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第5話

「責任を果たすための努力は惜しんでいないつもりです」  自負があると、正直に言えば、アロンソは深く頷いてから微笑んだ。 「殿下はとても聡明でいらっしゃる。国王陛下から熱心に学ばれているのでしょう」  フェデリコ五世は父王から王太子としての在り方を学んでいるのだろう。ユベールもそうだと信じて疑わないアロンソの勘違いは、フロレンス王家の好印象に繋がるのだからある意味助かるのだけれど、どうしてもそうだとは言えなくて、笑顔で返すのが精一杯だった。  そのあとは剣の好みや、どんな稽古をしているのかなどを話しながら、さきほど待ち合わせた列柱回廊に戻った。そこで別れ、アロンソが彼の近侍とともに部屋へ戻っていくのを見送ったユベールは、自室へ戻りながらガレオに指示を出す。 「明日は同盟の調印式だ。夜には姉上の婚約を祝した晩餐と舞踏会もある。なんとかもう一度、アロンソ殿下との時間を作っておきたい。今夜の晩餐までにアロンソ殿下の近侍と時間を調整してくれ」 「かしこまりました」  すこし話しただけでも、アロンソが忠義と情に厚い性質なのがよくわかった。ユベールが近しくなれれば、アロンソはソフィアを、義理の姉としてだけではなく友の姉としても味方してくれるようになるだろう。友人を作ろうとしたことがないから、正直に言うと公務よりも精神的に疲れるのだけれど、弟としてできるせめてものことだ。  身支度を整え直すあいだに、ガレオは翌日午後の手合わせの約束をとりつけてくれた。そして迎えた晩餐会では、アロンソはイネアスとソフィアのあいだの席に着くことが決まっていたので、ユベールはテーブルを挟んで向かい側から、イネアスが陳腐な自慢話を始めないことを祈るしかなかった。この不安は、晩餐の席では杞憂に終わる。イネアスもさすがに、同盟の根本が己の悪政にあると理解しているのかもしれない。  孔雀のはく製から、色とりどりのジュレまで、芸術品のように飾られた豪勢な料理は、少なからず印象的だったようで、アロンソは一つ一つの味にも興味を見せていた。  食事に集中してあまり話そうとしないアロンソだったが、ソフィアが話しかけると彼にしてはにこやかに返事をしていた。ソフィアの社交的な性格と可憐な笑顔は、どんな堅物の心も溶かしてしまう。そして、そんな素晴らしい素質を鼻にかけないところがまた、人々に愛される理由だ。  晩餐会も恙なく終わり、歓迎の宴は大広間の舞踏会へと移った。フロレンス王宮は世界の宮廷文化の最先端と謳われるほどで、その中でも音楽と舞踊の発展は類を見ない。弦楽器の奏でる音楽が優雅に響く大広間で、貴族たちはこぞって踊りの腕前を披露する。  曲と踊りは対で作られ、種類も多く、他国から伝わってきたものもある。踊りは教養の一部であり、舞曲の冒頭を一節聞いただけで身体が勝手に踊りだすほど熟知しているのが、高貴な身分の表れとされている。  踊り好きのソフィアと一緒に数曲踊ったユベールは、壁の花になってしまっているアロンソに声をかけた。 「長旅でお疲れでしょう」  言ってから、疲れが原因でないことに気づいた。晩餐会と舞踏会の対が祝いの席の定番となって久しいせいで失念していたが、エスパニル王国には外国の踊りが伝わっていない可能性が高い。百年前、唯一国境で接しているフロレンス王国と背を向け合ったエスパニル王国は、近隣諸国との外交を続けるフロレンス王国の壁を乗り越えられず、西洋圏では孤立していた節がある。他国の王宮文化が流入することもなく、舞踏会も発展しなかったはずだ。  気まずい思いをさせてしまったかと、一瞬は危惧したものの、訪れた国で宴に招かれれば、現地の風習に倣うのが外交の礼儀だ。アロンソもよくわかっているようで、特に気にした様子はない。 「エスパニル独自の踊りしか知りません。