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第22話  最低最悪なエゴイスト

 淡々と、静かに時間が過ぎていった。  優李に奏多とのことを告げたとき、男同士の恋愛に拒否反応を示されなかった安堵と、自分の恋にヒビが入る痛みを覚えた。  ゲイを差別されなくて嬉しかった。しかし同時に、優李にとって自分は本当に対象外なのだと思い知らされる出来事でもあった。それは思っていたよりもっと切なく、その日を境に優李への気持ちが恋しさではなく恐ろしさへと変わっていった。  好きでいるのが怖い。傷つきたくない。自分を守ることに必死で、奏多と不誠実な関係を結んでいる現状から目を逸らすようになった。  そうしていくうち、自分はいったい誰が好きなのかよくわからなくなった。  幼馴染の自分には見せなかった一面を、奏多は晒してくれるようになった。一番驚いたのは、意外と甘えたがりだったことだ。二人きりになればいつもの毒舌は身をひそめ、恍惚とした表情を見せることもあった。  そんな奏多を可愛いと思うようになった。恋人という甘美な響きにだんだん酔っていく。奏多との距離が近づくたび、優李への気持ちは薄くなっていく。  このまま、奏多を好きになるのだと思った。  けれどふとした瞬間、優李の横顔にどうしようもなく胸が高鳴った。  ぼやけていた恋心が、爆発的に輝くときがあった。  ──俺は本当に最低だ。  奏多の本音に気づいたのは、恋人になってから二年以上経った頃だった。ある日突然、キスしてくれと言われたのだ。  ──奏多、おまえ、本当に俺のこと……。  どれだけ近くにいても、たまに抱きしめ合うことがあっても、それ以上のことはしてこなかった。キスをしようと思ったことさえもなかったのだ。それが結局は自分の中にある答えなのだと、そのとき理解してしまった。  恋人としての行為を意識すると、ひどい罪悪感に襲われた。それでもこの関係をやめようと言えなかった。  いつまで生きられるかわからない奏多を、突き放すことができなかったのだ。  目を閉じると、優李の顔が浮かんだ。最悪だ。自分の醜さに泣きたくなりながら唇を寄せた。はじめてのキスだった。  もっと早く奏多の本音に気づけていたら、こんなふうに傷つけずに済んだのに。恋人になんかならなかったのに。どうしても後悔してしまう。あの日素直に気持ちを教えてくれたら、自分だってもっと慎重に考えたはずだ。  ──いや、本当にそうか?  奏多が正直に想いをぶつけてくれたとして、自分はあのとき、本当に断れただろうか。結局勝手に忖度して、奏多の身体のことを言い訳に、同じ結果を生んでいたのではないか。疑念はすぐに確信に変わった。こんなことを考えながらも、いまだ別れを切り出せていないことがなによりの証明だ。  誰かのためになにかができる自分でいたかった。幼馴染を守れる自分でいたかった。あのとき断らなかったのは、奏多のためではない。自分のためだ。理想の自分に近づきたくて、一番やってはいけないことをやってしまった。  自分は最低最悪なエゴイストだ。気づいても、後悔しても、もう遅い。もうやめられない。偽物の恋を続けたまま、理想の自分という殻の中に本当の自分を押し隠した。  そうして奏多がいなくなったとき、広臣の殻は粉々に砕け散った。  中には腐敗した醜い男の顔がある。隠していた自分を誰にも見られたくなくて、家にも帰れなかった。どこか遠くへ消えてしまいたい。だけど一人は心細い。このときはじめて、自分は一人になったことがないということに気づいた。いつもそばに、あの二人がいてくれたのだ。きっと今さら一人では生きていけない。けれど優李や奏多の親に向ける顔がなかった。  居場所がない恐怖から目を背けるように、夜の街を彷徨う。深夜の街で未成年の広臣に寄ってくる大人なんて、ろくな人間ではない。自分と同じろくでなしと一緒にいるのは気が楽で、似合いもしない煌びやかな世界に溺れていった。  気づけば一週間以上帰宅せず、酒と香水のにおいに塗れながら眠らない日々を過ごしていた。頭も心も正常さを失い、このまま逃げ続けてもいいかもしれないと考え始める。しかしそんなことは土台不可能な話で、一年が終わりを迎えようとしている頃、一番会いたくなかった人が迎えにきた。  嘘だ。本当は狂いそうになるほど会いたかった。顔が見たくて、声が聞きたくて、肌に触れたくて仕方なかった。やはり自分は、どうしようもなく優李が好きなのだ。  息を切らして広臣の腕を掴んだ優李は、今までにないほど怒った顔をしていた。薄茶色の髪と細い肩が白く彩られている。冷たい雪が降る中、どれだけ自分を探し回っていたのだろう。  ──綺麗だ。  雪に濡れた優李は恐ろしいほど美しくて、まるで神様のようだった。神様を前にすると、懺悔したくなった。  ──神様、自分は非道な人間です。  ──奏多を傷つけ、踏み躙り、辛い思いをさせたまま逝かせてしまいました。  ──そのうえ自分は、亡骸を前に、悲しみではなく安堵を覚えたのです。  ──偽善が偽善と明かされる前に奏多が逝ったことに、力が抜けるほど安心してしまったのです。  心の中で洗いざらい罪を告白した。  神を前に、許されたい気持ちが溢れる。そんな自分が許せず、憎しみでいっぱいになった。涙が凍ってしまいそうな冷たい夜だった。

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