の足元をすくった。手足が拘束されているとは思えないほどの、鮮やかな動きだった。
「……ウッ!?」
二人の看護士たちは糸の切れた操り人形のように、ドッと床に倒れ込んだ。
「失礼」
と言って、〝王様〟はもつれて動けない看護士の胸ポケットから鍵の束を取り出すと、素早く自らの手足の拘束を解いた。
ゴトリ。拘束具が床に落ちる重たい音が響く。〝王様〟は手足の関節を確かめるように動かすと、私の方を見、真っ直ぐに向かってくる。
まるで焼き尽くされそうなほどの苛烈な瞳に、私は金縛りにでもあったように動けなくなった。バクバクと、心臓がこれ以上ないほど強く早鐘を打つ。カッと腹の中が熱くなり、背中から冷や汗が吹き出す。
もしかして、これが『恐怖』というものなのだろうか。私は徐々に迫ってくる男から、一秒たりとも目が離せなくなった。
「そこまでです」
あと数歩という距離で、〝笑い犬〟が〝王様〟と私の間に立ちはだかった。〝王様〟はピタリと立ち止まると、私に向けていた視線をゆっくり〝笑い犬〟の方に移した。
「……何のつもりだ、〝笑い犬〟?」
「それはこちらのセリフです。これ以上、〝人形〟に近寄らないで下さい」
「〝人形〟?」
〝王様〟の眉が、神経質にピクリと寄る。
「一体、誰のことを言っているんだ、それは?」
「もちろん、彼のことですよ」
〝笑い犬〟が視線で私を示した。〝王様〟もつられるように一度私の方を見ると、大きく首を振る。
「違う。そいつは、〝人形〟じゃない」
昨日、意味不明なことを喚いていた人物とは思えないほど、はっきりとした口調だった。
〝笑い犬〟は憐れむように相手を見ると、静かに首を振った。
「いいえ、〝王様〟。貴方は勘違いをしている。彼は〝人形〟だ。貴方の妄想の中の人物ではない」
「ふざけるなっ! お前たちは、またそうやって、そいつを〝人形〟に仕立てる気なのかっ!」
〝王様〟の怒声が、暗い狭い廊下に木霊する。はあはあと肩で荒い息を吐く〝王様〟とは対照的に、〝笑い犬〟はどこまでも慇懃な態度を崩さなかった。
「貴方の言っていることは、全て妄想です。いい加減、貴方も〝先生〟の治療に従ったらどうです。そうすれば、こんな馬鹿げたこと──」
「黙れっ!」
〝王様〟が動いた。素早く〝笑い犬〟の前に滑り込むと、腹に一撃を入れようとする。〝笑い犬〟は初めからそれを予想していたのか、腰のバンドから警棒を取り出すと、〝王様〟の脇を打ち据えた。
「グッ!」
よろめき下がった〝王様〟は、打擲された腹を押さえながら、にたりと笑った。
「……相変わらずだな、〝笑い犬〟」
「何のことです?」
「お前のその、どうしようもない癖のことだよっ……!」
〝王様〟は相手に突進していくと振りかざされた警棒を避け、背後に回り込んだ。そして片腕で相手の気道を締め上げる。
「ガッ……」
みるみるうちに〝笑い犬〟の血の気が引いていく。瞳孔は見開き、口は空気を求めてわなわなと震える。
このままにしておいたら危ない。咄嗟に私は鉄格子を掴み、叫んだ。
「やめろっ……! やめるんだっ……!」