といっても、残念ながらあまり得意ではないので、舞踏会ではいつも見ているだけです」  正直にそう言ったアロンソは、踊りの輪にいるソフィアに視線を向ける。 「王女は見事な踊り手ですね」 「子供のころから筋が良いと評判でした。姉の踊り好きもなかなかのもので、幼いころは、やっと歩けるようになった私を練習相手に引っ張りだしていたとか」  乳母の大げさな思い出話だとは思っているが、ユベールはそれほど幼いころからソフィアと踊りの練習に励んできた。 「王女にはぜひ、フロレンスの踊りを我が国に伝えていただきたいものです」  頭一つぶん背の低いユベールを見下ろす琥珀色の瞳は真剣そのものだった。  今回の同盟でエスパニル王国は、いつかは障壁であったフロレンス王国を足がかりに、西洋圏の国々との関係を構築していくつもりだろう。そのためにはフロレンスの王宮文化を輸入する必要が出てくる。ソフィアが芸術に明るいのはアロンソたちにとって好都合だ。  政略結婚とは、得てしてそういうものだ。ユベールも、アロンソだって、近い将来に利益の望める婚姻を結ぶことになるだろう。  頭では理解している。だが、心はなかなか追いついてくれない。 「姉は、フェデリコ殿下とうまくやっていけるでしょうか」  弟としての不安が口をついて出てしまった。瞳を揺らすユベールに、アロンソは今まで見せなかった柔らかい微笑みを向ける。 「エスパニルの男は、家族を何よりも大切にすることを誇りとします。伴侶を最も大切にし、子はもちろん兄弟姉妹も、自分を育てた親と等しく尊重します。兄はまごうことなきエスパニルの男です。王女を誰よりも尊ぶでしょう」  フェデリコ五世もアロンソも、家族を大切にするエスパニルの男だ。自信を持ってそう言ってから、アロンソははっとして付け加える。 「フロレンスの男性ももちろん、同じようにお考えでしょう」  ユベールたち王家の不協和に気づいてしまったのか、もしくは最初から知っていたのか。向けられた微笑に気まずさを感じた。 「そうですね。私にとって最大の望みは姉の幸福です」  家族を思う偽りない気持ちだ。笑顔で応えれば、真摯な視線が向けられる。 「兄を慕い支えるのと同じように、王女をお支えします」  紛れもない誓いの言葉だった。これからソフィアは、エスパニル王家の結束に支えられ、守られていく。デボラの陰湿さに悩まされる今の生活より、あるいは明るい日々が待っているかもしれない。  ほっと安堵の溜め息が零れそうになったとき、トリスタンがこちらへ近づいてきた。 「アロンソ殿下」  軽く頭を下げただけで話し出そうとする異母弟の態度に呆れ返るユベールの隣で、アロンソは平然と小さく頭を下げた。 「踊りに参加されていませんが、もしかして踊りを知らないのですか」  ろくに武芸の稽古もせず、我が儘放題に育っているトリスタンは、あろうことか国賓であるアロンソを小馬鹿にしたような口調でそう言った。  宮廷文化を鼻にかけている者ほど、エスパニル王国やその他の国々を洗練されていないように言って見下そうとする。それこそが狭量の表れとも気づかずにいる愚者の真似をしているのか、ともかくトリスタンの発言は許されるものではない。  ソフィアと一緒に育ったユベールと違い、トリスタンだけはデボラの選んだ乳母に育てられている。しかも、まだ年齢に達していないのに勝手に王宮を出入りして、己の立場を完全に勘違いしているのだ。王家の子にふさわしい規律を学ばせなかったのはデボラの責任かもしれないが、トリスタン自身にも、王族という責任ある立場に生まれた自覚が足らなさすぎる。 「異母弟の無礼をお許しください」  トリスタンの非礼を代わりに詫びれば、アロンソは問題ないと微笑んだ。  それでも自分の間違いに気づかないトリスタンが不服そうな顔をする。これ以上外交の場を汚されたくない。そばに控えているガレオに視線を送ると、ガレオは迷わずトリスタンに声をかけた。

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