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10 何が見えている?
「そもそも縁付きする前にやることですか!」
「それはまぁ、そうなんだが」
「しかも抱き潰すなんて、妖狸 の総大将のすることですか! こんな体の小さい子に、みっともないくらい子種を注ぎ込むなんて」
そう言って、草凪さんがぼくを見た。気のせいじゃなければ、ぼくっていうよりもぼくのお腹の辺りを見ている気がする。
(……どこか変かな……)
思わず自分でもお腹を見てみたけど、シャツのボタンがあるだけで変なところはない。
「いやいや、数百年振りの目合 いだったからなぁ。溜まりに溜まった性欲が弾け飛んだというか、いやはやボウズの体はすごいぞ?」
「尭歩 様!!」
ひっ! ぼくのほうが首をすくめてしまった。いつも以上にキリッとしているからか、すごく怖い。
それにしても、草凪さんは何を怒っているんだろう。たしかに結婚前だけど、結婚とか関係なしにそういうことをする人はたくさんいる。男同士っていうのは珍しいかもしれないけど、隠神 さんとぼくは婚約しているわけだし、結婚もするんだから問題ないと思うんだけど……。
ぼくの視線に気づいた草凪さんが、「はぁ」ってため息をついて話し始めた。
「我ら妖狸 は性欲というか、雄が強すぎるというか、そういう妖 なのです」
「昔から“狸の金玉八畳敷き”って言葉もあるくらいだしなぁ」
隠神 さんがニカッと笑っている。
「はちじょうじき?」
「人が作る狸の有名な置物があるだろう? あれの金玉がでかいのは“広げれば畳八畳分ほどある”って話からきているんだ。金玉を広げて座敷や寺院に見せかけて人を化かす、なんて話もあったなぁ」
「八畳……」
八畳分ってどのくらいの広さなんだろう。わからないけど、たぶんすごく大きいってことだ。
(……うん、たしかに大きかった)
チラッと見ただけでも大きいのは十分にわかった。もし銭湯に行ったら注目されまくるくらいには大きかった。
「それは人の作り話ですが、そう揶揄されるほど性欲が強く子種の量も多いのです。それをこんな小さな体に思う存分注ぎ込むとは……」
「だから、箍 が外れたと言っているだろう? それにいずれは縁付きする相手だ、問題はない」
「そういうことは縁付きしてからおっしゃってください。そもそも、いまの状態で目合 えばどうなるか、尭歩 様もわかっているでしょう」
ぼく自身はなんともないんだけど、草凪さんがここまで言うってことは何かがあるってことなんだろうか。それならちゃんと話を聞かないと……そう思っているのに、段々と眠くなってくる。
(……そういえば、お面、消えてたなぁ)
目が覚めたときには、隠神 さんのお面はきれいさっぱり消えていた。
(もうちょっと……見たかったなぁ)
次はもっとじっくり見たいけど、ストッパーってことはお面が出るのはいけないことなんだろうし……なんてことを考えながら、「ふわぁ」とあくびをする。
二人の言い合いの声が子守唄みたいに聞こえてきたぼくは、そのまま高そうなソファで眠ってしまった。
隣を歩いている隠神 さんをチラッと見るのは何度目だろう。何度もチラチラ見てしまうのは、今日の隠神 さんの格好がいつもと違うからだ。
いつもはガテン系にしか見えない服なのに、今日は白いセーターにジーンズを着ているからか、何倍もかっこよく見えてドキドキする。この前、おしゃれなカフェに連れて行ってくれたときにはピシッとしたシャツにスーツみたいなズボンを着ていたけど、あれもかっこよかった。
そんなかっこいい隠神 さんの隣に立つぼくは、相変わらず小さいままだ。親戚の子どもか、最悪親子に見られるかも、なんてことが気になってしまう。
(……もう少しがんばって、ご飯食べよう)
心の中でひそかに拳を握っていたら、「おやぁ?」って声が聞こえてきた。
「これはこれは、八百八狸 の総大将じゃないですか」
「おう、こんなところで会うなんて珍しいな」
「そちらこそ、そんな可愛らしい子を連れて」
(……全身真っ黒……)
話しかけてきたのは、ワンピースみたいに裾が長い服を着ている……たぶん男の人だ。全身真っ黒で、ボタンも靴も真っ黒。それよりも気になったのは、真っ黒な帽子から見えている髪の毛だった。
(すごい緑色だ……染めてるのかなぁ)
思わず見つめていたら、全身真っ黒な人がぼくをみてニコッと笑った。
「……あらら、こりゃまた、おめでとうございます。ようやく総大将も奥方を迎えたってわけですか」
「あぁ、まだ縁付きはしてないが、頃合いを見てと思っているところだ」
「……おやぁ? その割には、その小さなお腹のあたりに総大将の力がたっぷりあるみたいですけど」
真っ黒な人が、この間の草凪さんと同じようにぼくのお腹を見ている。
(お腹がどうしたんだろう……?)
