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第1話

 王とは国の長であると同時に最も国に尽くす者である。そして王太子は、王座に就く将来のために日々精進し、国をより良い方向へ導けるよう知識を蓄え、先見の明を養う。  フロレンス王国国王イネアスの嫡男、ユベールは、産声を上げたときにはすでに王太子としての精神を心得ていたのではないかと言われるほど、幼いころから気丈で利発的だった。西洋圏の中心地であり、貿易で栄える国の王太子としてどんな教養が必要か、自ら考え行動する。特に外国語の覚えが早く、加えて歴史や文化を積極的に学ぶ真の努力家だった。  十の歳になるころには、伯爵として与えられたシャテル領で領民の生活を向上させるための新しい税の還元を試みた。そして、数年のうちに成功させるという偉業を成し遂げ、シャテル領の評判は瞬く間に王国全土へと広まり、民衆はユベールが王になる日を心待ちにするようになった。十六歳を目前に、正式に王太子として王宮に移ったときには、その期待が表面に出たのだろう、国王イネアスが大病を患ったという根も葉もない噂が流れ、ユベールの戴冠を祝う準備をする者までいたという。  ユベールの存在を際立たせるのは、美しい容姿だ。波打つ金色の髪、滑らかな白い肌と健康的な頬、気高さを表すようにつんとした唇。そして、凛とした目元に輝く快晴色の瞳が、見る者すべてを感嘆させる。  そんな、美貌と知性を兼ね備えた、フロレンス史上最も民衆の支持を得る王太子ユベールの日々の舞台は、世界最高峰と名高い王宮だ。曾祖父である前国王が完成させた、七百の部屋を有する巨大な宮殿。黄金で縁どられた窓や屋根飾りは言うまでもなく、繊細な彫刻が施された色とりどりの大理石が壁や柱を飾る内装もまた、近隣諸国の羨望の的になり、各国では競うように宮殿が建設されているという。だが、常に最新の技術や流行を取り入れた改装がなされるフロレンス王宮を超越する宮殿は、いまだ現れていない。  ユベールがこの豪華絢爛な王宮で執政する未来こそ、フロレンス王国の黄金期になるだろう。現国王イネアスの手前、誰も口にすることはないが、それが大衆の本音であり、ユベール自身もそう思っている。  暖かい春の昼下がり、王太子の部屋から広大な庭園を眺めていたユベールは、派手な衣装を纏った貴族たちに溜め息をついた。 「まるで己を孔雀と勘違いしている豚だ」 「殿下」  背後から窘めたのは近侍のガレオだ。五つ年上の公爵家次男で、剣術、馬術に長けている。次期国王の側近となる立場と出身家、そして整った容姿から、王宮の女性たちの注目を浴びる若い男性の一人なのだが、本人は女性や遊びに興味がなく、ユベールに忠誠を尽くすことしか頭にない。少々稀有で、とても頼りになる存在だ。 「お気持ちは察しておりますが、お言葉にはお気をつけください」  煌びやかな王宮での生活は、贅沢の基準が狂っている。フロレンス王国建国からしばらくは、身分の高さと奉仕の精神は比例すべきと考えられ、実行されていた。それが、富と権力を誇示するような王宮に国中から貴族が集められ、毎晩のように宴や催しが開かれるようになると、貴族たちは衣装で張り合い、装飾品で競い合って、散財を散財とも判断できなくなっていった。  その最たるものが王家だ。父王イネアス、王妃デボラは、まるで国庫に金が湧き出ているかのように贅沢に溺れている。そんな王に取り入ろうと、必死に着飾る貴族たちは、ユベールの目にはもはや着飾った豚にしか見えない。日々不快に感じているせいで、誰もいないところではつい本音が口をついて出る。 「自分の部屋にいるのに何を気にする必要がある」 「思ったとおりを口になさることに慣れてしまわれては、いざというときに殿下がお困りになられます」  王宮に移ってから三か月ほど。王宮の内情を知れば知るほど、なぜ自分に民衆の期待が寄せられるのか痛感させられる。