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第23話  俺は奏多じゃないよ

 駅に着いたとき、二十一時を回っていた。週末なので駅前はまだ賑わっている。すでに一杯飲んできた広臣は微妙に飲み足りなさを感じていたけれど、一人飲みというのもさみしいので大人しく帰ることにした。家にはまだ買い置きのビールがあったはずだ。どうせなら優李と一緒に飲みたい。アルコールが入れば、幾分か話しやすくなるだろう。  完全に飲み気分でいたけれど、ふと優李は明日も仕事だったことを思い出した。しかも確か早番だ。それなら酒はだめかと残念に思っていると、通りかかった居酒屋から見知った顔が出てきて足を止めた。  仙道だ。あの長い黒髪は間違いない。マスクとメガネ程度では芸能人オーラがまったく消せていなかった。それに今はなぜかマスクをずらして素顔を晒している。もう少し気をつけたほうがいいんじゃないか、と声をかけて驚かせようとしたとき、仙道の背後から出てきた顔を見て固まった。  あれは優李だ。思わぬ遭遇に心臓が跳ね上がった。広臣が後ろにいるとは知らず、優李たちは談笑しながらマンションのほうへ進んでいく。顔を見て話がしたいと思っていたのに、いざ目の前にすると胸が詰まった。これから自分はなにを言い、なにを言って欲しいのだろう。わかっていないくせに話し合いたいというのは、独り善がりだろうか。不安に煽られながら、通行人の波に飲まれていく背中を見失わないように追いかけた。  優李は頬が少し赤く、足取りも覚束ない様子だった。酔っ払っているらしい。優李が酔っているところなんてはじめて見た。仙道の前ではいつもあんな感じなのだろうか。嫉妬心が燃え上がって、追いかける足が速くなる。  大通りを抜けて信号を渡ると、人通りが半分以下になった。自分の帰り道ではあるけれど、状況的には尾行している形になる。いつ声をかけようかと悩んでいるうちにマンションに着いてしまった。完全にタイミングを見失い、立ち止まって話し込んでいる二人を影からこっそり覗き込む。楽しそうに笑う優李を見ると複雑な気分になった。まるで昨日のことなんて忘れられてしまったかのようで、自分ばかりが空回っているのではないかと不安になる。  しばらく待つものの二人が動く気配は一向になく、手持ち無沙汰になってスマホを取り出した。明日の天気は快晴らしい。なんとなく地元のほうも確認する。名古屋も快晴だ。ふと思いついて、来週の予報も見てみた。  十二月二十四日、クリスマスイブ。その日、広臣たちが生まれ育った街には雪が降るかもしれないらしい。  息を吐くと、微かに白く舞い上がった。夜が更けてきたから気温も下がったようだ。思えば指先が冷えている。寒いと呟くと、途端にこの状況が馬鹿馬鹿しく思えた。自分はいったいなにをしているのだ。あそこは自分の家でもあるのだから、堂々と帰ればいいではないか。  覗いてみると、仙道のひょろりとした背中がまだそこにあってうんざりした。もういいだろう。いい加減に帰らせてもらう。角から出ようとしたとき、ふいに仙道が動いた。軽く屈んで、優李に顔を寄せている。  ──は?  一瞬、心臓が止まった気がした。  ──今、キスしたか?  こちらからでは優李の顔がよく見えず、本当のところはわからない。だけど今の仕草は……。  直後、仙道は去っていった。優李は立ち止まったままぼうっとしている。しばらく仙道を見つめ、やがてゆっくりとマンションの中へ入っていった。ハッとして追いかける。玄関の前で鍵を探している優李の横顔を見て、真っ黒な感情がドッと押し寄せた。  頬が赤い。酒のせいだろうが、もしかしたらそれだけじゃないのかもしれない。目も潤んでいる。そして唇には血が滲んでいた。  プツンと頭の中で糸が切れて、理性が広臣の中から抜け出していった。  開いた扉を掴み、背後から優李を中へ押し込んだ。酒と甘い香水のにおいがする。仙道がよく使っている香水だ。胸のうちがみるみる黒く染まる。 「オ、オミ?」  優李は驚いたように目を見開いた。声は少し震えている。  ──そんな顔で見るな。  ──仙道には笑いかけていただろう。  ──自分にも、もっと……。  泣きたくなって、衝動のまま優李にキスをした。噛み付くように、深くくちづけた。 「……っ……ん、う」  目は閉じなかった。至近距離で揺れる瞳を見つめる。  優李の瞳は琥珀みたいだ。本人は昔からコンプレックスだったようだけど、引け目を感じる必要なんかないとずっと思っていた。こんなに美しい宝石のような瞳を、広臣は他に知らない。  舌を絡め、時折吸って、唇を齧る。貪るキスを続けると、唾液がこぼれた。優李は抵抗したけれど、止まる気配がないことを察したのか、そのうち力を抜いてされるがままになった。苦しげに洩れる声が底知れない劣情を煽ってくる。  血の味がして、胸により深い嫉妬が重なった。凶暴なまでの欲望を制御できず、本能のまま優李の服の中に手を入れる。素肌に触れたとき、優李は再び抵抗を見せた。 「んっ……ま、ちょっと、オミ……っ」  ニットの裾を必死に下げる優李を無理矢理押さえつけ、好き放題に嬲っていく。胸の突起を爪で弾くと、優李はヒッと喉が詰まったような声を上げた。執拗にそこだけを攻め続け、すっかり膨らんだ先端を強く摘まむ。 「──っ、あ」  優李は一際大きく喘いだ。頭に血が上りすぎて爆発しそうだった。玄関先であることも忘れ、千切るような強引さで優李のベルトを外す。下着の中に手を突っ込むと、すでに勃っていることに気づいた。指先が溶けるかと思うほど、そこは熱のこもった場所だった。  心拍が急激に上昇する。自分の獣性が恐ろしい。だけどもうどうしようもなかった。ずっと好きだった人に触れているのだ。興奮しないほうがどうかしている。  ──優李。優李。 「……はあっ……う……」  自分の性器を取り出し、優李の性器に擦り付ける。想像以上の快感で頭がおかしくなりそうだった。声が堪え切れず洩れてしまうけれど、止める術もない。  自分の先端はもう濡れている。優李の先端からも蜜が溢れていた。視覚も触覚もとんでもないことになっている。全身の血が沸騰したように熱い。  発情した動物のように息を切らし、潰すほど強く腰を押し付けた。ただ上下に動かしているだけなのに、気持ち良すぎて涎が止まらない。夢中になって擦っていると、性器同士が引っ掛かりあった。強すぎる刺激に眩暈がして、射精感が一気に込み上げる。暴発しそうな下半身を必死に堪え、右手を優李の背後に回した。もっと深いところに触れたい。内側まで、全部──  閉じたそこに指を這わせる。優李が息を呑んだ。ぐっと押し込むように力を入れると、 「──痛っ」  と悲鳴を上げた。その声で我に返る。  ──俺、なにをして……。  大混乱が押し寄せ、自分でも訳がわからなくなった。優李の目から涙がこぼれ落ちたことでようやく状況を把握し、愕然とする。昨日に引き続き今日も泣かせてしまった。しかしそれは昨日とはまったく違う涙だ。優李は今、ゲイに襲われた恐怖で泣いているのだから。 「……っ、ごめん」  咄嗟に謝った。両手を上げて「やってません」のポーズをする。実際には完全にやらかしている上に、下半身は丸出しというひどい状態だけれど、これ以上は触らないという意思表示のつもりだった。全身からは血の気が引き、さっきまでの熱が信じられないほど寒気がしている。  ──どうしよう。どうしよう。どうしよう。  もう一度謝ろうとすると、俯いたままだった優李が顔を上げた。 「俺は奏多じゃないよ」  言われた瞬間、心臓が切り裂けるかと思った。  ここにいるのは奏多ではない。優李だ。そんなことはわかっている。わかっているから、触れたかったのだ。  広臣が求めてやまないのは、結局ずっと優李だけだった。それが奏多に対する裏切りになるとわかっていても、やめられなかった。いつだって心は思う通りにならない。昔も今も、奏多を大切にしたい気持ちと、優李が好きだという気持ちが反発し合っている。  なにも答えられない広臣に、優李は小さなため息を吐いた。落ちた鞄を拾い上げて家を出て行く。引き止められるわけもなく、閉まっていく扉を放心状態で見つめていた。

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