隠神 さんが買ってくれた服だから、絶対に変なところはないはずなんだけど……。
「……オレも数百年振りだったからな、ちょっと手順が狂っただけだ」
「ま、八畳敷きって言われるくらいですからねぇ」
はちじょうじき……って、隠神 さんが言っていた言葉だ。もしかして有名な話なんだろうか。
(そういう話を知っているってことは、この人も妖怪なのかな)
隠神 さんのことを「総大将」って呼んだということは、狸の妖怪だと知っているってことだ。もし妖怪なら、ちゃんとあいさつをしたほうがいい気がする。
「隠神 さん、この人も妖怪ですか?」
「あぁ、こいつは……、いまは魔女だったか?」
「はい、魔女ですよ」
(……魔女?)
真っ黒な人はニコニコ笑っているけど、冗談を言っているようには見えない。それに隠神 さんも「魔女だったか?」って聞いたってことは、嘘じゃないってことだ。
「主人使いの荒い使い魔のせいで、コンビニに行くことになりましてねぇ。それでこうしてスマホを持って歩いていたわけですよ」
「イマドキの魔女は電子マネーだって使っちゃうんですよ?」なんて笑いながらスマホを見せてくれた。
(魔女って、あの魔女だよね……?)
ぼくの頭には、ホウキで空を飛ぶ魔女の絵が浮かんでいる。小さいときにお母さんと見たアニメにも、黒猫と一緒にパン屋で配達をしていた女の子の魔女が出ていた。ってことは、目の前の真っ黒な人がああいう魔女と同じってこと……なんだろうか。
「そうそう、いまはこういう仕事もしてますんで」
そう言った魔女の男の人が小さな紙をくれた。紙には“怡嗜屋 ”と書かれていて、裏には「お探しの好石 、お好きな恍石 、お売りします」という文章が書かれている。
(石……宝石とか、そういう物を売っている魔女、ってこと?)
紙をのぞき込んだ隠神 さんは、「ほう」と感心したような声を出した。
「魔女も手広くやってるようだな」
「このご時世、魔女ってだけじゃあ食べていけませんからねぇ。総大将のほうだって手広いじゃあないですか。なんたって建設業界で名を知らない人はいないくらいだ」
(え?)
「その総大将も、ついに年貢の納め時ってやつですか。それに縁付きする前からこんなに注ぎ込んじゃうなんてねぇ。……きみ、早く縁付きしたほうがいいですよ? じゃないと、人の世と妖 の世の狭間に堕ちることになる。それが世の理 ってやつだからねぇ」
「え……?」
「おっと、使い魔からのメッセージだ。まったく、昨今の使い魔はSNSまで使いこなすんだから。じゃあ、またいずれかで」
「おう、猫又の兄ちゃんにもよろしくな」
「はぁい、伝えておきますよ」
全身真っ黒な魔女という男の人は、ヒラヒラと手を振りながらコンビニに入っていった。
(魔女にも、ビジュアル系っているんだ……)
ああいう格好が普通の魔女かはわからないけど、テレビで見たビジュアル系バンドの人っぽく見えた。
(まぁ、ガテン系に見える妖怪もいるんだし、そういうものなのかな)
本当はこのまま映画を観に行くはずだったんだけど、ぼくが魔女のことを気にしているとわかった隠神 さんに連れられてマンションに戻ることになった。
「レストランに行く約束もあったのに……ごめんなさい」
「また今度行けばいいさ。これからたっぷり時間はあるんだ。やりたいことは何だってできるぞ」
そう言って、隠神 さんがほかほかのココアを持ってきてくれた。それを飲みながら、隣に座った隠神 さんに魔女のことを聞くことにした。
「今日会った人、魔女って言ってましたけど、あのホウキで飛ぶ魔女のことですか?」
「あぁ、いまは極東の魔女と呼ばれている。昔はなんだったか……。まぁそのくらい昔からいる存在だ」
昔からっていうのは、隠神 さんと同じくらい生きているということだろうか。
コンビニの前でスマホを持って笑っていた魔女を思い出してみたけど、そんな昔から生きている人っぽくは見えなかった。ビジュアル系バンドとかにいそうな、ぼくよりちょっと年上かなって感じだ。
「あいつは妖 じゃあないがオレたちのことをよく知っているし、いろんなものを見る眼といろんなものを呼び寄せる力を持っている」
「呼び寄せる力?」
「大体のものは呼び出せるんじゃないか? そうだなぁ、たしか盆には全国を飛び回っている仏の手伝いなんかもしていたか。そうそう、正月には七福神とどんちゃん騒ぎをしていたこともあったなぁ」
仏っていうのは、お寺とかで奉られている仏様のことだろうか。それに七福神っていうのは、神社にいる神様のことだ。弁当屋の近所の神社にも大黒様が奉られていて、毎年お正月にはぼくもお参りに行っている。
(……ちょっと待って。魔女って仏様や神様と仲良しってこと?)
よくわからなくて首をひねっていたら、隠神 さんがワシワシと頭を撫でてくれた。
「ま、悪い奴じゃあない。そもそも滅多に会うこともない奴だ」
「そうですか……」
ビジュアル系にしか見えなかった魔女の人を思い出す。
(そういえば、何か言ってたような……)
そうだ、たしか「人の世と」……「はざまにおちる」だったかな。
「あの、はざまにおちるって、」
「あー……そうだな。ボウズには知る権利があるな」
そう言った隠神 さんが、真面目な顔でぼくを見た。
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