意外なことに〝王様〟は何の躊躇いもなくパッと手を離し、無実だと言わんばかりに私に向かって両手を上げてみせた。
「本気じゃない。それに、こいつは大丈夫だ。なぁ、そうだろう? 〝笑い犬〟?」
〝王様〟は咽せている〝笑い犬〟の前髪を掴むと、薄く笑ってみせた。 〝笑い犬〟が唾吐いて答えると、〝王様〟は彼の腹を思い切り蹴り上げた。
「ウグッ……!」
〝笑い犬〟は床に這い、腹を押さえながらゼイゼイと背中で息をしていた。〝王様〟はその姿を冷ややかな目で見下ろしながら、薄笑いを浮かべていた。相手を虐げるのが楽しい。そう言わんばかりの笑顔だった。
——『〝王様〟は危険な男です』
〝笑い犬〟が言っていたことの意味を、私は今更ながらに理解した。
だがもう遅い。
〝王様〟は 〝笑い犬〟がもう立てないのがわかると、くるりと身体の向きを変え、私の病室に真っ直ぐ向かってきた。手には、先ほど看護士から盗った鍵が握られている。
「やめろっ……! その人に近づくなっ!」
蹲ったまま〝笑い犬〟が叫ぶ。だが〝王様〟は一瞥くれることもなく、私の部屋につくと鉄格子に鍵を差し込み──扉を開けた。
ガシャン。ギイ。
鈍い音をたてて、鉄格子が開かれる。
「……ッ」
本能的な恐怖を感じて、私は一歩、後ずさった。
床に蹲る〝笑い犬〟の姿を見たら、数秒後、自分がどんな目に合うか、嫌でも想像できる。どこか逃げられるところはないかと、目の端で部屋を見回していると、
「逃げるな」
数歩先で立ち止まった〝王様〟が、私を真っ直ぐに見据えたまま言った。
「逃げるな」
私はぴたりと立ち止まった。なぜそうしたのかは、わからない。ただ相手の強い眼に魅せられたかのように立ち尽くす。
「……!?」
次の瞬間、手を強く引かれたかと思ったら、〝王様〟に抱きすくめられていた。
鼻先にかかった〝王様〟の首筋からは、血と消毒液、そしてほのかなバラの匂いがした。背中に廻った力強い手は、動揺する私をなだめるように背骨一つ一つをゆっくりと撫でていく。
「やっと会えた……」
耳元に、深くかすれた吐息がかかった。先ほどまで暴力をふるっていた人間のものとは思えない柔らかな声に、心の琴線が震える。
(何だろう、この感じ……知っているような……)
耳元でドクドクと増していく自らの鼓動を聞いていると、
「いいか、俺の話を良く聞け」
〝王様〟が私の腰を引き、さらに耳元に唇を近づけてきた。その声は、先ほどの甘やかなものとは違い、硬い緊張を帯びていた。
「いいか、お前は出来るだけ早く、記憶を取り戻してここから逃げろ。でないと、一生ここに閉じこめられることになるぞ」
「え……閉じ込められるって……?」
顔を上げると、息がかかりそうなほど間近に、〝王様〟の顔があった。目が合った瞬間、険しかった相手の顔が、ふとほころぶ。
「……髪、随分伸びたんだな」
〝王様〟の手が、私の髪を一房手にとった。慈しむような、愛おしむような手つきで撫でる。私を見下ろす彼の瞳は穏やかだったが、どこか痛々しく、寂しげでもあった。
きゅっと、心臓が直接握り締められたように狭くなる。
(どうして、この人はこんな風に私を見るんだろう……?)
