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第4話

「アロンソ殿下?」  あまりに見つめられるものだから、みぞおちがくすぐったくなるような、落ち着かない気分になった。声をかけると、アロンソははっとして目を見開いてから、きまりが悪そうに視線を窓の外に向ける。 「とても日当たりの良い宮殿ですね」  採光の良さを褒めたアロンソだが、明るさに目が眩んだといった様子は皆無だ。もしや体調を崩していたのだろうか。心配になって一段下りると、アロンソはわざとらしいくらいぴんと背筋を伸ばした。 「もしお疲れでしたら、一旦お休みになりますか」  国賓だからというわけではなく、体調が悪いなら無理をせずに休んでほしい。本心を探るよう目元を見つめると、本当に平気だと言われてしまう。 「お気遣いありがとうございます。ただすこし、眩しかっただけです」 「そうですか」  平気だと言いきられては、信じるほかない。顔色は元気そうだから、案内を再開する。 「広間はこちらです」  階段を上りきり、ひと際大きな扉の前に立ったとき、俯きたくなるのを堪えなければならなかった。広間で待つのは父王イネアスと王妃デボラ、ソフィアと、一歳年下の異母弟トリスタンだ。ソフィア以外は向こう見ずな散財の権化のような出で立ちで待ち構えていることだろう。本当に国庫に金が湧いて出て、浪費しても間に合わないほどならそれでよいのかもしれないが、実情は違う。民衆からの搾取で成り立つ浪費は権威ではなく浅はかさの象徴でしかない。 「王太子ユベール殿下、エスパニル王国バランセア侯爵のお成り」  扉が開くと同時に響いた二人ぶんの称号を合図に、アロンソとともに広間に入ると、イネアスが豪奢な玉座に窮屈そうに座っているのが否応なしに視界に飛び込んだ。隣に座るデボラは極端に華美な衣装を纏っていて、トリスタンは王太子であるユベールよりも派手な衣装を着ている。規律正しいアロンソが鼻白んでしまわないか、内心案じながらも、ユベールはそこに不調和など存在しないかのように笑顔で一礼してから、冷静な表情で王家側に並んだ。 「エスパニル王国バランセア侯爵アロンソ、国王フェデリコ四世より同盟批准書を預かり参上いたしました」  背筋をぴんと伸ばし、深く頭を下げたアロンソは気品に溢れ、その存在感は広間にいる者すべての視線を釘づけにした。義理の弟となるアロンソの姿を初めて見たソフィアの心情が気になり、横目でちらりと表情を窺うと、アロンソを通して婚約者の前向きな想像を膨らませているのが伝わってくる気がした。 「フロレンス王国へようこそ」  歓迎の言葉に続いて、王妃から順に紹介していったイネアスは、最後に同盟の主役であるソフィアを紹介する。 「我が麗しの娘、ソフィアです」  立ち上がってソフィアの手を取ったイネアスが、娘の美しさに誇らしげなのを見て、デボラが不服そうな顔をした。  場をわきまえられない義母に呆れて天を仰ぎそうになるのを堪え、微笑みを保ったままアロンソを見れば、義理の姉となるソフィアに深々と敬礼をしていた。デボラの厚顔無恥な態度に気づいた様子はない。このまま、王家の歪な関係にも気づかないでくれればよいのだが。 「兄フェデリコが、王女の到着を心待ちにしております」  あまり表情豊かとはいえないアロンソが、嬉しそうに微笑んだ。きっと兄弟仲が良く、フェデリコ五世が本当に楽しみにしているのだろう。兄の婚約者を、国を代表して迎えにきたことも誇らしく感じているのがわかる。偽りない祝福の笑みに、ソフィアも幸せそうに笑った。  懸念に反し、形式的な顔合わせは恙なく終わり、ユベールの役目も一旦終わりとなった。国賓の客室へ案内されていくアロンソの姿が広間から消えたときには、思わず溜め息を溢していた。  初めての外交の席に、神経質になっていたかもしれない。反省していると、ソフィアに腕を軽く掴まれた。 