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11 ぼくの新しい日常・終
「ボウズとは縁結びはしたが、縁付きはしてない。だが、オレはボウズと目合 った。散々っぱら、その小せぇ腹に子種を注ぎ込んだ」
ぼくのお腹を見ている隠神 さんが、ものすごく恥ずかしいことを真顔で言っている。
(そりゃまぁ……シーツがぐっしょり濡れるくらいは、したんだろうけど……)
正直、ぼくは最初のほうしか覚えていない。でも、最初のほうでお腹が苦しくなったのは覚えている。つまり、そのくらい出したってことだ。……ぼくの体が小さいせいで、あんなに漏らしたわけじゃないと思いたい。
「オレの子種は神通力を凝縮したようなもので、人の身を妖 に変化 させることができる」
「……それは、ぼくを妖怪にできるってことですか?」
「まぁ、簡単に言えばそうなんだが……。本来、妖 の伴侶になる人は半妖という半端な存在になるんだ。だが、オレの神通力はそれを超え、完全な妖 にしてしまう。それは人の存在を大きく歪め、変えてしまうものだ」
つまり、隠神 さんとしたぼくは、隠神 さんと同じ妖怪になるってことだろうか。
(それなら困ることなんてないけど……)
むしろ隠神 さんと同じになれるのは嬉しい。だって、ぼくは隠神 さんと結婚するんだから。
「ぼくは、隠神 さんと同じ妖怪になれるなら嬉しいです」
ほんの少し笑った隠神 さんは、「そうか」と言って頭をワシワシしてくれた。
「同じものになりたいと思ってくれるのは嬉しい。だがな、問題は人の身のままオレの力を受けてしまうと、人でも妖 でもない存在になりかねないってことだ。どちらにも属さない存在は、人の世からも妖 の世からも弾き出されてしまう。……いや、存在し得ないということだな」
よくはわからなかったけど、どうしてか背中がゾクッとした。
「だからオレのような妖 は、きちんと縁付きをしてから目合 う必要がある。縁付きすることで人は半妖になり、妖 に転じる準備が整う。そういう世の掟なんだ」
(だから、あの一回だけだったんだ……)
初めてしてから今日まで、隠神 さんはキスもしなかった。毎日一緒のベッドで寝るのに、そういうこともしようとしなかった。もしかしてぼくが男だから嫌になったのかなぁなんて思っていたけど、そういうことじゃなかったんだ。
「あー、本来の手順をすっ飛ばしてはいたが、一回だけなら大丈夫かと思ったんだ。しかし、草凪も魔女も見えるってことはなぁ……」
「こりゃあ困ったな」って言いながら、隠神 さんが頬っぺたを人差し指で掻いている。
「見えるって……」
草凪さんも魔女の人も、ぼくのお腹を見ながらそんなことを言っていた。何のことかわからなかったけど、隠神 さんにはわかっているみたいだ。
……気になる。自分のお腹を見て、それから隠神 さんを見た。
「ぼくのお腹に何が見えるんですか?」
「……まぁなんだ、オレの神通力の影、みたいなもんだ」
神通力の影……。神通力っていうのは、たしか隠神 さんの精液で……ってことは……。
「……もしかして、ぼくのお腹の中に、隠神 さんの……隠神 さんのが、見えるってこと……?」
「数百年振りの目合 いで理性が飛んだオレが悪かった。掟を破ったのはオレの咎だ。しかし、そのくらいボウズのことを好いているということでもあるんだ」
「え、えと……ぼくも、隠神 さんのことは、好きですけど」
お腹の中に隠神 さんの……が見えるっていうのは、どう考えても恥ずかしい。だって、そういうことをしているんだって言って回るようなものだ。
(だからって……嫌だとは、思わないけど……)
ただ恥ずかしいだけで、するのが嫌だとは全然思わない。
(むしろ、もっとしたいっていうか……って、あわわ!)
