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第11話 オミとシーレイをよろしくね
「奏多、今日も休み?」
家から出てきたオミの格好を見て、優李はそう尋ねた。オミのネクタイが最初からきちんと結ばれている日は、奏多が休みの日だ。
「しばらく休むってよ」
「最近、調子崩してるね。おばさんたちも大丈夫かな」
奏多のおばさんは心配性で、その心配が祟って自分まで具合が悪くなってしまう繊細な心の持ち主だ。そういうとき、優李はたまに夕飯を作って差し入れに行っている。今日もなにか持っていこうかと考えていると、オミが顔をしかめた。
「もう一週間も奏多に会ってない」
「え、お見舞い行ってないの?」
「今は俺が行ける感じじゃないんだよ」
「あー、なるほど」
周囲の大人が賛成する中、奏多の両親だけは、息子の上京を本心からは認められていないようだった。そこを無理矢理押し通したのがまずかったのか、最近オミと奏多の親はあまりうまくいっていない。
優李としては、奏多本人が上京を決めたことにも正直驚いた。奏多は昔から自分の身体のことをきちんと考えている。親元から離れて新しい土地で生きていくなんて、いつもの奏多からは考えられない選択だ。本気で音楽の道に行きたいのか、もしくはオミと離れたくないのか。どちらにせよ、奏多が親の反対を押し切るのはこれがはじめてのことだった。
「じゃあ俺が行ってくるから、また様子を伝えるよ」
「いつもごめんな」
「謝ることないよ。俺だって奏多は心配だし」
幸いなことに、奏多の親は優李を気に入ってくれている。おばさんの好物でも持って様子を窺いに行けば、少しは気を治めてくれるかもしれない。
学校が終わって一度家に帰ったあと、簡単におかずを作ってタッパーに移した。デザートもバッグに入れ、一人で奏多の家へ行く。オミはカラオケで練習すると言っていたので、たぶんまだ帰ってきていない。
奏多の家のインターホンを鳴らすと、おばさんが出迎えてくれた。あまり顔色が良くない。やはり一人できて正解だった。オミがいると余計な心労をかけそうだ。
「おばさん、これおかず。温めたらすぐに食べられるやつばかりだから、冷蔵庫入れておくね」
「いつも悪いわね。ありがとうね、優李ちゃん」
「もー、おばさん。優李ちゃんはやめてって言ってるのに」
「あらごめんなさい。だって優李ちゃん、女の子みたいに可愛いから」
奏多を産んだあなたが言うか? 上品に笑うおばさんに呆れ笑いをこぼし、奏多の部屋へ向かう。数回ノックして待つと、か細い声で返事が聞こえてきた。
部屋の中はこれでもかというほど暖房が効いていて暑いくらいだった。むわりとした空気に、一瞬息が詰まる。着ていたカーディガンを脱ぎ、ベッドに横たわる奏多に手作りの寒天を渡した。
「はい、いつもの」
「ありがとう。ごめん、暑いよね」
「平気平気。それよりどう? 学校、いつくらいからこられそう?」
「まだしばらくは無理かなぁ」
奏多はベッドから上半身を起こし、のそのそとした動きで寒天を食べ始めた。みかんが入った部分を口に運ぶと、美味しいと頬を綻ばせる。
「これ食べるたびに寝込んで良かったって思っちゃう」
「いや、良くはないだろ」
「それくらい僕にとっては特別なものってことだよ。しんどいときはいつも優李の寒天に救われてきた」
「大袈裟だな」
小学生のとき、奏多は熱のせいで遠足に行けなかったことがある。落ち込む奏多を見て、なにか気休めになるものはないかと考えた。色々悩んだ結果、甘いものを食べれば元気になるだろう、と子供なりの結論を出し、はじめて作ったスイーツがみかん寒天だった。
当時は思いつかなかったけれど、近所のスーパーでゼリーやアイスを買ってきたほうが何倍も美味しかっただろう。だけど奏多は泣き出さんばかりに喜んでくれた。それから優李は、奏多が寝込むたびにみかん寒天を作っている。
年々、材料の減りが早くなっていることは、誰にも言っていない。
「奏多、本当に大丈夫なの?」
奏多はスプーンを咥えたままきょとんとする。もっと他に訊き方があっただろうと自分に呆れた。
「どうしたの、急に」
「な、なんか心配になって……」
「まあ、大丈夫ではないよね」
そりゃそうだ。実際に今、奏多は寝込んでいるのだから。返す言葉が思いつかず、優李はそのまま黙った。奏多は寒天を平らげると、器を盆の上に戻し、優李を窺うように覗き込む。
「僕からも一つ訊いていい?」
黒く大きな瞳に見つめられ、微かな恐怖を感じる。漠然と嫌な予感がした。
「なに?」
「優李って、ボーカルやりたかった?」
「え?」
意表を突かれ、瞬きを繰り返した。ボーカル? なんの話だ?