「貴方は──」
手を伸ばそうとした瞬間、
「……ッ!?」
突然、〝王様〟の身体がビクリビクリと痙攣し、そのまま床に崩れ落ちた。
「まったく手間かけさせやがって」
〝王様〟の後ろに立っていたのは、先ほど殴られた看護士たちだった。彼らは手に持った警棒を、再び〝王様〟の背中に当てた。
「がっ!? あああぁぁ……!」
〝王様〟の身体が大きく跳ね上がり、やがてがくりと意識を失った。
「まったく十万ボルトでも一発で効かないなんて、化け物だな。それにしても帰ってきて早々、保護房に逆戻りとは」
ブツブツと言いながら、看護士たちは〝王様〟の手足を持ち上げると、引きずるように病室から出て行った。
二重扉が閉まる音が響く中、私は病室の中で呆然と立ち尽くしていた。
※
「顔色が悪いね? どうしたんだい?」
デスクに向かっていた〝先生〟が、ちらりと顔を上げた。
〝先生〟の診察室は、木目を基調としたこぢんまりしたもので、入ってすぐ左にデスクとカルテの入った戸棚、奥にはパーティションで区切られたベッドがあるだけだった。
閉鎖房の患者たちは、定期的にここに来て 〝先生〟の診察を受けることになっている。
「いえ……」
私は 〝先生〟の視線を避けるように、辺りを見た。ふと、デスクの後ろにあるドアに気がつく。部屋の中では唯一、金属製のもので、覗き窓すらもついていない。
「あそこは……?」
「あぁ、そこは、今は使っていない治療室なんだ。それより、何があったか話してごらん」
〝先生〟が身体ごと向けてきた。ここまでくれば逃れることはできない。私はからからに乾いた唇を湿らせた。
「……〝王様〟が」
「〝王様〟? あぁ、抱き締められでもした?」
「!? どうして、それを……? 他の人に聞いたんですか?」
「いや。でも簡単にわかることだ。〝王様〟は自分の頭の中にいる理想の人物と似た者を見ると、いつもそうするから」
「いつも……?」
「そう、いつものことだよ。君も驚いただろう? 急に抱きつかれて。あの変わりようにも」
こくりと頷いた。
確かに、〝王様〟の豹変ぶりには驚かされた。
彼はたった今、冷たく笑いながら人を嬲っていたかと思えば、突然、優しく微笑みながら触れてきたりする。
(どちらが、本当の彼なのだろうか)
「〝王様〟のあれはね、仕方ないんだ。そうゆう病気なんだよ」
〝先生〟は、眉間の間を指で揉みながらため息をついた。
「人格障害の一種でね。彼は両極端な二つの性格を常に行き来している。一つは、激情のままに自他を傷つける凶暴な人格。もう一つは蕩けそうなくらいの慈しみと優しさを持った人格。どちらに当たるかは、その時の運しだい。君だってもしかしたら、抱きしめられた次の瞬間には、殺されていたかもしれないよ」
「殺されて……? まさか、そこまで……」
「ありえないことではないんだ」
〝先生〟の顔つきが、急に硬く緊張を帯びる。
「〝王様〟はね、患者であると同時に、囚人でもあるんだ」
「囚人……?」
「あぁ。数年前、とある小さな村で殺人事件が起こった。村でもっとも由緒ある一族が殺され、屋敷に火をつけられた事件だ。〝王様〟はね、その事件の犯人なんだよ。彼は燃えさかる館を前に、笑っていたところを逮捕された。そして精神鑑定の結果、極度の錯乱状態による犯行ということで、刑務所の代わりにここへ送られることになったんだ。スタッフにも少々手荒なまねを許しているのは、そうゆう訳なんだ」
〝先生〟は警棒を振るジェスチャーをした。
「これでわかっただろう?〝王様〟がどんなに危険な人物か。もし殺されたくなければ、彼には近づかない方がいい。いいね?」
頷くまでもなかった。
先ほどの一件で、〝王様〟がどれだけ危うい存在かは身をもって知った。さらに今の話を聞いたあとでは、近づく気にもなれない。
しかし、一つだけ気になることがあった。
「〝人形〟──以前の私は、〝王様〟と知り合いだったんですか?」
「どうして、そう思うんだい?」
「……〝王様〟が〝人形〟のことをよく知っているようだったから……」
ピクリと 〝先生〟の眉が神経質に動いた。だがすぐに、いつもの柔らかい面持ちに戻る。
