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<塁の選択>
大学の一番北側に位置する建物、通称・無人棟。
昔はきちんと講義教室として使用されていたが、大学改革と称し次々と構内に建てられていく新校舎にその役目は奪われ、結局、現在は資材やら何やらを保管する場所――要するに、物置として定着してしまった哀れな建物である。
が、しかし、無人棟とは言うものの、全く人がいないのかと言えば、決してそういうわけではない。
知る人ぞ知る、という程度ではあるが、無人棟内の何部屋かは改築がなされており、シャワー&ベッドルーム完備、防音バッチリな逢引部屋なるものが存在している。
もっとも、そこを利用するのは学内でも名の知れたアルファがほとんどではあるのだが。
そんな逢引部屋の一室を、ほぼ自分の住処としているのが大学二年生の玖珂嶺 塁 である。
家柄はもちろんのこと、その容姿も“王子様”などと噂されるほど申し分のない極上のアルファである塁は、良くも悪くもとにかく人目を惹く存在だ。
番候補を名乗り出るオメガに、どうにかうまく取り入ろうと切磋琢磨する格下のアルファやベータ、あるいは逆に対抗心を燃やすアルファなどなど、とにかくありとあらゆる人達に取り囲まれ、それに辟易とした塁が、
「うぜぇ」
と、“王子様”らしからぬ言葉、声音、態度で周囲を蹴散らしたのは、入学して一週間ほどたった頃のことだった。
が、それでも塁に群がる人々はいるもので、そんな彼に同情した似たような境遇の先輩アルファが、件の逢引部屋の一室を避難場所として提供してくれたのだ。
以来、空き時間になると塁はこの部屋で過ごすことが多く、その日もいつものように、次の講義が始まるまで、のんびり時間を潰していたのだが。
突然、部屋のドアがガチャリと勢いよく開けられ誰かが中に入り込むと、そのままバタンと乱暴にドアが閉められ、更にはご丁寧にカチャッと鍵がかかる音までした。
ちょうど部屋の入口から塁の寝転がっている奥のベッドルームは見えにくく、塁からも入口付近に留まっているらしい不法侵入者は見えない。
鍵をかけ忘れたことを悔やみながらも、多少の緊張感を持ちつつそっと身を起こし様子を伺おうとした塁だったが、すぐに鼻を掠める独特の甘い匂いに気づいた。
それは、紛れもなく発情期のオメガが発する匂い。
が、しかし、嗅覚に優れた塁は、さらにその匂いを正確に嗅ぎわけていた。発情期のオメガとそれに呼応するアルファ、そして、さらにそれに巻き込まれたオメガの三つの匂い、を。
一瞬、発情したオメガが乗り込んできたのかとも思ったが、どうやらそうではないらしいと判断した塁は、思い切って不法侵入者の元へと近づく。
「おい」
入口のすぐそばで蹲るように身を小さくしていたのは、一見すればベータにしか見えない、いたって普通の青年だった。が、発情し始めているらしく、間違いなくその身からはオメガの甘い匂いが立ち上っている。
声をかけると、ビクっと大袈裟に見えるほど肩が揺れた。そうして、おそるおそる、といった風に不法侵入者は顔を上げる。
オメガのわりには小柄で華奢というわけでも中性的な顔立ちでもない、平凡と言ってしまえば平凡などこにでもいる普通の青年。
実にオメガらしくないオメガ、というのが塁が彼に対して抱いた第一印象だった。
「あ……、ご、ごめんなさい、ごめんなさい」
もしも彼が、ここぞとばかりに発情期ということを利用してキャンキャンと鳴き喚き甘えてくるようなオメガだったならば、塁は間違いなくその場で辛辣な言葉でバッサリと斬り捨て、即刻この部屋の外へと叩き出していただろう。
しかし実際には、こっそり隠れようとしたところを見つかってしまいシュンと項垂れる、なんとも情けないオメガの姿に塁の毒気は完全に抜かれてしまった。
だから、不法侵入者であるオメガに対して怒りよりも同情心の方が勝ってしまった塁は、彼にしては珍しく、相手を気遣う優しいトーンでオメガに再度声をかけた。
「……薬は? 持ってねぇの?」
「持って、ます……けど、弱いやつで」
「……医務室でもらってくるか?」
幸いなことに、無人棟に隣接する建物に医務室があるため、緊急用の抑制剤を調達するのにそう時間はかからない。が、オメガはぶるぶると首を横に振る。
「あ、あの、ダメなんです、薬……、強いの、ダメで」
様々なタイプの抑制剤が開発されている昨今、副作用もかなり抑えられるようになったとはいえ、やはり強いアレルギー反応を起こすオメガもゼロではないと塁も聞いたことがある。
どうやら、目の前のこのオメガはそのタイプらしい。
「……じゃあどーすんだよ」
薬も使えないとなれば、選択肢は二つ。
「……誰か相手、いるのか?」
番関係を結ぶかどうかは別として、発情期に特定のアルファと関係を持つオメガも決して少なくない。つまりは、それが選択肢の一つなわけだが、目の前のオメガはぶるぶると勢いよく首を横に振る。
「あの、少しだけ、……この部屋、使わせてください」
「……それは、いーけど」
「たぶん、もうちょっとすれば……、薬効くくらいまで、落ち着くと思うんで」
そう言って、オメガはもう一つの選択肢、ひたすら耐える、を選択した。
ふと目をやれば、オメガは自分の身を抱きしめるようにしながら、右手で左肘の上あたりを、左手で右肘の上あたりを、指の先が白くなるまでぎゅっと抓っている。抓られている場所は赤みを通り越して紫色に内出血しているように見えた。
こういうタイプのオメガは、きちんと自分の発情周期を把握していることが多い。
にも関わらず発情しているのは、先ほど感じ取った三つの匂いから察するに、きっとこの棟で発情中のオメガとアルファに出くわし、それに充てられ自らも発情してしまった、そんなところだろうと塁は推測する。
不憫なオメガ、というのが彼に対する塁のいわば第二印象だった。
一旦発情してしまうと、抑制剤かあるいは性欲を発散しない限り発情はなかなか治まらないはずだ。それでも、目の前に都合よくアルファがいるにも関わらず、耐えることを選択するというオメガ。
どうすべきか――、塁が迷ったのは、ほんの一瞬だった。
一旦オメガの元を離れ、不要なものとして棚の引き出しに放り込んであった紙袋を探し出し、念のため期限を確認する――運よく使用期限は半年先だった。
「おい」
その袋からペロリと一枚引き出すと、再びオメガの元へと戻り声をかける。
「相手、いないんだな?」
「……え? あ、いない、です、けど?」
「おまえ、避妊薬もダメなの?」
「……は? え? あ、それは、アレルギーテストで問題なしって……、え?」
それならば、とオメガのうなじに取り出した一枚――貼付型の避妊薬を張り付ける。
どこかのアルファとオメガを取り合うのなんてまっぴらだし、避妊薬でアレルギーを起こして倒れられても一大事だ。が、そのどちらもクリアしていると言うのなら、遠慮なく。
「楽になりたくねぇの?」
真正面から、俯き加減のオメガの顔を覗き込む。そうして、それまであえて抑えていたアルファとしての本能を塁は意識的に解放した。
意味がよくわからないといった表情を浮かべていたオメガの瞳の奥が、どろりと溶ける。途端にオメガの甘い香りが溢れ出て、塁をますます刺激した。
「楽にしてやるよ」
ぼろりと涙を零したオメガを見た塁は、拒否権はないとばかりに彼を半ば強引にベッドルームへと連れ込んだ。
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