さすがに自分からしたいなんて言えるはずもなくて、モジモジしながら隣をチラッと見た。すると、真面目な顔をした隠神 さんがぼくを見ていてドキッとした。
「もう後戻りはできん。そのつもりもないし、逃がすつもりもない。……ボウズ、オレの嫁になってくれるか?」
こんなにカチカチで真面目な顔をした隠神 さんは初めて見た。すごく真剣で……、そうだ、ピアノの前に座ったお父さんに似ている。そんなお父さんを見たお母さんは、「お父さんはいつも真剣勝負をしているんだから」と、目を細めて嬉しそうに話していた。
……そっか。そのくらい隠神 さんも真剣だってことだ。ぼくの結婚を真剣に思ってくれているってことだ。
ぼくはゴクンと唾を飲み込んでから口を開いた。声を出そうとしたけどうまく言葉にならなくて、小さくコホッて咳をしてからもう一度口を開く。
「ぼくも、隠神 さんと結婚したいです」
ぼくは男だけど、隠神 さんがそれでもいいって言うなら喜んで結婚したい。隠神 さんと家族になりたい。
そう思って真剣に答えたぼくの頭を、隠神 さんがいつもどおりワシワシした。でも、一瞬だけ隠神 さんの顔がホッとしたように見えたのは……気のせいじゃない。
「人から妖 になるのは、生半可な覚悟じゃあ難しい。きっとボウズが想像できないことも起きるだろう。だが、どんなことがあってもオレがボウズを守る。だから、安心してオレの嫁になってくれ」
優しくニカッと笑った隠神 さんに、なんて答えていいのかわからなかった。ドキドキだけじゃなくて胸がギュッとしてきて、うまく話すことができない。だからぼくは、何度もコクコクと頷いた。
「よぅし、そうと決まればさっそく縁付きをしなくてはな。そうだ、同胞たちを呼んで宴会をしよう。久しぶりの目出度 いことだ、奴等も喜ぶぞ。そうだな、せっかくならどこぞの宿を貸し切るのもいいだろう。久しぶりに狸囃子を響かせるのも悪くない。よし、草凪に手配させるとするか」
隠神 さんが急に早口になった。びっくりしてしゃべり続けている横顔を見ていたら、首がちょっと赤くなっていることに気がついた。
(もしかして隠神 さん、照れてるとか……?)
そう思ったら、なんだか体中がくすぐったくなってきた。
本当は妖怪になることがどういうことか、よくわからない。でも隠神 さんとずっと一緒にいられるなら平気だ。隠神 さんと家族になれるんだと思うと、ドキドキしてすごく嬉しくなる。
「…………あれ?」
じっと見ていた隠神 さんの顔がぼんやりしてきた。こう、何か白い煙みたいなものが顔を覆っていって、はっきりとは見えなくなる。どうしたんだろうと目を擦ったら、濃い緑色のお面を被った隠神 さんの顔が現れた。もしかしなくても、これって……。
「尭歩 様!」
今度も草凪さんが部屋に飛び込んできた。前にも思ったけど、玄関のドアが開く音、しなかったよね……?
「おお、ちょうどよかった。草凪、ボウズが縁付きしていいと承諾してくれたぞ。同胞たちを呼んで盛大な宴会だ! 我らが古郷 の山間 に、ほら、いい感じの古民家宿があっただろう? あれを全棟貸し切りで押さえておけ」
「尭歩 様、いろいろ注意したいことはありますが、とりあえずお喜び申し上げます。さっそく伝令と手配をしておきます」
「おう。それから白無垢も忘れるな。ボウズの体に合わせるなら、少し小さいやつがいいだろう。念のため、いくつかサイズを用意しておけ」
「承知しました」
「あぁ、それからオレたちの寝所は離れにするのを忘れるな。三日三晩はこもるだろうから、食事と風呂の用意ができる離れにするんだぞ」
「諸々心得ています」
どんどん進んでいく話に、ぼくはまったくついていけなかった。たぶん結婚式とか新婚旅行とか、そういう話なんだろうけど……。
(隠神 さん、楽しそうだなぁ)
隠神 さんが楽しそうだと、ぼくも段々と楽しくなってくる。それに、ぼくだってちょっとはワクワクしているんだ。
(だって、妖怪と結婚するんだもんなぁ)
大変なことがあるのかもしれないけれど、ぼくには楽しみに思うほうが大きかった。
縁付きも決まったからってことで、隠神 さんのことを少し教えてもらった。詳しくはわからなかったけど、大きな建設会社で会長みたいなことをしているらしい。
隠神 さんは「裏方みたいなもんだから、世間的には顔も名前も出てねぇけどな」って言ってニカッと笑っていたけど、裏方だってすごいと思う。そういえば、化け狸は建設業界で働いている人が多いってことも教えてもらった。
(それでいつもガテン系な感じだったんだ)