「どうして僕がボーカルなのかって、優李は疑問だったんじゃない? 不満も抱えてたかな。僕のせいで練習が中断になることもあったもんね」
「体力的な心配は確かにあったけど、俺は別に疑問も不満もないよ。奏多の声はすごく綺麗だし。オミが指名するのも納得だよ」
「違うんだ。オミの指示じゃない。僕がオミに頼んだんだ。自分がボーカルをやりたいって」
「え、そうなの?」
それは初耳だ。しかしそれでも優李の気持ちは変わらない。不満なんてない。不安と不満はまったく別物だ。
「僕は残したかったんだよ」
ぽつん、と洩れるように聞こえてきた言葉は、なんだか不穏な空気を纏っていた。
「……残す?」
「僕がここで生きていたって証を残すなら、楽器より歌のほうがいいと思ったんだ。この先誰かが僕らの音源を聴いたとき、そういえばこいつ、こんな声だったなって思い出してもらえたら、僕はその瞬間だけ生き返ることができるような気がする」
「ちょ、ちょっと待ってよ。縁起でもない話するなよ。それじゃまるで──」
──もうすぐ死ぬみたいじゃないか。
最後まで言葉にできなかった。喉が詰まり、汗が噴き出る。
奏多は虚弱体質のせいでなにかと考え込みすぎる節があることは知っている。だけどこんなふうに生死について語ることは、この十年あまりで一度もなかった。
「僕の身体のことは、僕が一番よくわかってる」
相槌も打てず、ただ呆然と話を聞くしかできない。
「僕とオミ、男同士なのに付き合ってるでしょ? そんな僕らを、優李はずっとそばで見守ってくれたよね。世間では賛否ある関係を、僕らの一番大事な人が許してくれてる。これってすごい奇跡だと思うんだ。だけど奇跡って大抵、なにかを犠牲にして起きるんだよ。僕らの場合、それが優李だった」
優李は固まった。
……まさか、奏多は気づいていた? 優李の頭に浮かんだ疑問に答えるように、奏多は深く頭を下げた。
「ずっと甘えててごめん。優李は優しいからって、全部見えないふりして、自分の幸せを優先してきた。優李が傷ついてるの知ってたのに、僕、本当に最低だよね。……だけどもうそれも終わりだから、安心して欲しい」
「……なんの話してんだよ、奏多」
「最後だから、今までで一番最低な甘え方していい?」
最後ってなんだよ。なにが終わるって?
なにも終わらない。もう少し休んだら奏多も一緒に期末考査を受け、二十四日の夜にはクリスマスライブがあって、それから冬休みに三人で東京へ行って家探しをするのだ。
──急にしんみりするなよ。
──早く調子を戻さないと、ライブに間に合わないぞ。
笑い飛ばしてしまいたいのに、表情筋がうまく動かなかった。奏多の瞳を見れば、今の言葉が真剣なものだと嫌でもわかってしまう。
「優李、オミとシーレイをよろしくね。優李だけなんだ。優李にしか託せない」
奏多はゆっくりと優李の手を握った。部屋の暑さのせいか、やけに冷たく感じる。
今度は奏多か、と頭を抱えたくなった。よろしくよろしくと、どうしてみんな優李に預けてくるのだろう。大事なものは自分で守るべきだ。誰だってそうやって必死に生きている。
けれど奏多はきっともう、必死になれないのだ。そのことに気づいてしまうと、あまりの恐ろしさで奏多から目を背けたくなった。
「……クリスマスライブも、正月の初詣も、春の上京も、ずっと三人一緒だよ。よろしくされても困る。シーレイはまだしも、オミは俺の手には負えないし」
なんとか声を絞り出してそう言うと、奏多はほんの少し目を見開いて、屈託なく笑った。
「僕、優李のそういうところ好きだなぁ」
「そういうところ?」
「優李は世界一優しいよ」
眠くなってきたのか、奏多はうつらうつらと弱々しい喋り方で続ける。
「このことはオミには言わないでほしい。あいつ今、卒業できるかどうかの瀬戸際だし、大事なときだから邪魔したくないんだ……」
そう言ってすぐ、奏多は落ちるように眠ってしまった。
──あいつ今、大事なときじゃん。僕だって同じ高校行きたいし、迷惑かけたくないんだ。
いつかも似たようなことを言っていた。邪魔や迷惑だなんて、オミが奏多に思うわけもないのに。
握られたままだった手をそっと離し、毛布の中に仕舞ってやる。掴んだ手首があまりに細くてゾッとした。よく見ると、目の下の隈もひどい。いつからこんなに病的な姿になっていたのだろう。ずっとそばにいたのに気づけなかった。……いや、もしかしたら気づかないように振る舞っていたのかもしれない。奏多の気遣いに胸が潰れそうに痛んで、その日はよく眠れなかった。
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