「どうやら君も〝王様〟の魅力に魅せられてしまった一人のようだね。まぁ、仕方がない。世を震撼させる犯罪を起こす者の中には、そういったタイプの人間が多い。見た目が良く、頭も切れ、巧みな話術と雰囲気で、他人を簡単にとりこにし、信用させてしまう人種さ。でも、惑わされてはいけないよ。どんなに彼が魅力的な男だとしても、その本性は飢えた獣同然。気を許した途端、とって喰われてしまう。もう一度言おう。〝王様〟には、常に注意していなさい。彼の言うことは何一つ、信じてはいけない。全部、罠だから。いいね、返事は?」
〝先生〟が顔を覗き込んできた。
──この人に逆らってはいけない。
頭のどこかで、そんな自分の声が警鐘のようにガンガンと鳴っていた。
「……はい、わかりました」
「よし、いい子だ」
私の頭を撫でようと出した手を、〝先生〟は寸前で止めた。
「そういえば、今日は理容師がくる日だったと思うけど? 髪は切らなかったのかい?」
一拍、心臓が大きく跳ねる。奇妙な間を埋めるように、私は曖昧に頷く。
「……えぇ、何となく」
「何となく、ね」
〝先生〟は探るような目付きでこちらを見てから、デスクに向き直った。細く節だった指が、サラサラとカルテに何かを書いていく。それを終えると、〝先生〟はいつもの微笑みを湛えて、再び私の方を向いた。
「さて、さっそく治療を始めようか。服を脱いで、ベッドへ」
固まった私に気づいて、〝先生〟は、ああと顔を上げた。
「忘れていた。君にとっては初めてだったね。……そうだな。今日は上だけでいいから、脱いでベッドに横たわってくれ。脳波と心音を見るから」
〝先生〟は、仕切の向こうにあるベッドを指さした。私はおずおずと立ち上がり、仕切りの間から滑り込む。
ベッドはステンレスの簡素なもので、清潔な真白いシーツがかけられていた。ベッドの周りには箱形の機械がいくつか並んでいる。
私はそれらを見ながら、自分のシャツに手をかけた。
(あれ……?)
ふと、あることに気づく。
裸の私の腕には、注射痕や切り傷のようなものが無数にあった。着替えの時は、〝笑い犬〟に手伝ってもらっていたから気づかなかった。
「これは──……」
「それは、君が自分でやったものだよ」
独り言のような私の言葉に、〝先生〟が仕切りの向こうから応えた。クリーム色の仕切りには、デスクに座る 〝先生〟の影がうつっていた。
「私が? 自分で……?」
見ると、手首にも大きな傷があった。ほとんどふさがってはいるが、端から端まで一直線に切れている。躊躇い傷のようなものは一つもない。
(もしかして、これって──)
「あの……」
すぐさま、仕切りにうつる〝先生〟の影へ問いかけた。
「〝先生〟……私は、どうして自殺なんか?」
カタリと椅子の音がして、〝先生〟が仕切りの間から姿を現した。白衣のポケットに手をいれ、複雑そうな顔をしている。
「君が自殺したのに、大きな理由はない。君は感情のない〝人形〟だ。自殺もたんなる気まぐれだろう。その証拠に、君は本気で自殺する気などなかった。服用した薬だって致死量には達していなかったし、その手首の傷だって、それほど深いものではないことは見ればわかるだろう?」
「じゃぁ……やっぱり、この傷は……私が自分で?」
「深く考えるな。さぁ、力を抜いて」
〝先生〟がトンと肩を押し、私をベッドの上に倒した。清潔なシーツからは、消毒液のきつい匂いがした。
「少し冷たいけど、我慢して」
「……ッ」
ドロリとした冷たい感触が、肌を滑る。ハッとして見ると、〝先生〟が、私の胸やこめかみにジェルのようなものを塗っていた。ついで、コードのついたシールのようなものが貼られる。
「これから脳波と心拍数を見ていくから。それが終わったら、IQの検査だ」
「IQ……?」
「そう」
と〝先生〟は一言言ったきり、静かな目で私を見下ろした。
「〝人形〟だった頃の君は、僕の言うことなら何でも聞いた。『服を脱いで』といったら何の躊躇いもなく、全部。それなのに、いつから君は恥じらいを覚えたのかな? いや、誰に教えられたのかな?」
意味深な言葉を残したまま、〝先生〟は仕切りの向こうに消えてしまった。
静寂の中、〝先生〟がカルテを書く音と、機械の作動音だけが響く。私は目を閉じて、ただそれらの音だけを聞いていた。
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