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第2話

 男女の性ともう一つ、この世には第二の性が存在する。アルファ、ベータ、オメガの三つがあり、偉人に多いとされるアルファ性は王侯貴族のあいだでもほんの一握りしか存在せず、ある種の崇拝を生むほど貴重視されている。フロレンス王国の建国王、そして王宮を建てた前国王もアルファ性であったために、マリーはその性でも羨望の的だった。対してイネアスは、短絡的な執政と目立たないベータ性で求心力に乏しく、前国王が選んだ伴侶のマリーに嫉妬する荒唐ぶりだったそうだ。それでも、マリーの献身の末ソフィアとユベールが生まれたが、マリーがユベールを身ごもるころには、イネアスはもうデボラを愛人にしていた。デボラは過食によって肥えていくイネアスの機嫌をとり、現実を忘れるほどの贅沢に引きずりこんだ。イネアスの耳と目を塞ぎ、私欲を満たすために利用するデボラは魔女とまで呼ばれ、イネアスが正気を取り戻すのを人々は祈ったという。だが、待望の長男ユベールが生まれても、イネアスのデボラに対する執心は変わらず、マリーが亡くなると、再婚だというのに盛大な結婚式を開き、デボラを王妃にした。  今でも、マリーの早逝を陰で嘆く者は多い。だからこそデボラは、ソフィアを酷く扱う。マリーと瓜二つのソフィアにはアルファ性が発現すると信じられ、ユベールもまた優秀で、アルファ性を期待されている。対して、デボラとイネアスの子トリスタンは、魔女の子と陰口を叩かれる始末だ。マリーの子ばかりに期待が集中するのを妬んだデボラは、腹いせにソフィアを蔑み爪弾きにしてきた。  それでも笑顔を絶やさずにいた、穏やかで可憐なソフィアだから、苦労をするとわかっている嫁ぎ先に行ってしまうのが、悔しくて心苦しい。  ソフィアは結局、ベータ性だった。ある意味気負わずにいられる性だとわかり、成人もして、王女としての生活を楽しむのはこれからのはずだった。  無意識に奥歯を噛みしめていると、扉の向こうからユベールを呼ぶ声がした。  ガレオが扉を開けると、そこには姉ソフィアがいた。ユベールと同じ金色の髪を花のように結い上げ、愛らしさと上品さが合わさった桃色のドレスを纏ったソフィアは、迫る結婚への不安も緊張も感じさせない明るい笑顔で、ユベールのほうへと歩いてくる。  さっきまでの会話はなかったかのように笑顔を浮かべ、恭しく手を差し出すと、ソフィアは嬉しそうに笑ってユベールの手に手を重ねた。甲に口づけ、敬愛を示せば、王国一の美女と誉れ高いソフィアはさらに笑顔になった。 「姉上。とても素敵な衣装ですね」 「ありがとう。ユベールの衣装もよく似合っているわ。立派な王太子ね」  もうすぐエスパニル王国の一団が自分を迎えにくるというのに、ソフィアはユベールの様子を気にしてくれていたようだ。 「最初の印象が大事ですから」  エスパニル王国からの一団を、王宮の正面で出迎える大役を任された。これがユベールにとって外交の初舞台となる。緊張は隠していたつもりだが、ソフィアには気づかれていたらしい。  今日のために衣装も厳選した。選んだのは、爽やかな水色地に銀糸が織り込まれた上着と、繊細なレースを重ねたクラバット。足元は紺色の靴下とベルベットの靴で引き締め、全体の装飾は飾り釦と最低限の刺繍という落ち着いた装いだ。同世代の隣国の王子に、品格と親しみの両方を感じてもらえるよう考えた。 「今日来られるアロンソ殿下は、どんな方かしらね」  迎えの一団を率いるのは、エスパニル王国の第二王子アロンソだ。ソフィアの婚約者、王太子フェデリコ五世は結婚の準備に入っており、代わりに最も信頼する人物として弟のアロンソがソフィアを迎えにやってくる。 「剣術に秀でた方と聞いています。兄君ととても仲が良いようですから、アロンソ殿下を通してフェデリコ殿下のことが知れるかもしれませんね」  アロンソたち一団は三日後にソフィアを連れてエスパニル王国に戻る。限られた時間の中で、エスパニル王家のことをできるかぎり知らねばならない。それと同時に、フロレンス王家の好印象を与えたい。アロンソの心象はそのままエスパニル王家に伝わるのだ。 「そろそろおいでになります」  ガレオに声をかけられ、ユベールはソフィアに一礼して部屋を出た。長い髪を靡かせて大階段を下りながら、頭一つ以上背が高いガレオに訊ねる。 「一団は王太子の弟君アロンソ殿下と近侍、あとは護衛だけで変わりないか」 「そのとおりでございます。アロンソ殿下はバランセア侯爵の称号をお持ちです」  念のため、といった静かな口調で言われ、ユベールは喉の奥で小さく笑った。 「覚えているよ。ガレオは心配性だな」  確かに緊張してはいるが、国賓の爵位を忘れるほど取り乱してはいない。笑顔を見せて、心配性の近侍を安心させたユベールは、表情を引き締めた。 「アロンソ殿下はガレオと同じ年齢で、エスパニル王国きっての剣士と聞いている。私もできるかぎり親交を深めるつもりだが、ガレオもそうしてくれ。今のような政策が続けば、エスパニル王国との同盟は死活問題になる」  ガレオも王国屈指の剣士で、ユベールへの比類なき忠義はまさしく騎士道の精神だ。そんなガレオを稽古の相手に、剣術に励んできたユベールもまた優れた剣士だから、アロンソとは通じるものがあるだろう。三日間という短い時間で好印象を植えつけるには、ユベールだけでなく、将来的に右腕となるガレオにもアロンソの懐に近づいてもらう必要がある。  王族の部屋が集まる宮殿の中央部に囲まれた、王の中庭に出たユベールは、外務大臣を背にする形で、黄金の門を臨んで背筋を伸ばした。

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