豪華な宮殿、あり余る美食、理由のない宴や華美な衣装のために、税率は上がり続けているのだ。そして宮殿を出れば民は日々食べていくのがやっとの生活を送っている。民衆の不満はユベールの不満であり、苛立ちは募るばかりだ。 「近頃、フロレンス王国は国を繁栄に導いた工芸や農産品よりも、王宮の度を超えた贅沢文化で知られるようになっている。このままでは重税が民衆を貧困に追いやり、王国は衰退していく。それが理解できないなら貴族という特権階級にあらざるべきで、理解しているのに目を背けているならばもはや人ではなく着飾った豚だ」  王であればこの本音を言い表せるのに。父王イネアスの不幸を祈ったことも願ったことも、一度もないと神に誓って言える。だが、王太子という立場が歯がゆくて堪らないのは事実だ。 「殿下……」 「しかも、地の利に胡坐をかいて国防を蔑ろにしてきた結果がエスパニル王国との同盟だ。もとより複数国と国境で接しているのに、自衛に足る戦力を備えないとは、愚策としか言いようがない」  言い止まれないのは、百年前の戦争を境に背中を向け合ってきた隣の大国エスパニルとの同盟のために、最愛の姉ソフィアがエスパニルの王太子に嫁ぐことになったからだ。  西洋圏の中心に位置し、貿易の要所として最も栄えているフロレンス王国は、恵まれた気候により農産力が高く、また工芸も発達している。過去には世界最高の軍を有していたが、長らく他国との交戦を逃れてきた傲りから、最近では有事に民兵をかき集める程度の統率力しかなくなっている。各国での王政の確立により、今日の友が明日の敵になってもおかしくない昨今、防衛力は必須課題のはずなのだが、『税収不足』という国王の判断から、ユベールが提案した専業軍人の育成は却下され、軍事力に優れたエスパニル王国との同盟により解決を図ることになった。  優れた航海術で新大陸を発見し、次々と植民地を獲得したエスパニル王国には莫大な資産、そして強力な陸軍と海軍がある。一方で、他国とのいさかいが多かった歴史背景から西洋圏では孤立している節がある。この同盟で、フロレンスは有事の後ろ盾を、エスパニルは西洋圏への足がかりを得て、双方が利益を成すのは確かだ。が、ユベールは納得できないでいる。 「殿下、姉君が輿入れなさる寂しさはお察ししますが――」 「父上は同盟のために姉上を利用するのだ。自身は出自もろくに知れない愛人を后にしておきながら、王女に結婚の自由はないなどと、平然と言いきったのだぞ」  思わず語尾を荒らげたユベールを、ガレオはなんとか宥めようとする。 「ソフィア殿下は、ユベール殿下の将来もお考えです。悲観なさっているようにはお見受けしません」 「姉上がエスパニル王妃になるころには、私もフロレンスの王だ。継続的な同盟のためには、姉上と、姉上の御子がエスパニル王国にいればこれ以上ないほど心強いのは確かだ。しかし、姉上は輿入れのあとしばらく居心地の悪い思いをせねばならないだろう」  フロレンスとエスパニルにはそれぞれ大国としての強い矜持があり、そのぶん対抗心も否めない。王太后になるソフィアが表立って不当に扱われることはないはずだが、人間関係に悩まされることは避けられないだろう。  ユベールにとって、ソフィアは慈愛に満ちた姉であり、自分を産んですぐに早逝した母の代わりだった。明るく幸せな生活を送ってほしいのに、損な役回りばかりが彼女につきまとって、それを防げない己の立場に、胸を掻きむしりたくなるのだ。  現王妃デボラは、ソフィアとユベールの母である前王妃マリーに醜い対抗心を抱いていている。気品に溢れた才女であったマリーは、奉仕の精神も強く、貴族から平民まで皆に愛される王妃だった。何よりマリーを際立たせたのは、可憐な容姿とアルファ性だったことだ。

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