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3 とんでもないこと

尭歩(ぎょうぶ)様、さすがにこれはいかがかと思いますが」 「だが、ボウズも『はい』と言ってくれたぞ?」 「本当ですか?」  急に振り返ったスーツで眼鏡の男の人にキリッと見られたぼくは、「ええと……」と口ごもってしまった。  そもそもぼくは了承したりしていない。でも「言ってません」と答えたら、いぬがみさんが眼鏡の人に怒られるんじゃないかと思って言えなかった。  そんなぼくの様子で何かを察したらしい男の人が、眼鏡をクイッと上げながらいぬがみさんのほうを見た。 「……尭歩(ぎょうぶ)様」 「あー……まぁ、たしかに性急すぎたかもしれん。それは反省すべきことだ。しかしな、ボウズはもうすぐ十八だというんだ。それなら人の世でも問題ないだろう?」 「大有りです。これでは人攫いもいいところですよ? いい加減、昔の癖はおやめくださいと何度も申し上げているでしょう」 「人攫いとはなんだ、オレはそんなことはしていないぞ? まぁなんだ、ちょっとばかりからかったりしたことはあったが、それも随分と昔の話だろうが」 「あなた様のからかいは、悪戯の範囲にとどまらないのですよ。それで何度狐たちと争うことになったと思っているんですか」 「それも昔の話だ。いまは皆、仲良くやっているだろう」 「あなた様は物覚えが大雑把すぎるので、こうして何度も申し上げるんです」  眼鏡の人がキリッとした目でそう言ったら、いぬがみさんが「はぁぁ」と大きなため息をついた。話の内容から、眼鏡の人がいぬがみさんの知り合いだってことはわかった。 (家族……には見えない。じゃあ、親戚とか……職場の人とか……?)  三十二階にはこの部屋のドアが一つしかなくて、そのドアを開けたら眼鏡の人が立っていた。  そのとき、「よくこの部屋だってわかったな」って言ったいぬがみさんに、眼鏡の人が「いくつか目星はつけていました。おそらく弁当屋から直行するならここだろうと思っていましたが、当たりましたね」と答えていた。  二人の話から、いぬがみさんは家を何軒も持っているんじゃないかと思った。「いくつか」ってことは、そういうことだ。 (いぬがみさんって、すごいお金持ちだったりして……)  高級そうなソファにドンと座っているいぬがみさんを見る。相変わらず工事現場にいそうなガテン系の服だからか、眼鏡の人のほうがこの部屋の持ち主に見えなくもない。っていうか、ガテン系の格好で高級なソファに座っているのは、ちょっとおもしろく見える。 「ところで、我らのことはきちんとご説明されているんでしょうね?」 「あー、いや、まだだな」 「……尭歩(ぎょうぶ)様」 「いや、これからしようと思っていたんだ。それをおまえが邪魔したんだろうが」  また眼鏡の人がため息をついた。でも、いぬがみさんの言うことは間違っていない。だって、ドアを開けたら目の前に眼鏡の人が仁王立ちしていたから、ぼくも聞きたいことを一つも聞けないまま部屋に入るしかなかったんだ。 (っていうか、いぬがみさんって、ぎょうぶって名前なんだ。……なんだか昔の人みたいだ)  いぬがみって苗字も珍しいと思うけど、ぎょうぶって名前はもっと珍しい。中学のときに読んだ歴史の本に出てきた人の名前っぽくて、いまでもそんな名前の人がいるんだって少し驚いた。 「尭歩(ぎょうぶ)様、ではわたしのほうから説明してもよろしいですね?」 「もちろんだ」 「それはつまり、この人の子の未来を変えてしまうということですが」 「……わかっている」  どうしたんだろう。いぬがみさんの顔が急に真面目になった。書類を見ていたときのお父さんの顔に少しだけ雰囲気が似ている。 「奏多(かなた)様」 「へっ?」  いま、ぼくのことを奏多(かなた)様って呼んだ……よね? (なんでぼくの名前を知ってるんだろ)  それに「奏多(かなた)様」って……様って……。わけがわからず戸惑っているぼくを見ながら、眼鏡の人がとんでもないことを言い出した。 「奏多(かなた)様には、我らが総大将、尭歩(ぎょうぶ)様の奥方になっていただきます」 「…………おくがた……?」  おくがたというのは、もしかして「奥方」って書くあれのことだろうか。奥方っていうのは奥さんってことで、それはつまり……。 「ええぇぇぇぇ!?」  いぬがみさんは片耳をふさいで眼鏡の人は眉をしかめたけど、思わず叫んでしまうくらいぼくは驚いていた。

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