それならあの格好も頷ける。草凪さんは「尭歩 様のファッションセンスは少し変わっていますので」なんて言っていたけど、最近の隠神 さんはガテン系以外の格好もするようになったんだ。っていうか、すごくおしゃれになったと思う。
とくにぼくと出かけるときは、女の人たちが振り返るくらいかっこいいんだ。体が大きいから目立つし、まるでモデルみたいだ。……マッチョ系のモデルがいるのかは知らないけど。
急にガテン系じゃない服になったのが気になって隠神 さんに聞いたら、ニカッと笑いながら「奏多 とデートするのに、いつもの格好じゃあよくないだろう?」なんて言っていた。
(隠神 さんはかっこいいけど、ぼくは……どうなんだろう)
かっこいい隠神 さんの隣にいると、ただの子どもに見えそうな気がする。親子じゃないにしても、親戚の子かなって思われかねない。前に比べるとたくさん食べられるようになったけれど、ぼくの体はまだまだ小さいままだ。
(早く隠神 さんの隣にいてもおかしくないような、そんな大人になりたい)
もっとたくさん食べて大きくなりたい。もっと仕事ができる大人になりたい。最近は本気でそう思っている。
そういえば、いまもまだ働いている弁当屋は、しばらくしたら辞めないといけないと言われた。妖怪になったら年を取るのが遅くなるから、普通の人たちとずっと一緒にいることはできないからだ。
だからあのとき、隠神 さんは「人から妖 になるのは、生半可な覚悟じゃあ難しい」って言ったんだ。もし両親が生きていたら、ぼくだってすぐに返事ができたかわからない。そう考えると、妖怪になるのは思っていたより大変なことかもしれない。
それに隠神 さんの力を受け継ぐと、悪い妖怪に狙われることもあるらしい。そういうことがないようにって、ぼくの右腕の内側には隠神 さんの噛んだ痕がある。ものすごく痛かったけど、これが隠神 さんと結婚した印になるって言われたから我慢した。
普通の妖怪なら、この痕があるだけで近寄れないってことも教えてもらった。それでも手を出してくる妖怪がいるかもしれないってことだ。
(妖怪の世界も、なかなか大変なんだなぁ)
そういうところは、人間の世界も妖怪の世界も変わらないのかもしれない。
そういう危険なこともあるからということで、ぼくが借りていたアパートは解約することになった。貸してくれていた親戚のおじさんには、全寮制の高校に通うことになったと説明してある。前から「高校は出ておいたほうがいいよ」って言ってくれていたおじさんは、とても喜んでいた。
(嘘をつくのは嫌だけど、でもおじさんとも会えなくなるんだろうし……)
それなら、おじさんが安心してくれている間に別れたほうがいい。そうやって解約したアパートから持ち出した荷物は服だけだった。それと両親の位牌を持って、いまは隠神 さんの部屋に住んでいる。
「この部屋なら安心だからな」
「うん」
もう十回くらい聞いた言葉を、また隠神 さんが口にした。これってたぶん、ぼくに言うっていうより自分に言い聞かせているような気がする。
(そのくらい、大事にしてくれてるってことだよね)
その証拠に、弁当屋の行き帰りは毎回隠神 さんが送り迎えしてくれる。大丈夫だって言っても「弁当を買うついでだ」とか言いながら絶対について来る。そういうときも、隠神 さんはガテン系じゃない格好をするようになった。
(う~っ、今日もかっこいい)
今日のお迎えは緑のロングコートにごついブーツで、すごくかっこいい。たまにギョッとした顔で飛び退く人もいるけど、ぼくには世界一かっこいい人にしか見えない。
「せっかくのいい天気だ、寄り道でもするか。奏多 、行きたい場所はあるか?」
「うーん……。あっ! この前行った大きな公園がいいかな」
「じゃあ車を出すか?」
「ううん、ここからなら近いから、一緒に歩いて行きたい」
「そうか、じゃあ手を繋いで行くか」
「うん!」
隠神 さんの大きくてあたたかい手に、ぼくの手は簡単に収まってしまった。こういうとき、もっと大きくなりたいと思ってしまうけど、小さいぼくもいいんだって隠神 さんが言ってくれた。じゃあ、焦らないで少しずつ大きくなろうかなと最近は思うようになった。
「そうだ。春になったら行きたい公園があるんだけど」
「おう。どこでも連れて行ってやるぞ」
「あはは、大丈夫、そんなに遠くないから。ええと、小さい頃にお母さんと行った公園でね。ちょっとだけ隠神 さんの匂いがするっていうか……」
隠神 さんと未来の話ができるなんて幸せだなぁなんて思いながら、都会の真ん中にある大きな公園に一緒に歩いて行く。
これがいまのぼくの日常だ。
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