3 / 6

第3話

 広大な宮殿には数か所の出入り口がある。王の中庭は、王族に招かれた者だけが通ることを許される黄金の門の内にあり、王女を迎えにきた隣国の王子は当然、この中庭に到着する予定になっている。 「おいでになります」  ガレオの声がしたと同時に、エスパニル王国の象徴色である赤の上着を纏った一団が、こちらに向かってくるのが見えた。  四頭の馬に引かれた馬車を十人ほどの護衛が囲んでいる一団は、優雅さよりも勇敢さを放っているように感じた。世界の果てと信じられていた場所の先に大陸を発見し、広大な植民地を獲得した七つの海の覇者であるエスパニル王国の、威厳と自信がこの一団に込められている。  だがそれは、ユベールたちも同じ。二つの王家が百年越しに対面するのだ。笑顔の下で互いの矜持がぶつかり合うのは避けられないことだろう。  黄金の門を通り抜け、一列に並んだ一団は皆力強い体格で、護衛というより軍隊のようだ。近隣諸国で初めて海軍を創設したエスパニル王国では、陸軍と海軍が存在感を競い合ううちに世界で最強の軍隊が確立されていった。ただの警護兵が百戦錬磨の戦士のようであっても、なんら不思議ではない。  その中でもひと際引き締まった体格の男性が、青毛の馬から降りてユベールのほうへ足を向けた。  温暖なエスパニル王国の男性らしい小麦色の肌が健康的で、ほりの深い目元が凛々しいそのひとは、高い襟の赤い衣装を纏い、立派な剣を腰に差している。堂々とした歩調でユベールの前に立ったのは、エスパニル王子アロンソだ。  目が合った瞬間、圧倒的な存在感を覚えた。容姿や振る舞いからだけではない。アロンソは、アルファだ。  本能が否応なしに優位の存在と認識する。第二の性が出現していないユベールのような未成熟の少年であろうとも関係ない。アルファ性は本能的な支配階級の性なのだ。  ソフィアの婚約者、フェデリコ五世がベータと聞いていたから、次男のアロンソがアルファだとは思っていなかった。身近で唯一のアルファはガレオだが、アロンソほどの存在感を覚えたことはない。子供のころからずっとそばにいたせいだろうか。もしかすると、アルファ性の発現には大小、あるいは強弱があるのかもしれない。  第二の性については、謎が多く残されている。わかるのは、アロンソのアルファ性は周囲の人間を本能的に刺激し、色々な場面で自然と主導権を握られてしまう可能性が高いことだ。  好印象を与え、親睦を深めるのに、アロンソに巻き込まれていてはいけない。静かに気を引き締めるユベールの瞳を、アロンソの琥珀色の瞳が見据える。 「エスパニル王国、バランセア侯爵アロンソ、王女ソフィア殿下のお迎えに参りました」  王家の紋章が刺繍された三角帽子に手を添えたアロンソは、足を揃え、背筋を伸ばし、気持ちがいいほど深く頭を下げた。頭一つぶん以上身体が小さく、明らかに年下のユベール相手でも躊躇なく敬礼する姿には、エスパニル王家の厳格さが表れている。  そして、ユベールが何者か一目でわかるほどフロレンス王家を把握している事実も、知らされてしまった。  ほんの数か月前まで国交はなく、外交大使は着任したばかり。それでもユベールの容姿まで完璧に伝わっているなら、エスパニル王国の情報収集能力はかなり優れているということ。  やはり一筋縄ではいかないようだ。一瞬の間にそこまで観察したユベールは、異国の王子に両手を広げて歓迎する。 「フロレンス王宮へようこそ。私は王太子ユベールです。アロンソ殿下を心より歓迎いたします」  窓硝子が反射させる陽光を背に、フロレンス王家の象徴色である青の中でも若者らしい水色の衣装を纏ったユベールを、アロンソは眩しげに見つめた。その視線には王宮への羨望も王子としての対抗心もない。純粋にこの瞬間を脳裏に刻んでいるようだ。エスパニル王家にここでの出来事を正確に伝えるためだろう。淀みない忠誠心が、手に取るように伝わってくる。 「広間までご案内いたします。どうぞこちらへ」 「ありがとうございます、王太子殿下」  力強い容姿に反して穏やかな声音のアロンソは、踵を返したユベールの斜め後ろを無言でついてくる。  迎えの間を通り抜け、大階段を上っているあいだ、アロンソを振り返ると、大判の硝子を組んだ壁一面の窓や、色とりどりの大理石で装飾された大階段にも、特に感心しているようには見えなかった。十年ほど前に完成したというエスパニルの王宮も、最新技術と莫大な財を投じて建設されたはずだから、他の国からの客人ほど驚きはしないようだ。  それにしても、一言くらいは世辞を言えばいいのに。それとも、エスパニルの男性にとっては寡黙さが美徳なのだろうか。  どちらにしても、個人的な親交を深めたいのは変わらない。計画どおり、散歩に誘うことにする。 「上階の広間で国王と謁見していただき、その後は晩餐会までお部屋でお寛ぎいただければと思っておりますが、お疲れでなければ晩餐会の前に庭園を案内させていただけませんか」  にこやかに声をかけたが、アロンソの硬い表情が和らぐ様子はない。だが、 「もちろんです」  と、返事は色よいものだった。  社交的な性格でないのは、数分のやり取りだけでも容易に察せられる。それでも誘いを受けるということは、やはり王宮の内情を最大限に観察して帰るつもりのようだ。  アロンソほどの忠直さが、異母弟トリスタンにもあれば。しようのないことが頭をよぎり、慌ててアロンソに意識を戻す。 「国中から集めた花が一番綺麗に咲く時期ですから、ぜひご覧いただきたいと思っておりました」  微笑みかけると、アロンソはどこか眩しそうに目を細め、ユベールを見つめて階段の途中で立ち止まってしまった。

ともだちにシェアしよう!