「アロンソ殿下は立派な方だったわね」  内緒話をするように、小声でそう言ったソフィアは、婚約者への期待を高まらせていた。 「晩餐会の前に殿下と散歩に出かける予定です。姉上もご一緒にいかがですか」 「弟君とはいっても婚約者以外の男性とあまり親しくするわけにはいかないから、ユベールに任せるわ」  可憐に微笑んだソフィアに応えるためにも、実りある散歩にしなければ。  頭の中でそう唱えながら散歩に臨んだ。待ち合わせた列柱回廊にやってきたアロンソは、乗馬靴から正装靴に履き替え、三角帽子を脱いでいて、出迎えたときよりもすこし親しみやすい印象に見えた。襟足で揃えられた黒髪をざっくりと撫でつけた髪型が、フロレンス男性のような長髪やかつらのように気取っていないからかもしれない。 「部屋はお気に召したでしょうか」 「とても。すっかり寛いでいました」 「それはよかった」  アロンソの表情は硬いままだが、ユベールはにこやかに庭園へと足を向け、いざ散歩へと出かけた。  人工池と噴水を中心に左右対称に広がる庭園は広大で、一番遠いところに行くには馬が必要になるほどだ。すべては見せられないので、一番気に入っている場所へと案内することにする。  噴水の手前で西の方へ曲がり、円錐形に整えられた等間隔の木々を通り抜けると、垣根の先に果樹園がある。この季節はさくらんぼやりんごの木にたくさんの花が咲いて見目美しく、爽やかな香りに癒されるので、数日に一度は足を運んでいる。花園ほど派手さはないから、人気の場所ではないけれど、愛らしい花の時期も果実がなる季節も、皆の散歩道になればいいのにと思っている。 「ここはあまり人が来ないのですが、私はとても気に入っています。この時期は小さな花が愛らしくて、秋になるとりんごがなりますよ」 「りんごですか。花を見るのは初めてです」  白くて小さな花々を眺めていると、風がりんごの木を揺らした。途端に甘い香りがして、アロンソの表情が心なしか柔らかくなった。 「エスパニルで収穫できる地域となると、北部だけでしょうか」 「ええ。残念ながら王都ではりんごは栽培できません。ですが、オレンジはよく育ちます」  エスパニルはフロレンスの南側に位置するから、とれる作物も違ってくる。ユベールにとってオレンジは温室なしに越冬ができない貴重な果実だが、アロンソにとってはりんごの花が珍しい。硬い印象が目立っていたアロンソが、興味深そうに微笑むのを見ていると、異国の王子に対する純粋な興味が湧いてきた。  爽やかで甘い香りに心をほだされたのは、アロンソだけではなかったようだ。 「先ほど提げていらした剣は見事でした。剣術は幼少のころから学んでいらしたのですか」 「子供のころから剣術は好きでしたが、兄の役に立ちたくて、より稽古に励むようになりました。兄は、剣術より技術や芸術に熱心なので、私が剣術と戦術を学び、兄を支えたいと考えたのです」  迷いのない言葉は、兄に対するアロンソの淀みない忠誠心だった。信頼し合う、仲の良い兄弟なのだろう。 「王太子殿下は、立派な方なのですね」 「慈悲深く、民衆に愛されています。私はそんな兄を心の底から尊敬し、兄に仕えるために生まれてきたと信じています」  アロンソたち兄弟の強い絆が、眩しく感じられて仕方なかった。ユベールにもアロンソのような家族がいてくれれば、どれほど心強いだろうか。  異母弟トリスタンとの水と油のような関係が脳裏に浮かび、無意識に表情を曇らせたユベールに、アロンソが穏やかな視線を投げかける。 「ユベール殿下も、志高い王太子として民衆の支持を集めていらっしゃると聞きました」  見上げた琥珀色の瞳には、フェデリコ五世に対するものと変わらない、王太子という責務を負った者への敬意が映っている気がした。

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